2011年、日本の人々はすでに十分に苦しんでいるというのに、先月はまた、近年最大規模の台風を2つ続けて経験した。3月11日の壊滅的な津波と同様に、誰もこのような自然災害を予想していなかった。それは正しいだろうか?
まあ、そう言えなくはない。だが、遡って2009年、Our World 2.0では将来、気候変動が及ぼす影響について、お決まりとも言える記事を発表し、2090年に向けての予測も行っていた。その記事「台風と経済の方程式」で、著者のミゲル・エステバン氏は、台風だけで日本は年間6870億円もの損失を被るだろうと試算している。このようなデータが今後も継続的に更新され、より精緻になっていけば、私たちはそうした予測から多くを学ぶことができる。たとえ、私たちの多くは、最悪の事態が起こる頃にはすでにこの世にいないとしても、だ。
よく言われることだが、台風であろうが、洪水あるいは山火事であろうが、個々の天気事象の原因を気候変動に求めるのは無理がある。しかし、例外的な天気事象が連続的に続く場合、どこまでが本当に「100年に1度の」偶発的な出来事と言えるのだろうか。
日本から南アジアに目を向けると、私たちは数ヶ月前、パキスタンで氷河融解がどのような結果をもたらすかについての記事を発表した。著者であるリナ・サイード・カーン氏は、「ブレップを襲ったような類の氷河湖決壊による洪水災害は増加していて、高い山間部で気温が上がる夏の月には特に多い」ことを発見している。
パキスタンは現在、ブレップと場所こそ違うが、昨年に引き続き、記録的な洪水に見舞われている(2010年には2000万人の人々が移住を余儀なくされた)。たしかにこの国には、安全保障や貧困など、課題が山積しているが、将来の不安定な気候についても適応を真剣に考えるべきではないだろうか?
「貧困」の方が「気候変動」よりも優先されるべきだという単純きわまりない理屈はもはや通らない。なぜなら今後も、最も甚大な被害を受けるのは最も貧しい国だからだ。
さらに遡って2009年3月、私たちは 気候の転換点について、そして当時、オーストラリアで起こっていた前代未聞の山火事について論じた。それから2年後の夏、オーストラリアは各地でほぼ同時に記録破りの洪水、壊滅的なサイクロン、途方もない熱波、悪夢のような山火事に見舞われた。偶然だろうか? いずれにしてもなぜ、オーストラリアの人々、メディア、自由党と国民党の野党保守連合のリーダーの多くは、気候学者が口を酸っぱくして言い続けていることを認めようとしないのだろうか?
懲りない人々
オーストラリアで気候変動を否定する人々は、米国の共和党議員とティーパーティー出身議員に追随している。2011年3月にOur World 2.0は、オーストラリアのクライヴ・ハミルトン教授による記事を掲載したが、この時は、人間が気候変動を引き起こしたという議論は、米国の力を低下させようとする左翼と国連の陰謀だと信じてやまない人たちから、示し合わせたようなコメントが相次いで寄せられた。言ってみれば、共和党候補者の指名争いがこのようにヒートアップするずっと前に、この記事は、個々の科学者に対して総攻撃を仕掛ける重鎮議員やメディア機関の存在を明らかにしていたのだ。
例外的な天気事象が連続的に続く場合、どこまでが本当に「100年に1度の」偶発的な出来事と言えるのだろうか
そして近いところでは2011年7月、私たちは次期アメリカ大統領(それが誰であろうと)が「気候変動のカード」を政治的にどのように利用するかについての記事を掲載した。当時、予測していなかった事態は、その直後にテキサス州知事のリック・ペリー氏がさらなる暴論を振りかざしながら、レースに名乗り出たことだ。
環境問題専門のウェブマガジン「グリスト」によると、ペリー氏は気候変動について「巧妙に積み上げられながらも、その重みに耐えられずに自ら崩壊する嘘の塊」と言ったそうである。とてもではないが、テキサスが現在、史上最悪の干ばつに見舞われているとは思えない発言だ。
原子力についてのビジョン
日本が地震、津波、原子力発電所のメルトダウンという3重の被害に襲われることは、もちろん誰も予測していなかった。この問題は今日も進行中で、爆発を起こした原子力発電所の周辺地域の人々はなお避難生活を続けている。偶然にも、Our World2.0ではこの悲劇の1ヶ月前、「原子力週間」という評判のシリーズを発表していた。その時、私たちは日本の原子力利用拡大計画(もちろん福島の事故以前だが)がこの国をピークオイルから救えるかについて議論した。
地震や津波が多い地域に原子力発電所を設置することのリスクを具体的に明らかにする人はいなかったが、多くの参加者を集めた、「討論会2.0:原子力を使うべきか否か」の雰囲気は全体的に慎重なものだった。このような討論ではよくあることだが、チェルノブイリのような惨事は稀だと知っていても、人は「用心に越したことはない」だと言う傾向がある。
時期尚早
用心ということで言えば、当然のことながら調査や研究は、過去の出来事の解明や分析をするだけでなく、将来を予測し、それに対して社会が備える手助けをする役割も担っている。私たちの記事において、著者の許可のもとに引用されている科学文献の多くは、確実に起こることを示しているのではない。そうではなく科学者は、あり得る将来像を描くことで、社会が 「予防原則」にしたがって、リスクを最小限に抑え、賢明な決定をするのを促しているのだ。
2008年にスタートした時から、Our World 2.0は380本あまりの記事を掲載してきたが、そこで述べられた予想の大部分はまだしばらくは検証されそうにない。人的要因と自然要因の統合的な作用の結果は、数世紀とは言わないが、数年、数十年という時間をかけて見えてくるものである。だが、それこそが重要な点だ。気候変動や生物多様性喪失といった問題を例にとっても、環境の変化はじわじわと起こるだけなので、四六時中、情報の渦に巻き込まれている私たちには、正確に理解できないことが少なくない。
世界経済は再び危機的状況にあり、誰もがおそらく、2008年の景気後退を思い出しながら、「こんなことが起こるとは思わなかった」気分を味わっているだろう。だが、それは違う。ヌリエル・ルービニ氏 (ドクター・ドゥーム((破滅を予言した男))としても知られている)をはじめとする人々は、「大不況」を詳細に予測したことで知られている。
予測に関して問題にすべきことは、誰がそれを言っていて、その予想をすることによって、その人はどいうったメリットを享受するのかということだ。さらには、予想を裏付ける調査の質にも注意する必要がある。誰がどこで発表し、審査は行われたかを見なければならない。
今日、科学知識はイエール・エンバイロメント360やネイチャー などの優良なウェブサイトを見れば、いくらでも手に入る(私たちのサイトも加えていただければ幸いである)。こうなると「誰も予期しなかった」とは言えないはずだ。
さて、Our World2.0で示された予測や予想のうちどれが、結果的に正しかったということになるだろうか。世界は本当に「風」に接続しているだろうか? 遺伝子組み換え作物は本当に生き残りの手段だろうか? 「R水素」は 新たな文明の基盤となるのだろうか?
単純に答えるなら、大抵の場合において、その判断をするのは時期尚早だ。
しかし、それらについて読み、注意するのは決して早すぎることはない。これらの脅威は消えることはない。今日の予測の中にいかに信じがたい(信じたくない)ものがあろうとも。
翻訳:ユニカルインターナショナル