2100年以後の気候変動はどうなるだろうか

化石燃料に頼る私たちのライフスタイルが生み出す二酸化炭素が、未来の何十億という人々が暮らす地球の気候を危険にさらしていることは周知の事実だ。しかし、「未来」というとき、私たちはどのくらい先を考えるべきなのだろう。2050年?2100年?それとも、もう少し先の2500年、もしくはさらにその先だろうか?

科学や政治の世界で使われている未来の気候予測は、たいてい2100年までのものであることにすでに気付いている人もいるかもしれない。その答えは簡単で、今後数世紀のあいだに温室効果ガスがどれだけ排出されるか、またそれがどれだけ気候に影響を与えるかを正確に予想するのは、不可能だからだ。

しかし、勘違いしてはいけない。これは、最も頻繁に引用される気候予測値の予測期間を越えれば、気候変動がなくなるという意味ではない。ショッキングな真実だが、気候変動はまだ始まったばかりなのだ。将来の二酸化炭素排出量がどうなろうと、私たち人類が短期間で地球に刻んだ二酸化炭素という足跡は、永遠ともいえるほど長く気候のシステムの中に残り続け、地球上のすべての生物の繁栄に影を落とすのだ。

石炭もしくは石油1トンを燃やして排出される二酸化炭素のうち、多くは数世紀のあいだに海や植物に吸収されるが、1000年後には約25%が残り、さらには、100,000年後には約10%が残り気候に影響を与え続けるだろう。

有名なネイチャー誌でもよく研究論文が取り上げられる科学者のデイビッド・アーチャー氏によると、現在、私たちが化石燃料を使って排出している二酸化炭素は、事実上、永遠に気候に影響を与えていくだろうということだ。今日、石炭もしくは石油1トンを燃やして排出される二酸化炭素のうち、多くは数世紀のあいだに海や植物に吸収されるが、1000年後には約25%が残り、さらには、100,000年後には約10%が残り気候に影響を与え続けるだろう、とアーチャー氏は結論付けている。

となると、自然の気候サイクルを通して完全に二酸化炭素が吸収されるためには、さらに何千何万年という年月がかかるということだ。アーチャー氏がいうように、「化石燃料の二酸化炭素を大気に放出したことによる気候への影響は、ストーンヘンジよりも、タイムカプセルよりも、放射性廃棄物よりも長く続く」だろう。

コペンハーゲン分析

このような未来の破滅的状態について端的にまとめているのが、先日出版された最新版の『Copenhagen Diagnosis(コペンハーゲン分析)』である。この報告書は、2007年に出されたIPCCの第四次評価報告書以降の最新の研究成果を世界に知らせるという目的を掲げ、26人の気鋭の気候学者によって書かれたものだ。同報告書によれば、二酸化炭素のライフサイクルは途方もなく長く、そのため、世界の二酸化炭素排出量がいつピークを迎えるかにかかわらず、世界の気温は数世紀先まで上昇を止めないだろう、という。

しかし、それだけではない。同報告書は、「ゼロ・エミッション社会を実現させた後も、約1000年間は気温は高いままであり、おそらく最高値から0.1〜0.3度ぐらいしか下がらないだろう」と指摘している。

言いかえれば、未来の文明社会が温暖化を食い止めるためにどのような努力を払ったとしても、気候変動はなくならないということだ。このように、とてつもなく(17世紀の科学革命から始まる近代文明の歴史よりも遥かに)長い温暖化が続いたあと、気候変動はゆっくりと「逆の道を辿り」始め、最後には地球は寒冷化に向かうだろう、と同報告書は説明している。

しかし人類は、寒冷化が始まる遥か以前に、来たるべき内陸への撤退と何百年にもわたる海面の上昇との絶え間ない闘いに備えなければならない。海水が熱膨張し(海水は温まると体積が増える)、グリーンランドと南極の氷が溶けたために起きた海面上昇は、気候の変化が具体的な現象として現れるには時間がかかるという慣性の法則をはっきりと表している。

今日私たちが大気中に排出している二酸化炭素は、2300年頃までに海水を2~5メートル上昇させることを「プログラム」している最中なのだ。

3つの異なるモデルを示した次のグラフに見られるように、温暖化した気候と二酸化炭素のバランスの変化に対して海が十分に反応するには何世紀もかかる。つまり、今日私たちが大気中に排出している二酸化炭素は、2300年頃までに海水を2~5メートル上昇させることを「プログラム」している最中なのだ。

さらに、最終的に地球の気温が安定した後も、数世紀にわたって海面の上昇が続くだろう(すなわちこのグラフの上限を越えるということでもある)、と『Copenhagen Diagnosis(コペンハーゲン分析)』の執筆者たちは警告している。これによって、沿岸部にある都市、町、農業地帯、真水の水源などに壊滅的な影響が及ぶことは間違いない。(The Center for Remote Sensing of Ice Sheets((氷床の遠隔探査センター))は、海面の上昇がもっとも深刻な地域のデジタル画像を提供している)

小さな決断、大きな結果

今後数千年をかけて起こるだろう地質学上の大変動を考えれば、私たちが現在行っている決断(”決断しない”という意味での決断)は、新たな様相を呈してくる。気候変動リスクの影響全体を評価するためのタイムスケールを、今世紀以降にまで広げる必要があることは明らかだ。もし人類が地球の温度自動調節器の目盛りを2度(非常に楽観的な値といえるが、国際社会が現在目指している目標値である)上げてしまえば、 温度低下を人為的に引き起こそうとする地球工学を別にすれば、その目盛りが元に戻ることはないだろう。

そうなれば、気温をコントロールすることはできなくなり、地球上の全ての生物は数千年にわたって新たな環境へ適応することを余儀なくされてしまう。現在、洪水や干ばつ、野火、酷暑などの自然災害によって、また雪冠や氷河の大部分、北極のほぼ半分が消失したことによって、数え切れないほどの人命や動植物の種が失われている。今日私たちが目にしているこのような生態系の破壊は気候変動を原因としており、1800年以降に平均気温がほんの0.8度上昇した結果、生じたものだ。2100年が来る前に気温がさらに1.2度上昇することが、すでに脆弱な地球の生態系と気候変動のリスクにさらされている社会にとって何を意味するかは、想像に難くない。

未来の倫理

この地球は、究極的には「地球公共財」だ。特定の個人や国家に属しているわけではない。また、私たちの世代、子供たちの世代、孫たちの世代といったような、ある1つの世代に属しているわけでもない。この地球は、現在生きているすべての生物、そして未来に生きるすべての生物、その両方に属しているのだ。ちょうど、すべての人類が世界中で「水平に」つながっているように、過去と未来のすべての生物は、不断に展開し続ける生命の物語の中で「垂直に」つながっているのだ。

しかし、今の私たちの文明では、政治も経済も現在を楽しむことに固執し、自分たちの活動が未来に及ぼす結果の責任を引き受けることができないでいる。お金に関する私たちの行動を見ていれば、それは容易に分かる。個人も企業も政府も、現在のために未来から果てしなく借金をし続けているのだから。

同じように、現在の資本主義文明では、化石燃料に依存する人々が猛烈な勢いでお金や環境を未来から借り続けている。また、自然を支配するという特権を享受しているのは地球上のほんの一握りの人々であるというだけでなく、彼らはこれらの特権を地質学的にいえば驚くほど短い期間に消費しているのだ。

近代性の危機というものを、倫理や価値観の再解釈とすることもできるが、今その危機の中にあって、私たちが未来を考える時に、現在の自分の選択や行動をどのように組み立て直すべきなのだろうか?

これは、私たちがすべての未来の人々の立場に立って考えるということであり、未来の人々はどのような地球に住みたいだろうかと私たち自身に問いかけるということだ。何百年も何千年も先の私たちの子孫は、今日の高度かつ繁栄した文明を育んだ安定した気候と、現在と同程度の海面の高さを望むだろうし、彼らにはそのような恵まれた地球に住む権利がある。

私たちが温暖化緩和の目標を定める基準には、未来の人類とその他の生物に対するこのような配慮こそが必要であり、今日の産業化された社会にとって政治的に都合がよいとか、経済的に採算がとれるなどという理由だけで基準を決めてはならない。

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2100年以後の気候変動はどうなるだろうか by グレゴリ― ・トレンチャー is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.

著者

グレゴリ―・トレンチャー氏は、日本の企業に向けて気候変動に関する教育を行う環境ラーニング研究所(http://www.k-learning.jp)の創設者である。現在は、東京大学大学院博士後期課程で気候変動問題・持続可能性の危機に取り組む高等教育機関の可能性について研究している。将来の夢は、日本のアルゴアになり、もらった以上の恩を地球に返すことだ。