オーストラリア政府が炭素税を積極導入

2009年2月、オーストラリアで発生したブラックサタデーの火事は40万ヘクタール以上の土地を焼き尽くし、173人の死者を出した。原因はその夏の記録的な高温と異常なまでの乾燥だ。だが、気象の専門家はこのような事態、すなわち大規模火災を数年前から予測していた。それは地上で見る地獄絵だった。

広島に投下された原子力爆弾の1500発分に相当するエネルギーが放出された。炎の嵐が巻き起こり、時には100メートルの高さにまで吹き上がったかと思えば、その下では炎の川が森林地帯をくまなく流れた。炎は最高時速120キロの風になり、最前線より35キロ先に飛び火した。

ブラックサタデーにより、多くのオーストラリア人はわかりきっていたことを思い出した。それは、すべての先進国の中で、おそらくオーストラリアが気候変動に対して最も脆弱だということだ。たしかに、2007年に11年間続いた保守党政権が敗れたきっかけは、気候変動に対するアクションを求める声だった。だが、そんな声が聞かれることは、今ではほとんどなくなった。

皮肉な話だが、最近ではめったにビジョンがあるとも勇気があるとも言われない労働党政権が、先頃、炭素税を中心とした盛りだくさんの炭素排出量削減策を発表した。勇気とビジョンが同時に感じられる行動だが、それも他者に強制されたものである。

なんとも理解に苦しむこのバトルには、すでに2人の野党リーダーと1人の首相が関わっている。そして誰が勝利を収めるかによって、オーストラリア国民の大口をあけた笑顔は続くかもしれないし、ひきつり始めるかもしれない。ちなみに、その笑顔を裏で支えているのは、思考力と行動力が麻痺したまま流れた長い歳月、石炭や鉄鋼業界を仕切る有力者、議会と同等の力で政治課題を決めている節さえある過激なラジオ番組やマードックの新聞だ。

野党保守連合リーダーのトニー・アボット氏は、一度は気候変動問題を「戯言」呼ばわりしながら、数年前にはこのうえなく雄弁に炭素税擁護論をまくし立てたことが記録に残っている人物である。今回、彼は、たかが炭素税だというのに、このような法案が通ったらオーストラリア国民は生きていけないとばかりに、激しく、しかも効果的な反対運動を展開した。彼がやろうとしたのはティーパーティ型の熱心な支持を築くことで、そうして生まれた雰囲気の中では、真剣に気候変動を懸念する科学者は「殺すぞ」と脅され、モンクトン卿の言葉が神妙に受け止められている。そして彼は、当選すれば(しかも世論調査によると次の選挙では勝ちそうな位置につけているのだが)、炭素税は撤廃すると公約した。

労働党のジュリア・ギラード首相は気候変動を信じているが、前任者のケビン・ラッド氏には炭素排出権取引制度を諦めるように進言した。その結果、ラッド氏の支持基盤は消失し、数ヶ月後には党首の座をジュリア・ギラード氏に奪われる。彼女はその直後、炭素税を導入しないことを公約として選挙に打って出た。

ブラックサタデーにより、多くのオーストラリア人が再確認した。それは、すべての先進国の中で、おそらくオーストラリアが気候変動に対して最も脆弱だということだ。

それでも何かしらのアクションは起こすべきだということで、その役割を担ったのが緑の党だ。同党はその選挙でオーストラリア上院の勢力バランスに乗じ、炭素税導入を条件に少数与党であるギラード党首の労働党と組むことにした。しかし今回発表された政策パッケージは、緑の党が主張するものとは大きくかけ離れている。彼らによれば、わずか人口2200万人ながら、炭素排出量では世界の20位に入っているオーストラリアという国が気候変動に立ち向かうには、この程度では到底すまない。

だが、おそらく他にやりようがなかったのだ。オーストラリアは資源産業のおかげで景気後退を免れている。失業率はわずか5%強だ。石炭、鉄、ガスを牛耳る有力者は巨万の富を持っていることで国を支配している気分すら醸している。まるで、我々がいなければ、オーストラリアはどうなると言わんばかりだ。彼らが公の場に姿を現す時や圧力をかける時、裏には常にその優越感がある。彼らは国益を自分たちの損益計算書として解釈する。しかも、一般の国民いじめに成功しながら、自分たちは炭素税攻撃の的になっているという顔をする。

アボット氏が率いる自由党と同様に、彼らも労働党政権が続かないことを鋭く嗅ぎ取っている。ギラード首相の少数与党はわずか1議席の差で政権の座についており、世論調査によると支持率は27%と低迷している。どの政党でも炭素税バトルに勝利すれば、次の選挙で政権を握ることができる。

一方、ギラード首相は緑の党、それに無所属の地方出身議員の機嫌を取って連携を維持し、生活費の上昇を懸念する有権者をなだめ、巨大な資源会社に多額のみかじめ料を惜しみなく払うことで、彼らが自分に向かって犬をけしかけるのを止めなければならない。そうなると対策としては、貧困層に配慮した税制改革を行いつつ、大企業に対しては利益減少分を補填するために多額の補助金を払うことになる。ギラード首相のジレンマは、こういった工作をした挙句に組み立てられる政策パッケージでは、まさに必要な変化を起こせないことだ。

そのうえ、炭素除去を増やす仕組みが合わせて策定されているにもかかわらず、炭素税はその影響を低く抑えるために、余分なものでがんじがらめにされている。その中身は、妥協、例外、有権者と企業の両方に対するばらまき、1トンあたり23豪ドル(約2000円)という低い設定の炭素価格、2020年までに5%削減という非常に低い目標(他の国が同様のアクションを起こすにあたって、550ppmに炭素排出量を安定させることを目指すのであれば、その倍は必要)といった具合だ。

気候変動について政府お抱えのアドバイザーであるロス・ガーナート氏の試算によると、排出量の増加を550ppmや650ppmに抑えても、気温は平均3度から4度上昇し、オーストラリアにとっては破滅的な意味を持つ。それにしても、このように複雑で山盛りの対策に理解を求めるのは困難だ。労働党の元首相、ボブ・ホーク氏はこれを「バケツ一杯の糞からアイスクリームを作ろうとしている」と例えた。

そして、受け入れてほしいと訴える首相は、止まりかけのメトロノームのように、言葉も態度も弱々しい。これまでにも言われていたが、彼女には変化を牽引するだけの力がない。もっとも、彼女が引きずっているのは、労働党の実績にしたくない政策を提示しなければならない労働党なのだ。

すべての偉大な改革と同様に、この制度の導入は歴史的な意味を持つ。そして、最も重要な特徴はおそらく、炭素税の裏にある明日への希望だ。

炭素税はオーストラリア労働党の不可解な末路の最終章になるかもしれない。かつては大いなる革新の伝統があったが、オーストラリアという企業に奉公するうちに、それも今では不安や独断的な押し付け教義にとらわれてしまっている。右側からは、頭が切れて、人気も高く、一貫性がなくても何の責任も問われなければ、その点で挑まれることもめったにないリーダーが攻撃を仕掛けてくる。左側には、次第に人気を伸ばしている緑の党が居座っている。

炭素税に反対する議論はすでに数多くなされている。炭素税を擁護する立場からはどんなに頑張っても、「すべての偉大な改革と同様に、この制度の導入は歴史的な意味を持つ」くらいのことしか言えない。だが、最も重要な特徴はおそらく、炭素税の裏にある明日への希望だ。

オーストラリアには、無記名投票、国民参政権、配偶者間の強姦法など、他国に先駆けて改革を進めた事例がたくさんある。オーストラリアはかつての勇気をまだ持ち合わせているのだろうか。あるいは、西側のアラブ首長国連邦に成り下がり、根本的な問題をごまかしながら、褐炭や粉砕ガスで国が10年や20年は沈没せずにすむのなら、その間をやり過ごせればいいと思っているのだろうか。それはいずれわかることだ。

こうして炭素税問題はオーストラリア全体に重くのしかかっている。オーストラリアは21世紀を突き進みたいという願望を持っているのだろうか。それとも、どこかの帝国に属する植民地の石切り場としての過去へ戻り続けるのだろうか。そうなると、国民の生活はこれまで以上に大企業の指図で動かされるようになり、人々はこれからも大規模火災に怯えて暮らすことになるのだが、それでいいというのだろうか。

この記事は2011年7月10日日曜日、英国標準時21:00に guardian.co.ukで公表したものです。

翻訳:ユニカルインターナショナル

Copyright The Guardian. All rights reserved.

著者