持続可能な開発とメガ目標への陶酔

「私は、今後10年以内に人間を月に着陸させ、地球に無事生還させるという目標に、この国家が尽力すべきだと信じている。この期間の宇宙計画ほど、人類に感動を与え、長きにわたる宇宙探検にとって重要なものは存在しないだろう。しかも、これほど達成困難で費用を要するものもない……」(ジョン・F・ケネディ、1961年)

ジョン・F・ケネディがアメリカ両院合同議会を前にして、有名な「人間の月面着陸」スピーチを行ったのは、大統領就任からわずか4カ月後のことだった。それはドラマチックな目標だった。1969年7月20日、宇宙飛行士のニール・アームストロングが月に着陸した時、その目標はドラマチックな成功としてたたえられ、いまだに世界を魅了し、アメリカの例外主義を支え続けている。

では、なぜケネディ大統領の目標はこれほど強い反応を引き起こしたのだろうか? 50年経っても共感を呼び続けているのはなぜか? 1つの理由としては、アメリカとソビエトの両国間で繰り広げられた宇宙開発競争は、過熱し続けるレトリックと恐怖心が共にそろった状況で成立していたことだ。1957年にソビエトが世界初の人工衛星、スプートニク1号を打ち上げて以来、冷戦は本格化していた。さらにケネディ政権誕生から4カ月の間に、ソビエトはもう1つの偉業を達成する。ソビエト宇宙飛行士のユーリ・ガガーリンが人類初の有人宇宙飛行を成功させたのだ。

人類の月面着陸という目標が恵まれていたのは、特殊な時代背景と、恐らくもっと重要なのは、具体的で分かりやすい結果だ。1969年7月21日、月の表面に残された人間の足跡を捉えた写真は、世界中の新聞の紙面を一斉に飾った。しかし、貧困のない世界や、炭素を350ppm以下に抑えた大気や、差別のない世界を、一体誰が写真に収められるだろうか?

数々のドラマチックな目標(設定され達成された目標)は、国際社会を「そうだ、私たちなら本当に実現できる」という気分にさせたようだ。そのような目標の例には、天然痘の根絶や、希望的には実現間近と考えられるポリオやメジナ虫症の根絶などがある。これらの成功は、協力や継続的な努力の輝かしい証しだ。そしてミレニアム開発目標京都議定書の温室効果ガス削減目標、生物多様性に関する愛知ターゲットピアソン報告による目標など、国際社会がますます多岐にわたる野心的な目標を掲げるようになったのは、協力や継続的な努力が持つ間違いなく称賛すべき本質のおかげだろう。

重要なのはシステムだ、愚か者め

ビル・クリントンの有名なキャッチフレーズ「重要なのは経済だ、愚か者め」は、私たちの間に浸透した国の運営に関する姿勢をうまく要約している。つまり、経済さえ立て直せば、あとは万事うまくいくという姿勢だ。しかし、この離れ業を確実に行う方法は、知らず知らずに社会全般に甚大な影響を及ぼす。冷戦時代、宇宙開発競争が主要な闘いだったが、それと同時にコンピューターと人工頭脳工学の開発も加速した。以来、モデルや指標は研究分野において、特に経済学で広く利用されるようになった。

しかし、こうした状況によって、私たちはますますシステム化した世界観を身につけ、世界の諸問題をコンピューターが分析できるように変えるようになった。その結果、私たちの手元には、自然現象や社会現象に関する膨大なデータがある。こうした概念は国際社会にも流れ込んだ。国際社会で使われる言葉遣いは時として経営用語のようである。能力は強化され、知識は管理され、日常活動は目標や指標や戦略的ゴールを中心に展開する、といった具合だ。

それに付随する指標やベンチマークは、私たちが進歩を確認するために頼るオーダーメードの○×形式の答えのようだ。しかし、ある指標が改善に関する本当の表出であるなら、未達成の目標は進歩ゼロを表す指標ではない。1日1ドルは分かりやすい指標ではあるが、貧困の全体像をつかんではいない。「測定できないものは管理できない」のような広く知られた教義が持続可能な開発に浸透しているため、私たちは足りない部分を補完するためにさらに多くの指標を追加する。しかし、私たちは正義を測定できるのだろうか? この点を念頭に置き、時には矛盾するレトリックの一部を取り上げ、来るべき持続可能な開発目標(SDGs)を形成する過程を以下に考察する。

急いで行きたいなら、独りで行きなさい。遠くまで行きたいなら、一緒に行きなさい。(アフリカのことわざ)

大きな目標を掲げる衝動は理解しやすい。急増する世界人口、資源不足、気候変動の不安な見通しが急速に1つとなって、地球最後の日を想定する数々のシナリオを生む。そのシナリオによれば、明らかに克服不可能な課題すべてに対して同様に壮大な目標が必要とされるのだ。

そのようなメガ目標には、もちろんそれなりの存在意義がある。つまり、大きな目標は挑戦する感覚をかき立てる。それらは世界的な目標であり、私たちがどこに向かっているのかを教えてくれる。恐らく最も重要なことだが、私たちはどこへ行きたいのかを理解すれば、目的地へ到達するために取る道筋を緻密に計画できる。私たちが直面している世界的な課題の多くは、協調行動だけでなく大規模なシステム上の変更を必要としており、私たちが全体像を見ないことには、それは実現しない。

非協調的な方法で小規模な行動を起こす危険とは、より大きな枠組みを無視することによって暗闇でつまずき、道を誤り、結局は私たちの行動が行き違ってしまうかもしれないという点だ。同時に、地域の条件や利用可能な能力に合わせて設定された小さな目標は、ステークホルダーに権限を与え、当事者意識を強化し、包括性を高める可能性がある。

皮肉なことに、メガ目標の楽観的な野心は、あらゆる努力が無益で達成不可能のように感じさせる可能性がある。協調行動の前提がなければ、小さな行動それ自体が無意味のように見えてしまう。これは明らかにやる気を失わせる考えだ。

危険なことに、私たちは逆の意味で、上記と同じことを信じる傾向もある。すなわち、私たち個人の行動は、それが蓄積しても環境に大した危害を与えるには及ばないと考えがちだ。この傾向はリサイクリングに関するこちらの風刺の効いた取材に現れている。

「地域で行動し、世界規模で考えよう」は地域と世界をつなげる信条であり続けているが、私たちはいまだにその2つを頭の中で切り離してしまう。特に、有意義で実現可能な数々の目標を推進するロビー活動が、自分たちが提起する問題こそ傑出した世界的問題であると主張する場合だ。地域と世界がつながっていることに疑う余地はない。しかし人口、社会的公正、エネルギー、生物多様性、人類の安全保障(ほんの数例でしかないが)を網羅する、混乱するほど多様な問題に対峙した時、人は簡単に道に迷ってしまう。最も意識の高い消費者や価値ある大義への寄与者でさえ、優先順位を決める必要性にすぐに気づく。

同時に、「環境保護反対」「ウミガメ保護反対」「きれいな空気反対」を訴える人はまずいないという点を指摘できるだろう。状況はむしろ、人によっては雇用や経済発展といった問題、あるいは極端な例では単に利益を求める動機を優先させただけということだ。

人手が多ければ仕事が進む?
それともコックが多すぎればスープはまずくなる?

持続可能な開発の根底には、世界を救おうとする動力源を率いる2つの強力なコミュニティが存在する。しかし、その2つは別々の知的伝統に端を発している。1つは社会科学と開発経済学に根差した開発コミュニティであり、基本的ニーズ(食料、住まい、教育、健康)へのアクセスがままならない底辺の10億人の社会的および経済的観点から持続可能な開発を推し進めている。もう1つは、自然科学から生まれた地球システム科学のコミュニティであり、気候変動の証拠や、自然のシステムがどのように人間の活動に反応し、増え続ける人口のニーズを満たせるのかに関する証拠を示している。

この2つのコミュニティは、開発計画における2本の軸を形成する。双方とも相手の重要性を認めているのだが、優先課題の設定となると、各自の分野が問題解決の鍵であるという考えにしか目を向けようとしなくなるのは驚くべきことではない。この状況は不安定な緊張関係によって複雑になる。つまり、大衆を貧困から抜け出させるための急速な経済成長は、持続不可能な方法によって最も速く実現する。その方法は大量消費と、私たちの問題の大部分を引き起こしている原因につながるのだ。新たな繁栄のあり方に関する議論が行われているにもかかわらず、政策決定者たちはこうした思考に著しく後れをとっており、従来どおりの思考で状況をいじくり回している。

“この2つの知的グループは、目標を設定するために多国間で行われる無秩序に拡大する政治的プロセスに提言するようになった。”

この2つの知的グループは、目標を設定するために多国間で行われる無秩序に拡大する政治的プロセスに提言するようになった。さまざまな非政府組織(NGO)がロビー活動や主張を通してさまざまな問題を後押ししている。そうすれば、価値があり達成可能で取り上げるべき問題を最終的に決定する当事者(国)の支持を得られるかもしれないからだ。

こうした状況において、恐らく最も重要な声とは人々の声であるという点は、忘れられがちだ。誰のために、誰が目標を設定するかという問題は重要である。なぜなら、あらゆる施策は究極的には地域で行われるものであり、ある特定の場所での目標の妥当性は、程度の差こそあれ、適切だからだ。昨年のリオ+20サミットでは、市民社会との幅広い活動と対話が行われ、世界が選んだ優先課題リストに結実した。そのトップ10はこちらでご覧いただける

ローカルに考え、グローバルに行動しよう:SFGsの枠組み

リオ+20のムードは集団的行動よりも各国の国益に大きく影響されていたため、協調行動にとっては幸先の良いものではなかった。こうした状況を背景に、おびただしい数の厄介な問題に取り組むため、地球システムガバナンス東京会議が最近(2013年1月28~31日)開催された。

同会議では地球システムを中心に、惑星の限界に関する会話が再検討された。惑星の限界とは、成長には限界があること(あるいは多少言葉を変えて言うなら「限界内での成長」)を暗に示している。こうした議論が実際に意義深いものなのか、あるいは単なる政治的言葉遊びなのかは、現時点では分からない。惑星管理といった概念はキャッチーだが、それに基づいて一連の目標を掲げるのはさらに難しい。私たちは、人間による影響を考慮するまでもなく、地球システムが本質的に動的であることを知っているからだ。

現在のゴールや目標は、次の4つの主要分野において検討されている。

しかし、私たちが検討すべきなのはゴールそのものではなく、価値と規範に基づくアプローチだという意見があった。貧困層の人数や清潔な水へのアクセスに関する特定の目標が解釈しにくい場合、潜在的な価値について合意を形成することは、より効果的な進展方法ではないだろうか?

相互依存性は、そのような指針の1つである。つまり、各国は単独では行動できず、ある1つの場所で起こったことは別の場所にも作用するという基本的認識だ。アフリカの絶滅危惧種を大量に滅ぼしつつある世界規模での外来種の売買は、広く報じられている 。その一方、大気汚染は国境を越える問題であるため、外交上の緊張関係があったとしても、各国を団結させることができる。同様に、コロンビアにおける協調的な麻薬取り締まり対策は、結果的にいわゆるバルーン効果につながった。つまり取り締まりによって、違法な麻薬生産と販売活動が、それまでは影響を比較的受けていなかった周辺諸国に移動するという状況だ。

“地域的な戦略は、当該国にとって最も適切なニーズに対処するために、当事者意識を育て、社会内部で変化を引き起こす関係者に権限を与えるための国内の議論を促進できるのだ。”

こうした相互依存性が暗示するのは、世界的に重要な問題は、世界規模、地域規模、地区規模によって様相が異なるという点だ。世界的な会話と目標設定は、地域に目を向けて設計された戦略の重要性を軽視するなら、大した結果は期待できない。地域的な戦略は、当該国にとって最も適切なニーズに対処するために、当事者意識を育て、社会内部で変化を引き起こす関係者に権限を与えるための国内の議論を促進できるのだ。

現実的に考えると、政策決定の道具として政府機関の開発援助がない場合、各国はそれぞれの方法を見いだすだろう。まさにその時点で、私たちが向かうべき目的地に到達するためのさまざまな方法と、都市、エネルギー、農業などのシステムにおける持続可能性を実現するマイルストーンを理解する最大限の取り組みが可能になる。

SDGsが最終的に、高い規範的野心の最重要ゴール(ミレニアム開発目標のように)になるのか、達成可能な目標を提示する妥協点とバランスを含めたフレキシブルなゴールとなるのか、それとも先の見えない道のりでの指針やビジョンや中間地点といった点で、より包容力のあるものになるのか、現時点では不明だ。

行動は言葉よりも雄弁

あなたがこの記事を読んでいる間に、世界のどこかでグローバル目標に関する議論が行われていることは、まず間違いない。それと同じくらい間違いないのは、そうした議論の中で「話し合う時間はもう終わった」というフレーズが繰り返されていることだろう。実際、これこそが世界的なメガ目標への陶酔がもたらす大きな危険の1つである。つまり、目標を達成しないまま、あまりに多くの目標を設定すると、話し合いばかりで十分な行動が見られないという消えることのない感覚が確実に増長されるのだ。

しかし究極的には、ゴールと目標は私たちの集合的な夢の表れであり、理想的には、私たちは個人としても、社会としても、こうした夢に自分を重ね合わせることができる。ますます相互につながる世界がさらなる孤立を生むという奇妙なパラドックスを多くの人が嘆いている。しかし集合的な夢は、私たちの最も貴重な資源でもあるのだ。

従ってこうした夢の実現は、世界が抱える最大の課題の幾つかを解決するだけではなく、人類を互いに近づける可能性がある。ケネディ大統領の月面着陸スピーチからわずか2年後の1963年、ボブ・ディランが歌ったように「私をあなたの夢に入れてくれるのなら、君を私の夢に入れてあげよう」ということなのだ。

翻訳:髙﨑文子

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持続可能な開発とメガ目標への陶酔 by クリストファー・ドール is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.

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著者

ロバート・ブラジアック氏は以前、横浜の国連大学高等研究所においてSATOYAMAイニシアチブに取り組んでいた。現在は、東京大学大学院農学生命科学研究科のリサーチ・フェローである。

クリストファー・ドール氏は2009年10月に、東大との共同提携のうえ、JSPSの博士研究員として国連大学に加わった。彼が主に興味を持つ研究テーマは空間明示データセットを用いた世界的な都市化による社会経済や環境の特性評価を通し持続可能な開発の政策設計に役立てることだ。以前はニューヨークのコロンビア大学やオーストリアの国際応用システム分析研究所(International Institute for Applied Systems Analysis)に従事していた。ドール氏はイギリスで生まれ育ち、ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジにてリモートセンシング(遠隔探査)の博士号を取得している。

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