IPCCの教訓に学ぶ生物多様性パネル

今年、5年の準備期間を経て、ようやく各国の合意に基づいて生物多様性と生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム(IPBES)が設立される見込みとなった。この機関の提唱者は、世界貿易機関(WTO)の決定も分析の対象とすべきだと主張している。

生物多様性と生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム(IPBES)は、気候変動に関する政府間パネル (IPCC)の生物多様性版のような存在だ。

この機関の設立の背景にあるのは、政府があらゆるレベルで行う決定が、地球上で生命維持に寄与する多様な種や生態系の減少を引き起こしているという見方である。生物多様性の専門家たちは長年、種の減少に歯止めをかけるには、政府の政策や意思決定がもたらす影響を中立の立場で評価できる、権威ある科学的機関が必要だと提唱してきた。

「一般の人々はいまだに、生物多様性や生態系サービスの重要性、そして生物多様性の損失がどれほど深刻なものであるのかについて十分認識していません」。アメリカ南西部のアリゾナ州立大学で環境経済学を教えるチャールズ・ペリングス教授はティエラメリカにこう語った。

「生物多様性」とは、地球の生物学的基盤を構成し、我々の健康や豊かさ、食料、水、燃料その他の不可欠なサービスを供給している多種多様な生き物を指す言葉である。

昨年出版された「地球規模生物多様性概況第3版」などのいくつかの報告書は、数々の政策決定や失敗に終わった規制が、いかに生物学的基盤を脅かしているかを示している。だが、自然がもたらすさまざまなサービスに人類がどれほど依存していて、それがどれほど急速に失われているかを理解している人はほとんどいない、とペリングス教授は語る。

「生物圏に変化をもたらす決定は、将来の人類の繁栄にとても大きな意味を持っています。そうした決定は、科学的知見に基づいて行う必要があるのです」と同教授は言う。

教授は、「WTOの提議も、生息地への影響や、世界規模で種の離散を招いて侵略的外来種の問題を悪化させるかどうか、という見地から評価されることになるでしょう」と語る。

ペリングス教授は、現在進行中の農産物補助金に関するWTOドーハ・ラウンド貿易交渉についても、生物多様性に与え得る影響について評価すべきだと主張する。「農業政策の変更は非常に大きな影響を及ぼす恐れがあります。ですから、その評価は我々の優先課題なのです」

権威ある予測

スイスのグランに本部を置く国際自然保護連合(IUCN)の上級政務官、コニー・マルティネス氏によると、IPBESは、生物多様性の価値について政策決定者の間の意識向上を図るだけでなく、彼らに政策がもたらしうる影響についての権威ある予測を提供することも目指している。

マルティネス氏は、「経済開発が生物多様性にどのように影響するかについては、あらゆる部門の担当者が理解を深める必要があります」とティエラメリカに語った。

そのために、IPBESは環境閣僚に情報提供するだけでなく、生態系に影響を与え得るすべての主要な政策を検証する、とペリングス教授は語る。同教授は、長年このような機関設立に向けて尽力してきた人物である。

同教授はまた、過去数十年間に起こった生物多様性の急速な変化がもたらす結果を早急に解明する必要があると語る。『サイエンス』誌2月18日号にペリングス教授と共著でIPBESに関する論文を発表したスタンフォード大学のハロルド・ムーニー氏によれば、バイオ燃料などの再生可能エネルギー政策は、生物多様性に大きな影響を与えることが予想されるにもかかわらず、十分な検証を経ずに導入されているのだ。

ティエラメリカとのインタビューでムーニー氏は、「IPBESの目的は、政策決定者に情報を提供するために、科学と政策の橋渡しをすることです」と語った。

IPBESは、政策決定がもたらしうる結果に関する最良の科学的知見を提供する機関であり、特定の政策を推奨するわけではない、と同氏は言う。彼らの『サイエンス』誌掲載論文には、自然の生態系は人類に有益な経済サービスを幅広く提供するものであり、同機関が目指すのは自然保護のみではないと記されている。

例えば、森林や湿地には洪水防止の機能がある。また、サンゴ礁は平均で1ヘクタールあたり年間13万ドル相当の恩恵を人間にもたらしており、場所によってはこの数値は年間120万ドルにもなる。ベトナムの海岸線沿いにマングローブを植えるには110万ドルの費用がかかるが、年間730万ドルの堤防保守費用を節約できるのだ。

しかし、2010年6月に93カ国がIPBESの設立に合意したとはいえ、現段階で決まっているのは大まかな活動概要だけで、予算も本部拠点もスタッフも確保できていない状況だ。気候変動におけるIPCCと同じく、今回設立されるパネルも、生物多様性に関する世界中の研究成果を徹底的に精査し、それに基づいて予測とシナリオを描き、提言を作成することになる。

ゴーサイン

各国の環境大臣から成る国連環境計画(UNEP)の管理理事会は先週ケニアで会合を開き、第1回目のIPBES総会を今年中に開催することを正式に承認した。2011年10月に予定されているこの総会で、IPBESの予算や拠点、組織や運営体制についての決定がなされる。また、すでに韓国とケニアがこの新機関のホスト国候補として名乗りをあげている。

欧州連合はIPBESの早急な立ち上げを求めており、駐ケニアEU代表は声明の中で、「生物多様性の損失という重大問題に国際社会が取り組む決意」を表明すべきだ、と述べている。

IUCNのマルティネス氏は、IPBESの成功は、市民社会がどれだけ有意義な形で参加できるかにかかっていると言う。例えば、生物多様性と生態系サービスの保全および持続可能な利用において、先住民族の人々は不可欠な役割を担っている。ペリングス教授も、IPBESにとっての市民社会の重要性を認めているが、IPCCと同様に投票権を持つのは政府のみであることを指摘している。

IPBESはUNEPからも国連生物多様性条約からも機関した組織となる、とUNEPのニック・ナットール報道官は述べている。

ナットール氏はさらに、気候変動分野においてIPCCやその結論は一部で論議を巻き起こしたが、IPBESはIPCCの経験を教訓にして、「最高レベルの科学的厳密性」を保持するだろう、とティエラメリカに語った。

IPBESは、順調にいけば2012年初頭には活動を開始するだろう、とペリングス教授は語る。

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本記事は、ティエラメリカ・ネットワークを構成するラテンアメリカの複数の新聞に掲載されたものである。ティエラメリカは、 インタープレス・サービス(IPS)が運営する専門ニュース提供サービスで、国連開発計画、国連環境計画および世界銀行からの支援を受けている。

翻訳:ユニカルインターナショナル

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著者

スティーブン・リーヒー氏は、カナダ人のフリーランスジャーナリストとして、インタープレス・サービス(IPS)通信社での記者として寄稿した5年間を含め、通算12年にわたり活動してきた。リーヒー氏は、科学、環境、農業分野を専門としていて、数カ国で主要な雑誌・新聞で執筆している。カナダのトロント均衡のブルックリンに拠点を置き、Society of Environmental Journalistsのプロフェッショナルメンバーでもある。 

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  • Kaori Shimada

    生物多様性と生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム(IPBES)が、今年、5年の準備期間を経て各国の合意の下に設立される見込みとなった。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の生物多様性版のようなこのIPBESについて、生物多様性と生態系サービスの保全および持続的な利用には、政治的中立性のある評価と権威ある予測が必要だと関係者が認識していることを、この記事から読み取ることができる。
    IPBESよりも以前に、IPCCは気候変動に関して同じような役割を担っており、政策や意思決定に関して科学的知見を正確に反映することが世界的な取り組みを進める上で重要になっている。こうした科学的評価は、現状の把握や効果的な政策を進めるうえで多くの手がかりを与えているだろう。しかし、クライメートゲート事件を始めIPCCの問題点がいくつか明らかになっていることも事実である。したがって、IPBESは政治等に干渉されることなく、厳密に科学的評価などを行っていくことが強く求められる。政治と科学の結びつきに関する問題はこれまでもいろいろと聞くに及んだが、IPBESは本当にIPCCの教訓を生かして組織運営をしていくことはできるだろうか。私は少し懸念はあるが、この記事にある研究者や関係者らの強い意志を信じたい。今年の10月に予定されている総会で組織の詳細が決定し、いよいよ活動が開始されつつあるIPBESが、生物多様性に関する世界的な動向にどう影響を与えることになっていくのかについても今後注目していきたいと思う。

  • 渡部健司

    Kaori Shimadaさん、貴重なご意見を共有していただき誠にありがとうございます。

    「IPBESは政治等に干渉されることなく、厳密に科学的評価などを行っていくことが強く求められる。」に関しまして私見を述べさせていただきたく思います。

    IPBESの科学的評価の信憑性を高めるためには、IPBESの取り扱うデータ、また提供するデータを審査する第三者機関の存在が必要になると考えています。その第三者機関が、政治的、経済的にもIPBESや、各国政府機関と癒着していなければ、IPBESが厳密な科学的評価を下すことは可能であると考えています。

    しかし、本記事にもあります通り、「現段階で決まっているのは大まかな活動概要だけで、予算も本部拠点もスタッフも確保できていない状況」を考慮しますと、広範なデータを審査する第三者機関を確保することは現実的に可能かどうかは疑問です。

    そこで、再び本記事を引用しますと、「IPBESの成功は、市民社会がどれだけ有意義な形で参加できるかにかかっている」、つまり、IPBESは可能な限り高い透明性を持って取り扱っているデータ及び情報を公開し、市民社会が十分に審査できる制度を作り出すこと、それが有意義な市民社会の参加の一つのあり方ではないかと考えています。

    Kaori Shimadaさん、貴重なご意見を残していただきありがとうございました。
    次回のコメントを楽しみにお待ちしております。