ソニア・アイエブ・カールソンは国連大学環境・人間の安全保障研究所(UNU-EHS)のシニアリサーチャーで、環境破壊や気候変動に関連した移動の決断、移住、健康、ウェルビーイングについて研究している。サセックス大学でグローバルヘルスの講師としても活動。
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非経済的損失・損害(NELD)とは、市場で取引されないものに対して気候ストレスが及ぼす悪影響(可避、不可避、適応不能なものを含む)のことであり、気候変動問題に関する課題の重要な要素となっている。これらの影響は金銭に置き換えられるものではないが、そうした損失に向き合わなければならない人々にとってはきわめて大きな意味を持っている。
国連大学環境・人間の安全保障研究所(UNU-EHS)の研究者であるソニア・アイエブ・カールソンがベルキス(41歳)に出会ったのは、UNU-EHS、国際気候変動開発センター、およびミュンヘン再保険財団(MRF)によるギビカ・プロジェクトの調査でバングラデシュに滞在し、ボーラ・スラムで生活歴の調査を行っているときであった。ギビカとは、バングラデシュにおける生活のレジリエンスについて科学的理解を深めることを目的とした大規模な研究プロジェクトのことである。
この調査は、バングラデシュの首都ダッカにあるスラムで行われた。住民の多くが1970年のボーラ・サイクロンによる壊滅的な被害を受けてボーラ島から移住してきた人々であることに由来して、この地域はボーラ・スラムと呼ばれている。ボーラ島はバングラデシュの南岸に位置し、深刻な河岸浸食と頻発するサイクロンの被害にさらされている。
アイエブ・カールソンは、ボーラ・スラムで生活歴の聞き取り調査を行ったときの体験を次のように述べている。
「ダッカにあるボーラ・スラムの狭い路地に足を踏み入れたとたん、むっとした熱気と臭気が顔を覆いました。一瞬、気が遠くなり、その場で立ち止まったことを覚えています。住民の多くが火を使って昼食の支度を始めており、刻々と気温が上昇しているように感じました。蒸し暑い空気には食べ物やゴミ、排水のにおいが入り混じり、渾然一体となっていました」
「私は同僚と一緒にベルキスの住まいを訪ねました。彼女は調査への参加に関心を示していたのです。その住まいへと続く不安定な長い階段を上りながら、彼女は誇らしげに、このスラムの中で3階に住んでいるのは自分たち一家だけなのだと話しました。『洪水になっても、水が3階にまで上がってくることはないので安心です。ただ、火事のときには逃げ道がないというのが欠点だけれど』と彼女は言いました」
「板張りの床に揃って腰を下ろした後で、私はノートとレコーダーを取り出しました。ベルキスは、一家がボーラ島を離れ、ダッカに移住することを余儀なくされた後、いかに生活が一変したかというところから話し始めました」
「(ダッカに移住した頃)父は高齢で働くことができず、兄が経済的に一家を支えることになりました。(中略)兄が亡くなると、両親が生活に困るようになったので、私が家々を回って物乞いをしなければならなくなりました。(中略)(島を離れなければ)私は自分の健康を気にかける余裕もあったはずです。畑を作る土地があって、今よりも楽な暮らしができたはずです。実際、昔は自分たちの土地を持っていたので、物乞いをする必要などありませんでした。島での暮らしは良かったです」
ベルキスの話は、気候ストレスによって人々が直面する損失の一例に過ぎない。彼女の一家は河岸浸食と度重なるサイクロンの被害を受けて、ボーラ・スラムへと移住した。河岸浸食で3軒の家を、サイクロンで2人の息子を失った一家に、それ以外の選択肢は残されていなかった。
ギビカ・プロジェクトの一環として実施された調査によれば、移住は人が環境によってもたらされる被害から立ち直るための、あるいは気候ストレスを回避するための有効な手段となりうることが明らかとなった。その一方、移住には、新しい目的地にたどり着いた気候移住者を新たなリスクや危険、脆弱性にさらしかねないという一面もある。
ダッカのスラムに移住したベルキスの家族は、そこでまた新たな困難と損失に直面した。彼らは不法居住であるとして退去を迫られ、暮らしていた家が跡形もなく取り壊されるのを目の当たりにした。それは、一家が失うことになった4軒目の家であった。その後、彼らは母親が体調を崩し、風邪をこじらせて死の淵をさまように至るまで、段ボール製の仮設の家に暮らした。
ベルキスは経済的な事情から12歳で結婚した。一家の稼ぎ手であった兄が亡くなると、両親を養うために物乞いを始めざるをえなくなった。そのうえ、一家はダッカでの危険な労働環境のために、さらなる損失に直面することとなった。
「夫は事故に遭ってまともに働くことができません。山で泥岩を切り出す作業をしていたときに、突然、土砂崩れが起こって巻き込まれたのです。山の内部に通されていたパイプが壊れて土砂崩れが起き、夫は穴に落ちて土砂に埋もれました。作業をしていた他の人たちが泥を取り除いて、どうにか夫を助け出し、病院に運んでくれました。今は、働きたくてもいろいろな問題に悩まされています。両脇に痛みがあって、咳込むと、血を吐くこともあります」
損失には経済的なものがある一方、そうでないものも存在する。健康を失えば、経済面に陰を落とす原因となるのはもちろんであるが、影響は単にそのことに留まらない。ベルキスの夫の例でいえば、自分の子ども達と遊び、妻と一緒に午後のお茶の時間を過ごす体力さえ失われることをも意味している。重労働とスラムでの劣悪な生活環境によって、ベルキスと夫の健康はひどく損なわれており、結果、収入の大部分が薬代や通院費に消えていく。健康状態ゆえに、いずれ一家が借金を背負わざるを得ない状況に至る可能性も考えられる。
アイエブ・カールソンは、聞き取り調査のときの一家の様子について次のように説明した。「調査を終える頃、ベルキスは薬を飲む時間だと言いました。この時、私はすぐそばのベッドで眠っている彼女の夫の方に少しだけ目をやりました。私たちが聞き取りを行っている間ずっと、彼は微動だにせず、物音を立てることも一切なかったからです。ベルキスは私の心配に気がつき、夫は昨日が働く日だったので、今日は体を休めなければならないのだと説明してくれました」
ベルキスが語ってくれた話は、バングラデシュの地方から都市部へと移住した家族が経験しうる一連の出来事であり、それは「私たちは移住を決心した」であるとか、「移住を余儀なくされた」といった文句で締めくくられるものではない。実際、ベルキス自身の人生の物語は、一家がダッカにたどり着いた後から始まるものである。しかし、彼女はそうは語らない。聞き取り調査の間、彼女はまるでいつも自分がそこにいたかのように話して聞かせた。一家が経験した数々の損失について、つまり、自分の家が川の中に崩れ落ちていく姿を、移住に至る経緯や、ダッカにたどり着いてゼロから生活を立て直そうと試みる様子を、まるで自らの実体験のように詳しく説明した。これは、彼女の自身の物語なのである。ベルキスが家族とともにボーラ島で暮らしたということはない。彼女が生まれたのは、ダッカにある別のスラムである。ダッカで生まれたという事実にもかかわらず、彼女の物語の始まりはそこではないのだ。
ベルキスがボーラ島を訪ねたのはわずかに2回きりのことであり、いずれも3、4日の滞在に過ぎなかった。彼女は人生のすべてをダッカで過ごしてきたのである。それにもかかわらず、彼女からは別の場所への帰属意識が伝わってくる。
ベルキスの経験から学ぶべきことは多くあります。福祉とは「快適で、健康で、幸福である状態」と定義されるものであるが、アイデンティティや土地への帰属意識の喪失は人間の福祉に重大な影響を及ぼしかねない。持続可能な開発目標3では、「あらゆる年齢のすべての人の健康的な生活を確保し、福祉を推進する」ことが掲げられている。
こうした「福祉」の定義には、単に働けるだけの健康を有していることに留まらない意味が含まれている。このことは、より持続可能な未来に向けた計画策定において、進むべき道へと踏み出すための重要な一歩となる。
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この記事は、UNU-EHSのウェブサイトに最初に掲載されたものである。元の記事はこちら。
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