経済成長は人を幸福にするか

何が私たちを幸せにするのだろうか。健康?良好な人間関係?お金?お金だとしたら、それは私たちに愛や幸福を与えてくれるだろうか。そもそも幸福とは一体何だろう。

この疑問について熟考されることはよくあるが、確信と一貫性のある答えを得られることはめったにない。現実には、誰もが個人的な理由や、人口構成、性別、文化、精神など様々な要因の組み合わせにより幸福(または不幸)を感じている。自分の運命に満足している者もいれば、 近所のジョーンズさん(あるいは最近ではチャンさんやシンさん)に負けまいと見えを張りながら生活をしている。

コロンビア大学地球研究所は第一回目の世界幸福度調査をまとめた。世界の人々の幸福度を相対的に描き出そうというものだ。

賢者たちは、物質的利益のみでは人間の最も深い要求は満たされないと繰り返し語ってきた。(地球研究所のジェフリー・サックス所長)

この調査は物質崇拝に対して懐疑的な立場に立って行われている。

「賢者たちは、物質的利益のみでは人間の最も深い要求は満たされないと繰り返し語ってきた」世界的に有名な開発経済学者である、地球研究所のジェフリー・サックス所長は序章でこのように述べている。

サックスと共著者らが参考としたのは、1972年にヒマラヤの山深い国ブータンの国王が提唱した国民総幸福量(GNH)指標である。

総合的な幸福度

GNHは、富の目標より幸福目標に重点を置くもので、経済指標であるGNP(国民総生産)やGDP(国内総生産)といった西洋主導の経済指標に対抗するものといえる。

GNHは、ブータンなど1日1ドル以下で暮らす人々の方が、北米、ヨーロッパ、さらに最近では東アジアや経済新興国の国民のように裕福で物質的に恵まれながらもストレスが多く、孤独を感じている人々より幸福であることを示している。

後者の人々はインターネット接続が遅いとか、「お持ち帰り」のコーヒーがなかなか来ないなどといったことでイライラしがちだ。一方で、日々十分な食料を得られない人々は、当然のことながら、生活必需品をたやすく「当たり前に」手に入れられる人々と自分を比べ、人生は不公平だと嘆いている。

自分たちの経験にかかわらず、外部の富や機会によって形成される期待と自分自身の生活水準とが私たちの幸福度を決定するカギである。例えばザンビアの青々とした平原やベトナムの生産性の高い水田は、そこ以外を経験したことがなければ十分に満足のいく場所だ。だが産業化され、マスコミに毒された環境で育った一人っ子であれば、18歳になるまでには、外見を必要以上に美しく「かっこよく」見せる商品の購買意欲をかきたてる広告に慣れきっているため、そんな場所へ行けば孤独な気持になるだろう。

幸せなら手をたたこう

世界幸福度調査は、誰がどのような理由で幸せを感じるかは複雑であり、経済面、精神面の両方が幸せの全体像を作りあげるという正当な主張をしている。調査結果を導いた無味乾燥な統計的モデリングはここでは掘り下げないが、その主な発見は、生活水準上昇につながる所得上昇は幸福度を増すということだった。

しかしながら、「基本的喪失が克服された」裕福な国 (調査ではアメリカが名指しされている)の国民は必ずしもその裕福さに幸福を見出してはいない。それどころか今日では裕福な生活習慣を原因として、肥満、買い物依存症、重度の精神疾患など新たな苦悩が表れ始めた。

幸福になるためにお金より大事なことは、社会保障の充実、汚職の不在、個人の自由の保障といった社会的要因である。

「より幸福な国は、より裕福な国であることが多い」のは事実だが、「幸福になるためにお金より大事なことは、社会保障の充実、汚職の不在、個人の自由の保障といった社会的要因である」。金融システムの救済に関して「私たちは経済の中で生きているのではなく、社会の中で生きているのだ」と主張してきた人々もこの報告に同意するに違いない。

現実には、この30年の間に世界は総じてより幸福になってきた。これは世界的な所得増加と、BRICs諸国 (ブラジル、ロシア、インド、中国)やその周辺国における真にグローバルな中流階級の台頭によるものである。幸福度を10段階評価で測ると、最も幸せなのは社会民主主義のデンマーク、ノルウェー、フィンランド、オランダの北欧各国で、高評価の7.6となった。このような国家主導の社会的意識の高い社会形態を支持する人々は、アメリカやイギリスなど経済成長第一と考える英語圏の国々より北欧の国民がより幸福だという結果にほくそ笑んでいるはずだ。

アフリカは不幸か

幸福度の10段階評価の下位にあるのが、貧困、クーデター、紛争の絶えないサハラ以南のトーゴ、ベナン、中央アフリカ共和国、シエラ・リオネで、評価は3.4だった。幸福度は、国民の所得の多少を色濃く反映しており、貧しい国々は下位に、裕福な国々は上位にランクインされている。例外として顕著なのは、所得が中程度のコスタリカは幸せの指標で12位、また同じく所得が中程度のグルジアとブルガリアがほぼ最下位に近い順位となったことだ。

この調査に関して誰も触れたがらないのは、幸福と持続可能性との相関性についてである。

調査書の著者らも「幸福と環境の持続可能性についてはいまだに明らかな関係性は見られません」と述べているが、この関係性はどうすればより明確になるかについては触れていない。

基本的には世界の富裕国は、環境資源である水、森林、漁業、化石燃料、土壌を枯渇させるような持続不可能な習慣に支えられている。こういった国々の幸福度が最も高く、他の国々も経済的な意味でより幸福になりたいと願っている現状を思うと、人類は「より幸福な社会」と「持続可能な社会」の二者択一を迫られているということなのだろうか。調査の結果は、現在の世代の幸福は自然資源を過剰に採掘し、未来の世代を犠牲にすることで成り立っているという主張を証明しているようだ。貧しい国々に関しては現在だけでなくこれまでの植民地時代を通してずっと犠牲になってきたことは言うまでもない。

経済成長は私たちを幸せにするだろうか。そうでないなら、なぜ人類はそれに固執するのだろうか。

地球研究所その他持続可能性に関するシンクタンクが、この幸福研究の「潜在力」を引き出し、できるだけ早いうちに、地球と人類のため「経済成長と環境保護に関する議論を活性化する」ことを願う。

ここで再び、何が私たちを幸せにするかという問いに戻ろう。経済成長は私たちを幸せにするだろうか。そうでないなら、なぜ人類はそれに固執するのだろうか。

たとえ経済成長と幸福に関連があるとしても、その幸福が私たちの子孫の幸福の犠牲の上に成り立っているのだとしたら、心から幸せを実感することはできるだろうか。そしてもっと大切なことだが、私たちはこの問題にどう対処すれば、もっと幸せに感じられるのだろうか。

翻訳:石原明子

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著者

マーク・ノタラスは2009年~2012年まで国連大学メディアセンターのOur World 2.0 のライター兼編集者であり、また国連大学サステイナビリティと平和研究所(UNU-ISP)の研究員であった。オーストラリア国立大学とオスロのPeace Research Institute (PRIO) にて国際関係学(平和紛争分野を専攻)の修士号を取得し、2013年にはバンコクのChulalpngkorn 大学にてロータリーの平和フェローシップを修了している。現在彼は東ティモールのNGOでコミュニティーで行う農業や紛争解決のプロジェクトのアドバイザーとして活躍している。