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討論会2.0: 持続可能な開発は今でも妥当か

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信じ難いことに、持続可能な開発という概念は2012年で誕生から25周年を迎える。

通称 ブルントラント委員会として知られる環境と開発に関する世界委員会は、持続可能な開発を「将来の世代のニーズを満たす能力を損なうことなく、現代の要求を満たしていこうとする」開発と定義しており、同時に開発途上国の貧困層のニーズにも重点を置いている。

持続可能な開発という複雑で難解な理念について、大多数の支持を得られるような分かりやすい定義を考え出すのは至難の業だろう。しかし、1987年にブルントラント委員会が報告書「 我ら共有の未来」を発表し、持続可能な開発という言葉が誕生して四半世紀が過ぎた今、その妥当性を見つめ直す価値はあるかもしれない。

この問題に向き合う時、私たちが注目すべき世界環境ガバナンスの重要な動向はなんだろうか。

まず注目したいのは、ブルントラント報告書が発表された時代から現在までに、地球上の人口は20億人近く増加しているという事実だ。多くの先進国で出生率が低下しているにもかかわらず、2011年中には70億人目の子供が生まれるだろう。最新号で ナショナル・ジオグラフィック誌が指摘しているように、将来的な人口増加の95パーセント以上が開発途上の国々におけるものと考えられている。25年前、世代間の公平性のもとに持続可能な開発という概念が構想された。しかし、いま私たちに求められているのは、現代の富裕層と貧困層の間の公平性を検討することではないだろうか。

さらに、中国、インド、ブラジルを含む新興経済国の経済フットプリントの増大が世界経済の展望において非常に重要な問題となっている。中でも注目すべきは、日本を追い越し世界第2位の経済大国となったばかりの中国だ。「我ら共有の未来」発表当時、日本はアメリカとヨーロッパに取って代わる経済超大国と見なされていた当時の状況を考えると皮肉な話である。

中国は20年以内にアメリカを抜き世界一の経済大国になると多くの人々が予測している。(中国の年間経済成長率が10パーセント前後で推移し、アメリカが2.5パーセントの場合はもっと早いだろう)

そして、この25年間で世界経済の展望よりもさらに目覚ましい変化を経験したのが、地球環境や社会、経済に対する気候変動の影響を取り巻く科学的見解だ。

オーストラリアとブラジルで起きている洪水やアフリカと中東で続く歴史的な規模の干ばつのニュースに埋もれてしまったが、1880年に観測が始まって以来、2010年は地球に最も多くの雨が降った年であったと同時に、気温も2005年の最高記録と並んだ。

地球環境ガバナンスが抱える複雑なジレンマを完璧に捉えた理念を確立することなど非現実的な試みかもしれないし、そもそも試してみる価値すらないのかもしれない。

あなたならどう考えるだろうか。

翻訳:森泉綾美

  • Tomoyuki Nakatsuka

    持続可能な開発(Sustainable Development)という言葉が今年で25才を迎えるといことには驚いた。私よりも年上である。私は大学の授業において持続性あるいは持続可能な開発という言葉の定義や解釈は100以上あり、これという定義が存在しないということを学んだ。しかし、持続可能な開発という言葉が25年も経った今でも、常日頃私たちの身の回りで耳にするということは、やはりこの言葉の意味するものがあいまいだとしても、今日の社会において存在意義を持ち得るからだろう。ちなみに私個人の考える持続可能性とは、人間の生活と自然界の共存である。また持続可能な開発という言葉を聞いて頭に思い浮かぶものの一つに、宮崎駿の映画「もののけ姫」があるのだが、それは私だけだろうか。まさにこの映画においても人と自然の共存がテーマとなっている。
    「25年前、世代間の公平性のもとに持続可能な開発という概念が構想された。しかし、いま私たちに求められているのは、現代の富裕層と貧困層の間の公平性を検討することではないだろうか」と記事にあるように、キーワードは公平性であろう。この言葉は何も開発だけではなく、今日の社会において経済、情報、富などさまざまなものの格差が叫ばれている中においても、非常に重要となってくるキーワードである。従って、持続可能な開発という言葉の持つ意義は、人口がますます増加し、富裕層と貧困層の格差が広がる今日の社会において、完ぺきではないかもしれないが、存在すると考える。

  • 渡部健司

    Tomoyuki Nakatsukaさん、貴重なコメントを残していただきありがとうございます。

    私の考える、持続可能な発展とは、将来の世代に対する約束の言葉であると考えております。

    ブルントラント委員会の報告書は、「将来の世代のニーズを満たす能力を損なうことなく、現代の要求を満たしていこうとする」開発と定義しており、同時に開発途上国の貧困層のニーズにも重点を置いている。

    この持続可能な発展の定義において問題となるのは、将来の世代のニーズまた、現代の要求をどのように考えるかだと思います。現代の要求という際限の言葉と比べて、将来の世代のニーズというやや消極的で限定的な意味をもつ言葉は、現代と将来の世代間の公平性を若干欠いているようにも思えます。

    発展途上国を含めた将来世代の繁栄を約束できる言葉の定義を、考えていく必要があるのではないかと考えております。

    この度は、コメントを残していただきありがとうございました。

  • http://ourworld.unu.edu/jp/debate-2-0-will-expanding-%e2%80%98human-security%e2%80%99-improve-people%e2%80%99s-lives/ 討論会2.0:「人間の安全保障」の行方 | Ourworld 2.0 日本語

    [...] おそらく私は悲観的すぎるのだ。もっと忍耐強く、こうした多種多様な安全保障問題が実行可能な政治的解決策に展開されるのを待つ必要があるのだろう。しかし、現実的な解決策の代わりに曖昧な概念がグローバルなガバナンス組織を動かすとどうなるのかは、「 持続可能な開発」という言葉にまつわる経験で教訓が得られた通りだ。 [...]

  • http://ourworld.unu.edu/jp/2011-the-year-of-living-dangerously/ 災害に脅かされた一年 | Ourworld 2.0 日本語

    [...] 意外にも、本ウェブマガジンの討論会2.0の中で最も人気があったのは、「 持続可能な開発は今でも妥当か」でのジェイコブ・パーク氏の問いかけであった。持続可能な開発という概念は誕生から25年が経ち、その概念が話題に上るだけで退屈されるようになっていたにもかかわらず、2011年の原子力事故と自然災害により、人々は地球の存続に反するよりむしろ、持続可能なかたちで生きることに再び目を向けるようになったようである。課題は、こうした論議を、大学やブログから議会や役員室へと移すことにある。2012年にブラジルで開催予定の「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」において、私たちが生物圏におけるエネルギーと物質の限界の中で、真の意味で生きることを始める世界へ向かうべきであるという共通の関心が、再び高められることを望むばかりである(リオ+20のキャッチフレーズは「私たちが望む未来(The Future we Want)」である)。 [...]