種への鎮魂歌

時に事実に直面するのは実に難しい。事実があまりにつらければ、目をそらしたり無視したりするものだ。世界を見渡しても、地球温暖化を正視している人物はごくわずかだ。

温暖化否定論者は別として、ほとんどの人々は、私たちの身に降りかかるであろう災害について気象学者たちが言うことを信じていないわけではない。しかし知的に受け入れることと、私たちが知るこの世界が恐ろしい終焉に向かっているのだと感情的に受け入れることは同様ではない。それは私たちの死に対する態度と同じだ。私たちは自分がいつかは死ぬことを受け入れてはいる。しかし、死が直前に迫らないことには、死の必然性と正面から向き合おうとはしない。

ここ5年間で、気象科学の進化が示すのは、ほとんどがおぞましい未来像ばかりである。最も著名な気象学者が苦々しい思いで下した結論は、世界は恐ろしい方向へ進んでおり、それを止めるには時すでに遅し、というものだ。

気象学者たちは、学者らしい冷静さを保とうとしながらも、もはやパニックを抑えきれずにいる。気象学が示していることを公の場で話そうとする者はいない。地球温暖化により、環境が命の繁栄や存続にとって今よりはるかに劣悪な状態に変わることが今世紀内に予想され、それを避けることはできないのだ、と。

「Requiem for a Species」(種への鎮魂歌)は、私たちを自滅の道へ向かわせた 人類という種のもろさと、制度や心理的傾向の強情さについての本である。

これは、すぐに行動を起こさないと何かが起こるかもしれない、などといった警告ではない。世界がどう対応しようと、それをどう楽観的に判断しようと、必ずや起こるといっているのである。

2009年12月のコペンハーゲンの気候変動会議はこのどん底から人類を引き揚げるための最後の望みだった。しかしながら、公害を撒き散らしている主な国々にとって、即座に排出ガス削減を行うという約束に拘束力を持たせるのは難しすぎた。一刻を争うほど切迫した状況であることを考えると、コペンハーゲンで私たちが目撃したのは歴史を刻む瞬間というよりは、歴史を終える瞬間だったと思えてくる。

気象学者は、まだ間に合ううちに行動を起こすよう、もっと早い時期に警鐘を鳴らしておくべきだったと後ろめたく思っている。しかし彼らに非はない。私が「Requiem for a Species」で述べたとおり、私たちは合理的であろうと振舞ってはいるが、実のところ、科学的事実が対決しなければならないのはもっと強力な力なのである。

より早い行動を妨げたものとして機関的要因— 産業界の力、金権政治の興隆、官僚的動きの悪さが挙げられるが、そもそも私たちは科学者たちの不吉な警告を信じてはいなかったのである。根拠のない楽観性は人類の最高の美徳であり、最も危険な弱点でもある。

プリーモ・レヴィは、科学的警告に対する私たちの心理的な抵抗をうまく言い表すドイツの古い格言を引用している。「道徳上あり得ないことは、存在することができない」

これまで、環境に関する警告は終末論の様相を帯びることがよくあった。当然のことながら大衆はそれを否定的に受け止めたものだ。しかし気候変動は環境的脅威の中でも独特のものだ。なぜなら活動家や、つい最近までは科学者までもが、その危険性を組織的に控えめにしか発言してこなかったからである。

環境活動家は楽観的なので、科学の憶測をなかなか受け入れようとしない。そして大衆を恐怖に陥れることを心配している。しかし世界の温室効果ガス排出量は、数年前の最悪のシナリオをもはや超えてしまっており、まもなく取り返しのきかない気候変動が始まる転換点を迎えてしまうだろう。今や、世界の温暖化に対する悲観論者であるカサンドラが正しく、楽観論者であるポリアンナが間違っていることは、あきらかである。

ギリシャ神話では、カサンドラはアポロによって預言の能力を与えられたが、アポロに愛情を返さなかったために、アポロは彼女の預言を誰も信じないようにする呪いをかけた。気象科学者は、ここ20年に渡って気候温暖化とその影響について警鐘を鳴らしてきたが、彼らもアポロの呪いをかけられたカサンドラの気分になることが時としてあっただろう。そして今はこれまで以上に、そう感じるのではないだろうか。

根拠のない楽観性は人類の最高の美徳であり、最も危険な弱点でもある。

ここ数年、未来がいかに不吉なものになるか、そして残り時間がいかに少なくなっているかということを説明する多くの本や報告書が出版されてきている。「Requiem for a Species(種への鎮魂歌)」ではなぜこれらの警告が無視されてきたのかを説明している。私たちを自滅の道へ向かわせた人類という種のもろさと、制度や心理的傾向の強情さについての本である。

これは、私たちの奇妙な強迫観念や、事実を直視しないという傾向、そして特に私たちの思い上がりについての本である。私たちの内なる戦いについての本である。つまり私たち自身に地球を守ろうと仕向ける力(私たちの論理的に考える能力と自然との結びつき)と、最終的に勝利を収めることとなった力(欲、物質主義、自然との乖離)との戦いだ。 そしてこの戦いの敗北により21世紀に現れる影響について書かれてある。

もう何年も前から、科学者が訴える行動の必要性と、政治機関が伝える内容には大きなギャップがあり、これを埋めることはできないだろうと頭では理解していた。しかし感情的には、これが世界の未来にとって何を意味するかを受け入れることができずにいた。しかし2008年の9月に新刊や報告書や科学論文などを読んでやっと私は発想を変えることができた。人間は必要とされる素早さで行動を起こすことは絶対にない、ということを認めて受け入れたのだ。

物質的な恩恵のためにこの星を変えようとしてきた人類の決意が最悪の形で裏目に出ている。気候の危機は人類存亡の機といえよう。

心のどこかで私は安堵を感じた。自分の頭の論理的な部分が語ってきたことを受け入れることができるという安堵感、ニセの期待にエネルギーを費やさなくてもよくなったという安堵感、そして、地球温暖化対策を遅らせてきた責任者である政治家、企業経営者、気候懐疑論者たちに対する怒りを捨て去ることができたことへの安堵感だ。

気候変動の現実を受け入れるからといって、何もすべきではないというわけではない。温室ガス排出を大幅に、至急削減することで温暖化による最悪の結末を遅らせることはできる。しかし遅かれ早かれ、私たちは真実に直面しなければならず、なぜこのような状態になってしまったのか理解しなければならないだろう。なぜここに至ったのかを理解する必要性に加え、この本の主な意義は私たちが何に直面しているかを知らせることである。そうすれば人々はそれに備えることができるのだから。

私が破滅論者だと非難されるのはほぼ確実だ。終末論預言者には常に2つのタイプがある。ひとつのタイプは終末論を説くカルト集団のように、超常現象やカリスマ的教祖の妄想が見せる「真実」を信じることに基づいている者たちだ。この場合は、遅かれ早かれ事実が判明し、預言は間違いだと気づくことになる。

物質的な恩恵のためにこの星を変えようとしてきた人類の決意が最悪の形で裏目に出ている。気候の危機は人類存亡の機といえよう。

もうひとつは本物の大災害の可能性に基づいてはいるものの、その見込みについては誇張するというタイプだ。冷戦時代、生存主義のコミュニティがあちこちで作られた。参加した人々は、核戦争が勃発し文明の終わりがやってくると確信していたからである。確かにその可能性はあったのだが、多くの人々はその確率は生存主義者が言うほど高い確率ではないだろうと信じていた。彼らが終末論者だと非難されたのも当然といえよう。

つい最近まで、壊滅的な地球温暖化という考え方は、後者のタイプに入れられていた。現代文明の終わりを予言する者はどう見ても既知の危険を誇張していた。当時の温暖化予測ではすぐ対策をとりさえすれば、危険な気候変動は避けられるというものだったからである。

しかしここ2,3年で科学者たちの気候変動に関する予言はより確実性があり、より驚異的であり、そしてより大きく、取り返しのつかない変化が まもなく起こるだろうというものである。10年もほとんど対策をとらないまま過ぎた今、世界が必要な対策を講じるだろうという最も楽観的な判断をもってしても、いわゆる「不確実な不確実性」などないため、壊滅的な気候変動が起こるのはほぼ確実だ。

気候のポリアンナたちは終末論者と同じ手法をとるが内容は逆だ。災害が起こる可能性は少ないにも関わらず誇張するのではなく、災害の可能性がとても高いのにも関わらず、最低限のものとして扱うのだ。

このような状況の中、私たちが非常におそろしい未来に向かっているという事実を拒絶するならば、それは強情というものだろう。否定するには科学を意図的に読み誤ってみたり、政治機関が反応してくれるだろうというロマンティックな視点を持ったり、または神の介入を信じ込んだりすることが必要だ。気候のポリアンナたちは終末論者と同じ手法をとるが内容は逆だ。災害が起こる可能性は少ないにも関わらず誇張するのではなく、災害の可能性がとても高いのにも関わらず、最低限のものとして扱うのだ。

もちろん地球温暖化に対し「私たち」が行動を起こせなかった一番の理由は、低炭素エネルギーシステムへの転換によって打撃を受ける企業による継続的かつ無情な政治的権力の行使である。「carbon lobby(炭素ロビー)」(いわゆる石炭や石油企業)の影響に関する記事は多くの作家やジャーナリストが書いていることだ。それらを読めば何が行われていたかを知ることができる。

とても不思議に思うのだが、なぜ私たちは、こういった人々が政府の温暖化対策を阻むままにしておいたのだろうか。議会を取り囲み、石炭火力発電所を占拠し、セントラル・ビジネス・ディスクリクト(オーストラリア、シドニーの経済と交通の要となっている地域)を封鎖して、政治家が私たちの子どもたちの未来を守るためにもっと強力な法案を通過させるよう要求すべきだったのだ。でもそうしなかった。
なぜ?

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Requiem for a Species: Why we resist the truth about climate change(種への鎮魂歌 なぜ温暖化の真実を拒絶するのか)」はUKと北米では2010年4月16日に Earthscan より出版され、オーストラリアでは3月に Allen & Unwin より出版。

翻訳:石原明子

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種への鎮魂歌 by クライヴ・ハミルトン is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.

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著者

クライヴ・ハミルトン氏はオーストラリア国立大学とチャールズ・スタート大学のジョイントセンターであるCentre for Applied Philosophy and Public Ethics (応用哲学と公共倫理センター)の公共倫理学教授。イェール大学、ケンブリッジ大学、オックスフォード大学で客員講師を務めた経歴がある。ハミルトン教授は幅広いテーマについて発表しているが、著書によって最も知られており、著書の多くはベストセラーとなっている。『Requiem for a Species: Why we resist the truth about climate change(種への鎮魂歌:なぜ温暖化の真実を拒絶するのか)』は2010年、Earthscan社およびAllen & Unwin社から出版された。彼の新作『Earthmasters: The dawn of the age of climate engineering(地球の主たち:気候工学時代の夜明け)』は2013年2月、Yale University PressおよびAllen & Unwin社から出版された。

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