追悼:村上涼氏に捧ぐ

世界では毎日のように2000もの人々がマラリアで命を落としており、その90%はアフリカ地域で起きている。そのような数字や、その犠牲者の家族や友人の哀しみを実感するのは難しい – 自分の親しい友人や同僚をその病で失うまでは。

村上涼氏は若く、才能にあふれた撮影監督だった。映像製作業界でも徐々にその名は知られるようになっており、大規模なハリウッド映画を撮る日が着実に近づいているという人もいた。彼は数週間前、リベリアで仲間と映画の撮影をし、ニューヨークの自宅に戻ったが、そこでマラリアを発症した。病院での集中治療にもかかわらず、彼は2013年6月29日に帰らぬ人となった。

国連大学の私たちのチームの中には、涼を学生時代から知っている人もいる。2007年に彼が世界保健機関との共同製作でドキュメンタリービデオを撮影した時に初めて会った人もいる。その映像作品は「英知への歳月」というタイトルで、長寿の秘訣を探るものだった。百歳を超える日本人の物語をいきいきと描いた後で、自分自身の人生が33年という短さで幕を閉じるとは、悲劇的で皮肉な結末だ。

英知への歳月」の映像作品はとても美しく、涼はその撮影を心から楽しんだ。ステディカム(カメラマンが動いてもスムーズな映像が撮れるようにするカメラ安定支持機材)を使って、高齢者カップルの社交ダンスの練習を撮影した時は特に嬉しそうで、彼も一緒にワルツを踊っているかのようだった。

「英知への歳月」の撮影を行う村上涼。写真:Andreina Lairet/UNU

「英知への歳月」の撮影を行う村上涼。写真:Andreina Lairet/UNU

世界をより良い場所に

映像製作者としての涼の関心は、幅広い分野にわたっていた。彼は現実の世界の物語、そして世界をより良い場所にするための物語を撮るのが好きだった。忙しいスケジュールにもかかわらず、UNUのプロジェクトを進んで引き受けてくれたのはそんな理由があったからかもしれない。しかし彼の才能と活躍の場はドキュメンタリー作品にとどまらず、フィクション、長編映画、ミュージックビデオ、コマーシャルと幅広かった。そして新しいプロジェクトを手がけるたびに、それらのすべての形式から学んだテクニックを組み合わせ、独自のスタイルを築き上げていった。

この記事のタイトル画像部分から立ち上がるフォトギャラリーからおわかりいただけるように、彼が手がけたUNU作品で、彼は様々な場所を訪れた。数多くのプロジェクトを撮影した日本のほか、アイスランド、インド、そしてケニアにも足を運んだ。

彼が撮影した長編ドキュメンタリーのひとつに、UNU-IASとのコラボレーションによる「 金沢市四季 人と自然物語」がある。この作品は、金沢に残されている美しい生物多様性と、それが地域の文化にどのように影響を及ぼし、豊かにしているかを探るものだ。

ドキュメンタリー「金沢市の四季 人と自然の物語」より、和傘職人。写真: 村上涼

ドキュメンタリー「金沢市の四季 人と自然の物語」より、和傘職人。写真: 村上涼

ベースをニューヨークに置きながらも、涼はいつも故郷の日本での仕事を楽しんでいた。蓮の花の美しさ、和傘の精巧なデザイン、着物に施された見事な匠の技、擬似餌に見られる自然の模倣、手漉き和紙の豪華さなど、彼が捉えた映像を見ればそれがよくわかるだろう。彼の細部に向けられるまなざしや、徐々に消えゆく工芸を愛する気持ちは、映像によく映し出されている。彼はまるで自分にしか見えないものがあるかのように、カメラを完璧に配置し、じっくり時間をかけ、魔法のように対象を映像におさめた。彼は世界をより良い場所に見せることができた。

過酷な撮影条件

一方では、厳しい条件の撮影に挑まなければならないこともあった。その例として、日本各地で伝統的に続けられている海洋保全の習慣を追った里海のドキュメンタリーがある。

北海道沖の流氷から、夜通しで日本海を航行する漁船、沖縄周辺の珊瑚礁まで、涼は漁業者の生き方を撮影し、海の守護者としての彼らの努力を伝えた。

沖縄で撮影する村上涼。写真: © 足袋抜豪

沖縄で撮影する村上涼。写真: © 足袋抜豪

彼とUNUの同僚が東北の漁業の町、気仙沼を最初に訪れたのは、この「里海」のドキュメンタリーの撮影の最中だった。今ではその地名をご存知の方も多いかもしれない。この町は2011年3月11日の地震と津波で壊滅的な被害を受け、地元の多くの人々が命と生活基盤を失った。津波からちょうど1カ月後に涼は気仙沼を訪れ、かつては豊かだった漁業の町にこの震災が及ぼした影響を撮影した。その後も彼はさらに3回、気仙沼を訪れ、コミュニティが復興を目指して立ち上がる姿を見つめ、その経験を伝えるために、Standing Strong というドキュメンタリーを撮影した。

2011年3月11日の津波と地震で大きな被害を受けた気仙沼で撮影を行う村上涼。写真:ブランドかおり/UNU

2011年3月11日の津波と地震で大きな被害を受けた気仙沼で撮影を行う村上涼。写真:ブランドかおり/UNU

私たちがアイスランドおよびケニアで進めている地熱エネルギー利用技術研修プログラムの活動も、彼はUNUの同僚と共に映像に残している。その頃には、涼は REDカメラを好んで使うようになっていた(その機材は彼が自分で購入した)。REDカメラは高価かつ持ち運びが大変で、ケニアのリフトバレーの荒涼とした地を長々歩かなければならなかった時には特に苦労をした。そんな時でも涼は、畏敬の念を起こさせる完璧な画を撮るために自ら機材を担ぎ、どこまでも勇敢に歩いた。

アイスランドでの村上涼とUNUビデオプロデューサーのルイス・パトロン(右端)

アイスランドでの村上涼とUNUビデオプロデューサーのルイス・パトロン(右端)

深い哀しみ中で

今日、7月8日は涼の34歳の誕生日だ。彼が亡くなってから、彼を知っていた人々からの追悼の声が溢れ出すように聞こえてきている。彼が特別な人であったことを私たちは皆、知っている。満ち満ちる前向きなエネルギーと情熱で、彼は誰とでもすぐに友達になることができた。それは、素晴らしい映像をカメラにおさめたり、美しい細部を捉えたり、人や世界をこよなく愛することができた彼の才能に劣らず卓越したものだった。

涼のご家族、友人、同僚は今日も深い哀しみの中にいる。しかし、この記事、写真、そして彼の映像を通して、私たちの彼と彼の作品に対する想いや敬意を皆さんと共有できれば幸いだ。この若く才能あふれた撮影監督の作品を私たちは偲び、決して忘れないだろう。涼さん、あなたの捉えた美しい光が永遠にともにあることを。

村上涼。写真: © 足袋抜豪

村上涼。写真: © 足袋抜豪

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  • Takehiro Ogawa

    UNUメディアセンターご担当様

    愛に溢れた追悼、心に沁みました。
    ありがとうございます。

    高校時代から、私にとって彼は、ワクワクする新しい世界に誘ってくれる、不思議の国のアリスのウサギのような存在でした。

    彼が導く世界は、時にクールで、時にバカバカしく、時に少し道を外れながらも、それでいて太い芯がありました。
    私は大いにその世界を楽しみ、人生の多感な時期、月並みな言い方ですが青春時代に、大きな影響を受けました。

    彼は、私にとって、親友であると同時に、いつも背中を追いかける、大きな目標でもありました。

    私は日本の片田舎のメーカーに就職し、お互い別々の道を歩みましたが、数年ぶりに会ってた酒を交わした際に、彼から冗談まじりに『なんか仕事ない?』と聞かれました。そして私は『世界を驚く製品を産み出すから、その時は撮影お願いするよ。』と、応えました。

    彼はきっと覚えていないと思いますが、それからその約束の実現は私の密かな夢になりました。

    それから何年もたった今、私は未だ約束した製品を生み出す事はできていません。
    一方、彼はすばらしい映像ディレクターになり、そして一生追いつくことができない存在になってしまいました。

    彼はきっとトロトロした私を見て、『お前は相変わらず遅いなあ。』と、飽きれていると思います。

    でも、でも、あまりに早すぎないかい?

    みんな、みんな、途方に暮れているよ。

    なあ、みんな! こんなのって反則だよね?ずるいよね??

    こんな仕打ちを受けて、仕返しをせずにはいられないよね!

    アイツからもらったエネルギーと情熱で、みんながこれからたくさん素晴らしいシーンを人生で描き、次、アイツと会うときには、うんざりするほど大量の撮影オーダーを持ちこんで、ギャフンと言わせてやりましょう!!

    また、遅くなって悪いけど、待ってろよ!村上!!!