未来への道:サバイバル2100

持続可能な開発のための世界経済人会議による報告書『Getting Eco-Efficient(環境効率的になること)』によると、増え続ける世界人口の需要を地球の生態学的能力の範囲内で何とか満たすためには、工業化された世界が物質的処理能力、エネルギー使用量、環境劣化を2040年までに90パーセント以上削減することが必要となる。

私たちは問題に気付いていないというわけではない。症状は20年前にすでに持続的に現れていたため、多くの世界有数の科学者たちが警告を発し、次のような宣言をした。「人類の甚大な不幸を避け、地球という私たちの故郷を取り返しがつかないほど損なうことを避けるためには、私たちは地球と地球上の生命の管理を大きく変えなければならない」

この主張は12年後、ミレニアム生態系評価が出した緊急時と同レベルの警告に次のように反映されている。「地球が本来備えている機能に人間の活動があまりにも負担を掛けているため、地球の生態系が未来の世代を維持する能力は、もはや当たり前のものとして享受できなくなった」

決定的な政策的対応を促進するには人類が持つ最高の科学知識さえあれば十分だと考える人もいるかもしれない。しかし、今までに行われた乏しい対策は、陰うつなデータがますます蓄積されていく状況を食い止めることはほとんどなかった。今日利用できる最高の科学が提唱する政策的対応、すなわち証拠に基づき、先見性があり、モラルに即した政策的対応を、国の政府や著名な国際機関や企業のリーダーが公に支持する例はどこを見ても皆無であり、ましてやそのような政策を実践する例はない。

最近の気候について言えば、2010年前半の6カ月間は記録史上、最も温暖であり、2010年は2005年および2008年と並んで計器記録上、最も暑い1年だった。(とはいえ地球は比較的、涼しい気候を経験してきたと言える。なぜならここ数十年間で最も長い太陽活動極小期から抜け出しつつあるからだ)

“当然のことだが、気候変動は人間の一般化された生態学的機能不全の症状でしかない。津波のように押し寄せる大量の証拠は、世界全体のコミュニティーが生態学的資力を超えて暮らしていることを示唆している。”

地球科学および古気候学の科学者であるアンドリュー・グリクソン氏は、地球は3400万年の間で最も急速な気候変動を経験しているのかもしれないと仮定している。大気中の二酸化炭素濃度は、1年当たりの体積濃度で2+パーツ・パー・ミリオン(ppmv/yr)上昇しており、その上昇率は高まりつつある。すでに二酸化炭素濃度は392ppmvであり、二酸化炭素換算(CO2e)は470ppmv(解説:気候変動の要因として二酸化炭素濃度470ppmvに匹敵する温室効果ガスのレベル)である。大気・海洋システムは、二酸化炭素換算値が500ppmvをわずかに下回るレベルであり、それは南極氷床の安定限界を超えている。

気候科学者の中には政策議論に足を踏み入れ始める者もいる。ケビン・アンダーソン氏とアリス・バウズ氏は、世界は温室効果ガスを650ppmv CO2eで安定させることに困窮すると論じている。つまり、世界の平均気温がセ氏4度上昇する壊滅的状況や、人が生活できる陸地がほとんど砂漠化、海面レベルの劇的な上昇、そして今世紀末までに何億人もの人々が気候難民になるという状況が、50パーセントの確率で生じることを示唆している。

確かに、私たちが前例のない速さでの脱炭素化(年間6パーセント以上)と経済成長の折り合いをつけられない限り、上記のような数値の上昇を避けるには「計画的な景気後退」が必要となるだろう

当然のことだが、気候変動は人間の一般化された生態学的機能不全の症状でしかない。津波のように押し寄せる大量の証拠は、世界全体のコミュニティーが生態学的資力を超えて暮らしていることを示唆している。ある指標によれば、人間の「エコロジカル・フットプリント」は1人当たり平均で約2.7グローバル・ヘクタール(gha/capita)であるが、地球にはわずか1.8gha/capitaしかない。人間の活動はすでに世界の環境収容力を約50パーセント超えており、一部の人々は自然資本を使い果たし、吸収源の能力を超えて温暖化ガスを排出しながら生活している。

現実を把握する

理論的にはホモ・サピエンスは、こうした自ら作り出した危機に対処する独特の能力を備えている。人間とその他の高等脊椎動物を隔てる決定的な知的および感情的特性は4つあり、人間には以下の特性が備わっている。

前述のように、数十年にわたって論拠が固まってきたにもかかわらず、世界の主流社会は相変わらず政策に関して無気力のままだ。政策作りを妨げているのは、変化に対する認知的および習性的障壁であり、その障壁は人間の特性と、グローバル社会が文化的に築き上げた経済成長への崇拝の両方に深く根ざしている。

しかし人々の圧力が高まったり(「ウォール街を占拠せよ」運動のように)、小規模の気候災害が連続して起こったりして、上記のような障壁をついに打ち破るとしたら? 世界のコミュニティーが生物物理学的な現実への効率的な対処に全力を投じて意欲的に取り組む状況を想像してほしい。そうなった場合、真に知的で前向きな思考を持ち、道徳的に慈悲深い人間は、入手できるデータや歴史的記録や進行中の傾向への反応として、どんな行動を取るかという点が問題となる。

サバイバル2100

世界がもっと理性的なら、政治的リーダーたちは特別なフォーラムに集結し、危機の特性や深刻さを認め、世界規模での「サバイバル2100」プロジェクトのための制度や手続きの基盤を確立するだろう。

この計画は以下の点を正式に認めている。(a)持続不可能性は世界的な問題である。つまりいかなる国も単独では持続可能性を達成することはできない。(b)持続不可能性は部分的には、世界経済の統合および合併(グローバリゼーション)、規制緩和、執拗なまでの物質的成長に基づく世界の開発パラダイムが失敗したことから生じた。(c)この失敗したパラダイムは社会的構造であり、人間の頭脳による産物である。(d)そしてそれはよいことである。なぜなら、そのモデルを分解し、分析し、他のものに置き換えることが可能だということだからだ。

“経済政策における重点は、効率性と量的成長(さらに大きく、速く)から、公平性と質的発展(本当の意味でより良く)に転換せざるを得ない。”

実質的に、サバイバル2100の究極的目標は、生物物理学的な現実を反映する方法によって社会的平等性と経済安全保障を高めるために、グローバル社会の文化的物語を書き換えることである。

新しい物語の主な要素とテーマは、ある側面においては自明である。サバイバル2100の実際的なゴールは、少なくとも自然の資力の範囲内で人類全体の基本的需要を満たすことができるような、動的で、より公平な定常状態の経済の創出を設計することだ。(ハーマン・E. デイリー氏によれば「定常状態」とは多かれ少なかれ、生態圏の生産能力や同化能力に釣り合ったエネルギーと物質のスループットの一定の割合を示す)

単純化された批判に反して、定常状態は決して静的ではない。革新が今まで以上に必要となり、必然的に革新はより創造的になる。

明らかに経済政策における重点は、効率性と量的成長(さらに大きく、速く)から、公平性と質的発展(本当の意味でより良く)に転換せざるを得ない。実際、定常状態の経済は、より小さな経済になるだろう。需要過剰をなくすには、世界の化石エネルギーと物質の処理能力を50パーセント削減することが必要である。

そして甚だしい不平等性に対処するために、富裕諸国は消費量を最高80パーセント削減し、開発途上諸国における正当な成長に必要な生態学的スペースを作り出さなくてはならない。一方、公平性を目指し、計画的に経済を縮小するためには、社会の基本的な価値を競合的な個人主義、貪欲、偏狭な私利私欲から(これらはすべて現在の物語に認められた価値だ)、コミュニティーや協調、そして尊厳を持って生き残ることへの私たちに共通した利益に移行する必要がある。

このような発展における180度の方向転換を支持する感情的論拠は、上記の最後のフレーズに表れている。地球変動は集合的な解決策が必要な集合的な問題である。単独で行う対策は不十分であり、微々たる改善しか生まない。つまり、個人や地域や国が単独で問題を解決するのは不可能なのだ。恐らく歴史上初めて、個人と国の利益が人類の集合的利益と一致したのである。従って政府や国際機関は、一般市民と協働し、国と世界の両レベルでの公益に適うような政策を立案し、実行しなくてはならない。尊厳を持って生き残ることへの人類共通の利益を反映した方法で行動できなければ、究極的には市民の暴動、地政学的な緊張関係、資源戦争、生態学的な崩壊につながるという証拠は豊富に存在している。

必要となる価値転換の影響力は圧倒的だが、十分な機転があれば対処可能である。国際社会は、世界規模での社会的なマーケティング計画に資金を提供することに合意し、「抵抗」を緩和して市民の過半数を参加させなければならない。一般市民に危機の特性・深刻さを知らしめるだけでなく、現状維持によって開ける未来よりも魅力的な未来への前向きな見通しを推し進めるために、市民の再教育が必要である。(このような大規模な社会的学習を社会的操作だとして退ける人々は、今日の消費者社会に生きる人々がすでに最も完ぺきに社会的操作を受けた人類初の世代であり、彼らが現状に固執したままでいるように毎年多額の資金が費やされていることを思い出すべきだ)

前進のための不可欠なステップ

現代のカルトの1つに、大量消費主義というすでに「賞味」期限を過ぎたものがある。その物質的な倫理観は精神的に空虚であり、生態学的に破壊的である。一方で、持続可能な社会は、浪費や消費よりも投資や環境保護の価値を高める。

また持続可能な環境保護の社会は、市場をあらゆる社会的価値の源であり決定者とする野放図な自信を持つ侵略的資本主義を放棄する。持続不可能性は市場の本質的な失敗なのだ。社会はすべての政府レベルで公的計画を再び合法化しなければならない。私たちは選択的な再規制化と、市場の外側での包括的な地球変動に対する適応戦略を必要としている。

必要となる第一歩は、グローバリゼーションが生態学的および社会的コストの外在化を促進したことを認識することだ(気候変動を考えてほしい)。従って、多くの商品やサービスは市場では安値を付けられ、そのために過剰に消費される。優れた経済学者なら誰でも認めることだが、政府の介入は正当であり、市場全体の失敗を訂正するために必要である。実際、市場経済の美徳を押し売りしている人々が改革に抵抗するのは偽善だ。本当の意味で効率的な市場は、価格が消費者に真実を伝えられるように、今までは隠されていたコストを内在化する必要がある。

本当のコストを反映した経済というコンセプトに即して、サバイバル2100は以下の必要性を認識する。

最後のポイントを実行するためには、私たちは自然資源を換金するのではなく、持続可能な方法で自然資源から収入を得て生きていくすべを身に付けなくてはならない。従って社会は以下を行わなくてはならない。

さらにサバイバル2100は、グローバリゼーションによって誘発された国家間の持続不可能で生態経済学的な複雑な関係を、社会が解きほぐすことを要求する。国は孤立主義に陥ることなく、より高い自立性を目指すべきである。「効率性」が追求された結果、制約のない貿易は貿易諸国が短期的に免罪されたまま地域の環境収容力を超過することを許してしまう。しかし同時に廃棄物の排出を加速し、現存する自然資源資産を枯渇することで、すべての人にとってのリスクを高める。こうしたプロセスの間に、加速する地球変動やエネルギー関連の障害や地政学的な不安に対して脆弱な相互依存関係が生まれるのだ。従って世界と各国は、世界貿易機関のルールや同様の地域的な通商条約(例:北米自由貿易協定NAFTA)を改訂するか、放棄すべきである。

上記のような協定に替わるものとして、私たちは地域的な経済多様性とレジリエンス(変化に対する柔軟な強さ)を育む経済計画や協定を必要としている。「必要ならば貿易を、しかし貿易優先ではない」がふさわしいスローガンだ。従って各国は次の行動を取るべきである。

経済の縮小と大がかりな構造変革は、社会的なマイナスの影響を避けられない。コミュニティーの団結と協力の原則に従うとともに、持続可能性の難問を平和的に解決することへの社会共通の利益に資するために、サバイバル2100は明確に社会契約を更新し、社会的セーフティーネットの欠点を修復する。それには次のようなものが含まれる。

結論:サバイバル2100は成功するか?

前述の内容は、サバイバル2100のようなプロジェクトに潜在的な政策への序論に過ぎない。しかし多くの科学者が(そして政治家さえも)持続可能性を実現するために必要なこととして何十年も強く主張し続けてきた内容を示すには、十分だ。私たちは本当のパラダイム・シフトに直面している。すなわち、現状を支える信条、価値、思い込み、行動を放棄し、別の開発パラダイムと入れ替えるということだ。その利点とはもちろん、新たな選択が、現在の路線にとどまるよりも経済的に不安がなく、生態学的に安定し、社会的に公平な未来をすべての人に提供できることだ。

一方、厄介な点は、現状から最も多くの利益を得る人々による執拗な抵抗が起こることだ。その人々とは、地球変動に関する科学を退ける人々、極端な自由主義者、市場という祭壇を崇拝する者、そして規制と政府を(特に国際舞台において)悪魔の申し子と見なす者(例えば、「持続可能な開発を否定し、その実現を目指す世界の取り組みを『破壊的かつ狡猾』と表現し」、国連機関や様々な非政府組織を反米的な陰謀として見るアメリカ共和党の一部党派やティーパーティー)のことだ。

より一般的には、計画的な経済の縮小が時代に共鳴することはまずない。もし地球変動の基礎科学が正しいなら、変革への抵抗は世界の文明の未来にとって恐らく最大の脅威であり、抵抗を克服することは変革そのものを成就させることよりも難しい課題かもしれない。

そして失敗する可能性もある。人類学者のジョセフ・テインター氏が私たちに教えてくれたように、複雑な社会の最も興味深い点は、すばらしい社会に近づく道のりが崩壊によって中断される頻度だ。

しかし地球規模での崩壊は過去に例がない。ホモ・サピエンスがサバイバル2100のような計画に取り組まなかった場合、意識的な知性を伴った進化の偉大な実験はついに、認知的不協和音と集合的な否認、そして世界的な政治の惰性によって助長される、より原始的な感情と生存本能に屈することになる。

だが、もし私たちが成功するとしたら……!

♦ ♦ ♦

本稿はSolutions Journalに初掲載されたものです。

翻訳:髙﨑文子

Creative Commons License
The way forward: Survival 2100 by William Rees is licensed under a Creative Commons Attribution-NoDerivs 3.0 Unported License.
Based on a work at http://www.thesolutionsjournal.com/node/1113.

ディスカッションに参加しよう

著者

ウィリアム・リース氏はブリティッシュコロンビア大学コミュニティー地域計画学部(SCARP)の教授である。「エコロジカル・フットプリント分析」の考案者であり、ポスト・カーボン研究所フェローおよびワン・アース・イニシアチブ創設メンバー 兼 フェローを務める。

ディスカッションに参加しよう