ジャニナ・ペシンスキ氏は、国連大学グローバリゼーション・文化・モビリティ研究所(UNU-GCM)において、女性の行為主体性、モビリティおよび社会文化的変化に関するプログラムに貢献するジュニア・リサーチ・フェローです。ペシンスキ氏は、パリ政治学院で人権および人道支援分野の修士号を取得しています。研究対象には、移住、人権、離散ネットワークおよび市民社会などがあり、学際的アプローチを使って研究を行っています。
残酷な性目的の人身取引の被害者である、若くて美しい東欧女性のイメージには恐らくなじみがあるのではないだろうか?しかし、雇い主がパスポートを没収したために、雇用手数料を返済するまで最低賃金で働かざるを得ない、アラブ首長国連邦で働くバングラデシュ出身の建設作業員ついて見聞きしたことがあるだろうか?コートジボワールのカカオ農園で無給で働く8歳のマリ人の男の子はどうだろうか?
西欧諸国のメディアは、性目的の人身取引について重大な注意を喚起してきた。しかし、その際に性的搾取に焦点を絞ることで、センセーショナルな描写による女性被害者の印象を強めてしまった。(これについては次の記事「how to spot a sex trafficking victim at a hotel(ホテルで性目的の人身取引の被害者を特定する方法)」が良い例である。)こうした大衆向けのストーリーでは、他の人身取引の被害者が取り上げられないだけでなく、大抵の場合、人々が人身取引の対象になってしまう根本的な社会経済的要因が認識されていない。このことは、人身取引禁止政策に関して悪影響を及ぼす可能性がある。被害者を保護し、今後の人身取引を阻止するためには、人権というレンズを通して人身取引に取り組む必要がある。
人身取引はしばしば、性目的の人身取引と労働目的の人身取引に分類される。完全に正確な統計値は存在しないが、国際労働機関(ILO)では、強制労働の被害者は1420万人、性的搾取の被害者は450万人にのぼると推定している。しかし、レストランでの労働力として人身取引された人が性的労働も強要されるなど、この2つのカテゴリーは多くの場合において重複しており、被害者の権利保護の観点からそのような二分法は非生産的であることを示している。
国連の定義によると、人身取引とは、「搾取の目的で、暴力その他の形態の強制力による脅迫もしくはその行使、誘拐、詐欺、欺もう、権力の濫用もしくは脆弱な立場に乗ずること又は他の者を支配下に置く者の同意を得る目的で行われる金銭もしくは利益の授受の手段を用いて、人を獲得し、輸送し、引き渡し、蔵匿し、又は収受することをいう。搾取には、少なくとも、他の者を売春させて搾取することその他の形態の性的搾取、強制的な労働もしくは役務の提供、奴隷化もしくはこれに類する行為、隷属又は臓器の摘出を含める」これは人身取引の1つの定義だが、搾取の2種類の形態として、売春と強制労働が識別されている。
この2つのカテゴリーを区別する最も明白な理由は、性目的の人身取引では、被害者の身体の統合性(Bodily Integrity)の侵害が関与することである。しかし、家事労働など、その他の労働形態で人身取引された女性も、性的虐待や暴力を経験する。また、労働力目的で取引された男性や子供も、性的、身体的虐待を受けることがある。人身取引のすべての被害者が、さまざまな身体的、精神的強制を受け、自らの意思に反して屈辱的な仕事を行うよう強要されている。
身体の統合性の侵害は、この2種類の人身取引を区別するには十分ではないため、区別は、被害者が行う仕事に対する道徳的認識に基づいた恣意的なもののように思われる。状況がどれほど搾取的であっても、家事労働や農業労働、建設作業はまだ道徳的に容認できる労働部門と見られているが、性的労働はそうではない。その結果として、性目的の人身取引は売春と結び付けられ、このことが自発的に性的労働に従事している人たちに悪影響を及ぼす。さらに、性目的の女性の人身取引に過度に重点が置かれることで、その他の強制労働の形態で取引された女性に加え、男性や子供が経験する暴力や人権侵害を目立たないものにしてしまう。
労働力目的と性目的の人身取引の区別を正当化する理由が存在しないにもかかわらず、実際には、人身取引の一部の被害者だけが援助や保護にふさわしいと見なされ、一面的な政策対応につながることになる。
人権に基づく人身取引へのアプローチでは、被害者の権利保護を優先させることで、被害者を人身取引禁止政策の焦点としている。このアプローチを採用することで、その人が性目的で取引されたのか、あるいはその他の強制労働の目的で取引されたのかは関係がなくなる。人身売買の理由にかかわらず、被害者の権利が保護されるからである。
人権に基づくアプローチの根本要素は、性別や年齢、労働内容に関係なく、人身取引のすべての被害者に平等な保護を保証することである。すべての被害者は、援助メカニズム、保護および司法制度に公平にアクセスできるともに、自らの行為主体性が損なわれないよう(例えば、刑事訴訟で証言を行う義務を負わない)、自らが選ぶ形でこれらのサービスを受けることも選択できる。従って政策対応では、性差のあることが多い人身取引の特性を考慮に入れ、援助や司法制度へのアクセスにおいて、性別による差別を十分に補わなければならない。人身取引の被害者に対してこうした権利を積極的に保証することに加え、刑事訴追や移住規制に関するその他の人身取引禁止政策は、その過程で人権を損なってはならない。
人身取引に対する国際的保護は、「Protocol to Prevent, Suppress and Punish Trafficking in Persons, Especially Women and Children(人(特に女性及び児童)の取引を防止し、抑止し及び処罰するための議定書)」に記載されている。これは、人権システム内ではない、国連国際組織犯罪防止条約の一環として確立された。この議定書を各国が人権のレンズを通して遂行できるよう、国連人権高等弁務官は人権と人身取引に関するガイドラインを発行している。
現在の国家レベルの政策は、一般的に、人身取引を人権問題ではなく、売春や国境管理、または組織犯罪の問題として取り組んでおり、このために人身取引の被害者が別の政策目標の二次的な存在となり、彼らの権利に有害な影響が及んでいる。米国の人身取引法は、人身取引業者の刑事訴追にかなりの重点を置いている。人身取引を組織犯罪の問題として取り扱う場合、人身取引の被害者は安易に犯罪捜査の手段として利用される可能性がある。自らの人身取引に関わった者の起訴に関与するか否かを選択する被害者の行為主体性は無視されるとともに、保護や救済を受ける彼らの法的権利は二の次になる。加えて、人身取引の被害者自身が、移民法違反や、人身取引によって行われた犯罪行為のために、起訴の対象となってはならない。例えば、ハンガリーでは、複数の人身取引の被害者が、加害者に不利な証言をすることを拒んだために、性道徳に反する罪で警察に拘束されたと、NGOがレポートしている。
人身取引が移住問題として取り扱われる場合、同意のうえのものなのか、それとも強要されたものなのかが、その人の在留資格が不正であるかどうかを判断するうえで鍵となることが多い。人身取引では、さまざまな強要パターンが使われる。当然のことながら、人身取引と密入国は区別しなければならない。後者の場合、密入国者は通常手数料を払って、入国に同意する。主な違いは、密入国では、密入国者とそれを手伝った人の関係は、手数料が支払われていれば目的地に到着した時点で通常は終了するが、人身取引の場合、被害者は加害者にいつまでも搾取され続ける。一部の人身取引の被害者は当初は入国に同意したかもしれないが、こうした同意は、だまされたうえで、あるいは強要されたうえでのものであるため、意味を持たない。人権アプローチを採用することで、強要のレベルを判断するという問題を超え、被害者が人身取引の対象となった状況に関係なく、被害者の権利に取り組むことが可能となる。
その他の移住政策は、社会的弱者の移住の可能性を制限することで彼らを保護し、人身取引を積極的に防ごうとしている。例えば、スリランカでは、一部の女性は年齢、家柄、目的地および労働部門を基に、移住を制限されている。こうした政策は実際には、女性の行動の自由の権利を侵害しており、移住する法的手段のない人の人身取引や密入国を想定外にあおってしまう可能性がある。
人権に基づく全体的アプローチが、人身取引を防ぎ、被害者を救出して社会復帰を支援し、かつ人身取引業者を起訴するための人身取引禁止政策を前進させるうえで欠かすことのできないものである。このアプローチの目標は、すべての人身取引の被害者の人権と尊厳を尊重するとともに、人身取引の撲滅に向けて努力することにある。
翻訳:日本コンベンションサービス