自転車に乗る大人に出会うと、人類の未来を悲観せずに済む。(H.G. ウェルズ)
強いて言うなら地味である自転車の何が人々を惹きつけているのだろうか?
通勤、通学、買い物に使え、同時に健康も維持できるという事実だろうか?それとも、交通渋滞やガソリン価格の高騰、また公共交通機関の座席予約などの心配をする必要がなく、自分のペースで移動ができるという便利さだろうか?さもなければ、単にその解放感なのかもしれない。
おそらくは、それらすべての組み合わせによるものだろう。
自転車の不滅の美しさは、好きなだけ乗っても自然環境への悪影響がほとんど無い点にある(サイクリングより良いのは徒歩だけだ)。不規則に広がる人口3,000万人の都市・東京のある日(スナップ写真が鮮やかにとらえているように)、実にさまざまな人々が自転車に乗っている。例えば:
・毎日スーツで折りたたみ自転車に乗り通勤する中年サラリーマン
・自転車を飛び降りながらウィンドーショッピングをする流行に敏感な若者
・一人どころか二人の子供を自転車に乗せ学校に送る専業主婦の母親
・朝、ゲートボールの試合に急ぐ老人の一団
・きついライクラ素材のウェアとミネラルウォーターのボトルホルダーでキメる本気のサイクリスト
自転車が健康上、経済面、環境面にもたらす無数の利点はよく知られるところであり、文献も充実している。しかし、昨今の都市部での増加傾向にもかかわらず、アメリカ人の自転車通勤者はわずか0.55%に過ぎない。
どうしたらあなたの街にも自転車利用者が増えるのだろうか?
ここ日本にはサイクリングを奨励するイニシアチブがたくさん存在する。その一つが、貴重な自転車ライフのためのグリーンペダルマップだ!英語と日本語で書かれたその地図は、自転車専用道路、危険区域、レンタル自転車ショップ、駐輪場など、さまざまな情報を提供しているのだ。
しかし、最も望まれる答えは、自転車を自動車に代わる安全で実用的な手段にするための都市開発計画を牽引する真のリーダーシップだ。
都市改善のための戦略は、サイクリストの通勤、通学、買い物、帰宅時の安全性を確保するだろう。自転車専用道路や駐輪場などのインフラ整備に対する投資を、地方自治体と政府が協調して行うことも良い政策である。
企業もまた重要な役割を担っている。従業員のためのシャワーや駐輪場設備を整えれば、従業員が肉体的に健康になり、仕事への満足度や生産性の向上に役立つのだ。
幸いなことに、私たちの周りには創造的で成功を収めたイニシアチブがすでに数多く機能している。ほんの一例にすぎないが、ノルウェーのオスロで実施された低価格の公共自転車システムが幅広い評価を得て、世界中の都市がこのシステムを真似ている。
これらの新しいアイデアをよそに、高騰するガソリン価格が長期的な変化を促している。2008年には、ガソリン価格の上昇という経済的誘因により自転車通勤者が増えた。アメリカの団体Bikes Belong Coalitionの調査によれば、自転車の売上が著しく伸びただけでなく、アンケートを行った店の95%の客が、ガソリン価格の高騰を自転車購入の理由として挙げたのだ。
もしガソリン価格が今後も上昇し続けたら(石油価格はたった12ヶ月で2倍になった)、ピーク・オイルを予想する支持者たちのように、社会の大小を問わず、石油価格の傾向を想定し備えるべきなのだ。皮肉なことに、ロサンゼルスのように公共交通機関のインフラが乏しく、少なくとも理論的には快適で速いとされる自動車に対し住民が愛着を持っている都市では、自転車にやさしい街への推移が最も難しいだろう。
電車や地下鉄などの効率的な交通機関が整う都市では、自動車が使用されるのは最寄駅までの道のりか、または小旅行の時だけである。つまり、すべての通勤・通学者を自動車でまかなう都市には、公共交通機関のインフラ整備への大々的かつ総合的な投資が必要になるだろう。
オーストラリアの首都キャンベラでは、ここ数年、Bike’n’Rideというイニシアチブが、車の代わりに便利な自転車とバスの組み合わせを選ぶサイクリスト予備軍に対し刺激策を打ち出している。バス停まで自転車を使う人は、バスの前面に備えられたラックに無料で自転車を積むことができるのだ。また、ロンドンのように、都市の中心部で車両に渋滞税を課すことも、より持続可能な交通手段を奨励する総合的な解決策である。
いまだにサイクリストのニーズを踏まえた都市計画が行われていない北米、アジア、アフリカ、中南米の都市で、これらの変化を実現させるためには、インフラ整備以上の変化が求められるだろう。本当の意味での自転車にやさしい街を造るには、市民の理解と、自転車が都市構造の一部であるという考え方を受け入れることが必要なのだ。これは、より多くの人々が自転車の恩恵を経験し、自転車にやさしい街を誇りに思うことを可能にするのである。
重要な文化的価値は人々の連帯感を生むものであろう。自転車は本格的フィットネス志向の人々専用の乗り物ではなく、むしろ、すべての年齢層、性別、社会的地位の人々が一緒になり、歩行者や車両と並んで走ることを可能にする乗り物のはずなのだ。
東京の混雑する歩道を行く歩行者は、その限られたスペースを、道路で自転車に乗りたくないサイクリストと共有することに慣れている。歩行者は自転車のために道を開け、サイクリストは(ほとんどの場合)人込みの中を進むことに対し、辛抱強く注意深い。
誰もがこの文化の育成の先頭に立つことができるのだ。先進国と並び、途上国でも社会問題になりつつある肥満だが、自転車に乗る大人は子供たちへの良い手本になることができる。もしくは、その逆かもしれない。
政治家、政策立案者、都市計画担当者などの意思決定者たちが自転車に乗れば、将来を考慮した自転車にやさしい政策を地元に打ち出す可能性が高い。デンマークの気候・エネルギー大臣は、コペンハーゲンの37%の市民とともに自転車通勤をしているのだ。あなたの街の市長や議員の移動手段は何だろうか?
自転車に対する考え方を変えるためには時間が必要だろう。多くの社会で、道路は自動車やトラックのものだと見なされている。自転車に乗る自由が一部のサイクリング狂に悪用されないことを期待している。同様に、多くの人が権利だと誤認している自動車運転もまた自由なのだ。さあ、次はあなたの自転車への愛の物語を聞かせてもらえないだろうか。
翻訳:上杉 牧
自転車: ある愛の物語 by マーク・ノタラス and ショーン・ウッド is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.