日本は原子力エネルギーと「複雑な関係」にある。まず、日本は核兵器による唯一の被爆国として、原子力との関わりでこのうえなく暗い過去を背負っている。
だがその一方で、日本はエネルギー需要の約30%を原子力に依存している(電源別の発電電力量の割合による)。気候変動やピークオイル問題への懸念が高まる中、日本は持続可能な将来に向けてどのような選択肢があるのかについて考える必要がある。
映画監督の鎌仲ひとみ氏は一連のドキュメンタリー映画でこの問題を追究してきた。最新作『ミツバチの羽音と地球の回転』は彼女の旅がどこまで来たかを伝えるものだ。
第二次世界大戦を終結させた広島と長崎の原爆投下の記憶が生々しく残る当時、日本人は当然のことながら原子力の急速な利用拡大に抵抗感を抱いた(この感情は今日でもなお根強い)。
しかしながら、国を建て直すと共に、人口増加に伴って高まるエネルギー需要に応えることが必要だと考えた日本政府は1955年、原子力基本法を制定、「平和目的」のための「原子力の研究、開発、利用」を認めた。
日本初の商用原子力発電所は1966年に操業を開始、現在では原子力発電所が54基、核燃料再処理工場は1施設あり、1億2700万人にのぼる日本の人々の電力需要を満たすうえで一助を果たしている。
政府は化石燃料よりも原子力の方がクリーンな解決法であるとして推進しているが、日本と「平和的な」原子力の関係においては、嵐が吹き荒れたこともないわけではない。
東京の北東110kmに位置する東海村の東海発電所 AP Photo/共同通信
今日、気候変動とピークオイルに対する懸念は日本だけでなく世界的に高まっており、現在の民主党政権は資源小国の日本において、原子力は炭素排出量削減に向けて効果的な解決策だと見なしている。2050年までに温室効果ガス排出量を1990年レベルの60%削減するという目標を達成するために、経済産業省(METI)は2030年に向けた新たなエネルギー基本計画を発表した。それによると、2030年までに運輸や家庭部門における排出量を半減させるとともに、14基の原子力発電所を新たに建設することが計画されている。
政府は化石燃料よりも原子力の方がクリーンな解決法であるとして推進しているが、日本と「平和的な」原子力の関係においては、嵐が吹き荒れたこともないわけではない。1999年、日本の北東部に位置する東海村の核燃料加工施設で、ウラン溶液精製中に臨界事故が起こった。その結果、2名の従業員が死亡、数百人の近隣住民が避難を余儀なくされた。
日本はまた地震が多い国であり、2007年以降、数カ所の原子力発電所が安全性を理由に閉鎖されている。原子力発電所の潜在的な危険性に不安を抱く個人や、グリーン・アクション・ジャパンなどの組織は、再生可能エネルギーの活用を強く求めている。
そのような個人のひとりである鎌仲氏は、原子力から再生可能エネルギーへの移行を求める急速に高まる運動の先頭に立っている。1999年以降、鎌仲氏は映画の中で原子力に関わる懸念に向き合い、上映会をきっかけに運動は広がりを見せている。
さかのぼって1999年、NHKに勤務していた鎌仲氏は、白血病やその他の類似するガンにかかったイラクの子どもたちが、病院で治療も受けられずに亡くなっていることを初めて耳にした。その報告に大きな衝撃を受けた鎌仲氏は自ら状況を見にいかなければならないと決意する。こうしてイラク入りした彼女は、国連の科した経済制裁による医療品不足で子どもたちが命を落としていくのを目の当たりにした。
ある医師は彼女に、ガンで死亡する子どもたちの数がイラクで異常に多いのは、湾岸戦争中に米軍が用いた劣化ウラン弾によって低レベルの放射線被曝を受けたためだと話した。鎌仲氏はそこで、自分の力でできることは何でもしなければならないという思いに駆られる。つまり、イラクの子どもたちの実情を世界に伝えることだ。
しかし、日本に戻ってすぐにぶつかった問題は、周りのテレビプロデューサーがそのテーマは大きな物議を醸すとして、放送を拒んだことだった。そこで彼女は自分で撮影を行い、自主制作映画にしようと決意する。それが『ヒバクシャ 世界の終わりに』だ。
鎌仲氏は紛争の両者、つまりイラクと米国の双方で被曝した人たち、それにプルトニウム製造施設の風下に住んでいた農民を映像におさめ、取材を行った。
この映画を製作している間、鎌仲氏は日本の一般の人たちに原子力に大きく依存している現実について警告を発したいと願い、実際にそうするうちに、彼女の映画を観た多くの人が現在の状況では希望が持てないと感じるようになった。
これらの経験を通して鎌仲氏は「ヒバクシャ」という日本語が、広島と長崎における被曝生存者という元々の意味を超えて、放射線被曝で苦しんでいるすべての人々を指すように広げなければいけないと思うようになる。
日本に戻っても、原子力問題をめぐる旅は終わらなかった。劣化ウランが原子力発電の廃棄物であることを知り、さらなる活動を始めずにはいられなくなったのだ。原子力発電所の数では日本が世界第3位であるからには、日本における自らの電力消費が、まさに自分が救いたいと思っているイラクの子どもたちにつながっていると感じたのである。
彼女は問題の根源、つまり原子力の生産と消費という問題に至る旅を続けずにはいられなかった。
鎌仲氏は第2作の『六ヶ所村ラプソディー(プルトニウム施設が日本の東北にやってきた)』(2006)では、原子力燃料再処理施設が建設中の青森県六ヶ所村という小さな村に旅をする。到着したのは施設が10年の建設期間を経て完成を間近にした時で、そこで彼女は賛成派と反対派の双方に取材を行った。映画では、施設ができれば雇用が増えて経済効果が上がるというようなメリットと、放射能漏れにより環境および健康に危険が及ぶおそれがあるというような潜在的なデメリットを天秤にかける村民の様子が映し出される。
この映画を製作している間、鎌仲氏は日本の一般の人たちに原子力に大きく依存している現実について警告を発したいと願い、実際にそうするうちに、彼女の映画を観た多くの人が現在の状況では希望が持てないと感じるようになった。
「六ヶ所村では次に打つべき明確な手だてがなく、状況は変わりません。そこで私は、彼ら(活動家、一般市民)に権限が与えられることが必要だと考えました」と鎌仲氏は私たちに語った。そして彼女は、日本が直面しているエネルギー危機に対して希望が持てる解決策を探し始めた。
最新作『ミツバチの羽音と地球の回転』では「どうすれば持続可能な社会を創出することができるか」を問いかけている。
映画は山口県の祝島という小さな島の地域社会で始まる。そこでは地元の人々が30年近くも上関原子力発電所の建設を拒み続けている(しかし2008年、電力会社は数ヶ月内に開発の初期段階に着手してよいとの認可を受けた)。それから鎌仲氏はスウェ―デンに向かう。スウェーデンは1980年から原子力への依存を徐々に減らそうとしている。
スウェーデンにおいては政治家と個人の両方が化石燃料への依存を減らし、その代わりに代替エネルギー(太陽熱、風力、バイオマス)で暮らすために取り組んでいた。鎌仲氏は、その地における多くのわかりやすい例を示すことによって、日本の地域社会も小さなことから始め、自らのエネルギー生産に自ら責任を持とうと思うようになってもらいたいと考えている。「全国でこれが同時に起これば理想的です」
2010年前半に映画が完成して以来、鎌仲氏は日本全国に出かけ、にわか仕立ての劇場で上映会を行ってきた。このようなやり方は、映画を一度テレビで放送することに比べればはるかに骨が折れるが、人々を結びつけ、原子力の問題について観客と直後に話ができる機会が持てるのだから、その努力の甲斐はあると考えている。
「上映後の意見交換会で作られたネットワークは何物にも代えられない貴重なものです」と彼女は私たちに語った。
鎌仲氏はこの映画を海外、そして映画祭でも上映したいと考えており、その皮切りとなる上映会は今年の5月にシカゴで予定されている。特に望んでいるのは、日本が原子力発電を輸出しようとしているアジアの他の地域でこの映画が上映され、受け入れられることだ。
「アジアには自然資源を豊富に持つ多くの国があります。ですから、原子力に依存しなくても、小規模かつ低技術の自立した方法で、政府に頼らずにエネルギーを作り出す手法を見つけることができると思います」 鎌仲氏が具体的に挙げたのは、牛の糞から作るバイオマスエネルギーだ。「牛は糞をするのをやめたりしませんから」とジョークを飛ばした。
イラクの子どもたちの病院のベッドからスウェーデンの風力発電機まで、鎌仲氏は映画の力を用い、責任を持って、持続可能な方法で生きる道を見つけるのは可能だというメッセージを伝えようとしている。
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翻訳:ユニカルインターナショナル
原子力に代わるエネルギーを求めて by 西倉 めぐみ is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.