地球温暖化が一躍、非主流派から主流派へと変化していったのに対して、ピークオイルはまだその域に至っていない。この難しいテーマに人々の関心を集めるにはどうしたらいいのだろうか?それには、撮影用カメラがキラリと光る、映画という手法が効果的だ。
無論、すべてのジャンルの映画が万人受けするわけではなく、社会派ドキュメンタリーに批判的な人々もいる。実際、ある厚かましい作家は『エイジ・オブ・ステューピッド』(愚かな時代)を揶揄して「我々が救うべきは、気候変動か環境映画か」と疑問を呈している。
アル・ゴアのようなセレブの姿を目にしたり、専門家たちの意見を聞くのが好きかどうかは別として、地球温暖化問題はある理由から注目を浴びている――様々な専門分野に精通した人々が、すでに立証済みの不都合な真実を我々に認めさせようとしているのだ。
本論評のタイトルでもある、映画『ブラインド・スポット』の中で提起された動かぬ事実とは、ピークオイルが到来する時(もはや「到来すれば」という仮定ではない)「近代社会に生きる我々の生活は180度変わる」ということだ。このドキュメンタリーで興味深いのは、我々がどのようにして現在に至ったのかを心理的側面から光を当てた点である。
我々が如何に石油依存型の経済システムを中心とした社会によって条件づけられてきたか、また習慣から抜け出すことができない我々は常に消費し続け、その影響を無視して頭の片隅に追いやっていることを、この映画は浮き彫りにしている。
我々が如何に構造的に、そして単純に石油に依存してきたかは、『ブラインド・スポット』をじっくり見るまでもなく明白である。 これは1933年に制作(1949年に改訂)されたシェル石油のテレビ・コマーシャルのような『アラジンのランプの石油』の辛辣なビデオ・クリップを見れば明らかだ。
「食べ物における石油の道のりは、畑から冷蔵庫までに及ぶ」 父親のような雰囲気でナレーターは我々にそう語りかけ、作物に散布する農薬、化学冷媒や食糧輸送に至るまで、すべてにおいて石油が使われている状況を自慢げに列挙している。
「比類なき生活水準を我々に与えてくれた機械化時代は、決して石油なしにはあり得なかった」 そしてこのような発想で、我々人類が150年間暮らしてきたことを、『ブラインド・スポット』は指摘している。
しかし、映画が先に進むにつれ、我々がこれまで描いてきた美しい光景は、データや著名な学術専門家の分析と著しい対照を成す。やがて視聴者は、この映画の決め台詞である「我々の未来予想が全く違っていたらどうするか?」という質問のロジックを理解するようになる。
「もっとも気がかりなのは、我々に石油減産に対する備えがないことです」と語るのは影響力のある思想家であり、アースポリシー研究所 (地球政策研究所)の創設者のレスター・ブラウン氏だ。「我々の行動、生活の側面、社会の活動領域のすべてが変化するでしょう」
そこで、石油(と石油製品全般)の価格が一般の人々の手に届かなくなるという現実に、如何にして立ち向かうべきかが問題となってくる。
そして視聴者は、これがそう遠い未来の話ではないことを思い知らされる。米国では1970年に石油生産ピークを迎えて以来、減産の一途を辿っている。
ピークオイルの専門家リチャード・ハインバーグ氏は、「同じことが世界中で起きるでしょう」と述べている。「これに異論を唱える人はいません。起きる時期に関してはいくつかの議論がありますが、誰もがピークオイルが来ると思っています」
石油依存の現状を拒める日はもう残り少ないと、同氏は指摘する。
「20世紀は物質を大量に消費した、さながら盛大な石油パーティのような時代でした。これは人類史で一度限りのことです。21世紀は、どのようにしてこのパーティを終焉させるかがすべとなるでしょう」
この映画は「備えのないままポスト石油時代を迎えるのは、極めて難しいであろう」という見方を赤裸々に描いている。
「我々に差し迫った問題。それは、先進国の人々が従来の生活水準を維持することが非常に困難になり、また政治・社会不安が予想されることです」と、人類考古学者で歴史家、『複雑な社会の崩壊』の著者であるジョセフ・テインター氏は述べている。
また、Life After the Oil Crash.net(石油崩壊後の暮らし)のマット・サビナー氏は、西洋社会について背筋が凍るような正確な観察結果を報告している。「すべての世代の人々は、完全に人口的な環境の中で育ってきました。我々の考え方は、大型SUV車などの商品販売を目的とするテレビや、現実とはかけ離れた世界を描く映画などによって形成されているのです」
人々に備えを促すための取り組みをさらに複雑にしているもの。それは、先進国社会の変化に対する文化的制約である、とある進化生物学者は述べている。人々は、何世代にも渡って機能してきたシステムに強い信頼を抱いている。「そのため、彼らの信頼に挑戦する者は、基本的に文化の外に追いやられてしまうのです」
「我々はなぜ、自らの苦境や生活の環境的側面を理解しないのだろうか」と『オーバーシュート』の著者で社会学者のウイリアム・カットン氏は問うている。私たちは社会における政治経済面ばかりに気をとられ、自らを「経済拡大=進歩」という信念に基づくシステムの中に、利己的な一部分として組み入れてしまったのだ。
すでに周知のように、減産傾向にある石油が世界を揺さぶるという明確な報告があるが、この映画は視聴者に失望を感じさせない。むしろ、視聴者は自分自身に、あるいは我々が陥ったシステムに苛立ちを感じ、今後の課題を鮮明に意識するようになる。
「この新たな危機意識は非常に重要です。なぜなら、大半の人々は有権者がこれらの問題について検討していると思っていますが、これは根拠がない確信だからです」と、物理学者で作家であるアルバート・バートレット氏は述べている。
さらに、カリフォルニアEPAの前所長で『ガロン毎の生活』の著者のテリー・タミネン氏は、我々は政治や虚言に対してより注意を払わなければならないと語っている。
「過去10-12年間で、石油会社と自動車会社は連邦政府レベルの選挙献金に1億8千6百万米ドルを費やしました。そして、献金の各1ドルにつき、1千ドルの減税やその他の助成金を享受したのです」
そこから、我々が本来持っている創造力と工夫をこらし、エネルギー消費の削減を図り、化石燃料に依存した大量消費から移行できるような道を見出さなくてはならない。(後日掲載予定のTransition Townsについての記事をご参照)
それを根付かせるために、我々は事実を知る必要がある。多くの人々がこの説得力ある映画を観賞してくれることを願っている。また、この映画を見ない人々のためには、世界の指導者たちが今一歩前進し、映画の中で学者や活動家たちが示したように、統計結果を指摘してくれることを願いたい。
「我々は石油時代よりも格段に賢くなった」と、アメリカ人政治家、科学者でありピークオイルの活動家であるロスコー・バートレット氏は指摘する。我々は、石油時代後も幸せな暮らしを送るための手立てを見つけることができるだろう。ただし、それは我々が自身の盲点(ブラインド・スポット)を把握できればの話だ。
ご興味のある方は、アルバート・バートレット氏のインタビューをご覧ください。
盲点―ブラインド・スポット by キャロル・スミス is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.
Based on a work at http://ourworld.unu.edu/en/blind-spot/.