エベレスト山での 虚栄心、 汚染そして死

1953年5月25日のエベレスト山初登頂記録から60年。最近になり、三浦雄一郎氏がこの世界一高い頂上への登頂に成功したことで、再び登山に注目が集まっている。80歳の三浦氏は、この3度目のエベレスト登山の成功により、世界最高齢記録を更新した(しかし、消耗した彼は自力で下山せず、6,500メートル地点からヘリコプターを使用したため、この記録の有効性については議論もある)。

三浦氏のヘリコプター使用は、かつて純粋な体力勝負であり、稀な冒険だったエベレスト登頂がどれほど一般化したかを象徴するものだ。実際、世界の最高峰には課題も山積し、増え続けているのだ。この生態系上の驚異というべき存在は今、ゴミと死体にまみれている。高山病の危険や登頂関連費用(通常は3万5,000ドルから12万ドルだが、三浦氏の2013年の登山では150万ドル)にもかかわらず、2012年春のエベレスト登頂者数は500人にのぼり、今年はすでに600人を超えている

今年6月にナショナル・ジオグラフィック誌が掲載した記事(満員のエベレスト。世界最高峰の惨状に解決策はあるのか)で、筆者のマーク・ジェンキンズ氏は、世界の頂点までの往復の途中で、4人の登山者の遺体を避けて通らなければならなかった体験を書いている。実際、2012年の登山シーズンには10人がエベレスト山の斜面で死亡した。これまでで3番目に多い数字だが、今年はすでに9人が命を落としている。これはエベレストにおいては異常な数ではなく、死者数が年々増加しているわけではないが、減少もしていない。

“固定ロープで登る順番を待つ間、登山者は貴重な時間と酸素を失う。”

なぜなのか、と疑問に思わざるを得ない。ベテランのガイドを雇い、先進の装備とテクノロジーを使い、きわめて精度の高い天気予報にアクセスできるのに、世界で最も有名な登山ルートで死者が減らないのはなぜなのだろうか?

大金を払ってでもエベレストに登頂したいという依頼人が増え続ければ、山の渋滞は避けがたい。

登頂日和(天候条件がエベレスト登頂に適している日)になると、山頂のすぐ下8,763メートル(28,750フィート)地点にある、ヒラリーステップと呼ばれる12メートル(39フィート)の岩と氷の壁を越えようと、固定ロープの前に数百人もの登山者が行列を作って2時間以上も待つ。ここは頂上に至る最後の難関だ。ステップの角度は45~60度だが、ほとんどの登山者にとっては「設置されたロープを使えば容易に登れる単純な難関」にすぎない。

しかし固定ロープで登る自分の順番を待つ間に、登山者は貴重な時間と酸素を失っている。体温が下がるにつれて体力は消耗し、凍傷や低体温障害の危険性も増す。

「28,000フィート(8,534メートル)で暖をとる」 写真:ディドリック・ジョンク

「28,000フィート(8,534メートル)で暖をとる」 写真:ディドリック・ジョンク

急性高山病によって登山者の判断力は大幅に低下する。登山を中止して下のキャンプまで安全に下山すべきか、といった生死を左右する判断が、困難あるいは不可能になるのだ。

個人をかき立てるのは成功への野心だ。ガイドにとっては、経済的恩恵と宣伝効果が、金を払ってくれた顧客を頂上に立たせなければというプレッシャーになる。しかし、死の領域においては、判断ミスのつけは多くの場合、人命で支払うことになる。

世界的な登山家のエド・ベスターズは最近、「すべての問題の原因は渋滞だ。登山者は酸素ボンベを使いきって倒れるか、引き返すべき時間を過ぎているのに強引に登り、闇の中を下山することになっている」と書いている

この問題に対処するために、エベレスト登山のルールを規定しているネパールの団体は、ヒラリーステップに固定の梯子をつけるというアイデアを思いついた。この団体によれば、これは渋滞を軽減し、登頂までの時間を短縮するのに役立つという。しかしベスターズ氏の意見では、岩に梯子を取りつけても問題解決にはならない。通路の狭さを考えると、それでも登るのに2~3時間はかかるからだ。

劣化する生態系環境

世界で最も望まれる山の課題は渋滞だけではない。サガルマータ(エベレストのネパール語名)登山は、環境に優しい活動とはほど遠い。数トンものゴミを回収し、登山者にゴミを持ち帰らせるといったクリーンアップのための取り組みにもかかわらず、頂上近くには空の酸素ボンベをはじめ、廃棄されたり落としたりした装備が散乱している。さらに、有効な排泄物管理システムがないために、登山者たちは数十年もの間、体の欲求のままにあらゆる場所で排泄してきた。その結果、雪の中には人間の便が堆積し、山中の氷河により、排泄物の噴出が時々起きている。

おそらく最も痛ましいのは、安全に動かせないために放置された遺体で、そのもの言わぬ姿は、極限の高さに到達しようという試みに伴う危険に注意を喚起している。数十年も横たわったまま、登山路の風景の一部になりつつある遺体もある

これまでに述べた課題に加え、山岳ツーリズムも、エベレストの生態系環境の劣化に追い打ちをかけている。1976年にネパール政府は、かつては手つかずだった地域の文化や動植物の保護のためにサガルマータ国立公園を作ったが、訪れる人の数は急増し続けている。登山以外にも、ヒマラヤにはトレッキングを楽しもうとする人々が毎年押し寄せる。2010年だけで、観光客、ガイド、ポーターを含めて10万人以上がエベレスト地域を歩いた。エベレスト・ベース・キャンプ(EBC)までの道は世界有数のトレッキング・ルートで、現代の多忙な観光客は、山岳ロッジにおいてもスピードと快適なサービスを要求する。

そうした多くの人々のニーズに応えることは、ゴミの増加、ロッジ建設と暖房のための森林破壊の拡大、山道の侵食などを意味する。

写真:パブロ・フィゲロア"

写真:パブロ・フィゲロア”

地球温暖化で氷山が減少したことによる水不足、人間や動物の排泄物による清水の汚染がもたらす水質汚染は、多くの環境活動家が警鐘を鳴らすまでになっている。

その一例が「この山の尊厳の回復」を目的としたプロジェクト、「Saving Mount Everest (エベレスト山を救おう)2011–2012」だ。廃棄物管理とリサイクル施設の欠如と社会構造の急速な変化(地域経済からサービス志向経済への移行など)が地域の持続可能性を脅かしている。この課題への対処を怠れば、この世界有数のユニークな生態系に回復不能な打撃をもたらしかねない。

幸いにも、課題への認識は高まっているようだが、連携の取れた長期にわたる持続可能性政策は、登山者やツアー事業者、山歩きをする個人らの私的な利害と衝突する可能性もある。

市場に誘導され、生態系が持続不可能な状況に陥ったエベレストを回復させることは可能なのだろうか? 登山許可数を減らし、登山隊の人数を制限し、ツアー業者を許可制として、廃棄物ゼロを実現すれば、エベレストの状態は改善できると提案する者もいる。

“適切な保護の枠組みができたとしても、政治の現状をみれば、山岳ツーリズム規制を導入するのは難しいかもしれない。”

しかしこうしたアイデアの実現は困難かもしれない。まず、ネパール政府の文化・観光・民間航空省は最近、ヒマラヤの環境保護に取り組むプロジェクトへの支持を示したが、中央政府は頂上を目指すグループ数の制限をあまり厳しくすることには消極的であるかもしれない。政府関係者は、そうなれば観光産業の収入の流れが減ると考えている上、ネパールはその収入に大きく依存している。エベレストの周辺地域にトレッキングにやってくる観光客数が激減すれば、地域経済への大きな打撃となる。

さらに、ネパール政府といえば、賄賂と非効率、そして今なお続く毛沢東主義派による暴力といった問題を抱えているのではなかったか。適切な保護の枠組みができたとしても、政治の現状をみれば、山岳ツーリズム規制を導入するのは難しいかもしれない。

表面的な勝利にどんな価値があるのか?

つまるところ、世界最高峰の惨状は社会問題であり、野心と自己虚栄の文化が市民権を獲得してもてはやされ、賞賛されたことに関係している。現在、エベレスト登山者の9割は、自己中心的な目的でエベレスト登頂を成し遂げたい人々だ。エベレスト登頂は高貴な希求ではなく、どんな代価を払ってでも成し遂げたいこととなり、エゴイスティックな目標の長いリストの一項目に過ぎなくなった。高山ガイドビジネスは、比較的経験は浅いが裕福な依頼人のそうした「勝利」への夢を収入源としている。

しかし、そうした「勝者」の真の価値には議論の余地がある。登頂成功者はヒーローのマントに包まれるが、ガイド付き登山の現実を見れば、ロープや梯子の固定といった重労働で特殊な仕事、ルートの設定、溶雪、食料の準備、そして、いつ先に進み、いつ引き返すかといった重要な決定のほとんどはポーターやガイドが行っている。

依頼人たちが、ほとんどの登山で酸素ボンベに頼っていることは言うまでもない。専門家によれば、こうした人工的手段なしでは、多くのエベレスト登山者は頂上にたどり着けないのだという。酸素ボンベの使用は山の高さを低くするのと同じだと純粋主義者は言う。

写真:パブロ・フィゲロア

写真:パブロ・フィゲロア

もちろん、登山者やガイドが悪人だと言っているわけではない。そして、エベレスト登頂の意義を誇張させた責任は彼らだけにあるわけではない。プロセスではなく結果に固執する家族や友人、そして社会全体が虚栄心を助長させている。私が2008年にエベレスト・ベース・キャンプを訪ねた時、エベレスト登頂を目指すのは二度目だという英国人の依頼人がこう言った。「初めてのエベレスト登山に失敗して国に帰ったときに、人々が知りたがったのは、私が頂上まで行けたかどうかだけでした。彼らは頂上以外には、全く関心がなかったのです」。

死者をなくし、山の生態系の環境劣化にブレーキをかけるためには、依頼人と事業者、登山コミュニティと社会全体が、ガイド付き登山とは一体何を意味するのかを再考し、定義し直すべきだ。エベレストの頂上を人類にとって最も驚異的な達成地点だと考えることは、私たちの現代文化の浅はかさを露呈することなのだ。

先に述べた記事で、ベスターズ氏は「最近、エベレストの状況はその人気のせいで悪化している。これ以上悪化させないようにしよう」と指摘している。

おそらくエベレスト保護の最善策は、その頂上と、登頂の栄光を過剰に評価するのをやめることだろう。その代わりとして、サガルマータを尊敬の念を込めて「宇宙の女神なる母」と見なしたヒマラヤの先住民族から学ぶべきなのだ。

翻訳:ユニカルインターナショナル

 

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著者

パブロ・フィゲロアは文化人類学者で東京にある早稲田大学の准教授。熱心なハイカーで、山の生態系と高山での冒険を楽しむツーリズムの研究に関心を持つ。南米と東南アジアの多くの地域でのトレッキング経験を持つ。

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