人種差別との世界的闘いに新たな息吹を

「ブラック・ライブズ・マター」運動をきっかけに、国連大学マーストリヒト技術革新・経済社会研究所(UNU-MERIT)のアフリカ出身の若手ソートリーダーたちによって開始された「Black Voices Matter(黒人の声は大事だ)」シリーズです。活発な議論やその他の非暴力的アプローチを重視し、人種差別との闘いにおける実体的でアクセスしやすいプラットフォームの提供を目指しています。

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第二次世界大戦終結以来、米国は人権、平等、差別撤廃の推進において主導的役割を果たしてきた。実際、1933年から1945年にかけて世界人権宣言の起草と交渉を率いたのは米国のファーストレディ、エレノア・ルーズベルトであり、この宣言は最終的に1948年に採択された。1970年代には人権が米国の外交政策の主要な一部であることがはっきりと示され、1976年以降、国務省の民主主義・人権・労働局は、196カ国の人権を巡る状況に関し、年次報告書を発行してきた。アフリカやアジア、中南米、欧州において、人権と民主主義を推進する人々は、権威主義と抑圧との闘いにおける支援と助言を米国に求めている。

しかし、ピュー研究所の新たな調査によると、憲法修正第13条によって米国での奴隷制が廃止されて155年が経ち、米国が世界の人権推進活動を率いるようになって70年以上が経つものの、アフリカ系アメリカ人は依然として機会、サービス、基本的人権への公平なアクセスを得られずにいる。ほぼどのような指標を用いても、米国のシステムは黒人コミュニティに不利益をもたらすよう設計されている。平均的な白人家庭が保有する富は、平均的な黒人家庭の約10倍である。アフリカ系アメリカ人は白人と比べ、保有資産が少なく、自分の家や会社の所有、健康保険への加入、年金の積み立てなどの確率が低い。白人が大半を占めるコミュニティの学校は、黒人が大半を占めるコミュニティの学校と比べ、はるかに高い割合の教育資金を得ている。白人の大学卒業者は、黒人の大学卒業者と比べると7倍 を超える富を保有している。

また、警察官による暴力行為は黒人コミュニティにおいてより頻繁に起きている。ラトガーズ大学、ミシガン大学、ワシントン大学セントルイス校の研究者による共同研究では、黒人男性は1,000人に1人の割合で警察官に殺害されているとしている。その一方で、権利擁護団体マッピング・ポリス・バイオレンスが行った分析によると、2013年から2019年の間の警察官による殺害の99パーセントにおいて、警察官は起訴すらされなかった。「ワシントン・ポスト』紙の報道によると、黒人男性と白人男性が同じ犯罪で有罪判決を受けた場合も、黒人男性のほうが20パーセント長い拘禁刑を受ける場合がある。

当然ながら、これらのエビデンスによって、過去60年間に米国で黒人が黒人のために大きな前進を成し遂げてきたことが否定されるわけではない。人種分離を終わらせた1964年の公民権法 と、アフリカ系アメリカ人に選挙権と被選挙権を保障した1965年の投票権法 は、共に人権問題の前進を示す好例である。同様に、白人と黒人の中所得世帯の間には依然として非常に大きな格差が残るものの、アフリカ系アメリカ人世帯の中央値は、1970年代から2018年までにかけて、国民所得の下位4分の1から35パーセンタイルにまで上昇した。同じ期間に、アフリカ系アメリカ人の若者(25〜29歳)の90パーセント超が高校を卒業するようになったが、1960年代にはわずか半数であった。しかしながら、アフリカ系アメリカ人をめぐる状況は一部改善したものの、制度上は現在も人種的不平等による不利益を被っている。ここで示されているのは、所得、富、教育など、さまざまな面での人種間格差を埋めるための道のりはまだ遠いということである。

連帯から見えてくる共通の問題

人種差別は世界中どこででも見られ、さまざまな形で存在する。米国だけの問題ではない。ジョージ・フロイドの死、ケンタッキー州でのブリオナ・テイラーの殺害、インディアナ州でのショーン・リードの射殺、フロリダ州でのトニー・マクデイドの殺害、ジョージア州でのアフマド・アーベリーの超法規的殺害といったこれらすべてに対し、世界中から幅広い支援の声が集まり、すべての大陸の少なくとも60カ国で抗議デモが行われた。しかし、アフリカ系アメリカ人コミュニティへの連帯と支援が世界規模で示されることで、米国以外の世界各地における黒人の闘いとの共通性も明らかになった。

南アフリカやベルギー、英国、フランスなどで、黒人や少数民族は機会、サービス、人権への公平なアクセスをたびたび拒絶されてきた。たとえば、英国では2010年10月、国外退去の対象となったアンゴラ人ジミー・ムベンガが、ヒースロー空港のアンゴラ行き航空機内でG4S社の警備員3名に拘束され、死亡した。同様にオーストラリアでは、アボリジニの男性 デビッド・ダンゲイが刑務官5名に押さえつけられ、「息ができない」と12回叫んだ後に亡くなった。悲しいことに、これらは単なる裏付けに乏しい単発的事件ではない。

2019年、欧州基本権機関 は、EU加盟国の内12カ国のアフリカ系住民約6,000人の体験を調査した。その結果は驚くべきものであった。2014年から2019年までの間で、回答者の30パーセントが人種的な嫌がらせを受けたと答え、5パーセントが白人から身体的暴力を受けたと答えたのである。おそらくさらに憂慮すべきは、この調査の結果、41パーセントが警察官による人種プロファイリングを受けていることが明らかになった点である。差別を禁じるEU法が採択されてほぼ20年が経ち、EUは理論上寛容な社会とされているものの、アフリカ系の人々は依然として欧州大陸全体で根強い偏見と排除に直面しているという事実がこれら統計によって示されている。

ブラック・ライブズ・マターの背景

人種的不正、不平等、警察による暴力に対しては、世界中でいくつもの取り組みとイニシアチブが実施されている。例えば、米国では19世紀以降、アフリカ系アメリカ人は、公民権団体の設立に多大なエネルギーを注いできた。その一例として、1909年、W・E・B・デュボイスら著名な活動家や公民権運動家によって全米黒人地位向上協会(NAACP)が設立された。NAACPが目指したのは、すべての人の政治的、教育的、社会的、経済的平等の権利を確保し、人種に基づく差別をなくすことであった。NAACPは、1944年までに50万人の会員を擁する米国最大級の会員制組織となり、人種的正義のための運動を全国規模に拡大した。

1914年には、マーカス・ガーベイが世界黒人地位改善協会(UNIA)を設立した。UNIAは、人種的自尊心や経済的自立の向上、アフリカでの黒人独立国家の創設を推し進めた。そして1957年、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアら公民権運動指導者たちは、米国南部各地の抗議団体に非暴力・不服従を訴える団体として南部キリスト教指導者会議(SCLC)を設立した。SCLCは平和的手段を通じて、デパート、レストラン、公衆トイレ、学校における人種分離撤廃を要求した。課題はまだ残るものの、20世紀の反人種差別運動は、1964年の公民権法や1965年の投票権法などの大きな進歩をもたらした。

さらに最近では、2013年に17歳のアフリカ系アメリカ人の少年トレイボン・マーティンを殺害したジョージ・ジマーマンの無罪判決を受けて、活動家のパトリス・カラーズ、アリシア・ガーザ、オパール・トメティがブラック・ライブズ・マター運動を始めた。2014年、ブラック・ライブズ・マター運動は、ソーシャル・メディアを通じて、また、ミズーリ州ファーガソンで射殺された18歳のアフリカ系アメリカ人マイケル・ブラウンの事件など、警察の権力乱用をめぐり注目を集めた事件が共有されることで、さらに組織化した。

ブラック・ライブズ・マター運動は、「自由、解放、正義」を求める点で、それ以前の人種差別反対運動の志を継いでいる。しかしながら、ブラック・ライブズ・マター運動は、その勢い、リーチ、規模において、これまで米国が経験したどの反人種差別運動とも異なっている。この運動では、ソーシャル・メディアと分散型リーダーシップの両方が重要な役割を果たしており、他の運動と一線を画す2つの要因となっている。さらに、ブラック・ライブズ・マター運動のもう1つの際立った特徴は、参加者たちが過去の人種的断絶を乗り越えていることである。白人のみならず、その他の民族、国籍、宗教の人々も多数抗議活動に参加している。ブラック・ライブズ・マター運動の独自性は、ある重要な問題を問いかけている。「ブラック・ライブズ・マターの抗議活動によって、これまでに現実社会にどのような影響がもたらされたか」ということである。

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この記事は、最初に国連大学マーストリヒト技術革新・経済社会研究所(UNU-MERIT)に掲載されました。

著者

アヨクヌ・アデドクンは、国連大学マーストリヒト技術革新・経済社会研究所(UNU-MERIT)にて博士号を取得。現在、ライデン大学ハーグ校(LUC)で講師兼アカデミックメンターを務め、アフリカの政治と開発、ガバナンスと開発のための制度、公共政策分析、世界的課題に関するコースを担当している。