エコマインドが照らしだす希望の生態学

作家フランシス・ムア・ラッペ氏は今日の世界危機への解決策は手の届くところにあると信じている。ムア・ラッペ氏は数十年間にわたり食料不足と不平等について執筆活動を行っており、1970年代の『小さな惑星の緑の食卓』で注目を浴びた。最新の著作『EcoMind: Changing the Way We Think to Create the World We Want(エコマインド:望みの世界を創るため考え方を変える)』の中で、氏は気候、人類学、神経科学の研究に基づき、この惑星を弱体化させている問題への対処が滞っている理由について説明している。ムア・ラッペ氏はインタビューアー(Truthoutのマーク・カーリン氏)にこたえ、私たちの人間性が自然のリズムと一体となるよう、自らを「思考の罠」から解放すべきであると語っている。

マーク・カーリン: 地球温暖化や公害の危機に関しては陰鬱なムードが漂う中、あなたが『EcoMind』という考えを発表できるほど楽観的なのはなぜですか。

フランシス・ムア・ラッペ: マーク、私は楽観的でも悲観的でもありません。私は根っからの現実的改革主義者です。エコマインドを持てば全てはつながっていて、不変なのは変化のみであることが理解できます。私にとって、そこが転換点です。私たち人類はこの一瞬ごとに共に未来を創造しています。それは限りない可能性です。仏教徒である友人の1人は、「希望」という概念は現在から目をそらすものだとして不信感を持っています。それは分からなくはありません。でも私に言わせれば、希望は将来への夢想でも妄信でもありません。好奇心と謙遜に満ちた人生への心構えです。エコマインドがあれば、想定外の出来事にも心の準備ができます。何が起こりうるのかを知ることは不可能だと理解できるからです。『EcoMind』によってこの点を世間に知らしめることができればと思います。

マーク・カーリン: 第一章に「なぜ私たちは後退しているのか」という節があります。ここでの要点を教えていただけますでしょうか?キーストーンXLパイプライン計画反対などの動きは前進ではないのですか。

フランシス・ムア・ラッペ: 私が「後退」というのは生態系破壊や人的被害についてです。確かに多くの前向きな動きはあります。ただ、長年にわたって私を突き動かしているのは大きな「なぜ」という疑問です。「なぜ私たちは、個人では決して選ばないような下向きのスパイラルを、一緒になって創り上げているのか?」この疑問に対する説得力ある唯一の答えが次第に見えてきました。それは思考の力です。

私たちはこの世界を「メンタルマップ」を通して見ています。それは世界がどう動いているかについて核をなす「思い込み」です。もし世の中がそれと釣り合っていれば問題ありません。しかし『エコマインド』で私が述べているのは、不幸にも現在多くの人が描くメンタルマップは人間性や大きな意味での自然とはうまく釣り合っていないどころか、真逆だということです。それによって人類の最善の部分ではなく、最悪の部分が引き出され自然の再生を助けるのではなく破壊しているのです。

ありがたいことに、私たちはメンタルマップを書き換えることが出来ることが分かっています。ただそれは大きなショックを伴うものです。 猛烈な嵐が来て木々が倒れて初めて、その根を見ることが出来ます。今私たちは、今そんな嵐の真っ只中にいるのです。

というわけで…、マーク、確かにキーストーンXLパイプライン建設反対の動きなどは、前進といえます。それは私たちの勇気を引き出してくれるものです。同時に、もっと大きな下向きのスパイラルを逆転させるには、より深い根源を特定しなければなりません。例えば「私企業化された政府」です。 そして人々を押しとどめている恐怖を減らすため、起こりはじめている前向きな転換例を語り伝えるべきです。

マーク・カーリン: 地球の危機を解決するにあたり、私たちが陥りがちな7つの「思考の罠」を挙げておられましたね。これらの罠がどのように問題解決の足かせになっているのでしょう。

フランシス・ムア・ラッペ: 「思考の罠」のいくつかは「限界に達した」とか「成長が地球を破滅させるのだから、成長しない経済に適応しなければならない」などといった短絡的な考えです。それらを罠と呼ぶのは、それらが私たちの恐怖をあおるからです。心理学によると、ほとんどの人間は恐怖を抱くと、より物質的で自己中心的になります。同様に危険なのが、そういった考え方は私たちが肯定的なイメージを持っている「成長」という名の下に行う物事を善と考えている点です。私たちは子供や地球や愛情には成長を望むものですよね。「成長」の逆は衰退か死ですが、こちらは魅力的ではありません。

このような見方をしていると、私たちの経済が実は成長などではなく浪費と破壊だということが見えません。専門家によると、アメリカではエネルギーの55%から87%が無駄に使われています。食料のおよそ40%がそのまま捨てられています。しかも、アメリカ人が消費する食料の40%がそもそも栄養価のないものだという事実は考慮されていません。

さらに、「成長 対 非成長」や「限界に達した」という見方は、私たちを量的な考え方に閉じ込めてしまいます。「問題があまりに多過ぎる」と考えてしまうのです。こう判断してしまうと、その理由を探ることをしなくなります。知っているふりをするだけです。「世界中で増えている自己中心的な買い物好きの連中のせいだ」と。でも、いったん量的な物の見方を変え、エコマインドを持つと、たくさん物を持つという裕福さが浪費と破壊を生み出している仕組みが見えてきます。

そこでこんな疑問も湧くでしょう。私たち知性ある生物が一体なぜ欠乏を生み出すのだろう、と。そこから主要なメンタルマップの中心部に考えが及びます。欠落です。これを私は「欠乏マップ」と呼んでいるのですが、それはありとあらゆるもの、財産も善良さも、ないことを前提としたものです。これが自らに対する不信を招き、「お偉方」と、私たちなしでも勝手に回っていく魔法の市場に権力を委ねなければならないという思いを誘発するのです。

マーク・カーリン: 「受身の民主主義」に対して「生きた民主主義」とは何でしょう。また、それはどのようにして、地球を共有する私たちが前向きな変化を起こす助けとなるのでしょう。

フランシス・ムア・ラッペ: 生きた民主主義とは、出来上がって完成した1つのシステムではありません。生活のあらゆる側面に広がる1つのまとまった価値観です。包括、公正、相互の説明責任という価値観は学校でも職場でも通用するものです。きれい事のように思えるかもしれませんが、実際に現在起こりつつあることです。しかし想像もできないことを真に創造することはできません。ですからそういった例を人々に知らせ、生きた民主主義の萌芽について語らなければなりません。それが『EcoMind』 で私が行おうとしていることです。

私たちは、民主主義とは「私たちに対して、または、私たちのために為されるもの」と教えられて育ちましたが、そのような概念はもはや崩れかけており、通用しません。生きた民主主義は、人間性と連携したものだからこそ機能するのです。最近の科学の飛躍的進歩は、私たち人間には地球の問題に対峙するだけの能力があることを示しています。人間は協力、共感、公正と共に、社会哲学者エーリヒ・フロムが「make a dent(小さな影響を及ぼす)」と表現した渇望を「経験によって植えつけられて」います。私の直感では、世界的に鬱症状がはびこっているのは、一般的なメンタルマップが深い渇望や能力の表現を否定しているからです。

エコマインドがあれば、自然のあらゆる生命体同様、そのクオリティが十分発揮されるか否かはコンテクスト(規則や規範)に大きく依存するものだということが分かります。生きた民主主義は、肯定的なクオリティを引き出し、残酷さの能力を抑制するようなコンテクストを創造します。少なくとも3つの条件がそろうと人間の最悪な部分が引き出されます。権力の集中、秘密主義(ウォール街で悪質なデリバティブを生み出していたインサイダーのスローガンはIBG〈I’ll be gone. その頃私はいない〉, YBG〈you’ll be gone. その頃あなたもいない〉でした。彼らは見つからずに逃れられると分かっていたのです)、そして非難の文化です。私が正しければ、しなければならないことは明らかです。その逆の条件を作ればよいのです。権力の分散、透明性、そして人間関係における相互責任です。それが生きた民主主義です。

マーク・カーリン: 「思考の罠6」では自然との再融合の重要性を説いておられますね。どうすれば都会化したアメリカ人にこれが達成できるでしょう。

フランシス・ムア・ラッペ: マーク、これも既に始まっていることなんですよ。自然との結びつきは人間の根底に流れているもので、自然の写真を病院のベッドのそばに置いておくだけでも回復に役立つことが分かっています。アメリカの市民公園は1970年にはほんの一握りしかありませんでしたが、現在では18000もあります。農作物の生産者が直接消費者に販売するファーマーズマーケットは90年代中ごろにはめったに見られなかったので農務省はその数を記録すらしていませんでした。ところが現在では全国に7000軒以上見られ、17年の間に4倍以上に増えています。 40年前はほとんどの校庭はひびの入ったアスファルトでした。現在ではカリフォルニアだけでも「食用の」植物を植えた校庭の数は3000以上に増えており、子供たちに食料がどこからやって来るものなのかを教えています。
これ以外にも様々な方法で、私たちは再び自然と融合し始めているのです。

マーク・カーリン: 「公への配慮」の必要性について、あなたはこうおっしゃっています。「自由を規則がないことだと考える限り、自由を知ることはできない」と。この考えに基づき、現在のアメリカでの規制緩和の動きについて意見を聞かせてください。

フランシス・ムア・ラッペ: 私たちの文化では自由は一般的に「私の邪魔をしないで!」という意味です。無制限の選択肢の中から自分の立場を主張し、それを大切にすることが自由の定義とされていますよね?

でも、考えてみてください。幼い子供が安全で愛されていると感じるには決まりが必要だと誰もが感じていますよね?それは大人にとっても同じではないでしょうか。そんな定義は、私にとっては無節操というものです。無制限の選択肢があったら、私はおかしくなってしまうでしょう。規則や境界があればこそ、意味や目的意識、他者とのつながりを感じられるのです。十戒、権利章典、結婚の誓いを思い出してください。もっと具体的には、路上の規則がなければ運転を楽しむ自由を満喫することはできません。食の安全基準がなければ食べる自由を楽しめません。ベッドメーキングから野球にいたるまで、ありとあらゆる人間の行動には規則があるのです。

それに、果てしなく議論を続けられるような人工の規則とは違い、自然は人間の意志とは無関係の絶対的なガイドラインを提供してくれることを、私たちは歓迎すべきです。確実性を制限ではなく解放だと捉えることができるのが分かりますよね。

では、人はどんな規則を大事にするのでしょうか。それはその意義が明らかで、納得のいく規則です。そして作り手が私たちの声を聞いてくれているという敬意を感じられるような規則です。その一例として、ドイツで最初に作られたシンプルな法的枠組みが挙げられます。世帯が再生エネルギーを導入し、その投資額を回収できるように、作られたエネルギーの対価を支払ってもらえるというものです。シンプルで、納得がいき、今やこの動きは60カ国に広がっています。この「決まり」によって、2020年までにドイツの電気の4割を再生エネルギーに変えることができるのです。

マーク・カーリン: 西洋では大きな機関は、企業であれ金融機関であれ、私たちの文化のコンテクストの大部分を支配しています。ナオミ・クライン氏が言うように、それらは私たちを経済的に「ブランド化」したのです。 リベラルで社会的思想を持ちながらも経済的にはブランド化した消費文化に動かされている進歩主義者にはどう忠告しますか。

フランシス・ムア・ラッペ: 企業が世界経済を完全に封じ込めたという考え方は人々を無気力にさせ、真実ではありません。ほんの数社が世界メディアを支配しているからと言っても、実際は株式公開企業の株主より協同組合員の数の方が多く、協同組合の方がより多くの雇用を創出しているという事実を多くの人々は知らずにいます。それに世界の食料のほとんどは、小規模農家によって生産されています。アメリカでさえ、500人未満の企業が農業以外のGDPの約半分を生産しています。

自由とは (またこの単語の登場ですね)、私たちに選ぶ権利があると理解するところから始まります。まずは自分の判断力でメガ企業とメガバンクを避ければよいのです。最近の「ムーブ・ユア・マネー(お金を動かそう)」という活動はとても良い例です。マサチューセッツ州では、州財務担当官が公的資金のうち3億ドルを地方銀行に移しています。他州の財務担当者もこれに見習うよう圧力をかけてはどうでしょう。

最も重大な企業の権力は、政治プロセスの権利を握り私有化した政府を作り上げることです。でも今は、「占拠せよ」活動の勇気に触発され、これまで以上に、政府から金を追い出し私たちの声を取り入れようというする活動が本格的に始動していくだろうと思います。8割以上のアメリカ人は、企業がワシントンで権力を握りすぎていると考えています。ですから、そういった活動のエネルギーは党派を超えたものです。

マーク・カーリン: 経済的に非常に苦しい労働者階級のアメリカ人に対し、前向きな変化が彼らにとっても良いことだと説得することができるでしょうか。

フランシス・ムア・ラッペ:「良いこと」ですって?これは生きるか死ぬかの問題です。地球略奪の根を探ることは、職の喪失や貧困の根を探るものでもあるのですから。

本インタビューはTruthoutに掲載されたもの。

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著者

マーク・カーリンは独立したニュースと解説を日々提供する非営利非課税組織Truthoutの「BuzzFlash」編集長を務める。