ダヤック族の禁断の森

ダヤック・ケニャ族は未開のジャングルに住んでいる。ボルネオ島のインドネシア領、東カリマンタンの鬱蒼とした熱帯雨林の奥地で、彼らは何千年もの間、禁断の森(タナオレン)と調和しながら共存してきた。

マレーシアとインドネシアの国境近くにあるセトゥラン村に住むダヤック族系に属するオマルン族は、森林破壊から森を守る精力的な活動をしていることで世界的に知られている。

森とその資源に近づくことを禁ずるダヤック族の古くからの掟に則り、人間と自然が共に恩恵を受けられるように、オマルン族は何千年と続く先住民族の知識(移動耕作や森林農業などの習わし)をもって自然の地形を維持管理している。

今日オマルン族は有機米を主とした農業や、野生動物、繊維、木材などの森の産物を収入源としている。ここで重要なのは、彼らは決して農業のために森林を伐採しないということだ。

世界の多くの先住民族コミュニティでは、経済発展のために木材の切り出しや、人類の飽くことのない食欲を満たすために大規模農業を行って森林を犠牲にしている。

しかし21世紀に入り、オマルン族は自らの森を守るために思いも寄らない現代的手法を取り入れた:森林減少・森林劣化により排出される二酸化炭素の削減事業(REDD)である。

森林減少・森林劣化に由来する二酸化炭素ガス排出量を低減するため、REDDは”市場インセンティブ”を用いている。基本的には、オマルン族のような森林所有者に対し、森林伐採をしない対価を支払う仕組みだ。

保護された森林と防止された排出量が計算され“REDDクレジット”に換算される。そして、自社の温暖化ガス排出量を相殺したい企業によって(シカゴ気候取引所のような)中央取引市場で売買されるのだ。

途方もない20パーセント

世界全体の年間温室効果ガス排出量の実に20%は、森林減少が原因とされている。つまり、350ppm以下の二酸化炭素濃度を維持できる可能性は、世界が一丸となって森林減少に歯止めをかけられるか否かにかかっているといえる。

ゆえに、REDDは気候変動を緩和する新たな戦略として期待を集めているのだ。メリルリンチやマッコーリー銀行などの有名企業はREDDを「ビジネスチャンス」と捉え、すでにインドネシアやパプアニューギニア、またカンボジアの事業に投資を始めている。

現在のところ、国連は森林減少防止に基づいたオフセットを公認していない。つまり、REDDクレジット取引はまだ初期の段階にあり、すべての取引は自主的に行われているのだ(2009年版 自主的炭素市場の現状についての報告をご参照)。しかし将来は、REDDによる10%の森林減少抑制が135億ドルの炭素クレジットを生み出すと試算されている。

森林減少を防ぐことにより、木々や地中が数百万トンの炭素をしっかりと貯留し、森は地球の炭素・酸素循環を制御し続けることができるのだ。人と同様、地球の健康に関しても、予防は常に治療に勝るようだ。

果たしてREDDは有効か、それとも偽善か?

セトゥラン村にある国際林業研究センター(CIFOR)とボルネオ熱帯雨林基金(BTRF)は、オマルン族と地域政府と共に地元住民を教育しREDDの普及活動を行っている。

REDDは本当に有効なのだろうか?

理論的には、REDDは森林管理者に対する資金を公害企業から徴収する優れた方法で、森林管理者たちは伝統的な生活様式、慣習、また生態系を犠牲にすることなく収入を得ることができる。先住民を立ち退かせようとする木材会社や政府からの圧力への抵抗力を地域に与えるだろう。また、近年人気を集めている「植樹・植林運動」に比べ、REDD事業はコスト面でも秀でている可能性がある。

REDDの仕組みは非常に複雑で、綿密に計画しなければ機能しない。第一に先住民族の権利(土地と人権)が認められ、議論の余地の無い規則を設け、計測、監視することが不可欠なのだ。これら無くして、売り手と買い手の双方が交渉の席に着くことはないだろう。

しかしながら、REDDは実際には先進工業国の排出量を削減するものではないと批判する声もある。排出量を相殺させているという誤った印象を、社会に与えているだけだというのだ。オマルン族のような共同体がたとえ報酬が無くても行う行為に対し、金銭を支払うREDDの仕組みは異常だというのである。

オマルン族もこの皮肉な状況を認識している:

「木を切らなければ業者が私たちにお金を払うと言うのです。本当ですか?信じられません」セトゥラン森林管理局のコレ・アジャン局長は言う。

反REDDの立場

これが世界中の多くの人々にREDDが受け入れられていない理由である。神聖なる大地を非道徳的に商品化することで、REDDは”炭素排出者”たちに汚染を許している。これに対し、”先住民族大会”は公的抗議デモを行っており(ビデオご参照)、またブラジルも強く反対している。

パプアニューギニアのREDD論争も、管理の不備がどれほどの大失敗を引き起こすかを物語っている。

ポスト京都議定書にREDDを含めるかどうかに関しても、いまだ答えは出ていない。コペンハーゲンでCOP15が開催されるまでの間、どのような協議が展開されるかに人々の興味が集まっている。

歴史もREDDに反しているかもしれない。”paying for environmental services (PES)”(森林から得られる環境サービスに対する対価支払制度)のような初期の仕組みがあまり良い結果を出さなかった理由は、今日のREDDに対する懸念事項—権利・監視・統治の不備—と同じである。セトゥラン村はかつて” Community Conservation Concession” (共同体保護権)と呼ばれるPES制度を導入したが、資金援助不足で失敗に終わっている。

いずれにしても、今後の課題は、これらの仕組みが地域社会内部の相関図にどのような影響を与えるかという点にある。政策立案者たちがREDDの仕組み構築に注力するあまりに、REDDが地域社会に与える影響、または地域社会がREDDに与える影響、に関してはほとんど議論されていない。そもそも、REDD事業に適さない社会構造については留意されていないのである。

REDDにより一部の地域だけが利益を得ると、その社会には新たな緊張が生まれる。REDDの対象になる土地が地域の資産であり、その利益共有が地域社会の結束につながることこそREDD事業の理想形であり、地域社会を分裂させることではない。

お金は食べられない

「最後の木が枯れ、最後の川が汚染され、最後の魚を釣ったとき、人は初めてお金が食べられないことに気づくだろう」とは、北米に住むクリー族のことわざである。

オマルン族にとっては、タナ・オレンの木が1本でも枯れたら、それは悲劇である。だからこそ彼らは、REDD事業であれエコ・ツーリズムであれ、自然保護資金を生み出す近代手法を積極的に取り入れようとしているのだ。

彼らは21世紀の複雑な手段や規律を早急に学ぼうとしている。しかし、逆であるべきではないだろうか。つまり、現代社会こそが、数世紀にわたり自然と調和しながら生きてきた彼らの伝統的な生活様式を学び直すべきなのだ。

私たちは往々にして、金の成る木を育てるような、複雑で現代的な解決方法ばかりを模索してしまう。しかし忘れがちだが、もっとも簡単で効果的な答えはいつも歴史の中にあるのだ。

リンク:

REDDに関する先住民族の世界的戦略 (2008年11月14日にREDDに関する世界先住民会議で採択される)

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本ビデオと記事は、「先住民の環境変動アセスメント」を補完するものであり、 国連大学伝統的知識イニシアチブの一環である。このイニシアチブを支えるクリステンセン基金の支援に感謝する。

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ダヤック族の禁断の by アルバ・リム、ルイス・パトロン、キット・ウィリアムズ is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.

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著者

アルバ・リムは国連大学サステイナビリティと平和研究所の地球変動とサステイナビリティの研究者である。それ以前は、オーストラリア財務省の経済政策アナリストとしてオーストラリア政府に勤務。思いがけずアナリストから気候変動の活動家に転身し、気候変動の適応対策と社会、道徳、世界経済の実態についての課題に取り組んでいる。日本の国立政策研究大学院大学 (GRIPS)で公共政策の修士学位を取得し、オーストラリア・シドニー大学では経済学(優等学位)を取得。

2002年より国連大学メディアスタジオに勤務。環境問題に関するビデオドキュメンタリーやオンラインメディアの制作を担当している。

キット・ウィリアムズは情熱的で革新的な映像作家。手がけた映画カンヌ、サンダンス、シドニーそしてムンバイで上映された経験を持つ。

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