迷走するピークオイル論

2012年08月13日 ブレンダン・バレット ロイヤルメルボルン工科大学

私はジョージ・モンビオ氏の書くものをとても高く評価しているが、今年の私の夏休みは、彼がガーディアン紙に発表した「ピークオイルについての私たちの認識は誤っていた。実は石油は私たち全員を揚げ物にするほどある」と題した記事のせいで、ほぼ台無しになった。

私が反射的に思ったのは、「ああ、まただ!」ということだった。モンビオ氏が論争を巻き起こす方法を知っているのは間違いない。実際、彼の記事にはオンラインですでに900件近くのコメントが寄せられている。これは3月21日に彼が書いた「私はなぜフクシマについて心配するのをやめ、原子力びいきになったか」(衝撃的なタイトルに厚顔無恥な内容だった)への反響と同じだ。

彼は7月2日付の記事の中で、元石油会社幹部のレオナルド・マウゲーリ氏がハーバード大学から出版した最近のレポートを根拠に挙げている。それによると、技術の躍進と新たな投資で石油の生産は2020年まで1日あたり1700万バレル以上増やすことができるので(今日の1日あたり9300万バレルが1億1,000バレルになる)、私たちは結構な石油革命に直面しているというのだ。

つまり、グレート・ゲームの再燃のようではないか!

だが、おそらくそうではない。私はピークオイルの他の専門家たちがどう反応するかを待ってみようと思い、即座に反証が次々と挙げられることを期待した。そして実際、広い範囲から多くの意見が寄せられた。最近の例としては、デイヴィッド・ストローン氏(『地球最後のオイルショック』の著者)が、モンビオ氏がピークオイルに対する考えを改めたのは拙速に過ぎ、マウゲーリ氏の結論の元になっている計算は「でたらめ」だと述べた。

なかでも、ストローン氏はスティーブ・ソレル氏とクリストフ・マグレイド氏の見解を取り上げている。彼らは、既存油田の減少率に関するマウゲーリ氏の仮定が、以下の通り、あまりに楽観的だと論じている。

「マウゲーリ氏が予測する減少率は1.4%ですが、これをIEAの予測する4.1%に置き換えてみると、2020年にかけて予想される生産能力の低下は1日1100万バレルから1日2920万バレルにふくらみます。それにより、2020年の世界全体の生産能力は1日1億1060万バレルから1日9240万バレル(16%の減少)に低下します。つまり、より現実的な低下率をあてはめると、彼の予測した増加は完全にありえないものになります」

では、モンビオ氏はもう一度、意見をひっくり返すだろうか?

さらに複雑なこと

モンビオ氏が悲観する理由の1つは、リオ+20で進歩がなかったこと、そして気候変動の問題に対する国際的な取り組みが遅々として進まないことに強烈なフラストレーションを感じていることかもしれない。

同時に彼が記事で指摘しているのは、多くの環境保護論者が、資源と気候を破壊する装置、すなわち私たちの世界経済を自動修正する手段として、ピークオイルを見ているらしいということだ。これには多くの真実が含まれている。私自身、気候変動とピークオイルをひっくるめて考え、それらが未来の脱化石燃料・低炭素社会に私たちを押し進めるだろうと考えている。特に世界の人口がこれからも増え続けるのであれば、1人あたりの化石燃料使用量を削減することなしに、現在の苦境を抜け出す方法を私は全く考えられない。何も犠牲にしないでいい方法が他にあるのかもしれないが、私には、今のところそのような未来を思い描くことはできない。

だが、疑わしいところはマウゲーリ氏に有利に解釈して、部分的にでも彼が正しいとしよう。そして、その結果、石油生産のピークが何年も遅れたとして、それはどういう意味を持つだろうか?

プラス面を考えよう。さかのぼって2005年、ロバート・ハーシュ氏と彼の同僚が警告したのは、石油生産がピークを迎えた時までに石油依存を改める努力をしなければ(この問題を克服するためのインフラ変革には約20年かかる)、 私たちは大きな経済問題に直面するということだった。

つまり、石油生産のピークが多少でも遅くなれば、経済の転換を図る時間ができるということだ。それはいいことではないだろうか? ただしそれは、今、私たちがエネルギーや燃料のシステムを変える行動を起こしていることが前提だ。だが、残念ながら、それは実現していない。

さらに、ハーシュ氏は最近のASPO会議で、石油生産は2005年から横ばいで、この状態が今後1~4年続いた後、生産レベルは低下すると予測している。それが正しければ、私たちは真剣に心配すべきだ。

一方でモンビオ氏は、もしハバート氏のピークが実はベル型の曲線ではなく、「ローラーコースター」型、もしくは、2011年9月にウォールストリートジャーナルに寄稿したダニエル・ヤーギン氏を含めた他の人たちが言うように長々と続く台地型であれば、石油は私たち全員を揚げ物にできるほど豊富にあると考えている。

ケンブリッジ・エネルギー・リサーチ・アソシエイツの創設者で共同代表、さらには『石油の世紀——支配者たちの興亡』の著者でもあるヤーギン氏は、エネルギー問題を楽観的にとらえて、ピークオイルコミュニティと何度か論争を起こしている。彼は基本的に、私たちは技術革新や投資によって将来の石油需要を満たすことができるし、エネルギー価格が上昇すれば、今は経済的に見合わず、利用が困難な資源(カナダの広大なオイルサンド、米国のシェールオイルなど)でも、利用可能になると考えている。

マウゲーリ氏はこの見解を支持して10年間にわたるキャンペーンを繰り広げ、ピークオイルコミュニティに挑み、生産のピークは近い話ではない、むしろ非常に遠い話だという証拠を示している。しかし、ヤーギン氏もマウゲーリ氏も、過去に間違った予想をしたことが明らかになっている。他方、モンビオ氏は7月2日の記事で、ピークオイルコミュニティにも、ピークの時期について過去に誤った予想をした人がいると懸念を示している。つまり、ピークオイルコミュニティと否定派はどちらも同じ程度に面目を保ち、また失っているというところだが、双方の予想はその都度、離れるよりは近くなっている。

しかし、さらに大きな問題は、ヤーギン氏やマウゲーリ氏のようなピークオイル批判派がまた、ピークオイルコミュニティの警告を無視するように政策決定者に働きかけていることだ。オックスフォード大学で経済学を教えるディーター・ヘルム教授もそのような批判派の1人で、2011年10月に、ピークオイル提唱者はエネルギー政策決定を誤った方向に導いていると書いた。

ヤーギン氏やマウゲーリ氏と同様、ヘルム氏も非常に楽観的で、地球は化石燃料で満たされていて、投資を刺激するだけの適切な技術と適正な価格が揃えば、もっと手に入れられると論じている。彼はシェールガス革命の熱心な支持者で(どうやら悪影響は無視しているようだ)、気候変動に対処する方法は、石炭ではなくガスを発電に使うことだと考えている。

確かに、それは理にかなっているように聞こえるし、ある程度は効果があるのかもしれない。だが、何より興味深いのは、ヤーギン氏、マウゲーリ氏、ヘルム氏らから見えてくるものが、気候変動問題で起きているのと同じ構図だという点だ。

緩慢気候変動論者とピークオイル否定論者

かつてOur World 2.0にも寄稿してくれたクライブ・ハミルトン氏は最近、気候変動について緩慢気候変動論者が発している、狡猾ながらも影響力の大きいメッセージについて説明している。彼の指摘によると、「緩慢気候変動論者」は気象科学の成果を認めながらも、気候変動の緊急性は極めて低く、不確実性を強調する一方で危険性を軽視し、対応を急ぐことはないと解釈しているようだ。これは、ピークオイルの批判論者や否定論者による資源枯渇問題への対応と共通するところがある。

ハミルトン氏が挙げる緩慢気候変動論者のリストには、ブレークスルー研究所のテッド・ノードハウス氏、マイケル・シェレンバーガー氏、 ロジャー・ピールケ・ジュニア氏、ダニエル・サレウィッツ氏、マイク・ハルム氏が含まれている。おそらく最も有名なのはビョルン・ロンボルグ氏で、彼はベストセラーになった『環境危機をあおってはいけない―地球環境のホントの実態』の著者であり、まったく当たらなかったドキュメンタリー『地球と一緒に頭も冷やせ!』のプロデューサーでもある。彼らは「新しい環境保護論者」「ネオグリーン」と呼ばれることもある

私は2008年に、国連大学を訪れたテッド・ノードハウス氏にインタビューする機会に恵まれた。Our World 2.0を立ち上げる直前で、彼の言うことは理にかなっていた。私はピールケ氏の著書『The Climate Fix (気候治療法)』を取り上げたこともあるが、この本は本当にお勧めだ。

だが、ハミルトン氏の記事を読んで、私は「なるほど」と思う瞬間があった。緩慢気候変動論者についてハミルトン氏が挙げていた特徴が実に的を射ていたからだ。さらに私が気づいたのは、これらの特徴は、ヤーギン氏、マウゲーリ氏、ヘルム氏らのピークオイル否定論者にも当てはまるということだった。以下にそのリストを示すことにする。

(1)   保守的で、気象科学(ここはピークオイルに言い換えられる)の警告が社会構造にもたらす脅威を不安に感じている。
(2)   彼らの現実的なアプローチは、「政策の最小限主義」を正当化したい政治指導者にとって魅力的である。
(3)   彼らの活動により、一般の人々は警告の信憑性と対応の必要性に疑いの気持ちを抱くようになる。
(4)   彼らは、本質的にすべてを知ることはできず、不確かで、疑念が蔓延するものであることを強調する。
(5)   彼らは再生可能エネルギーへの投資が望ましいかどうかについて懸念を示す(しかし、原子力やシェールガス革命など、彼らが支持する技術にまつわる懸念には触れない)。
(6)   彼らは現在の経済システムを神聖視していて、いかなる変革も、それを支えるものでなければならないと考えている。
(7)   彼らは技術志向の解決策について楽観的な傾向がある。
(8)   気象科学とピークオイルを疑う人々は、共通の用語や言い回しを使う。
(7)と(8)は私がハミルトン氏のリストに足したものだ。並べてみると、緩慢気候変動論者もピークオイル否定論者も、「落ちついて、バラの花の香りでも楽しもう」というアプローチだ。ハミルトン氏は緩慢気候変動論者についての記事を以下のようにまとめている。

「私たちの社会・経済システムは、権力構造や本質的に目指しているゴール、奨励される行動形態も含めて、地球にダメージを与えうるものであり、私たちの未来と、システム自体の未来は今、危機的状況にある。環境保護を批判する人々にそれをわかってもらうには、現在の恵まれた状態がこれからも続くと強く信じている気持ちを捨ててもらうしかない」

同じ結論が、ピークオイル否定論者とピークオイルの影響に関する彼らの見方にもあてはまる。彼らは、地球は化石燃料で満たされていて、技術革新と莫大な投資によってもっと手に入れられると言う。だが同時に、そうすると、本質的に欠陥があり、最終的には命取りになるかもしれないシステムに、私たちはこれからも自らを閉じ込め続けることになる(個人的にはそこから多くを得てきたので、なくなるとしたら寂しいのだが)。

ピークオイル否定論者が私たちに、これからもできるだけ多くの化石燃料を地中から取り出させたいと思っていることはたしかだ。しかしそれは、現状維持以外に真の代替策を考える準備ができていないからである。

一歩前進、二歩後退

思い返せば2007年2月、気候変動は人間の活動によるものと、気候変動に関する政府間パネルは高らかに述べた。 そして一瞬、少なくとも2009年にクライメイトゲートが発生するまでは、議論は収束したかに見えた。クライメイトゲートはコペンハーゲンにおける気候会議を大混乱に陥れた。実際の行動を進めることはできず、調査が行われ、科学者たちにかけられた疑いが最終的に晴れるまでに、私たちは勢いを失った。

同じく2007年、かつて米国エネルギー長官を務めたジェームズ・シュレジンジャー氏は、 ピークオイルの議論は解決したと語り、ピークオイル提唱者らは勝利を収めた。このような発言はヤーギン氏、マウゲーリ氏、ヘルム氏といった否定論者を苛立たせたに違いなかった。

さらに近いところでは、カート・コブ氏が「ピークオイル論争が(ほぼ)終結したとなぜ言えるのか」という興味深い記事を書いている。 彼は、主流メディアにおける最近の主張をすべて歓迎し、その理由として、この重大な問題に広く注意を喚起するのに役立ったからだと述べている。しかし、主流メディアの主張は新たな段階を示唆するもので、彼はガンジーの話を引き合いに出している。「最初、あなたは無視される。次は笑い者にされる。次は攻撃される。そして、あなたは勝利する」コブ氏によると、今は攻撃の段階だ。

しかし、他方では、 キース・アスカーズ氏が指摘するように、ピークオイルが一般の人々の関心を惹いていないという問題もある。彼は、ピークオイルは目に見えてわかるものではなく、それに対処する計画が何もなく、過去に方々で攻撃され、信用を失った成長の限界の議論と密接に結びつけられていることを論じている。人々は資源が枯渇し始めていることなどさんざん聞いている。しかし、まだ枯渇していないではないか、では、なぜ心配する必要があるのか?と人々は思うのだ。

興味深いことに、マウゲーリ氏の報告書が発表された直後に、親しい同僚が私にメールを送ってきて、「これはピークオイル問題にとってどういう意味を持つのか」と尋ね、また私に、ピークオイルの問題が一般の人々の気持ちに届かない理由についての記事を書くべきだと勧めてくれた。どうだろうか、その理由については、ハミルトン氏とアスカーズ氏が十分に素晴らしい解説をしていると思う。 すべてはうまくいく、工夫と技術の進歩で人間は物質的に豊かになり続ける、障害は乗り越えられると楽観的に考える人は以前からたくさんいる。そういう話は人々の関心を惹き、影響を与える。つまるところ、私たちは本来的には良い話を聞いていたいのだ。

同時に、気候変動とピークオイルの両方において複雑な点は、どんなに素晴らしい議論が行われても、科学技術の話なので、多くの人たちはその議論に参加していないことだ。一般の人たちの中で、確認埋蔵量と可採埋蔵量、原油と在来型石油、発見率と逓減率の違い、どの逓減率を選択するかの重要性などを理解、あるいは気にかけている人がどれほどいるだろうか? 人々が知りたいのは、ピークオイルがあるのかどうか、あるとしたら、いつ、どのように起こるかだけだ。ピークオイルが起こった後は、何をすべきかを知りたくなるだろう。

したがって、現時点では、気候変動とピークオイルについては、(2007年のように)一歩前進しては(この夏のように)二歩後退しているように感じている。このように考えると、ジョージ・モンビオ氏がお手上げ状態になって、ピークオイルについての考えは間違っていたと言うのもわかる。彼は明らかに困惑し、自らの記事を次のように結んだ。

「解決策がない時に、問題を持ち出すのは好きではない。しかし今、私は子どもたちの目をどのように見つめていいのかわからない」

ただの愚かな希望

私はまだ、子どもたちの目を見つめたいと思っているし、解決策を探し続けたいと思っている。だからこそ、私はまだ、愚かな望みであっても、これらの複雑な問題に取り組み、前進し、より理解が広まることを望んでいる。

振り返ってみると、2012年7月は、モンビオ氏の記事といい、その他のことといい、奇妙な月だった。私は通常、ガーディアン紙をオンラインで読んでいるが、この夏、私は休暇で英国に戻っていたので、7月2日の同紙は近所のニューススタンドで買ったのだ。

休暇中は毎日雨が降った(英国の天候をネタにした、会話の糸口になるお決まりのジョークだ)。6月はもっとひどかったと聞いた。気象庁によると、ジェット気流が通常より南寄りのようだ。気候変動の兆候だろうか? いつも気候変動を気にしていたら、何を見ても、そう見えるようになってしまうらしい。

偶然だが、7月10日に米国の海洋大気庁が、引き続き起きているラニーニャ現象が地球を冷却し、2011年の異常気象に影響したと発表した。ハミルトン氏に緩慢気候変動論者の1人と名指しされたロジャー・ピールケ・ジュニア氏は自身のブログでそのことに触れ、そのプレス発表は「息が止まる」もので、ジョン・ニールセン・ガモン氏とクリフ・マス氏はレポートを適切に批判し、「たわごと」ボタンを押したと紹介した。そのブログ記事は奇妙なものとして衝撃的な印象を残したが、数日後、ハミルトン氏の記事を読んで、それ以来、私はピールケ氏の投稿を非常に不快に思うようになった。

しかし、その後、7月の末には、カリフォルニア大学バークレー校の物理学者で、気候変動の研究をあからさまに批判してきたリチャード・ムラー氏が、何十人もの科学者を交え、包括的に調査を行った結果、彼は今では「地球温暖化は現実に起こっており、温暖化に関するかつての推測は正しかった」と語っているのを読んで、驚きながらも喜んだ。彼はさらに「もう一歩、踏み込んで言おう。原因はもっぱら人間にある」と続けた。

ムラー氏の調査はチャールズ・G・コーク財団の資金援助を受けている。同財団は石炭業界で大きな力を握り、気候変動懐疑論者の有力な支援者であるハートランド・インスティティテュ―ト・シンクタンクによって設立されたものだ。コーク財団あるいはハートランド・インスティテュートの宗旨が変わったとは聞いていない。私が想像するかぎりでは、彼らはムラー氏の見解にこのうえなく気を悪くしているだろう。

いや、重要なのは、リチャード・ムラー氏のような人が、このように考え方を180度変えるのを見るのはとても新鮮だということだ。これは、新しいデータに納得すれば、立場を変えるべきだというモンビオ氏の見解に合っている。同様に、新しいデータにさらに誰かが反証を示せば、また考え方を戻してもいい。そうなると、私たちは全員、行ったり来たりをするようになる。

私が言いたいのは、特定の立場(技術革新が私たちを救う、など)や現状維持に固執すべきではなく、常に新たな証拠や見解にオープンであるべきだということだ。

同時に私たちは、挙げられた証拠に常に反応し、自分の理念のフィルターに合わないものを除外するようなことはせず、他のあらゆる選択肢を考慮しなければならない。

ほとんどの人たちと同様に、私も、気候は変動などしておらず、化石燃料は好きなだけ使い続けていいのだと思いたい。しかし、いまだに私は、私たちの現在の軌道が長く続けることが可能だという充分な証拠を目にしていない。そう、私たちが認識すべき限度や限界はあるのだ。

その意味では、私は人々がもっと共通の認識を見出し、複雑で差し迫った地球規模の問題にさまざまな解決策を探すことを望んでいる。

私の懸念は、私たちが一歩前進しては二歩後退するような、あやふやな状態を続ける期間が長引けば長引くほど、化石燃料の使用が増え、レジリエンスの構築が妨げられ、低炭素社会への移行に効果的な行動が遅れるということだ。こうした遅延は最終的に、私たちの進む道を、ますます針の穴を通るようなものにしていく。

何よりも、もし私たちが早々に力を合わせて行動を起こさなければ、私たちは地球を、その愛すべき経済もろとも破壊してしまうかもしれないのだ。

翻訳:ユニカルインターナショナル

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著者

ブレンダン・バレット

ロイヤルメルボルン工科大学

ブレンダン・バレットは、東京にある国連大学サステイナビリティ高等研究所の客員研究員であり、ロイヤルメルボルン工科大学 (RMIT) の特別研究員である。民間部門、大学・研究機関、国際機関での職歴がある。ウェブと情報テクノロジーを駆使し、環境と人間安全保障の問題に関する情報伝達や講義、また研究をおこなっている。RMITに加わる前は、国連機関である国連環境計画と国連大学で、約20年にわたり勤務した。