2011年 ~ 災害に脅かされた年

誰が見ても、2011年は重大な1年であった。中東における「アラブの春」、東アフリカの飢饉、オサマ・ビンラディン、ムアンマル・カダフィ、金正日(キム・ジョンイル)の死亡、長引くユーロ圏の債務危機、ウィキリークスによる暴露、ニュース・オブ・ザ・ワールド紙の不祥事、そしてつい最近では「ウォール街を占拠せよ」運動など、この12カ月、数々の歴史的な出来事が起こった。

しかし、2011年の最も重大な出来事は、日本にとどまらず深刻な影響を及ぼしたあの自然・環境災害であろう。3月11日に日本の沿岸地域を襲った地震と津波は、400キロ以上にも及び、死と破壊の痕跡を残し、2004年12月26日に発生したインド洋津波のさまざまな記憶を呼び起こした。

この出来事が重大な意味を持つのは、1つには、発生した場所がインドネシアやハイチ、あるいはパキスタンではなく、災害に備えた世界有数の先進国であったことだ。自然には、こうした先進国でさえ軽減することのできない、不可避の力があるということを思い知らされる出来事となった。

こうした規模の自然災害は、洪水、干ばつ、サイクロンなどがさらに苛酷なものになると予測される今後の気候変動後の世界の前兆なのだろうか。被害を受けやすい沿岸地域や氾濫原に密集して住むことに意味があるのだろうか。それとも単に、強力で高価なテクノロジーをもってしても、人類には防ぐことのできない自然現象が存在するということなのだろうか。

写真:ブランドかおり(国連大学メディアセンター)

写真:ブランドかおり(国連大学メディアセンター)

今回の津波は、2万人を超える死者・行方不明者、住む場所を失った数多くの被災者を出すという大規模な人類の悲劇であったが、日本の市民社会から救助や復興に対する感動的な反応が次々と起こった(電力の独占企業である東京電力の怠慢と、それについて言葉をにごす政府の監督機関とは対象的に)。福島の原子炉の破損は、「原子力エネルギー」(2011年のキーワードの1つ)の安全性についての数十年にわたる論争をも再燃させた。

偶然にも、この三重の災害が起こる直前の2月、本ウェブマガジンの原子力週間では、この世界的な議論のまさに前哨戦となる討論を行った。討論会2.0シリーズの記事を通して、多くの読者が、原子力はとても安全な選択肢とは言えず、継続すべきではないという積極的な姿勢を示した。福島の原発事故後、ドイツ政府は原子力からの撤退を決定し、段階的に原子力発電所を廃止して2022年までに全廃することを決めた。評論家の中には、私たちの生活水準を保つにはエネルギーが必要であり、原子力を利用しない場合にはどこか他から調達しなければならないという厳しい現実を認めるものもいた。

さらに驚いたのは、ガーディアン紙の環境ライター、ジョージ・モンビオ氏の挑発的な原子力への支持表明だった。彼の主張は、化石燃料により地球が受けた広範囲にわたる恒久的な被害と比較すれば、チェルノブイリ、福島などでの原発事故の発生にもかかわらず、原子力は比較的汚染物質を出さない代替燃料であるというものだ。原子力はこの2つの悪のうちではましな方なのかもしれない。しかし、だからと言って、私たちは原子力に依存し続けるべきなのであろうか。

COP17 とは?

対象的に、最近ダーバンで開催された気候変動枠組条約第17回締約国会議(COP17)は、とりわけ、これまでに行われた2009年のCOP15(知名度の高いコペンハーゲン会議)や2010年のCOP16(カンクン会議)開催時におけるメディアの注目や一般市民の関心の高さと比較して、よく知られたキーワードではなくなった。人々は気候変動が話題になることについてうんざりしているのだろうか。確かに、そして当然のことながら、人々は、不成功に終わる気候変動をめぐる交渉にうんざりしている。COP17の予想を上回る成果にもかかわらず、カナダのような、豊かで資源に恵まれた国々は、過去に自国が大気汚染の一因であった埋め合わせのための「共通だが差異ある責任」に従おうとしない。合わせて、カナダ、日本、サウジアラビア、米国(依然として批准していない)などの国々が応じないため、世界の温室効果ガスの排出量削減を目指す京都議定書が風前の灯火となっている。

世界でも1人当たりの温室効果ガス排出量の多い国の多数が、地球を救う取り組みをほとんど行わない中、メディアのトップ記事になるような突出した災害が、先進国および途上国の両方で次々と発生した。(気候変動と自然災害との複雑な関連についてはしばらく置いておこう。)

2011年はオーストラリアのオーストラリア史上最大のサイクロン上陸に伴う洪水から始まった。北部のクィーンズランド州では、ドイツとフランスを合わせたほどの広範囲にわたって洪水に見舞われた。米国国内だけでも、南部では記録的な竜巻、東海岸ではハリケーン、テキサスでは深刻な干ばつが発生した。また日本では、津波と地震に加え、9月には、まれにみる大型の台風に見舞われた。

開発途上国ではバンコクが浸水した。その前には従来、台風の猛威への対応には慣れていないフィリピンの一部が浸水した。パキスタンでは2010年の記録的な洪水が、2011年に再び発生した。(これはひょっとしたら、100年に1度の洪水が、もっと頻繁に発生するという事例なのだろうか?)

他にも、ブラジルの土砂崩れ、スリランカやコロンビアの洪水など、これまで聞いたことがないような災害が開発途上国で多数発生した。また、アフリカの角(アフリカ東部)で発生した干ばつについては、とくにここ数十年で最悪の人道危機の1つに数えられることを踏まえると、過小報告であった。

したがって、2011年は自然災害の被害が過去最大で、被害総額は2650億米ドルに上るというMSNBCの報道にも驚くことはない。驚くべきことは、この額が1月から6月までの数字、つまり半年だけの計算であるということだ。

読者が選んだ2011年の記事

したがって、こうした極度な災害すべてを考慮に入れると、気候に何かが起こっていると考えないでいられる人がいるのだろうか。ところが実際には、この質問の答えは「イエス」である。

2011年のOur World 2.0の中で圧倒的に人気のある記事(あるいは、論争を巻き起こした記事ともいえるだろう)は、倫理学者クライブ・ハミルトン氏が、気候科学を疑う共和党寄りのマードック一派について分析する「科学者を口封じ」の記事であった。「気候変動否定論者」と遠回しにいわれる人々からコメントが次々と寄せられたのは、本ウェブマガジン始まって以来のことだった。彼らの非難は、本ウェブマガジンが、汎グローバルな国連/社会主義者の陰謀の一端を担ぎ、貧困国/貧困層の人々に報いるために米国/資本主義制度を押さえ込もうとしているというものであった。

意外にも、本ウェブマガジンの討論会2.0の中で最も人気があったのは、「持続可能な開発は今でも妥当か」でのジェイコブ・パーク氏の問いかけであった。持続可能な開発という概念は誕生から25年が経ち、その概念が話題に上るだけで退屈されるようになっていたにもかかわらず、2011年の原子力事故と自然災害により、人々は地球の存続に反するよりむしろ、持続可能なかたちで生きることに再び目を向けるようになったようである。課題は、こうした論議を、大学やブログから議会や役員室へと移すことにある。2012年にブラジルで開催予定の「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」において、私たちが生物圏におけるエネルギーと物質の限界の中で、真の意味で生きることを始める世界へ向かうべきであるという共通の関心が、再び高められることを望むばかりである(リオ+20のキャッチフレーズは「私たちが望む未来(The Future we Want)」である)。

2011年は行動主義の年

今年忘れてはならないものとして、「ウォール街を占拠せよ」運動とティーパーティ運動により、体制に抗議しようとした運動もあげられる。こうした運動は互いに比較されたくはないかもしれないが、どちらも、政治と企業欲への全般的な不満を象徴している。

ナオミ・クライン氏の主張によると、気候変動と戦うのは99パーセントの人々(つまり私たち)である。地球上で最も富裕である1パーセントの人々にとっては、人々がパニックに陥る時こそが、企業に有利な政策を押し通すには絶好の時期であるため、危機が好ましいのだと彼女は言う。確かに、行動主義の急激な高まりは、経済、環境などすべての現状に関する懸念の増大を反映している。すべてが順調な時には人々は概してほかのことに気を取られていて、抗議などしないものだ。

10月には、楽観的な面に視点を向け、別の討論会2.0で、グリーン経済に投資することにより「富裕層による償いは可能か」と尋ねた。思っていたほど多くのコメントは得られなかったが、環境に優しい未来を創造することは、富裕層がお金を稼ぎつつ、世界をより良い場所にする手段であることは間違いない。

2011年の出来事を振り返ると、タイム誌の「パーソン・オブ・ザ・イヤー(今年の人)」が「抗議する人(The Protester)」であることは興味深い。

心からの感謝

2011年を終え、2012年を迎えるにあたり、編集者一同、大勢の皆さんのご尽力により、Our World 2.0が支えられていることに感謝したい。まず、世界中から寄稿者が増えていることに対して、金銭的な見返りもなしで意見を寄せてくださる皆さんに心から感謝の意を表したい。皆さんの論文を通じ、国連大学(UNU)ならびにそのパートナーは、持続可能で公平な世界を構築するために必要な手順について、市民に情報を与えることができる。

次に、国連大学メディアセンターおよび国連大学ネットワーク全体のスタッフ全員に感謝しなければならない。皆さんの陰の懸命な努力により、コンテンツとウェブサイトプラットフォームを円滑にまとめることができる。今この場で全員の名前をあげて感謝することはとてもできないが、グラフィックデザイナーのダビッド・ヒメネス氏、クリエイティブ・ディレクターのショーン・ウッド氏の美術指導、ならびに早船里枝氏の毎回、予定通りの翻訳コーディネートは特筆したい。また、ルイス・パトロン氏、ブランド・かおり氏、西倉めぐみ氏のすぐれたビデオ・ブリーフィングにも感謝したい。それに関連し、翻訳者の皆さんのつねに効率の良い正確な翻訳に対し、心からの「ありがとうございます」を送りたい。

第三に、読者の皆さんがリンクして、記事を読み、または記事に直接ツイートあるいはコメントを寄せてくれることに感謝する。2012年を通じて、こうしたグローバルな会話が継続するよう願っている。またその一環として、本ウェブマガジンの展開の仕方について、皆さんのご意見を歓迎する。

多数の抗議する人々、沿岸および河川敷の居住者、各国政府、メディアにとって、2011年は「危険な年」であったと言えるだろう。それでは、2012年は、環境面で言えば、何が起こるだろうか。「リオ+20」は、参加者にとって、単にマイレージサービスのためのマイル数が増えたというだけの結果に終わることなく、それ以上の何ものかを達成する場となるだろうか。

家族や友人と祝う華やかなシーズンを迎えた今、こうした問いはまた別の機会にしよう。

皆さまが安全で持続可能な休暇を過ごされますように。
感謝を込めて。

編集者(ブレンダン・バレット、マーク・ノタラス、キャロル・スミス)より

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著者

マーク・ノタラスは2009年~2012年まで国連大学メディアセンターのOur World 2.0 のライター兼編集者であり、また国連大学サステイナビリティと平和研究所(UNU-ISP)の研究員であった。オーストラリア国立大学とオスロのPeace Research Institute (PRIO) にて国際関係学(平和紛争分野を専攻)の修士号を取得し、2013年にはバンコクのChulalpngkorn 大学にてロータリーの平和フェローシップを修了している。現在彼は東ティモールのNGOでコミュニティーで行う農業や紛争解決のプロジェクトのアドバイザーとして活躍している。