英虞湾:新しい里海創生に向けて

2012年08月16日 国分 秀樹, 松田 治 広島大学

南北に伸びる日本の沿岸地域には、独特の地形条件に合わせた様々な生活様式が見られる。人々は昔ながらの知恵と科学的知識の両方を取り入れながら海と共存している。このように海と人が密接に関わりあう沿岸地域を「里海」と呼ぶ。本記事と掲載ビデオは、里海の事例紹介のシリーズの一環である。完全版のビデオ映像(74分)はこちらからご覧ください。

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風光明媚な英虞湾では、1世紀以上も前から真珠養殖が行われてきた。だが、真珠養殖とその他水産養殖が盛んになるにつれ、観光業の発展や沿岸の土地開発などの影響も大きくなっていった。

志摩市では、生態系劣化と海洋資源の衰退に対処しようと、経済と生態系の両面から持続可能性を両立するため、湾に関する科学的知見に基づいた里海概念に基づくアプローチを採択した(里海とは、人手が加わることにより生物生産性と生物多様性が高くなった沿岸海域、と定義されている)。

英虞湾は中部日本の三重県に位置しており、複雑なリアス式海岸を有する典型的な閉鎖性海域である。英虞湾は、美しい景観、貴重な水産資源、長い文化的な歴史によって、戦後日本で最初に指定された伊勢志摩国立公園の中心をなしている。

歴史的にみると、この地域は御食国(みけつくに)として知られていた。御食国という名称は、朝廷や、日本で最も崇拝され、長い歴史をもつ神社のひとつである伊勢神宮への食物供給地(この場合はとくに海産物供給地)としての特別な地域であることを意味している。英虞湾における閉鎖的で波の穏やかな歴史的遺産の組み合わせが、日本の伝統的な里海についての生来の感覚と古典的なイメージを地域コミュニティに根付かせている。

写真提供:志摩市

写真提供:志摩市

英虞湾は、穏やかな気候と閉鎖的で外洋の波浪から保護された海域であることから、真珠養殖に適した海域として有名である。英虞湾は元来、アコヤガイの健全な天然生息地を提供してきた。1893年、地元の水産物販売業者が水産学研究者と協力し、貝性で作った核を貝に挿入し、貝の体内で真珠を形成させ、半円形の真珠を作り出すことに成功した。この技術的発展により、英虞湾では真珠養殖が盛んに行われるようになった。第二次世界大戦後には、三重県における真珠生産が日本の装飾用真珠市場を支配し、国際市場への輸出も増加した。のちに、アコヤガイの真珠養殖の技術を応用し、英虞湾ではアオノリの養殖など他の水産養殖の技術も開発された。真珠養殖とアオノリ養殖が20世紀に開発され、人々と英虞湾が関わる新たな基盤となっていった。

真珠養殖とアオノリ養殖が20世紀に開発され、人々と英虞湾が交流する基盤となった。これらの養殖業のいずれもが、親しみ深い典型的な里海としての海岸沿いの風景の一部となっている。緑に覆われた丘陵に囲まれた小さな閉鎖性海域である里海の穏やかな海面では、アオノリ養殖網や真珠の養殖いかだが静かに揺れ、海と人々との長年にわたる調和のとれた交流が続いている。アオノリの養殖網が海岸に沿って張り込まれた光景は、秋から春までの期間中、英虞湾全体で眺めることが可能であり、移り変わる季節を映す風物詩となっている。

写真:村上涼

写真:村上涼

海の生態系に起きた変化

1960年には、英虞湾における貝類、ナマコ、クルマエビ、海藻の総漁獲量は600トンを上回っていたが、1965年以降、この数字は大幅に減少した。その一因として、英虞湾環境の悪化と沿岸漁業から真珠養殖への転業が挙げられる。

1960年代後半には過剰生産が原因で低品質の真珠の生産割合が急増し、真珠養殖業者が減少する一方で、アオノリ (Monostroma sp.)養殖者が増加した。

最近では、真珠養殖業が富栄養化と赤潮によって被害を受けている。1992年には、英虞湾で渦鞭毛藻の一種であるヘテロカプサ サーキュラリスカーマ(Heterocapsa circularisquama)による赤潮が初めて発生した。それ以降、真珠貝の大量死を引き起こすこの種の微細藻類による有害な赤潮が繰り返し発生している。

1990年代中頃には、6月から10月にかけて湾央から湾奥部の底層部で貧酸素水塊(酸素量が異常レベルまで低下すること)が毎年発生するようになった。季節的に発生する酸素量の減少により、魚類とは違って低酸素水から逃れることができない貝類、多毛類、その他の底生生物の数が著しく減少した。

2002年の夏には、英虞湾全域で大規模な低酸素状態となり、湾奥部で養殖されていたアコヤガイを含む多くの海洋生物が死亡した。低酸素状態と赤潮により、英虞湾の海洋生物多様性が失われるとともに、有機物の好気性分解が行われなくなり、海域の物質循環が機能できなくなった。

英虞湾沿岸地形の物理的変化に関しては、1700年代にはじまった、食料増産のための水田干拓や、その水田を塩害から守るために1940年初めに行われた堤防建設等の土地開発により、20世紀中頃以降は1700年代と比べて干潟や浅瀬の約70%が失われたことが調査で示されている。

写真:村上涼

写真:村上涼

1960年頃に堤防が建設されてから堤防内部との海水交換がなくなったため、堤防前方(海側)では相対的に貧栄養性となり、一方、堤防後方(陸側)では過剰栄養性となったことから、堤防の両側に生息するマクロベントス(ベントスとは海底またはその付近で見られる生物)は大幅に減少した。そして雨水と共に流入する陸からの有機物は 50年に渡って堆積していったのだ

干拓や堤防建設をはじめとする海岸の物理的な変化ととともに、生活排水や真珠養殖にともなう有機負荷が英虞湾に大量に流入したことにより、海底の生態系が極度に悪化し、英虞湾における生物多様性と生物生産性が減少する結果となっている。

英虞湾の海洋生態系と生物多様性の再生

生態系の劣化およびこれに伴って地域の水産業が受ける被害に対処するため、漁業組合、研究者、地方自治体職員が再生に向けた里海アプローチを共同で実施した。同アプローチにおいて、里海とは、単に伝統的で郷愁を覚えさせる海景を集中的に再生する取り組みではなく、人の手で環境を修正することを可能にする保全活動の実際的な枠組みとしてみなされていた。

科学的データとコミュニティのイニシアチブに基づき、生産性と機能性を有する英虞湾の再生を目指したのである。「閉鎖性海域の環境創生プロジェクト」と命名され、科学技術振興機構の地域プログラムの下で実施された。

2008年、底質の改善や藻場の再生、対象区域における排水対策の強化等により、生物多様性と生物生産性を再生することを目的とした多様な活動を実行するための英虞湾自然再生協議会が結成された。

再生プログラムの一環として、有機含有量が異なる6種類の実験的干潟試験区が建設された。これらの干潟は、マクロベントスの生息地に適した堆積物の状態を調査するために使用され、3年後にはその結果が確認された。
これらの結果は、干潟堆積物における有機物と泥の含有量のバランスをコントロールして維持し、マクロベントスに良好な生息地を提供できることを示している。これらの所見を活用することにより、干潟堆積物の状態をコントロールし、英虞湾の生物生産性を強化するための実際的な干潟再生方法を策定した。

写真:村上涼

写真:村上涼

堤防前方の相対的に貧栄養の干潟の場合、堤防が陸地からの栄養供給を遮断するため、堆積物は粒子が粗く(砂利)、有機物の含有量が少ない。これらの堆積物は、有機物が豊富な浚渫土と混合することによって改善した。上記の方法は、堆積物のパラメーターを、マクロベントスの多様性に最適な範囲内に調節するのに有効であることが判明した。

堤防の陸地側の過剰栄養の湿地では、ポンプを用いて、海水を導入する作業が進められた。堆積物の性質および種の存在量と多様性について継続的に調査した。その結果、湿地が汽水であったため、海水を導入する以前は堆積物が過剰栄養で嫌気性であり、当時、Chironomidae(ユスリカ)が優占種であったことが示された。水を交換した後、マクロベントスは、汽水に生息する種類から海洋に生息する種類に変化した。そして多様性は徐々に増加した。

これらの結果に基づき、人工干潟について、もう1件の野外実験を実施した。最初に、底生藻類がそこに生息するようになり、続いてマクロベントスの数が増加した。このような結果は、人工的に造成された干潟の生態系が非常に高度な生物多様性を裏付けることが可能な生態系に変化したことを示唆している。

マクロベントスは以下の通り分類された:Polychaeta(多毛類)、Bivalvia(二枚貝類)、Gastropoda (腹足綱)、 Crustacea(甲殻類)、 ichtyoid(魚類)。人工干潟を造成した直後に優占であった種は以下の通りである:gastropoda、crustacea。4ヵ月後には、マクロベントスの存在量が有意に増加し、1年後には造成前の値の4倍に達した。その後、この状態は安定していた。同様に、この実験はは以下のことも示している。すなわち、干潟ばかりでなく藻場も含めた総合的な再生が大型生物の数と種が再生後に有意に増加したのである。

写真提供:国分秀樹

写真提供:国分秀樹

地域の漁業者やボランティアの市民が参加し、生態系を回復させるために海草の移植やアサリ稚貝の放流が行われており、2005年には、コミュニティの教育活動として志摩自然学校が設立され、シーカヤックをはじめとする各種の野外活動を含む自然体験や自然教育のプログラムが提供されている。

2009年10月には、英虞湾において、コンクリート堤防のフラップゲートを開けることにより、堤防内の淡水化した干潟に海水を導入し、本格的な干潟再生プロジェクトが開始された。

干潟再生前は、汽水域に住む生物(ユスリカ、 ヤマトカワゴカイ)など6種しか見られなかったが、フラップゲートを開いた後は、汽水性から海水性の生物への移行が見られ、種の数は徐々に増加した。18カ月後にはハゼ 、スズキ、ボラなどの養魚、 移動性動物(ケフサイソガニ 、イボウミニナ)、小型の二枚貝など30種類の生物が再生干潟で見られた。

2009年には、志摩市や研修者の指導のもと、地元市民による科学的な干潟の生物調査が開始された。このような市民による継続的な調査活動の結果は、 英虞湾における生物多様性に関するデータベースとして蓄積され、生態系再生の指標として使用される予定である。

写真提供:国分秀樹

写真提供:国分秀樹

2011年には、市の行政と様々な関係者が協力し、沿岸域の総合的管理に関する青写真を描くことを目的に志摩市に里海推進室が設けられ、2012年には志摩市里海創生基本計画が策定された。

未来に目を向けると、志摩市里海創生推進協議会が設立される予定で、志摩市は今後も市民と地域の自然環境が共生しながら地域の経済や産業に利益をもたらすことを目的とした、「新しい里海のまち・志摩」づくりに重点的に取り組んでいくだろう。里海のまちとは、その中、外のいずれでも市民と自然環境が共生し、そのことにより地元の経済にも利益をもたらすことを目指すものである。

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この記事はBiological and Cultural Diversity in Coastal Communities: Exploring the Potential of Satoumi for Implementing the Ecosystem Approach in the Japanese Archipelago(生物多様性条約事務局テクニカルシリーズ No. 61. 62-699)に掲載された2011年の松田治氏、国分秀樹氏による論文「英虞湾:新しい里海創生に向けて」を要約したものです。

翻訳:石原明子

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英虞湾:新しい里海創生に向けて by 国分 秀樹 and 松田 治 is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.

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著者

筑波大学大学院理工学研究科修了後、三重県庁に入庁し、三重県科学技術振興センター研究員を経て、現在、三重県水産研究所の鈴鹿水産研究室の主任研究員を務める。「漁業者と産官学が一体となった英虞湾の環境再生の取組みと資源循環型の干潟・アマモ場の造成技術の開発」は2002年の土木学会環境賞を受賞した。2009年3月、工学博士。専門は応用生態工学。

松田 治

広島大学

1971年より広島大学で瀬戸内海や閉鎖性海域の研究と教育に従事、2003年より広島大学名誉教授。専門は物質循環論、沿岸環境管理や自然再生。フィールドワークは、北極海、南極海、熱帯域、南北太平洋など多数。著書に「瀬戸内海を里海に」(編著、恒星社厚生閣)、「森里海連環学」(共著、京大学術出版会)、「海洋問題入門」(共著、丸善)など。現在、瀬戸内海研究会議会長、広島大学名誉教授を務める。

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