ブレンダン・バレット
ロイヤルメルボルン工科大学ブレンダン・バレットは、東京にある国連大学サステイナビリティ高等研究所の客員研究員であり、ロイヤルメルボルン工科大学 (RMIT) の特別研究員である。民間部門、大学・研究機関、国際機関での職歴がある。ウェブと情報テクノロジーを駆使し、環境と人間安全保障の問題に関する情報伝達や講義、また研究をおこなっている。RMITに加わる前は、国連機関である国連環境計画と国連大学で、約20年にわたり勤務した。
「コモンズ」という単語は典型的に、コミュニティ全体が所有する、あるいはコミュニティ全体に影響を与える土地あるいは資源と定義される。あなたが環境保護分野で活動している人なら、あなたのいる場所がどこであれ、恐らく空閑地、牧草地、森林、川、さらには沿岸海域といった形態のコモンズに出会う可能性は高い。
私は最近、慶応大学のリン・ティースマイヤ教授から国連大学のビデオ製作活動に関するレクチャーを依頼された。それまでは、自分自身とコモンズの相互関係を環境分野の専門家として十分に理解していなかった。ティースマイヤ教授が提案してくださった私のレクチャー名は「コモンズを記録する」というものだった。レクチャーを準備している間、私は次のことに気づいた。私と国連大学の同僚たちは10年以上にわたって「環境関連の話題」を映像作品にしてきたのだが、自分たちが世界各地のコモンズの運命も同時に記録しているという認識はなかったのだ。
私たちの作品は、人々がコモンズを保護し、共有し、解放しようとする一方で、別のグループの人々は(場合によってはやむを得ず)コモンズを悪用し、私有化し、封じ込もうとする姿を映してきた。
私たちは多くの事例で、経済学者のギャレット・ハーディン氏が「コモンズの悲劇」と表現した状況が日常的に展開されるさまも目撃した。コモンズの悲劇とは、多くの個人が、限りある共有資源を利用すると、その環境が劣化するというものだ。
コモンズの管理は、対立に満ちた厄介な仕事である。この資源をめぐる奮闘の中心には一般的に、権力、公平性、正義、平等性といった問題が存在し、歴史的に見ても同じことが言える。実際に、私は慶応大学でのレクチャーを始める際に、17世紀のイギリスの民俗詩に言及した。その詩は、法律はコモンズからガチョウを盗んだ人は捕まえるのに、ガチョウからコモンズを盗んだ泥棒には手出しをしないという内容だ。この詩は1800年代のイングランドにおける共有地の囲い込みに対する直接的な批判である。牧草地の草を刈ったり家畜を放牧したりする市民の伝統的な権利が剥奪され、そのような牧草地の利用は「所有者」だけに制限された。同時に、この詩は私たちの司法制度も反映している。つまり、現代の司法は軽犯罪を罰し、より重大で大きな影響をもたらす犯罪には罰を下さないことが多い。
2003年から2007年の間、水や生物多様性に関する問題を扱う教材を開発するために、私たちは幾つかのメキシコの大学と共同活動を行っていた。この活動を率いたのは、国連大学の同僚で、極めて才能に恵まれたメキシコ人 ルイス・パトロン氏だった。国連大学の活動をより広く共有するためにドキュメンタリー作品を製作するというのは、彼のアイデアであり、その狙いは非常にうまくいった。国連大学のYouTubeチャンネルは500万回を超える再生回数を記録し、さまざまな媒体での放映契約も結んだ。
初めてのコラボレーションはグアダラハダ大学との活動だった。私たちは「アユキラ川を救え」と題したビデオドキュメンタリーとインターアクティブe-ケーススタディを共同製作した。この作品は、製糖工場が生産を開始し、広い農地がサトウキビ農園に転換されていくうちに、アユキラ川流域が変容していくのを目撃した地域社会の苦難を取り上げた。
ほぼ同時期に、グアダラハダ大学の科学者たちの活動が実り、1987年、シエラ・デ・マナントランの生物圏保護区の認定につながった。保護区の認定は非常に好ましい発展だったが、1つの大きな課題があった。3万3000人の人々が保護区内の土地の権利を持っていたのだ。こうした権利の大部分、すなわち約60%は、メキシコのエヒード制に基づいて共有されていた。エヒード制とは、コミュニティの構成員がエヒード(共有農場)の特定の区画を個々に所有し、耕作するという仕組みである。もともとアステカ族のカルプリに基づくエヒード制は、メキシコの1917年憲法で保証された。
科学者たちにとって生物圏保護区における課題は、例えば牧草地、小規模農地の区画割り、違法な森林伐採といった、地域社会のかなり破壊的な土地利用を規制することだった。「アユキラ川を救え」は、保護区だけではなくアユキラ川の汚染を含む同地域のその他の環境問題の解決を目指した、科学者と地域社会の前向きな共同作業の1つである。
2007年、私たちは2つ目のドキュメンタリー作品「チチナウツィンの声」を製作した。この作品は、違法な森林伐採の問題を取り上げている。この時も、私たちはモレロス州立自治大学の科学者たち、とりわけトピルツィン・コントレラス教授(後にモレロス州の持続可能な開発政務次官となった人物だ)と協力し、1988年に制定されたチチナウツィン生態回廊の管理と保全を目指す奮闘を取材した。メキシコ・シエラ・ノルテのセンポアラ湖とテポツテコ国立公園を結ぶこの回廊は、自然の緑地であり、メキシコシティとクエルナバカの水源でもある。
このドキュメンタリー作品は数々の複雑な問題を探究しているが、その中でも特に、共有地を外部からの違法な森林伐採から守ろうとするトラウイカ族の奮闘を取り上げている。国民の関心を集め、トラウイカ族社会と彼らの森林を守る行動が引き出されたきっかけは、悲しいことに、トラウイカ族の一員だったアルド・ザモラ氏が2007年7月に殺害された事件だった。殺人者たちは違法伐採団のメンバーであることが明らかとなった。
メキシコでは、土地の大部分が共同所有されており、資源が保全されるか悪用されるかは、こうした地域社会の奮闘に掛かって
いる。
私たちが次に取り組んだビデオドキュメンタリーは、特に気候変動の影響との関連における、より多くの先住民族の体験を中心に取り上げた。この頃にはすでに、オーストラリアの成功した若手映像作家であるキット・ウイリアムズ氏がすでに私たちのチームに加わっており、私たちは国連大学伝統的知識イニシアチブと共に、一連の短編ドキュメンタリー作品を製作した。
作品で取り上げた地域社会のほぼ全てがコモンズの管理に携わっていたが、中でも「ダヤック族の禁断の森」という記事は、地域社会がいかに効果的に、地域の生物多様性と生計の両方を守ることができるのかを例示している。
ボルネオ島のセトゥラン村に暮らすダヤック族は、土地利用を規定し、地域の森を含む資源の乱用を制限する古くからの掟に従っている。資源は「禁断の森」という意味のタナ・オレンと呼ばれ、誰もそこから木を切り出したり、資源を持ち出したりできない。こうした規定に従って、ダヤック族は土地を保全してきた。その一方、近隣の地域社会は、木材伐採業者に自分たちの権利を売り、環境はひどく劣化してしまった。
興味深いことに、慶応大学でのセミナーで共にレクチャーを行った人はコモンズの専門家だ。兵庫大学の三俣学教授は、国連大学出版局から2013年に出版された『Local Commons and Democratic Environmental Governance(地域のコモンズと民主的環境ガバナンス)』の共著者の1人である。
会話の中で三俣教授は、共有資源の利用を規定する幾つかの原則を説明してくれた。第一に、明確に定義された境界が必要である。第二に、資源を抽出、利用、収穫が可能な時間、場所、技術、資源量を規定する一連の規則が必要である。また、その規則と、個人的あるいは共有的な経済利得の関係に関する一定の取り決めが必要である。第三に、運用上の規則に影響を受けるほとんどの個人は、そうした規則の修正に参加することができる。第四に、費用の掛からない紛争解決メカニズムが必要である。
三俣教授の意見を踏まえて熟考した結果、私たちが10年にわたって交流してきた先住民族の人々は、取材当時も、歴史的にも、上記の原則を適用していたということがはっきりと分かった。
三俣教授は主に日本国内のコモンズの管理について研究している。日本のコモンズは農村部では入会(いりあい)と呼ばれ、この2つの漢字は「集合して入る」あるいは、より特定的に「集合的所有権」という意味だ。
私は三俣教授に、私たちが日本で行ってきたある活動を喜んで紹介した。この活動は、国連大学の元研究者で民族学者のあん・まくどなるど氏の発案だった。まくどなるど氏は、中世の日本における入会の慣習に大変興味を持ち、現代の森林管理は同じ原則に基づいていると主張する。有能な日本人映像作家で、国連大学チームのメンバーであるブランド・かおり氏と共に、まくどなるど氏はコモンズの管理に関する日本の体験を記録する一連の映像作品を製作した。
彼女たちが共同製作した初期の作品の1つに「日本の伝統を守る海女たち」がある。ユニークな地域社会がどのように昔ながらの漁業を維持しているのかを取り上げた作品だ。海女は伝統的に女性だけで、ナマコ、アワビ、カキを採るために潜水する。三俣教授が説明してくれた原則どおり、海女は地域社会に基づいた資源利用と管理システム、さらにテクノロジーやライフスタイルに関する規則も発展させてきた(取材した島では、自動車や自動販売機の数を規制する規則もあった)。
後にこの作品は、里海というテーマのドキュメンタリー・シリーズの一環となった。同シリーズは、知床半島(北海道)、七尾湾および舳倉島(石川県)、英虞湾(三重県)、日生(岡山県)、白保(沖縄県)という国内6カ所での伝統的な海洋保護活動を探究している。シリーズの主要なメッセージは、こうした地域での伝統的慣習が、傷ついた海洋環境の修復と保護にとって重要な役割を担ってきたということだ。
日本には陸上でも、里山という概念を通して同様の環境保護の慣習が見られる。里山に関しては2009年に「里山の秋」「里山からの便り」という2本の短編ドキュメンタリーがブランド・かおり氏によって製作された。農業生態学的ランドスケープにおける人間と自然の相互作用は全般的に、生物多様性という点で良好な利益をもたらした。その一方で、日本の農村人口が高齢化するに従って、里山のランドスケープが徐々に消失していくかもしれないという全般的な懸念も、作品は探究している。SATOYAMAイニシアティブとの共同活動を通じて、私たちはこのようなランドスケープが日本に限ったものではないことに気づき、インドの西ガーツ山脈にある同様の状況に注目した。
同様の懸念は日本の森林管理の慣習にも関連している。まくどなるど氏は、日本の森林管理は入会という過去の体験から進化したものだと示唆する。ブランド・かおり氏が2012年に製作したドキュメンタリー作品は、この点を掘り下げている。石川県のかが森林組合の体験を取り上げ、Our Worldでは「日本に根付く協働的資本主義」と題する記事を掲載した。この映像作品は、環境的に持続可能な方法で森林の利用慣習を続けていく担い手である森林労働者の減少に対応する斬新な方法を、どのように共同組合が開発してきたかを示す。
私たちがコモンズの悲劇を直接的に目撃したのは、ボンに拠点を置く国連大学環境・人間の安全保障研究所の研究者たちと中央アジアで活動している最中だった。特に、ルイス・パトロン氏が製作したドキュメンタリー作品は、タジキスタンのムルガブ地域でのエネルギー事情を検証している。
ソビエト連邦の崩壊後、同地域はそれまで供給されていた化石燃料を失った。その結果、人々は調理や暖房用の燃料として、テレスケンと呼ばれる低木を利用せざるを得なくなった。テレスケンは、半乾燥地域のムルガブで生える数少ない植物の1種だ。この作品では、テレスケンを収穫するためにグループに分かれた男性たちが平原を移動するさまを映している。収穫は骨の折れる作業だが、結果として、彼らの居住地の70~80キロ圏内は全く草が生えなくなった。
その結果、土壌と土地が劣化した。この地域では、土地を管理する官庁がなく、テレスケンに代わるエネルギー源は今のところない。しかし、テレスケンを植え直し、環境を修復する方法を研究している地元の科学者たちが存在する。国連大学の研究者たちは現地の科学者と緊密に連携し、彼らの活動を支援している。
共有資源や共有地への負荷は大きい。グローバリゼーションの影響の結果、開発業者、投資家、政府から負荷を掛けられている。にもかかわらず、私たちが過去10年にわたって記録してきたように、多くのコモンズが今でも損なわれずに残っている。
しかし、こうした土地や資源の未来は不透明だ。三俣教授が指摘したように、日本では農村社会が衰退するに従って、地域社会そのものと、地域社会と土地や生物多様性との関係をどのように再び築き、再創造するかを検討する必要性はさらに高まっている。
三俣教授の主張によれば、課題を抱えた今日の世界において、共有資源はある一定の自治性や独立性、際だった地域文化をもたらす。相互扶助の精神に基づいたコモンズの管理は、地域社会の福祉を向上し、レジリエンスや安全保障を高める機会を提供する。
しかし、そのようなコモンズは、実体のない外部の世界から隔絶された狭い世界には存在しない。地域的コモンズの外側には、コモンズを守ろうとする地域社会の取り組みを支援するか邪魔をする、実在者や圧力が存在する。したがって、共有資源の完全性を損なわないようにするために、地域社会が外部の圧力と協力するための最良の戦略を決定することが課題である。私たちが見てきたように、その取り組みは生死の掛かった闘いになるかもしれない。しかし、世界中の数千もの事例で行われている闘いなのだ。
翻訳:髙﨑文子
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