地域に深く根づくレジリエンス

かつてヴィクトル・ユゴーは次のように書いた。「宗教、社会、自然—人間はこれら3つと格闘する。だが同時に、人間はこれら3つを必要とする」。世界各国の文学や歴史は、ユゴーの言葉を裏付ける証拠を十分に示しているようだ。しかし、日本においては、あまねく広まる神道と仏教の信仰心が自然と密接に結びついて、社会は古来、里山というランドスケープの中で、人間と自然の調和を軸に形成されてきた。そのような日本では、これら3つはともに発達したと思われ、また、それこそが、2011年の東日本大震災後に東北地方が示した堅固なレジリエンスを一部で支えているようである。

これらは重要な問題であるとともに、今、議論するのは時宜にかなっている。というのは、レジリエンスは現代のキーワードであり、然るべき注目を集めているからだ。リオ+20の成果文書 「The Future We Want」でも、全体を通してその言葉は頻出し、先月、横浜で開催された持続可能なアジア太平洋に関する国際フォーラム (ISAP 2012)でも、4つのテーマの1つに掲げられていた。さらには来月、韓国で開催される ICUN(国際自然保護連合)の世界自然保護会議でも、全体のテーマである「Nature+」の中心に据えられている。

“しかし、たとえば勇気というものが、危険な状況に陥らなければ目に見えないのと同じように、システムのレジリエンスもおそらく、外部からの圧力にさらされなければ分からない。”

しかし、レジリエンスの概念を説明し、定量化し、伝達するのは、これまではやや困難だった。もっとも、専門用語としての定義は存在しており、対象を特定した「生態系のレジリエンス」、さらには「コミュニティのレジリエンス」についても説明がある。レジリエンスの反意語として「脆弱性」が挙げられることもある。それなら、より容易に明確化や定量化ができるかもしれない。この場合、脆弱性を下げる要素は要因とレジリエンスを高めると考えられる。

しかし、たとえば勇気というものが、危険な状況に陥らなければ目に見えないのと同じように、システムのレジリエンスもおそらく、外部からの圧力にさらされなければ分からない。その点では、科学者たちは、気候変動により、ますます予測不可能で極端な天気事象が多数発生すると予測している。そうなるとすぐにでも、世界中のコミュニティはレジリエンスを試される、あるいは脆弱性をあらわにすることになる。

災害に直面した時のレジリエンス

2011年3月11日、日本では未曾有の地震が東北地方を襲い、壊滅的な津波を引き起こし、広範囲に甚大な被害をもたらした。日本の国内および周辺で地震活動が盛んなことはよく知られており、その脆弱性を補うために包括的な対策が取られてきた。しかし、昨年の震災はあまりにも規模が大きかったために、防災を考えたインフラストラクチャは役に立たず、コミュニティはすっかり押し流され、数千人もの人が家を失った。

だが、その後、数日から数週間にかけて、その地方からは次々と美談が生まれた。混乱した状況に際しても秩序が守られたこと、惨状の中でも人々は互いに思いやりの気持ちを示したこと、失ってなお与え合う心が発揮されたこと。端的に言えば、インフラストラクチャは崩壊し、生態系は壊滅的な被害を受けたが、コミュニティの精神はまったく傷つくことなく残っていたのである。

コミュニティのレジリエンスの反映

先月のISAP2012では、フォーラムの主要テーマの1つであるレジリエンスに関して、「SATOYAMAイニシアチブとレジリエンス—持続可能な社会を目指して」というタイトルのパラレルセッション(分科会)が開催された。そのセッションにおいて、 多田自然農場の代表取締役、多田克彦氏が力強いプレゼンテーションを行った。多田氏の農場は被災地である東北地方の岩手県遠野市にある。多田氏は、地震の間、目の前で車がどのように飛び跳ねたか、また直接的に受けた津波の被害がどのようなものだったかなどを出席者に話して聞かせた。

震災後、彼が反射的にとった行動は、自分の農場の食料とリソースを提供し、コミュニティを動かすことだった。彼は国内外から集まってきたボランティアを組織化し、間もなく遠野市は沿岸の町の救援に向かうボランティアの最大拠点の1つになった。パラレルセッションにおいて多田氏は、当時の様子を記録した短いスライドショービデオを上映した。

実際、この地方全体を見ても、多くの人たちが無意識のうちにやったことは、まず周囲を気遣うことだった。たとえば、宮城県沖にある浦戸諸島の1つの島では、島をすっかり覆うほどの津波に襲われたが、島民の多くが高齢者だったにもかかわらず、1人も命を落とさなかった。それは、島民同士がお互いをよく知っていて、コミュニティが団結して早々に避難したからだ。こういったコミュニティの結束が、今では地域の着実な復興に欠かせないものとなっている。

“ニューオーリンズにおいても、東北地方においても、周到に準備された防御手段が自然災害の前にもろくも崩れ去ったのは同じである。それでも、一方ではコミュニティのレジリエンスは勝利し、もう一方ではその大方が崩壊してしまったように見える。”

また、宮城県栗原市は、2011年13月11日の地震で最大規模の震度が記録された。しかし、過去の地震の経験に基づいて、同市は自治会など、地域コミュニティにおける自主的な組織づくりを強化していた。それが市内の被害を最小限にとどめ、震災後は正確な情報を短時間で収集することに役立ち、迅速で効果的な対応を可能にした。

レジリエンスの定量化

それにしても、このような前代未聞の災害に際して、日本のコミュニティでこれほど強力なレジリエンスが発揮されたのは一体なぜだろうか。たとえば、ハリケーンカトリーナがニューオーリンズを襲い、堤防が決壊して町の大部分が浸水した時のことを思い出してみたい。災害が発生した時、ニューオーリンズの警官の3分の1は町を離れ、出勤しなかったという報告もある。町中で暴動や非合法な銃撃戦が起こり、最後には州兵が投入されて、町の治安回復にあたった。強さとコミュニティの精神が発揮された感動的な場面も間違いなくあったのだが(たとえば非常に結束が固かったベトナム人キリスト教徒のサブコミュニティなど)、ある時点で、町の秩序のまさに基盤が水害によって甚だしく揺るがされてしまった。

ニューオーリンズにおいても、東北地方においても、周到に準備された防御手段が自然災害の前にもろくも崩れ去ったのは同じである。それでも、一方ではコミュニティのレジリエンスは勝利し、もう一方ではその大方が崩壊してしまったように見える。

おそらく、東北地方全体に存在する多数の文化およびコミュニティの結びつきが、災害に直面した時のこの地域の強さにつながったのだ。一方、大都市では、人々が互いに名前も知らず、孤立して暮らしているため、そのような結びつきは形成されにくいのかもしれない。したがって、おおむねが地方部の東北とニューオーリンズの大都市を比較するのはいささか公平性を欠くかもしれない。だが、ここで懸念されるのは、日本の大都市が同様の規模の災害に見舞われたら、どのように対処するだろうかということだ。

また、政府、NGO、救援組織などはいずれも、指標や目標が数値で表せるプロジェクトの方が支援しやすいようだ。しかし、多田氏のような人々が東北全体で見せたような、危機に際した時の強さやリーダーシップは、どのように定量化できるだろうか? どのような指標、目標あるいは統計であれば、コミュニティのレジリエンスを正確に反映することができるだろうか?

石もこすり合わされると角が取れる

日本の宗教的な基盤について話を少し戻すと、「ともに暮らす人々は1つの袋の中の石のようなもの」という仏教の教えに思い至る(実際にはカンボジア仏教の思想に由来するようだ)。袋の中の石は長年にわたってこすり合わされた末に角が取れ、美しく磨かれた形になる。おそらく、これがコミュニティのレジリエンスの隠喩になるのではないか。コミュニティにおいて、1つのグループに属する個人は互いに近く接することによって、互いを強くする。

復興の歩みを記録した多田氏のスライドショーでは、個人が単独で奮闘する姿は登場せず、共通の目的に向かって力を合わせる人々の写真ばかりだった。これは納得できることだ。

気候学者が予測するように、極端な天気事象が増加すれば、世界中のコミュニティは一層脆弱になるであろう。東北地方のコミュニティが示したレジリエンスは、世界のその他の地域にどのような準備ができるかについて、今日、最も優れた模範例の1つになるかもしれない。

翻訳:ユニカルインターナショナル

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地域に深く根づくレジリエンス by 岡安 早菜, 松本 郁子 and ロバート・ブラジアック is licensed under a Creative Commons Attribution-NoDerivs 3.0 Unported License.

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著者

岡安早菜氏は、神奈川県三浦郡葉山町にある公益財団法人 地球環境戦略研究機関(IGES)プログラムマネジメントオフィスの特任研究員である。

松本郁子氏は、神奈川県三浦郡葉山町にある公益財団法人 地球環境戦略研究機関(IGES)プログラムマネジメントオフィスの特任研究員である。

ロバート・ブラジアック氏は以前、横浜の国連大学高等研究所においてSATOYAMAイニシアチブに取り組んでいた。現在は、東京大学大学院農学生命科学研究科のリサーチ・フェローである。

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