エコ生代の都市

作家のトマス・ベリー氏はエコ生代を 「より大きな生態学的意識への人類の努力の再統合」と表現した。ベリー氏は、エコ生代が人新世に取って代わると信じていた 。人新世とは現在私たちが生きている時代のことで、人間の欲求が地球上の森林や海洋やその他の生物システムの健康よりも優先する時代である。私たちが人間の生命力だけではなく、あらゆる生命体の生きる力を等しく大切にすることを学んだ時、人間という種は初めて本当の進歩を遂げ始めるのだとベリー氏は信じていた。

ベリー氏の着想は、魅力的とはいえ信じがたいと退けられるかもしれない。しかし退けるわけにはいかないのは、旧態依然とした状況の輝く表面下で文化的転換が起こりつつあることを示す多くの小さな兆候があるからだ。

長年にわたって、私たちは都市を自然から切り離すことに多大な努力とエネルギーを費やしてきた。アール・クック氏という地質学者が現代都市における「環境から獲得した」エネルギーの測定技術を開発する1971年までは、こうした努力のインパクトは不明瞭だった。クック氏の試算によれば、1万年前の狩猟採集民は1人当たり1日5000キロカロリーのエネルギーで生活していた。一方、今日のニューヨークあるいはロンドンに住む人は、現代的な生活で使用されるすべてのシステム、ネットワーク、装置を計算に入れると、1日およそ30万キロカロリーを必要としている。これが、自然の一部として暮らす生活と自然から離れた生活での、生存に必要なエネルギーの差だ。今では60倍のエネルギーが必要であり、この数字はさらに上昇傾向にある。

地面を舗装し、生活をメディアで満たすことは、何世紀も続いてきた私たちと生物システムの相互依存性を曖昧にした。現在、エネルギーの不安定性に対する意識が高まる一方で、私たちが都市をどのように考え、都市でどのように生きるのかに関する厄介な疑問も浮上している。例えば、あの高層ビルは毎日、どのくらいのエネルギーを消費しているのか? あの高架道路にはどの程度の資源がつぎ込まれたのか? この場所が舗装される前は、どんな風景だったのか?

2009年、マンナハッタという展覧会 が最後の疑問に答え始めた。この展覧会がニューヨーカーに見せたのは、1609年当時、つまり初期入植者たちがアメリカにやってくる直前のマンハッタンの生態系だ。アスファルトに覆われ、高層ビルがそびえ建つ今日の街も、かつては多様で生命にあふれるランドスケープだったことが明らかになった。タイムズスクエアはかつて森だった。ハーレムは草地だった。森林、草原、淡水の湿地、塩性の沼地、泉、沼、小川を含んだランドスケープは、クマ、オオカミ、さえずる鳥 、サンショウウオの生息地だった。澄んだ水域には魚がジャンプしていた。入り江ではネズミイルカやクジラが休んでいた。

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ハイライン公園 、ニューヨーク市。写真:トレイ・ラトクリフ

マンナハッタのキュレーターで景観生態学者であるエリック・サンダーソン博士 は、ニューヨークを原始時代の状態に戻すことを目指したのではなかった。展覧会によってニューヨーカーたちが街を支え続けている生命システムに敏感になってくれることを願ったのだ。そこで1つの疑問が浮かんだ。こうした隠れた生態学的機能は、街の将来的な開発に関連性を持つだろうか?

高まりつつある世界的な運動は、生命システムというレンズを通して都市を見ている。都市居住者たちは数々の実践的なプロジェクトにおいて、すべての命を支える土壌や木々、動物、ランドスケープ、エネルギーシステム、水、エネルギー資源と再びつながりつつある。

この運動は今のところ、ボトムアップ型の小規模な低予算プロジェクトがほとんどであり、かろうじて見えてくるモザイクのようなものだ。ボランティアが河川を修復し、活動家が駐車場の舗装を除去し、地域のグループが木を植え、住人たちが雨水を貯留し、学校の生徒が菜園 の世話をし、バードウォッチャーが鳥の巣箱を取り付ける。

こうした活動の多くは、ストリート単位で活動するコミュニティグループによって実行されている。より多くの小規模プロジェクトが完了していくにつれ、やるべきことのリストは増えていく。改修すべき荒れた公園、再生すべき菜園、植物を植えるべき道路脇、緑化すべき何もない屋上があることに、人々は気づく。新たに活用することができる空き地や放置された建物や営業していないショッピングモールが存在しているのだ。

こうした活動のほとんどが小規模であるという事実は、活動の重要性を損なうものではない。複雑なシステムが変化する場合、その変化は底辺から沸き立ってくるものだ。そして都市もまた例外ではない。さらに、こうしたグリーン活動が芽吹き、広がっていくことで、街の管理者や政策立案者が行うべき新たな仕事が誕生している。それは、何千もの小さな活動を育て、障害を取り除き、活動同士を結びつけるという仕事だ。

そこで湧いてくるのが、次の驚くような疑問である「あの雑草を歩道のひび割れから引き抜くべきか? それとも生やしたままにするべきか?」

生物多様性のために雑草を再び歓迎する傾向の人が増えている。実は多くの街では、街の外側よりも街の中の方が生物多様性に富んでいる。ここで得られる教訓とは、雨林だけではなく都市も、植物や木で満たされていれば、生態系サービスを提供できるということだ。イギリスの研究者たちがレスター市周辺の公園やゴルフ場や放置された倉庫や住宅の庭を調査したところ、都市部の草木は予想より10倍も多い二酸化炭素を貯留することが分かった。

アメリカやヨーロッパ中で個体数が激減しつつある花粉媒介昆虫にとって、個人宅の庭も、群島のように点在する自然保護区として機能する大きな可能性を秘めている。イギリスにある1500万件の裏庭の総面積は約27万ヘクタールで、イギリスの公式な自然保護区すべてを合わせた面積よりも広い。

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タンポポの葉。写真:The Weed One

シアトルのPollinator Pathway Program(送粉生物の通り道プログラム)は、都市生活と農業と自然再生を、つながりを持つ全体として結びつける活動をしている。アーティストであり生態学的デザイナーのサラ・バーグマン氏は、市民、都市計画者、エンジニア、公園管理機関と連携し、街にある国有地や私有地の小さなスペースに草木を植え、スペース同士を結びつけている。その結果、農村部や自然環境でよく見られる健全なシステムを模倣した回廊地帯が生まれた。それぞれの緑化帯(多くの場合、歩道と車道の間に草を植えた帯状のスペース)は、送粉動物に優しい草地に作り替えられ、非常に重要な昆虫の命を支える食料と生息地を提供している。コロンビア・ストリートには現在、15の緑化帯が存在する。1つにはミツバチのコロニーに関する懸念から誕生したプログラムだが、長期的な視野から地域の食料システムの支援も考えており、土地に固有のさまざまな送粉動物種や、それらの種が好む植物の保護に力を入れている。

イギリスの作家のリチャード・メイビー氏は、「都市」と「農村」という概念がもはや機能しないことを初めて指摘した人物の1人だ。1973年に出版された『The Unofficial Countryside(非公式の農村部)』でメイビー氏は、崩れ落ちそうな街の波止場や貨物操車場、下水処理場や廃工場の荒れ地を探訪した記録を記した。彼は、最も将来性がなく、荒れ果てて放置された都市のランドスケープでさえ、命を支えることができることに気づいたと語っている。「歩道のひび割れさえあれば、植物は根を下ろすことができる」とメイビー氏は記した。「実際に汚染さえされていなければ、どんな場所の片隅でも、割れ目でも、植物や生物に適切な生存状況を提供できる」

こうした植物の多くは食べられる。草木の実や葉や食用の花は、壁や道ばた、敷石の隙間など、人手を借りない場所に育つ。

都市生物学者のクローディア・ビーマンズ氏はハーグで食用植物を研究している。彼女はハーグ市内の1平方キロメートルで約300種を確認した一方で、工業型農業が行われている近隣の農村部では同じ広さの地域から50種しか確認できなかった。「こうした状況をハチはよく知っていて、最近では都市の方が多くのハチを見かけます」と彼女は指摘する。「Stalking The Wild(野生を歩き回る)」と呼ばれる散策プログラムでビーマンズ氏は人々を、植物が生き延びるばかりか力強く育っている街中の生態的地位に案内している。アムステルダムのリン・ショア氏はUrban Herbology(都市のハーブ研究)という組織を起こして活動している。彼女は、増え続ける都市でのハーブ採集者の1人であり、市民にハーブの見つけ方や料理への利用法や薬用としての調合法を教えている。ショア氏の活動には、種や苗の交換会や、街でのハーブ探しの散策会、「都市のハーブ愛好家の集い」などがある。

ロサンゼルスでは、いわゆる「ハーブ採集のロックスター 」のパスカル・ボーダー氏が採集活動を好況ビジネスにしてしまった。ロサンゼルス市民は1人100ドルを払って彼が主催する「Gourmet Foraging Sunset Experiences(夕暮れのグルメ採集体験コース」に参加すると、地元で採れる雑草の調理について学ぶことができる。ボーダー氏のワイルドフード教室は何週間も前から満員になってしまう。

そこまで成功していない採集者たち(つまり大多数の人々)は、食べられる生物 のある場所を教えてくれる無料の携帯電話アプリBoskoiを利用している。利用者たちは「拡張採集」と呼ばれる活動を通して、公共の場所にある野生の食用生物の場所をシェアする。Boskoiを開発したオランダの担当者によると、狩猟採集民の昔ながらの知恵と今日のモバイル技術を統合したアプリだと言う。Boskoiという言葉はギリシャ語から取ったもので、その歴史は南エジプトやスーダンの砂漠に暮らした隠居者の伝統にさかのぼる。当時の忍耐強い人々は野生のハーブと雨水だけで生き延び、野生の牛の群れと一緒に草をはんでいたと言われる。

生態学的アーティストたちの後に続き、科学者たちも都市に固有の植物や動物に再注目している。例えばネズミや魚、虫やバクテリアなどだ。ニューヨークでは、科学者たちは街に生息するネズミの1000以上の遺伝子が変異していることを発見した。この数字は街以外のネズミで発見された数よりもずっと多い。もちろん、すべての変化が生物多様性にとってプラスとは限らない。例えばマンハッタンには21種のランの在来種があったが、森林が都市環境に転換されたため今では全種が絶滅している。

しかし、本当に絶滅したのか? ランの種子はまだマンハッタンにあるのかもしれない。かつての生態系が私たちの街の下に眠っていて、自ら復活する時を待っているという考え方は、長年アーティストたちを魅了し続けてきた。そして今では科学者たちをも魅了している。化石植物学者は、都市の土壌の0.9平方メートル には何万粒もの休眠種子が含まれている可能性があることを発見した。作家のダニエル・メイスン氏 はエッセー「City of Seeds(種子の都市)」の中で、公園や庭のように保護され隔絶された小さな区画でしか育たない草木と違って、都市の野生植物は「亀裂や歩道の割れ目や見捨てられた大邸宅」を必要としていると考察している。都市の野生植物は管理された草地や縦横無尽に侵略する道路など物ともしない。メイスン氏は次のように結論づけた「隠された潜在的な植物相、すなわち森林のイデアは、都市と競合するのではなく都市に寄り添って存在し、辛抱強く、姿を現す時を待っている」

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本稿はジョン・サッカラ氏が主宰するDoors of Perceptionのご厚意で掲載され、クリエイティブ・コモンズBY-NC-ND 3.0ライセンスによって保護されています。

翻訳:髙﨑文子

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著者

ジョン・サッカラ氏は30年にわたって世界各地を旅行し、持続可能な未来の実現のためのコミュニティによる実践的活動に関する物語を追求している。そうした物語はインターネットと本で発表されている他、都市やビジネスのための講演にも利用されている。さらに彼は、物語のテーマをまとめるフェスティバルやイベントも開催している。