新型コロナウイルスによる死者数は「氷山の一角」になるかもしれない

公衆衛生は「個人と社会の健康を守り、増進するための総合的アプローチ」と定義されている。公共衛生のアプローチは、疫学、環境衛生と集団衛生(population health)、生物統計学、また社会医科学を含むさまざまな領域からなり、幅広い研究・分析ツールを駆使するため、ある一つの医療の効果や疾患に対する取り組みの域を越えて発展してきた。つまり、特定の集団についての情報とその集団の医療制度に加え、健康を増進し疾病を予防するための社会的、環境的要因が考慮される。

世界中の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策では、「流行曲線を平たん化する」ことが主流となっている。ウイルスの感染拡大を遅らせることで、医療機関が重症患者への対応に必要とされる高度な集中治療能力を保てるようにする戦略だ。各国が広範囲にわたるロックダウン(都市封鎖)措置の確保を目指している理由も、ここにある。

この戦略は、COVID-19の拡大を食い止めるという点で効果を上げている一方で、その他の疾患のために必要とされうる治療を含め、幅広い医療サービスに支障をきたしている。実際、通常の予防治療を目的とする診療は大幅に減少した。また、超過死亡、すなわち早期に、またはまったく治療を受けられなかったことにより、心臓発作や脳卒中で死亡する人がいるというエビデンスも増えている。さらに、家庭内暴力ストレスメンタルヘルスの問題が増加しているとの報告もあり、特に子どもと若者は、今回のパンデミック(世界的大流行)の影響が生涯にわたって続くという意味で「ジェネレーションC」と呼ばれることさえある。

ロックダウン措置は、その直接的影響だけでなく、学業成績食料安全保障雇用と所得など、健康の社会的決定要因に幅広く悪影響を与えている。こうした要因は、すでに弱い立場に置かれた家庭や集団に、偏って大きな影響を及ぼし、国内外で健康の不平等と差別をさらに悪化させる。このような人々の多くが、肥満や心臓病、糖尿病、高血圧症など、貧困とCOVID-19の両方に関連づけられる基礎疾患を持つため、ロックダウンによって、無症状または軽症の人がリスクの高い人と密接に家庭内で接触することでウイルスの感染が拡大した可能性もある。

多くの基礎的な公衆衛生サービスと集団衛生の原則をCOVID-19対策に再び取り入れることは、今からでも遅くない。

今私たちがどのようにCOVID-19に対応するのか次第で、差し迫った危機が去った後も公衆衛生に及ぼす影響は長く続くだろう。特に、出生率が高く、5歳未満人口の割合が大きく、さらに感染症罹患率の高い国では、予防接種プログラムを含めた数十年にわたる妊産婦・幼児死亡率削減への取り組みが一時的に中断することで悪影響が出ており、すでに深刻な結果をもたらしている。

現状の緩和戦略の多くが限られたエビデンスに基づいていることを踏まえ、私たちは過ちが繰り返されることのないよう、また、公衆衛生への二次的影響が見落とされることのないよう、地球規模の学習アジェンダを導入する必要がある。

多くの基礎的な公衆衛生サービスと集団衛生の原則をCOVID-19対策に再び取り入れることは、今からでも遅くない。公衆衛生の専門家が臨床的リスクをよりよく把握するとともに、さまざまな集団へのリスクを理解できるようにするためには、病院や公衆衛生当局が詳細な臨床データ、人口および社会経済に関するデータを収集・照合・共有することが欠かせない。そうすることで、医療の効果を評価する際に、人口密度やモビリティ(移動性)、貧困、不平等などの社会的決定要因に配慮した対応も可能になるだろう。集計表だけでは、最もリスクの高い人々への取り組みに必要となる、エビデンスに基づく政策決定や、精密公衆衛生(より効果的な施策を導くためにデータを活用する戦略)を後押しすることはできないからだ。

社会的背景は重要であり、それによって必要な取り組みも変わってくる。エボラHIVをはじめ、国際的関心を集めた他の公衆衛生の緊急事態から得られた教訓は、直面する健康問題に対処しすると同時に、スティグマ(社会的な汚名)や差別、不安を減らすこともできる地域レベルの取り組みに向けた戦略とアプローチへの道筋を示している。残念ながら、地域社会とのパートナーシップに関するこうした教訓は、ほとんどCOVID-19対策に活かされていない。これらを取り入れていれば、地域社会がより主体的な対策を講じ、予防措置の改善に貢献できていたかもしれないし、それは今でも可能だ。

現在直面している危機が去った後、地域社会や各国はそれぞれ幅広い参加者を集めた独立した専門家委員会を招集し、取られた対策を評価する必要がある。それまでの間、私たちは現時点での取り組みを早急に変え、学びと評価、そして適応を始めなければいけない。そうでなければ、一つの病気だけに焦点を絞った対策によってさまざまな公衆衛生の問題が生じ、COVID-19そのものによる死者数はその「氷山の一角」でしかなくなるだろう。もしそうなれば、私たちの世代と将来の世代は、苦労して手に入れた公衆衛生の前進と、健康やその他の分野において持続可能な開発目標(SDGs)を達成できる可能性を、ともに失うことになるだろう。

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本稿は、The BMJ Opinionに掲載された記事を転載したものです。元の記事はこちら

著者

パスカル・アロテイ教授は、国連大学グローバルヘルス研究所(UNU-IIGH)所長。4つの大陸で20年間、グローバルヘルスの研究者として健康と福祉の増進に努めてきた。主な研究分野は健康の公平性、健康と人権、ジェンダーと健康の社会的決定要因、強制移住と疎外、性と生殖に関する健康、感染症と非感染症。

ニーナ・シュワルベは、国連大学グローバルヘルス研究所(UNU-IIGH)の主席客員フェロー。