日用品をコラボ消費する

1980年代以来、私は環境と名がつくあらゆるものに首を突っ込み、地球を救うことに関する専門用語やコンセプト、新たなアプローチがぞろぞろと現れ、消えていくのを目の当たりにしてきた。環境問題の第一人者を自認する人々は、さまざまなイベントに列をなして並び、いかにして地球を救うかの自説(ソフト・エネルギー・パス、ファクター4、自然資本主義、ゼロ・エミッション、環境再建などなど)を押しつけようとしてきた。

面白いことに、こうした人たちは何があっても持論を引っ込める気はないらしい。「いや実は、彼女の理論の方が私のよりもすぐれています」と言い出すことは決してないのだ。

ただ残念ながら、私の経験では、これらの答えやアイデアの多くは(プレゼンテーションとしては楽しめるけれども)、一般の人々にはおおよそ縁がない。本を読んだり、映画を観たり、ワークショップに参加したり、講演を聴いたりすることはできる。しかし、彼らが売り込もうとしている素晴らしい新たなアプローチを最近、自ら体験したことがあるかと聞かれれば、答えに窮するのではないだろうか。

だからこそ先日、私の幼い娘がコラボ消費のコンセプトについて私に話しかけてきたのには驚いた(彼女はそれについて本を読んだことも話を聞いたこともない)。

その時、学校で良い成績を取ったご褒美に音楽CDを買ってあげると言った私に、娘は「iTunesからダウンロードする方がずっと安いじゃない」と言ったのだ。

確かにそうだ。iTunesのことを先に考えて然るべきだったが、私はまだ、音楽といえばCD。娘の方が進んでいたのだ。彼女は「プロダクト=サービス・システム」について知っている(その言葉こそ使わなかったが)。これはコラボ消費を支える3つの主要なアイデアの1つである。基本的に、私の娘が興味を持っているのはCDではなく音楽であり、DVDではなく映画なのだ。総じて私たちは、製品からサービスに焦点を移し始めていると言っても過言ではないのかもしれない。

コラボ消費は身の回りにあふれている

私はそこで、コラボ消費モデルに適合する他の例を探し始めた。東京に住んでいると、驚くほどたくさん見つかる。例えば、私は毎週末、家族と一緒に地元のショッピングセンターまで歩き、ブックオフという店(今では米国にもある)で古い本や音楽CD、DVD、ゲームを売る。店は持ち込まれた品をその場で現金で買い取り、普通の店と同じように販売する。古いコンピュータは東京の電気街(秋葉原)に持っていけば、買ってくれそうなコンピュータ専門店がたくさんある。私の家の近所でも、古いXboxやPlayStation、ゲーム機を買い取って売る小さな店がある。

これはコラボ消費の2つ目のアイデアで、「再分配(redistribution)市場」と呼ばれるものだ。リデュース(reduce)、リユース(reuse)、リサイクル(recycle)に続く第4の「R」である。基本的な考え方は、何かを利用するときに、それを所有して、家の中に保管しておく必要はないということだ。それどころか、使い終わったら、それを他の人に売るのを手伝ってくれるビジネスがあるのだ。
コラボ消費の3つ目のアイデアは「コラボ的ライフスタイル」と称される。ここ東京ではぴったりの例が思い浮かばない(ただし、長い伝統を持つ銭湯を含めるなら別だ。いまだにどの地域にもあるが、私自身は近所の銭湯にしばらく行っていない)。

おそらく、カーシェアリングはこの例に入る。最近、私は自宅の近所の駐車場でカーシェアリングの仕組みのいくつかを見つけた。そのサービスは「タイムズプラス」と呼ばれ、提供しているのはパーク24という会社である。このサービスはメンバー制で、車の予約はオンラインで可能だ。すでに全国には400カ所近い「タイムズプラス」のステーションがある。

コラボ消費の教祖的存在

私はコラボ消費という用語をレイチェル・ボッツマン氏とルー・ロジャース氏から知った。彼らはそれぞれ、ソーシャルイノベーター、シリアルアントレプレナーと自称している。実は私は彼らの著書(『シェア<共有>からビジネスを生みだす新戦略』)を読んでいない。しかし、ウェブサイトはしっかりチェックして、ボッツマン氏が「TEDxSydney」で行った印象的なプレゼンテーションは見た。

ボッツマン氏とロジャース氏はコラボ消費の教祖ともいえる存在で、彼らはシェアリングをクールなものにすべく懸命になっている。彼らは「コラボ消費とは、昔ながらの共有、物々交換、貸し出し、売買、借り入れ、贈与、スワップが、以前はありえなかった規模や方法で姿を変えて登場し、急速に拡大しているものだと言うことができます」と述べている。

著書において、彼らはコラボ消費が実践されている例を多数あげている(イーベイやクレイグズリストから、ソーシャル・レンディング・サービス(ゾーパ)やカーシェアリング(ジップカー)などの新興セクターまで)。彼らは自動車市場がオーナーシップからピア・ツー・ピア・レンタル(自家用車を使わない時に貸し借りすること)へ進化する段階を図式化している(図をご覧ください)。

日用品をコラボ消費する

彼らが強調している1つの点は、私たちがゴミの山を生み出す「ハイパー消費」に背を向け、ゴミが少なくなるコラボ消費に移行しさえすれば、コラボ消費が環境にも真の恩恵をもたらすということだ。彼らは多くの環境論者とは一線を画し、人々が団結し、資源をシェアすれば、ボッツマン氏いわく「自分のライフスタイルや大切にしている個人の自由を犠牲にせずに」環境に良いことができると言う。

すぐにでもトレンドを逆転させられるのか?

話がうますぎるだろうか? たしかに、コラボ消費の動きはきわめて顕著で山火事のように広がっているが、巨大な消費の海においてはまだ、ほんの一滴にすぎない。2009年だけでも、全世界で約5100万台の自動車が生産され、2010年は現時点で、2億6600万台のコンピュータ、1億100万台の自転車が販売されている。そのなかでシェアされているのは、ごく一部だ。20世紀のハイパー消費モデルから21世紀のコラボ消費モデルに真に移行するまでには、まだ長い道程が待ち受けている。

さらに、多くの人の目には、コラボ消費は誰もがコンピュータや車やテレビなどを持っているわけではなかった、あるいは持つことができなかった過去の時代への逆行と映るのかもしれない。1960年代、テレビが家庭に入り始めた時の様子をなつかしく思い出せば、自分の家にテレビがなかった私は、隣の家に子ども向け番組をよく見にいったものだった。おそらく、その頃はコミュニティの結びつきが強くて、シェアするという考え方が何ら特別に見られることはなかったのだ。そのようなことが今日、どれほど起こっているかは心もとない。

このように考えてくると、コラボ消費は進むべき価値がある道だろうか? このアプローチでほっと安心する側面を1つあげると、世界でも比較的豊かな地域の多くでは、快適なライフスタイルを維持するのに十分なだけのモノがすでに十分あり、ボッツマン氏やロジャース氏が提案する方向性で私たちがそれらをシェアすることにしても、取り合いにはならないことだ。

しかし、今、持たざる人たちにとっては、それは何の慰めにもならない。理想的には、事態がひどく悪くなることがなければ、おそらく新興国は私たちの過ちから学び、ひとっ飛びでコラボ消費によるより良いクオリティ・オブ・ライフを手に入れることができる。これは信ずるに値することだ。

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ブレンダン・バレット by ブレンダン・バレット is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.

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著者

ブレンダン・バレットは1984年からイギリス原子力発電所の環境アセスメントに従事して以来、環境分野に従事してきました。環境スペシャリスト、都市設計者でもあり、コミュニケーションや教育をはじめ環境問題の研究のため、ITを駆使しています。

博士課程を終了後、1997年から国連大学に加わり、2002年に国連大学メディアスタジオを立ち上げました。

IUCN(国際自然保護連合)教育・コミュニケーション委員会のメンバーでもあり、オーストラリア環境研究ジャーナルやサービス・リサーチ・ジャーナルの国際編集顧問委員会のメンバーとして活躍。2002年から2005年には情報社会サミットで、国連大学の中心的役割を果たしました。

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  • Midori Takeda

     近年、昔ながらの共有や貸し出しが姿を変えた「コラボ消費」が大きく広がりを見せつつある。レイチェル・ボッツマン氏等は、利用・共有を推進することで個々のライフスタイルを犠牲にせずとも環境負荷の低減が期待できると主張している。一方、筆者は、消費と所有を中心としたハイパー消費から完全に脱するには時間がかかる上、近隣コミュニティと生活必需品をシェアする機会が少なくなった現代において、コラボ消費を推進することに疑問を抱いている。
     筆者が述べるように、地域コミュニティのつながりが希薄になり、お隣さんの顔も知らずに暮らす人もいるなかで、モノの共有は難しいかもしれない。しかし、生活必需品を不自由なく手に入れることができた人々の価値基準は、「目に見えるもの」から「目に見えないもの」に移行しつつあり、同じような目的をもつ人々の集団とそれを共有する「コラボ的ライフスタイル」の可能性は十分にあるのではないか。
     最近、「クラインガルテン」と呼ばれる市民農園で休日の土いじりを楽しむ都市部の人が増えている。農作物を育てたくても土地のない人が、郊外の休耕地を利用した市民農園の一区画を賃貸し、他の利用者とともに野菜を育て収穫する喜びを味わう。クラインガルテン内の家庭菜園やガーデニングでは、有機栽培が義務付けられ、地元農家から栽培方法を学びながら農薬や化学肥料の低減に努めている。(クラインガルテン情報局http://garden.tank.jp/)こうして、農作業を楽しみたいという同じ目的を持った人々は、クラインガルテンでコミュニティを形成し、農作業をともにすることで喜びや感動を体験する。そして、環境に配慮した農業を通してエコライフを実践する。つまり、利用者は、時間や空間、体験といった非物質的なものを求め、週末にクラインガルテンへと足を運び、そこでの営みが環境保護につながっているのである。
     このように、人々の「目に見えないもの」を求める風潮に伴い、共通の目的をもつコミュニティ内で時間や空間を共有するコラボ消費は発展していけるだろう。さらに、クラインガルテンにおける環境保全型農業のように、「コラボ的ライフスタイル」は環境保全に貢献することもできると考える。