名古屋市のゴミ改革

1997年、名古屋市はゴミ処理政策に危機感を感じていた。人口200万人が居住するこの土地に造成する埋立地はもう残っておらず、藤前干潟の埋立て計画も浮上するが、市民から猛反対の声が上がっていたのだ。

市民の非難を受けた地元議員や市当局は、その圧力に応じることを余儀なくされた。

その数年前、日本ではリサイクル社会推進のための法律が施行されると、名古屋市議会もその導入に乗り出した。そして1999年、ついに埋め立て計画を撤回し、全市民に向けてゴミ減量化を目指す「ゴミ非常事態宣言」声明を発表。2000年、同市は容器包装リサイクル法を採択した。

その結果大きな変化がもたらされた。ゴミの減量化だけでなく、二酸化炭素と二酸化窒素の排出量の軽減にもつながったのだ。さらに、2002年には藤前干潟がラムサール条約に登録されるという嬉しい特典がついた。

目標と結果

ゴミ処理問題が深刻化していた頃、名古屋市のゴミ量は年間120万トンで年々増加の一途をたどっていた。当初目標として、2000年までに25万8000トンの減量を設定したが、これだけの量のゴミを減らすためには、ゴミ処理管理の大改革が必要だった。

名古屋市はこの政策を見事に成功へと導いた。1998年にはゴミ量が102万2000トン、1999年は91万7000トン、そして2000年には78万7000トンへと減少し、当初目標に近づきつつあったことが同市のデータに記されている。

この時点で、名古屋市は「問題は解決した」と現状に満足することもできた。しかし、市民は努力を続け、2001年にはゴミ量が76万トンに減り、実に3年で25%の減量を達成した。

最新データによると、2006年の不燃ゴミは72万2000トン。これは1998年に比べ30万トン、すなわち約30%の減量だ。実に画期的だ。再利用ゴミに至っては、1998年の15万1000トンから2002年には35万5000トンに増加し、4年間で倍増した。

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地元の研究者が二酸化炭素及び二酸化窒素レベルの調査を行い、1998年と2001年のデータを比較したところ、包装容器リサイクル法の施行以来、どちらの排出量も34%以上減少していたことが判明した。

この変革はどうやって実現したのだろうか?危機が積極的な行動を促すという意見もある。しかし成功の要因は、名古屋市がゴミ減量化という方針を決定し、目標を定め、市や各地域が目標達成のための方策を協議した点にある。また、ゴミの分別法を徹底するため、パンフレットや環境教育用の資料配布を行ったことも功を奏した。

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この変革の主人公は、ゴミ分別に懸命に取り組んだ市民ひとりひとりだ。町内の自治体やや非営利団体(NGO)の支援にも支えられた。

不協和音のサイン

どの変革にも不協和音はつきものだ。新条例に製造者側の責任が全く問われていないと不満の声が上がった。包装、容器、商品の製造者が責任の一部と費用を負担して当然のはずが、ゴミ収集、運送、保管のすべてを名古屋市が担っていたからだ。

また、ゴミ出しマナーを守らない市民もいた。条例導入後の3ヶ月間で2万件の苦情が寄せられた。

そこで名古屋市は、ワークショップを開くなどして地元市民によりきめ細かい説明をする形で対応した。ゴミ再利用の重要性への理解を深め、実践へと繋がるよう指導も行った。

モデルケース

現在、名古屋市は市民1人あたりのゴミ量は最小で、再利用率がもっとも高く、政令指定都市でゴミの埋め立てがもっとも少ない自治体だ。名古屋市民は今後も新たな挑戦に向かって努力し続けたいとしている。2010年までにゴミ量を62万トンに減らすという新たな目標を設定した。達成すれば1976年のレベルにまで引き下げることができる。埋め立てゴミをゼロにしようという取り組みも始まっている。

台所から出る生ゴミを20%削減したいとする新しい目標も策定した。そのためには食品加工会社、レストランやお店、そして市民の協力が不可欠となる。

我々は名古屋市の取り組みから、多くのヒントを学ぶことができる。しかし、ここで重要なのは、地域住民の参加促進、進捗状況のフィードバックに加え、市民の努力に感謝することだ。時が経つにつれ、やる気が失せ進歩しなくなることも往々にしてある。

名古屋市民のやる気が損なわれなかったのは、ゴミ減量化が日常生活の一部として取り入れられ、またリサイクル活動が肯定的に捉えられた点にある。また、名古屋市は「リ・スタイル」というキャッチコピーを用い、ゴミ問題に無関心で物を使い捨てする人は、今や「かっこ悪い」存在との観念を広く発信している。

幸い、人間は社会に適合したいと願うもの生き物だ。まわりが努力している中、自分1人だけ何もしないのは何ともバツが悪い。とりわけ低炭素社会を目指している日本は、二酸化炭素排出量削減の取り組みに関しても、同様の姿勢で臨みたい。

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著者

ブレンダン・バレットは1984年からイギリス原子力発電所の環境アセスメントに従事して以来、環境分野に従事してきました。環境スペシャリスト、都市設計者でもあり、コミュニケーションや教育をはじめ環境問題の研究のため、ITを駆使しています。

博士課程を終了後、1997年から国連大学に加わり、2002年に国連大学メディアスタジオを立ち上げました。

IUCN(国際自然保護連合)教育・コミュニケーション委員会のメンバーでもあり、オーストラリア環境研究ジャーナルやサービス・リサーチ・ジャーナルの国際編集顧問委員会のメンバーとして活躍。2002年から2005年には情報社会サミットで、国連大学の中心的役割を果たしました。

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