ブレンダン・バレット
ロイヤルメルボルン工科大学ブレンダン・バレットは、東京にある国連大学サステイナビリティ高等研究所の客員研究員であり、ロイヤルメルボルン工科大学 (RMIT) の特別研究員である。民間部門、大学・研究機関、国際機関での職歴がある。ウェブと情報テクノロジーを駆使し、環境と人間安全保障の問題に関する情報伝達や講義、また研究をおこなっている。RMITに加わる前は、国連機関である国連環境計画と国連大学で、約20年にわたり勤務した。
環境主義者やピークオイルコミュニティの人たちを「世の終わりを予言」している悲観的な人たちとして分別するというなんとも不健全な傾向がある。
最近では、World Changingのアレックス・ステフェン氏が討論に飛び込んできている。彼は、トランジション運動のリーダー達が「陽気にピークオイルに到達するや多大な食糧不足、グローバル化の突然な破綻」が起きることや「ぼう大な人口消滅」が起きることを予測している、と言うのだ。
確かに、ピークオイルに関する文献や最近のドキュメンタリー映画(郊外型生活様式の終わり、ブラインド・スポット、など)には似たような意見が点在する。しかしこれらの見解をトランジション運動と関連付けるのは間違っているうえ不当だ。ただ、この様な絶望感はハリウッドを通じて今日のポップカルチャーを独占しているようだ。実際、ザ・ロード、2012、ブック・オブ・イライ、など「世の終わり」や「世紀末の後」をテーマにしている映画が今後ぞくぞく公開される予定だ。
アレックス・ステフェン氏はトランジション運動を批判するのではなくマイケル・ルパート氏が主演するコラップス(崩壊)というドキュメンタリーを批評して評論の焦点に持ってくるべきだったのかもしれない。この映画は完全にノールールでピークオイルなどの題を扱いながら「絶望的な未来」を描く作品だ。
どちらかと言えば、トランジション運動の焦点はルパートが描く世界とは180度異なるものである。トランジションを唱える人たちは人類がもつ創意工夫や創造の力を語り、それらが逆境や資源難の中でも失われることがないと言う。それどころか、これらの力が化石燃料後の世界への移行を引導し、作り上げていく主な原動力であり続けるだろう。
なぜトランジション運動がこの「崩壊シナリオ」に関連付けられてしまうことがあるのだろうか。その理由を探るにはパーマカルチャーの発案者の内の一人、デビット・ホルムグレン氏の著書を読むことが不可欠だと思う。彼の最新の本、Future Scenarios(未来予想図)では、国際社会がピークオイルと気候変動に対応そして適応していく中で四つの結末が可能性として挙げられている。
彼がまず挙げる考えはテクノロジーの爆発的進歩だ。我々は素晴らしいエネルギー源を発見し、現在の発展軌道に乗り続けたまま宇宙の植民化まで到達するものだ。これはスター・トレック・シナリオとも呼ばれている。
次に彼はテクノロジー安定化のシナリオを描いている。そこでは、我々は再生可能なグリーンエネルギーに移行し、なんとか今の発展国同様の生活レベルを維持できる。これはなんと言っても、環境主義者たちや環境意識の高いリーダーたちの間でも圧倒的に優勢なシナリオである。
三つ目のシナリオこそトランジション運動の主体となるものであり、低エネルギー化シナリオと呼ばれている。これは化石燃料が枯渇していくにつれ経済活動やその複雑さ、そして人口が何かしらの方法で減少していくものだ。この「何かしらの方法」とは急激な人口消滅ではない。それよりは、この低エネルギー化は何十年もしくは何世紀もの時をかけて起きるだろう。自然と起きる出生率の減少なども一つの要素といえるのかもしれない。(日本、ロシア、イタリアなどではすでに見受けられているように)
四つ目のシナリオこそがトップ記事となるようなものであり、このシナリオがアレックス・ステフェン氏の目に留まったようだ。崩壊シナリオ(またはマッド・マックス・シナリオ)と呼ばれ、現在の社会システムや産業の崩壊を示す。この崩壊は急激で途切れることがないため社会が安定することもできない。そしてぼう大な人類の消滅を避けることはできず、現代文明も失われてしまう。トランジション運動の人たち、というよりどこの人々も、このシナリオが実現することは望んではいない。これは私たちの想像の中にとどめることが一番だ。
ここで聞きたいのは、なぜステフェン氏はトランジション運動についてもっと慎重な論考を示さず、その支持者にも好まれている低エネルギー化のシナリオの利点を取り上げなかったのか。恐らくそれは、このシナリオが無視されることが多いからだろう。ホルムグラム氏自身の言葉を借りると、これは「非現実的、敗北主義的、そして非生産的」と見られているからだ。
トランジション運動が行ってきた、あるいはやろうとしているのは、この見方を変えていくことだ。低エネルギー化は「成長経済や消費文化の縛りや不全」から人々を開放してくれる肯定的なプロセスと見るのだ。この道の先で私たちを待つのはもっともっと良い世界だ。
「崩壊」やジェームス・ハワード・ナスラー氏の“Long Emergency”のような感情的な表現を使うのは、人々にピークオイルや気候変動によって世界が様変わりするという現実に気づき、目を覚ましてもらいたいからだ。私たちの多くはこの現実を拒絶し、目を背けようとしている。
しかし、ステフェン氏が指摘するように「崩壊とは社会変化ではない」。私が思うに、世界のエネルギーシフト、いわゆる世界的な低エネルギー化、がまさにそのことであり人々が意識して行動することから始まる。
もちろん、世界のエネルギーシフトが拘束力のある国際協定や、エネルギーや気候に関する国家政策、地域活動などから始まることが理想だ。しかし、蝸牛の様にのろのろと進む気候変動への国際社会の対応がまとまるのを待つことはない。今こそ行動すべき時なのだ。今すぐ行動を起こせばピークオイルまでの時間を引き延ばす効果があるかもしれない。そうすれば順応する時間を稼ぐことができ、変化による苦痛を軽減し創意工夫を働かす機会を増やすこともできる。
今私達が皆巻き込まれているトランジション。その核心をしっかり掴んでいるのがCIBC(カナダインペリアル商業銀行)ワールド・マーケッツの元主席エコノミスト兼主席ストラテジストであるジェフ・ルービン氏だ。彼の書籍、Why Your World is About to Get a Whole Lot Smaller(なぜ世界は小さくなってゆくのか)の中で彼はトランジションが起こる上で市場が大きな影響力を持つと提案する。石油価格がまた三桁代に上昇すれば、社会変化を推進させるのは環境主義者たちではなく市場となるのだ。
私達は可能な限り、たとえ高額でも残された石油燃料のすべてを搾り取るだろう。そんななか、できる限り早く代替となる再生可能なエネルギーを用いるのだ。そうすれば私達は残ったエネルギーを最も費用効果が高い、効率の良い方法への転換を優先するようになりそれが更なる省エネ化を図る努力につながっていくだろう。
長期的には、グローバル化の後退が見られるかもしれない。すべてのものが近場で生産されるようになり、二酸化炭素の排出を抑えることができる。ただこの移行は円滑には進まないかもしれない。経済は現在のような不況に見舞われては回復し、それでも順応ができなければエネルギー価格の上昇によりまた更に不況に突入する恐れはある。
私達がこの新しい現実に気づき目が覚めるのが早ければ早いほど、そして皆が同じ方向に動きだすのが速ければ速いほど、低炭素で石油に依存しない世界へのソフトランディングが確保できるだろう。そしてまだ石油が残っていて、それを今のようにやみくもに使うのではなく大事に扱う社会になっていたいものだ。
ここで話しているのは進化的変化だ。進化とは追求していくべきものではないだろうか?
翻訳:越智さき
ピークオイルから 低エネルギー化へ by ブレンダン・バレット is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.