汚職は投資にとって負のインセンティブになるのか?

悪いリーダーシップが開発にとって悪いか否かという問題は、さまつな問題ではない。なぜなら汚職に関して言えば、賄賂は世界全体で年間所得の約3%に相当すると推計されている(例えば『 Global Crises, Global Solutions (世界的危機、世界的解決策)』に掲載されたスーザン・ローズ=アッカーマン氏の論文をご覧ください)。さらに汚職は、とりわけ開発途上諸国での経済発展を妨げる。私はワーヘニンゲン大学のGonne Beekman(ゴンネ・ビークマン) 氏と Erwin Bulte(エルヴィン・ブルテ)氏と共に、この問題を『 Journal of Public Economics (公共経済学)』誌に発表された新しい論文で検討した。私たちはある特定の「悪い」リーダーシップに注目した。すなわち、地元の村長たちに見られる汚職である。

どのように汚職を測定するか?

数々の国全体の総計の「汚職指標」(国際カントリー・リスク・ガイド、トランスペアレンシー・インターナショナル、世界銀行による指標を含む)は、「専門家の」評価に依存している。しかし、こうした評価は、当然のことながら主観的であるため、実際の汚職レベルを測定するという点では、どの指標も全く見当違いになる可能性がある。さらに、私たちが行ったように地域レベルでの汚職を測定したい場合には、こうした指標はあまり役立たない。

幸いにも、汚職の実験的調査に関する近著で考察されているように、研究文献は増えてきた。また、さまざまなミクロ的な測定法が開発されている。例えば(a)直接的観察、(b)理論モデルから得られる均衡予測とデータの比較、(c)異なるデータソース間の不一致を調べる、いわゆる「差異」の測定などだ。

私たちが独自に考案した測定法は、性質的には上記の第3のカテゴリーに似ている。2011年、私たちはリベリアの農村部の44の村で、実際の環境下でのフィールド実験を始めた。私たちはオランダの非政府組織(NGO)のZOAとパートナーシップを組んだ。ZOAは、内戦で被災したリベリア農村部の世帯向けの農業生計プログラムを運営しており、収入、食料安全保障、村内での協同活動の向上を目指している。

私たちは、ZOAの標準的な手順の1つを模倣した。支援物資(農業用の種子や小型の手工具)をコミュニティーのリーダーに提供し、その後リーダーは支援物資をプロジェクト参加者たちに公に配布する。しかし、道路の状態が悪く、通行するのが困難だったため、すべての支援物資を44の村に1日で輸送し、かつ配布することは不可能だった。そのため、1日で物資を輸送し、コミュニティーのリーダーに3日間、安全な場所(通常は彼らの自宅)に保管しておくように頼んだ。

その際、リーダーたちは、3日後にプロジェクト作業員が物資の在庫調べを行い、その後、物資は参加者に配布される旨を伝えられた。しかし、リーダーと村人たちには知らせずに、私たちは輸送以前に物資の数量を調べておいた。つまり、私たちは2種類の数量を把握した。すなわち輸送された物資の数量と、参加者に配布できる物資の数量である。これらの数量の差異が、コミュニティーのリーダーの汚職を示す。

汚職と投資を関連付ける

数量の差異は、サンプルの約47%で発見された。つまり、すべての参加コミュニティーのほぼ半数で、物資がなくなった。紛失した物資は平均で、全物資のドル価値の約2%に相当した。輸送中に物資が紛失したという報告はなく、また、保管中の問題を報告したコミュニティーのリーダーも皆無だった。従って、私たちが測定した数量の差異は「流用」として解釈可能と言える。この結果によって、私たちは「口頭だけの情報」というより「ハードなデータ」に基づく、汚職のきめ細かな測定結果を得た。

明らかに、汚職の測定は(個人の)意志決定と関連付けられない限り有意義ではない。そのため私たちは、サンプルとなったリベリアの農業従事者たちとの2種類の実験的ゲームを利用して、汚職が投資へのインセンティブにどう影響を及ぼすのかを調べた。第1のゲームでは、地域の公共財への投資に対する傾向を調べるために、参加者は標準的な自発的貢献ゲームに誘われる。第2のゲームでは、不確かな投資の決断を下す傾向を評価するために、参加者は単純な「コイン投げ」ゲームを行った。

その結果、不正を働くリーダーが率いる地域では、公共財への個人の貢献は中間貢献値より約20%低かった。同様に、リーダーが不正を働いていた場合、村人の個人投資は約29%低かった。

汚職と開発プログラム

では、リーダーが不正を働くと、なぜ人々は投資しなくなるのか? 私たちのデータは不十分なため、汚職と投資を関連付けるメカニズムを解明するには至らないが、妥当と思われる説明は推測可能だ。まず、汚職は、ゆがみ課税のように働くのかもしれない。実験では「課税」はなかったが、同様の効果は内在化を通して機能するかもしれない。つまり人々は、地域のリーダーが(地域の)資源配分に関して発言権があるという事実に慣れていて、実生活での体験をゲームに持ち込んだのかもしれない。あるいは、人々は不正を働くリーダーに尊重されていないと感じており、そのため忠誠心や生産性を持たなくなるのかもしれない。

今回の研究は政策設計に何を供給するだろうか? 開発のための介入が成功するかどうかが、プロジェクトによる支援と地域社会の人々が提供する個人の努力の融合に掛かっているのであれば、地域のリーダーが不正を働かない方がプロジェクトは成功するだろう。従って、農業の生計プログラムで開発を後押ししようと努めるNGOは、良きリーダーシップの下にあるコミュニティーに的を絞ってもいいかもしれない。不正を働くリーダー(もっと言えば、汚職に関与するあらゆる存在)の発見は、確かに困難だろう。しかし、私たちは少なくとも、不正の発見が不可欠である理由を示したのだ。

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国連大学世界開発経済研究所(UNU-WIDER)のブログに掲載された本稿は、ストックホルム国際平和研究所とEconomists for Peace and Security (平和と安全保障を考える経済学者たち、EPS)の協同的パートナーシップ、Economists on Conflictに掲載されたもので、許可を得て再掲されました。

翻訳:髙﨑文子

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著者

エレオノーラ・ニールセン氏は、国連大学マーストリヒト技術革新・経済社会研究所(UNU-MERIT)のリサーチフェローである。オランダのワーヘニンゲン大学から開発経済学の博士号を修得した。彼女の研究領域は、特にサハラ以南アフリカの農村部の世帯を中心とした、社会経済指標と制度的変化に対する暴力的紛争の影響などである。こうしたテーマに関する論文を『アメリカン・エコノミック・レビュー』や『開発経済学』など国際的な査読済み学会誌に発表している。ニールセン氏は現在、リベリア、コンゴ民主共和国、キルギスで複数の研究プロジェクトに携わっており、国内外のNGOと協同で多様な開発介入の効果を評価するためにフィールド実験を企画している。