リン:繁栄の鍵となる無名の床岩

現代の農業はリン酸肥料なしには実現不可能だ。そして、肥料に頼る傾向はますます高まっている。専門家たちはリン不足が差し迫っていると警告しているが、Institute for Environmental Decisions(環境意志決定研究所)のローランド・ショルツ氏はそうではない。彼にとって主な問題とは、無駄のあるリン利用サイクルと持続不可能な資源管理だ。

1年前、アメリカの雑誌『Foreign Policy(フォーリン・ポリシー)』は「あなたが聞いたことのない最も深刻な資源不足」、つまり差し迫る世界的なリン不足について記した。この化学元素は自然の急所として知られており、私たちはそれなしには生きていけない。リンはあらゆる生物に欠かせない基本要素であり、代替物質は存在しない。また、リンはDNAや骨の構成要素であり、細胞のエネルギー生産において重要な役割を担う。人間は食べ物からリンを体内に取り入れるが、その食べ物を生産できるのもリン酸を含む肥料のおかげだ。

今日では、抽出された未精製のリンのうち80パーセント以上が肥料の生産に使われている。2008年の世界の肥料総生産量は約1億5000万トンに上り、需要は伸び続けている。

「ピーク」の兆しはない

肥料の生産に用いられるリンのほとんどは発掘されている。今日の生産量からすれば、すでに知られている埋蔵資源はいずれ枯渇するため、2007年には「ピーク・リン」という用語が誕生した。専門家たちは原油(ピークオイル)の場合と同様に、リンの産出はすでに最大量に達したと推測している。つまり埋蔵資源は今後減少していく一方だということである。ピーク・リンの研究者たちによる国際団体、グローバル・リン研究イニシアティブの発表によれば、世界のリン資源は今後50年から100年間は持つだろうと推計されている。

しかし環境意志決定研究所の教授であるローランド・ショルツ氏は、ピークの兆しを信じていない。「現時点で私たちはリン資源についてあまりにも知らないため、そのような推測を下すことはできないのです」

モロッコの産業化された大規模リン精製工場。西サハラ地域と合わせると、モロッコは世界のリンの約35パーセントを生産する。

一方、世界の石油埋蔵量に関しては状況が全く異なる。なぜなら石油の埋蔵量はすでに徹底的な調査がなされているため、その量に関して正しい評価を下せるのだ。しかしリン資源量の推計ということになると、私たちは産業が提示するデータに頼らなくてはならない。さらに採鉱だけがリンを入手する方法ではない。リンは様々な形で存在し、その質も多様である。ショルツ氏は、今日の埋蔵量の評価がいかに不確実であるかを示唆する証拠をモロッコのリン資源に関する最近の論文の中に発見した。その論文の著者たちは、実際の埋蔵量は当初の推測の2倍であると結論づけているのだ。

数学者でもあるショルツ氏は、これまでに用いられてきた計算方法を特に批判している。ピークオイルの計算と同様に、ピーク・リンはハバート曲線を利用して計算されている。しかし、ハバート曲線が有効なのは一定の条件がそろっている場合だ。例えば入手可能な資源の存在が明らかで、限定されており、また需要関数が一定である場合などだ。しかしショルツ氏によれば、ピーク・リンの計算モデルには採鉱における技術革新の可能性を含める必要があるという。例えば銅の埋蔵量を計算する際に専門家たちは少なくとも2パーセントの銅を含む鉱石からしか銅は抽出できないと推測していたため、銅の埋蔵量は長い間非常に低く見積もられていた。しかし今では0.2パーセント程度の含有率の鉱石が精製されている。

「しかし、今までリンに関連したインセンティブが多くはなかったため、その分野での革新はあまり進んでいないのです」とショルツ氏は説明する。また、リンのリサイクルにおける技術革新も計算に入れるべきだと話す。結局のところ、リンは石油の場合とは異なり、減少していくことはないのだ。

環境へのダメージは過小評価されている

ショルツ氏は、リン資源の持続不可能な利用による生態学的および社会的な損害の方がピーク・リンよりも問題だと考えている。「リンの精製と利用がおよぼす環境へのダメージは今でも大いに過小評価されています」

リンは重金属とともに用いられる事が多く、その結果、土壌汚染を引き起こし食物連鎖全体に害を及ぼす可能性がある。さらにリン酸肥料は土壌の生物多様性を低減するほか、下水施設を通じて湖や海で藻の異常発生を引き起こし、海洋の「デッドゾーン」の原因にもなる。スイスでは1986年以降リンを含む洗剤が禁止されたが、それだけの理由があってのことだ。だからこそ欧州連合(EU)は同様の禁止令を2013年までに導入することを検討しているのだ。

リンの精製と利用がおよぼす環境へのダメージは今でも大いに過小評価されています。 (環境意志決定研究所のローランド・ショルツ教授)

しかし、農業でリン酸肥料を使わない状況は、今のところ想像し難い。

「現代の農業が過度にリンに依存し始めたのは前世紀のことです」とショルツ氏は話す。「私たちは技術の固定化のような状態から抜け出せないでいるのです」

さらに、ある特定の技術への依存傾向は政治的な結果をもたらす。例えば今日採鉱されているリン資源の90パーセントは、モロッコ、中国、南アフリカ、ヨルダン、アメリカの5カ国にある。先だって中国はレアアースの輸出を急激に制限することで、自然資源の豊かさを利用して地政学的な利得を得る手法を試した。デジタルカメラやスマートフォンといった様々な電子機器にはレアアースが不可欠な金属であり、欧米企業はレアアースの供給不足に陥った。この状況が発するメッセージは明白である。つまり、今後レアアースを確実に入手したい者は、自社を中国に移転しなければならないということだ。

同様の依存傾向がリンでも増長する可能性がある。特に土壌の栄養分が少ない地域、例えばアフリカやアジアの一部地域では、肥料を入手できるかどうかが、その晩の食事にありつけるかどうかにつながるのだ。もし人々が肥料を手に入れられなかったり、肥料を買う余裕がなくなったりすれば、人道的な危機のおそれが高まる。

閉じたリン・サイクルのために

リンをめぐる政治的、経済的、生態学的側面を考えた結果、ショルツ氏は次のように確信している。「酸性雨、オゾン層の破壊、気候変動に引き続き、リンが世界的な議論を呼ぶ研究対象になるでしょう」そのためショルツ氏と彼のチームは、スイス連邦工科大学チューリヒ校(ETH)の教授たちと共に、グローバルな学際的プロジェクト、Global TraPsをスタートした。このプロジェクトは、持続可能な閉じたリン・サイクルの考案を目指している。研究機関と産業界から集まった世界各国の専門家たちがリン精製の全工程を見直し、効率的なリン・サイクルを実現する方法を模索する。

このプロジェクトのメンバーは2015年までに、調査間の違いを埋め、世界の実際のリン埋蔵量に関する情報の透明性を高めようとしている。また、リン関連の研究をさらに押し進め、科学と実務の協働による持続可能なリンの管理方法を提示したいと考えている。4月初旬、プロジェクト管理者たちによる初めてのミーティングがETHで行われ、世界中から38人が集まった。リンというトピックをグローバルな議論の場に持ち込めるかどうか、チームの活躍に注目したい。

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本論はスイス連邦工科大学チューリヒ校(Eidgenössische Technische Hochschule Zürich)が発行するオンライン・マガジン「ETH Life」のご厚意で掲載しました。

翻訳:髙﨑文子

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著者

サムエル・シュレーフリ氏はジャーナリズムへ転向する前、研究助手として国際企業に5年間勤務。チューリヒ応用科学大学ヴィンタートゥール校およびドイツのハンブルク応用科学大学(HAW)にて、ジャーナリズムと組織内コミュニケーションを学んだ。在学中と卒業後に、Andelfinger Zeitung(アンデルフィンゲン行政区の新聞)、ケルンのSK Stiftung Kultur(SK文化財団)、ヴィンタートゥールのBellprat Associates(ベルプラット・アソシエイツ、建築・デザイン会社)、オンライン・マガジン「ETH Life」編集部で研修生として働いた後、フリーの編集者となる。2009年に再びCorporate Communications(ETHの広報部)に参加。現在は編集部で「ETH Globe」(外部向けの雑誌)や日刊のオンライン・マガジン「ETH Life」の編集に携わる。