自然への愛は 種の喪失に勝る

そのページからは、絶滅の危機に瀕するカリスマ的な大型動物が、澄んだ瞳で訴えるようにじっとこちらを見つめている。傍らには、「絶滅の危機」や「この種を救う最後の機会」といった、写真に見合うドラマチックな見出しが付けられている。

自然保護を巡る運動で使われるコミュニケーションの実に多くが用いる、訴えるような、迫るような調子は、おなじみのものだ。そこでは、生物多様性と絶滅という言葉がほぼ自動的に結び付けられている。実際、この2つの言葉はあまりにも密接に結びついているために、運動に従事する人びとにとっては、「危機に瀕して」という修飾語を使わずに問題となっている種の話をするのが難しいのだと思わされることも多い。

しかし、「トラのいない世界」という概念が、環境保護運動の資金調達面において間違いなく効果的な役割を果たしていることを除けば、種の喪失についてしつこく繰り返されるこういったメッセージは、生物多様性に本質的な価値を見出す少数派の「生物中心主義」者以外の一般の人々を、実際に惹きつけているのだろうか?

2010年国際生物多様性年に向けて、ブランド化を進め、メッセージを発信している私たちの経験では、残念なことに、このようなメッセージはかえって人々の興味を失わせるだけで、もっと悪い場合には、この世界の哀れな状態に対して、運命論的で無関心な、そして悲観的な見方を植え付けてしまう。このようなメッセージが人々の行動を促すことは、けっしてない。特に、生物多様性が人間との関係においてのみ価値を持つ人間主義者、そして生物多様性が自分たち自身との関係においてのみ価値を持つ利己主義者と呼んでもいいような人たちに対しては、なおさらだ。

このような人々は、生物多様性をもっと実用的な面から評価する――生物多様性の持つ本質的な生存権のためではなく、生物多様性が自分たちの感覚にどのように訴えかけてくるかということによって、評価するのだ。最終的には、私たちがどれほど生物多様性を愛しているかというメッセージの方がずっと説得力を持つのは、このためである。こういったメッセージは、人間の本質の深いところにある生命愛や、感情に訴える子供時代の自然体験、デイビッド・アッテンボローの有名なテレビシリーズの感情を煽るような内容やその魅力などをうまく利用しているのだ。自然への愛は、畏敬や驚きの念、喜びに関するものだ。このアプローチが文字通りすべての人を征服する可能性があるということに、何の不思議があるだろう?

とはいえ、人々を生物多様性の問題に引き込むことは、喪失というメッセージと愛というメッセージのあいだの闘い、という単純なものではない。

“生物多様性版スターン報告は、自然がものやサービスを通して生み出す、ほぼ無限といってよい経済的な価値の概略を描くことを目的としている。”


The Economics of Ecosystems and Biodiversity(TEEB)(生態系と生物多様性の経済学)が最近出した報告の中で、私たちは、喪失と愛に、必要という新しい要素を付け加えた。「生物多様性版スターン報告」(「スターン報告:イギリスの経済学者スターン卿が2006年に発表した、気候変動問題の経済的影響に関する報告書」)と広く評されたこの重量級の冊子は、自然がものやサービスを通して生み出す、ほぼ無限といってよい経済的な価値の概略を描くことを目的としている。食料、空気、清浄な水、医薬品のようなありふれたもののことだ。

皮肉なことに、報告書の主筆、パヴァン・スクデヴ氏は、さんざん複雑な計算や財政上の計算法を駆使した後に、次のようなジョークをいっている。「実際のところ、自然の経済的価値は計りしれません。なぜなら、自然がなかったら何もなくなってしまうからです」

しかし、「必要」というメッセージは、合理性を当てにしている。そして、経済学者は異議を唱えるだろうが、人間というものは決して合理的な行動をとるものではないということを、私たちはみな知っている。さらに、愛と必要のメッセージを結び付けようとするときには、もっと大きな問題が起こる。深く心にかけているものの金銭的な価値を計ることは、私たちの脳に違和感をもたらすのだ。私たちの大半は、家族やペットのことを気にかけるが、彼らに値段を付けることは、難しいだろう。あなたの妹はどれくらいの値段だろうか? あなたの猫は? もし私たちが自然とのあいだに感情的な結びつきを持っているのなら、自然に対して冷たく無情な金銭的価値を付けることは、その絆を強めることにはならない――むしろ大いに損なうだろう。

では、解決に至るためにはどうすればよいのだろうか? 環境保護への慈善的寄付は不可欠だが、しかしこれはカーボンオフセットとほとんど同じようなものだ。負の影響を払いのける可能性のある行動改革にまず取り組むということをせず、寄付することで自分の罪悪感を和らげているからだ。

“最終的には、生物多様性という考え方それ自体をブランド化するというところに、答えがあるだろう。それは、肥沃な、しかし脆い私たちの世界に、鮮やかで美しい、そして潤沢で自然な輝きを約束するものだ。”

しかし、もし私たちのコミュニケーションによって、生物多様性への愛のメッセージが、ゲリラガーデニングからオーガニックな商品を買うことまで、生物多様性を高めるために人々ができる実際的で確実なことと結びつくなら、私たちのコミュニケーションが、一般の人々を引き込み、活動を促す可能性は、相当高いといえるだろう。

企業や政府に対しては、もっと別のコミュニケーションの方法がある。「必要」と「行動」を結び付けることで、強力で説得力のある経済的事例を作り出すことができるのだ。それに伴い、企業の実務や方針を変革する明確な必要性も生じてくる。

最終的には、生物多様性という考え方それ自体をブランド化するというところに、答えがあるだろう。それは、肥沃な、しかし脆い私たちの世界に、鮮やかで美しい、そして潤沢で自然な輝きを約束するものだ。私たちが深く愛するこのブランドによって、私たちは生物多様性を守るための行動を起こすよう促され、また動機を与えられる。単にそうしなければならないから、という義務感からではなく、そうしたいから、という願いによって。

私たちは、いまだ存在する自然界への愛を讃えなければならない。回復不可能な種の喪失の悲劇を嘆き悲しむだけではいけない。このことをうまく表したのが、コメディアンのベン・エルトン氏だ。「得たものよりも失ってきたものを思い起こさせるものが美しいとされるような世界が創られることに、私は憤りを感じる」

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この記事は、2010年7月15日(木)英国標準時13時21分に guardian.co.ukに掲載されたものです。

翻訳:山根麻子

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著者

エド・ガレスピー氏は、コミュニケーションを扱うFuterra社のディレクターである。Slow Traveler series(ゆっくり旅をするシリーズ)という企画のために、飛行機を使わずに世界中を旅している。

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