AI、テクノロジー、そして健康:今こそ人権を守る時

南アフリカでは推定約760万人の人がHIV感染者であり、この数字は世界のどの国よりも多い。国連合同エイズ計画(UNAIDS)によれば、このうち480万人は15歳以上の女性だという。

デルフィーナ(仮名)は、人里離れた農村地帯であるクワズール・ナタール州北部に暮らしている。ここはHIV感染率が国内で最も高い地域のひとつである。この地域の多くの住民と同様に、デルフィーナもHIVに感染している。

デルフィーナの夫は数年前に亡くなり、彼女の唯一の生計手段は、地元の農場での仕事である。しかし彼女は、毎月診療所に行き、ひと月分の抗レトロウイルス薬を入手しなければならない。彼女は結核ではないかと疑う発熱があるものの、検査を受けることができていない。

大抵の場合、診療所に着くと長時間待たされたり、カルテが見つからなかったり、医師がいなかったりする。そのため、大変な思いをしてまた診療所に行くか、自分の健康を犠牲にして家族の生活を優先しなければならない。こうした状況にあるのは、デルフィーナだけではない。南アフリカをはじめ世界中の多くの人が、基本的な医療にアクセスするにあたり同じような問題に直面している。

デルフィーナの抱える問題を解決する方法は数多くある。例えば、人材管理システムや治療の質を改善することもできる。残念ながら、問題の解決はなかなか進まず、いまだ多くの課題が残されている。保健医療システム、人員配置、医薬品の供給などを改善する取り組みを継続する必要がある一方、人工知能(AI)の登場は、必要不可欠な医療へのアクセスを改善する新たな方法をもたらすかもしれない。

AIは、さまざまな方法で医療を改革できる。その例として、診断技術の向上、新しい治療法の開発支援、医療提供者の支援、医療施設の枠を超えたより多くの人への医療サービスの提供などが挙げられる。

AIベースのアルゴリズムが、医用画像の解析や、電子カルテ上の症状、バイオマーカーと疾病の特徴や予後との関連付けを支援しうることを、ますます多くの証拠が示している。こうした技術は、特に専門的な治療、診断技術、記録管理などへのアクセスが欠如しがちな資源の乏しい環境に、変革をもたらす可能性がある。新型コロナウィルス感染症は、公衆衛生に関するメッセージの拡散や医療へのアクセス向上など、疾病感染拡大を防ぐ取り組みにおいて、テクノロジーがどのように重要な役割を果たしうるか、そして果たすべきであるかを明らかにした。

AIと医療は、さまざまな点で関わりがある。AIベースのモデルは、さまざまな情報源から最新の医療情報をリアルタイムで医療従事者に提供する事で医療サービス管理を変革したり、在庫切れを防いで、調達・供給・管理システムを根底から変えたりすることができる。患者のデータと診断の分野でもAIの活用が期待される。異なる情報源からの膨大なデータを統合するというAIシステムの機能によって、医療提供者に重要な情報を提供し、患者の治療と診断を向上できる。

しかし、AIをはじめとするテクノロジーは害をもたらす形で応用される可能性もある。関連するリスクとして、AIのエラーによって患者に危害が及ぶ可能性や、誤った健康情報の拡散などが挙げられる。AIの実装方法によっては、人間の主体的な判断や管理が侵害されるおそれもある。また、医療従事者のスキル低下や人員余剰を招いたり、臨床上の責任、説明責任、法的責任の所在を曖昧にしたりする可能性もある。

AIは、非代表的なデータセットを使用して医療のアルゴリズムや意思決定モデルが作成された場合に、医療分野にすでに存在する社会的不平等を永続化させたり、深刻化させたりするおそれすらある。国内や国家間の所得水準に開きがある場合に、医療テクノロジーへのアクセスの不公平が悪化する可能性もある。さらに、私たちが直面する問題の多くにはAIを一切使わない解決策がすでにあるにもかかわらず、AIをどんな問題も解決できる万能薬のように見なしてしまう危険性もある。

そのため、どのようにしてAIの適切な利用を徹底し、その潜在力を生かして、医療に最もアクセスしづらい人々に改革を届けるのかという根本的な問題が生じる。持続可能な未来のためには、あらゆる場所のあらゆる人々がAIやAIで強化された医療に公平にアクセスできるようにする必要がある。

AIが人類と社会に利益をもたらすという約束を現実のものにするには、まず公的機関を強化し、AI産業と今後出現するシステムに効果的な抑制均衡(チェック・アンド・バランス)の仕組みを確保することから始める必要がある。こうした取り組みには、AIや開発を推進する軍産複合体の各部門や「特定の対象者向けにAIで生成したデマを流し、民主的な制度やプライバシーの権利を揺るがしているソーシャルメディア企業」の透明性を高め、説明責任を強化することが含まれなければならない。

どのような技術の進歩も利益をもたらす可能性はあるが、この可能性は、より民主的かつより公平な社会、政治、経済の秩序があってはじめて実現しうる。テクノロジーは民主的な統制や説明責任を欠いた、一握りの有力な関係者によって導かれ、所有されている事が十分なエビデンスによって示されている。プライバシーを保護して個人データの商品化を防止したり、テクノロジーへの公正かつ公平なアクセスを保証したりするための法律や規制制度は、現行のままでは十分でない。この状況を変え、適切な保護策を講じて、AIなどのテクノロジーがデルフィーナをはじめとする何百万人という人々により良い医療を届けるという約束を果たさなければならない。

私たちの健康に対する権利とテクノロジーに対する権利は、かつてないほど強く結びついている。ジョージ・オーウェルはかつてこのように述べている。「過去を支配する者が未来を支配する。現在を支配する者が過去を支配する」。AIとテクノロジーにおいて十分な保護策を講じ人権を保護しなければ、私たちは現在そして未来の世代の健康と福祉を危険にさらすことになる

著者

チリツィ・マルワラ教授は国連大学の第7代学長であり、国連事務次長を務めている。人工知能(AI)の専門家であり、前職はヨハネスブルグ大学(南ア)の副学長である。マルワラ教授はケンブリッジ大学(英国)で博士号を、プレトリア大学(南アフリカ)で機械工学の修士号を、ケース・ウェスタン・リザーブ大学(米国)で機械工学の理学士号(優等位)を取得。