エコモダニスト対エコラディカル

2015年09月02日 ブレンダン・バレット ロイヤルメルボルン工科大学

環境家であり生物多様性の国連親善大使でもある、俳優エドワード・ノートンが、ジャーナリストおよび作家のマーク・ライナス氏(左)と対話。
Photo: SLOWLIFE Symposium. Creative Commons BY-NC (cropped).

エコモダニストとエコラディカルの間で続いてきた心理戦は、新たな、より激しい局面に突入している。テクノロジーの進歩を加速させることによって気候変動を解決できると私たちに信じてほしいエコモダニストに対し、エコラディカルは、現在の消費資本主義社会を根本的に転換しなければ(つまり、消費資本主義社会を打破しなければ)悲惨な気候変動を避けることはできないと主張する。

これは根が深い対立であり、環境保護主義が存在する限り、さまざまなグループが独自の政治的目標を反映した異なるグリーンの色合いに自身を染め上げているのが実情だ。このような信条の衝突が最近になって激化しているが、その源泉は1980年代に欧州で誕生したエコロジー近代化にまでさかのぼることができ、両者のエコロジーに関する言説の特徴は1997年に出版されたジョン・ドライゼク氏の著書『 The Politics of the Earth(地球の政治学―環境をめぐる諸言説)』で簡潔に説明されている。

ごく最近には、2015年4月にエコモダニストが「An Ecomodernist Manifesto(エコモダニスト宣言)」を発表して、あからさまにエコラディカルを狙い撃ちした。この宣言は、「保護に対する、代替の、テクノロジー中心のアプローチ」を受け入れている

気象学者のエリック・ホルサウス氏はこの宣言を、「人間が悪い」と主張する環境保護主義を終わらせようという呼びかけであると説明した。言い換えれば、「エコラディカリズム」を、「人間社会は経済的、エコロジー的崩壊を避けるために、自然と調和しなければならない」と主張するあらゆる形の環境保護主義を終わらせようという呼びかけだ。

この先を続ける前に、私は過去において「エコモダニズム」の考えに傾いた経験があることを白状しなければならない。それには2005年に『Ecological Modernisation and Japan(日本の環境面での近代化)』 という書籍を編集したことも含まれる。当時、私はエコモダニズムが現代の環境問題に対する解決策であると信じたいと本気で考えていたが、今ではそれほどの確信をもつことはできない。

「人間が悪い」と主張するエコラディカルは誰か?

私はエコラディカリズムについて考えるとき、英国のコメディアンたちが国内や世界の出来事を振り返るテレビ番組「Charlie Brooker’s Weekly Wipe(チャーリー・ブルッカーのウィークリーワイプ)」での、フィロメナ・カンク(女性コメディアンのダイアン・モーガン氏)のコメントを思いだす。私は多くの人たちと同じように、すぐれたスタンドアップ・コメディアンたちの話術を楽しみ、厳しい現実は強烈なジョークを通して伝えられるのが一番である場合も多いと思っている。ウィークリーワイプにレギュラー出演しているフィロメナは、興味深いニュースや映画、テレビ番組について毎回2、3分しゃべる枠をもっている。

ある週にフィロメナは、ラッセル・ブランド氏(英国の有名なコメディアン・俳優)がさまざまな社会問題に関わっていて、いかに政治がおもしろいかを話した。ブランド氏は 「Revolution(革命)」という新しい本を出版したばかりだった。

Russell Brand

Photo: joannageary. Creative Commons BY-NC (cropped).

フィロメナによれば、ブランド氏はその本で、「キャタパルティズム(catapultism)がどれだけ悪いか、私たちがお金のことを考えて時間を過ごす代わりに互いにやさしくすれば、今よりどれだけよい世界を作れるかについて」語っているとのことだった。

彼女は続けて、ブランド氏の話がとても賢く聞こえると説明し、それはとくに彼が難しい言葉をたくさん使うからだと言った。フィロメナの結論は、「基本的に彼が賢いか愚かかを判断するには、彼が言うことをすべてやってみて、社会が完全に崩壊して何十万人もの人々が死ぬかどうかを確かめるよりほかに方法はないでしょう」というものだった。

さて、ラッセル・ブランド氏はナオミ・クライン氏の親友で、 自身のYoutubeブロードキャストを利用して彼女にインタビューしており、そこでクライン氏は資本主義が悪いというブランド氏の見解に同意している。

私は最近、クライン氏の近著『This Changes Everything — Capitalism vs. The Climate(これがすべてを変える―資本主義と気候の対決)』について書いたが、この本で彼女が基本的に論じているのは、現在の形の資本主義は失敗した経済システムで、それが気候を破壊しているというものだった。このシステムを転換するためには、活動的になり、抗議し、ある種の開発を妨害して、何か根本的に異なるもの(ただし明確には定義されていない)の構築を目指す必要があるとする。

ここで、もし自分が世界の指導者の立場にあって、(気候の将来を心配しつつも)現在の状況を好ましいと考えるなら、新しい経済システムの出現を可能にするために、何とかして資本主義を捨てる必要があるという暗示は、再選のために利用する基盤とはならない。だから、クライン氏が自分のメッセージを世界の指導者に対して発信しているのではないことは明白だ。

だが、私のようなごく普通の人間にとっても、このメッセージを丸呑みにするのは難しい。気候を救うためには私が今持っているものをすべて失うリスクを冒さなければならず、その代わりに将来手にするものは何か、まだわからないというように聞こえる。

正確には何をするよう求められているのだろうか — 消費をやめるのか、飛行機に乗るのをやめるのか、車を捨てるのか、コミューンに移り住むのか、共有経済に参加するのか? それは明るく輝かしい未来に進むのではなくて時代を後戻りすることに等しいのか、それとも新たな市民革命に加わるよう求められているのか?

こうした考え方は、私が単純化し過ぎているだけだと思う人がいるかもしれない。しかし私の心に実際に渦巻いているのは、新しく気候にやさしい経済が出現できるように現在の形の資本主義を転換させるには、しかもその結果に激怒するだろう大勢の人々を傷つけないようにするには、いったいどうすればよいのかという疑問だ。

マイノリティーから主流へ

そのような転換が起こるためには、これらのエコラディカルな考え方が主流になる必要があり、その意味で、ブランド氏やクライン氏のような人々はこの考え方を広められる特別な立場にある。

だが、もう何十年にもわたってこの転換に取り組んできた人たちが他にも大勢いる。その好例は、本の著者であり教育者であり活動家でもあるビル・マッキベン氏だ。

私はここで、ビル・マッキベン氏とエコモダニスト宣言の作成者の一人でもあるテッド・ノードハウス氏にまつわるちょっとしたエピソードを紹介しておきたい。

テッド・ノードハウス氏は2008年に東京の国連大学で講演を行った。私は2004年に書かれた影響力のある彼の論文「The Death of Environmentalism(環境保護主義の死)」を読み、会議の主催者に講演者の候補として彼を推薦していた。NASAの気象学者、ジェームズ・ハンセン氏も、その会議で基調講演を行った。

そのとき中国にいたビル・マッキベン氏は、テレビ会議を通した講演でそのイベントに参加した。そしてそのときの発言で、マッキベン氏はノードハウス氏のプレゼンテーションとの関連に触れた。

その後ノードハウス氏はこれについて、マッキベン氏は自分たちの考え方がどれだけかけ離れているかを認識していないようだという趣旨のコメントを出している。2008年の時点では、ノードハウス氏はまだ「エコモダニスト」というレッテルを受け入れていなかったが、明らかに自分はマッキベン氏のような人々とは異なるということをはっきりさせようとしていた。

ノードハウス氏から見ると、マッキベン氏はまだまだ昔ながらの環境保護主義者だ。マッキベン氏もそれを否定しないだろう。マッキベン氏は活動家で、長年にわたって環境団体の350.orgを率いることに成功してきた。さらに2013年には、マッキベン氏とジェームズ・ハンセン氏が北米のキーストーンXLパイプライン建設に反対して逮捕された。マッキベン氏は化石燃料部門から投資を引き上げるよう金融をはじめとした諸機関に圧力をかける戦略を、先頭に立って提唱している一人だ。この戦略は一部からの批判を招いている

Mckibben arrest

環境活動家で著書も多いビル・マッキベン氏は、ほかの数十人の仲間とともにパイプライン建設に反対して2011年8月にホワイトハウス前で逮捕された。 Photo: Jay Mallin. Creative Commons BY-NC (cropped).

マッキベン氏の執筆活動と行動はエコラディカルであり、私たちが「いつも通りのこと」をこのまま続けていけば、地球を破壊してしまう、最終的には経済をも破壊するという深い懸念を反映している。

私が現在暮らしているオーストラリアには、マッキベン氏の懸念を共有する影響力をもった別の思想家たちがいる。パーマカルチャー提唱者のデビッド・ホルムグレン氏はその一例だが、彼はまた異なった角度からこの問題にアプローチしている。2013年の論文「Crash on Demand(オンデマンドによる破壊)」では、「(世界のミドルクラスのうち比較的少数の一部による)依存する消費者から責任ある自立的生産者への急進的な、だが達成可能な行動変化によって、消費資本主義の巨大な力が世界を気候変動の断崖絶壁から突き落とすのをくい止められるかもしれない」と論じた。

ホルムグレン氏は、世界のミドルクラスのたった10%によってこの変化を起こすことができ、その結果として経済成長が5%低下し、それは脆弱な世界的金融制度を破壊するに十分だとしている。

そのような破壊の後、自立的生産者が気候にやさしい経済をゼロから再建するだろう。彼は次のように認める。「わずかな望みしかないかもしれない。だが(グリーンテクノロジーが生む利益の甘い約束で誘うにせよ、消費を減らそうと叫ぶ大衆運動の脅威で迫るにせよ)エリートたちに正しい政策手段を選ばせようとする現在の骨の折れる努力よりは有望だ」

ホルムグレン氏は、そうした考え方はすぐに非生産的な活動やクレイジーなどとみなされ、テロリストという烙印を押されることさえあると、率直に認める。だが彼がこの論文で指摘している点で、私が真実だと思えるのは、「私たちを気候の混沌から救うための主流となっている信頼ある提言でも、金融制度を破壊する可能性はある」という議論だ。

さらに2008年の世界金融危機は、グローバル経済を崩壊させるのにエコラディカリズムはいらないという事実をはっきりと示した。私たちの世界的金融制度は、別の手段で十二分にそれを実行できるのだ。

ホルムグレン氏の提案は、世界を「人間が悪い」という目で見るやり方に従っているように思える。ただしそれと同時に、人間は世の中のためになる力であり、変化を起こせるプラスの力であるという見方もしている。もちろんそれは、気候変動への取り組みがよいことだと考える前提に基づいている。

私の考えでは、マッキベン氏やホルムグレン氏などのエコラディカルがエコモダニストと最も大きく隔たっていると思われる点は、前者がこうした変化には、ある時点で苦痛が伴うと信じていることだ。エコラディカルは、将来のもっと大きい苦痛を避けるために、今はある程度の苦痛を受け入れる必要があると提言する。簡単に言うなら、「痛みなくして得るものなし」ということになる。

それに対してエコモダニストが提案しているのは、痛みを伴わない解決策だ。私はこれが、世界から幅広い支持を集めるために考えられたものだと思っている。つまり、私たちは今もっているもの(誇れる仕事、美しい家、高速で走る車、太陽の下で過ごす休日など)をすべて手にしたままで、その影響を被ることは無いと思わされている。

エコモダニストは救いか?

エコモダニスト宣言は両立的であることを目指し、私たちの現在の枠組み内で気候の課題を解決したい人々すべてにとって魅力的だ。

宣言の作成者の一人であるジャーナリスト、マーク・ライナス氏は、『ガーディアン』紙に次のように書いている。「 気候変動の解決は、資本主義の後退や、自由市場の保留や、経済成長の停止を意味しない」

ライナス氏は気候変動について幅広い著述を繰り広げており、よく知られている例としては2004年に出版された著書『Six Degrees — Our Future on a Hotter Planet(+6℃ 地球温暖化最悪のシナリオ)』と2011年の 著書『The God Species — Saving the Planet in the Age of Humans(神の種―人類の時代に地球を救う)』があげられる。

ライナス氏は『ガーディアン』紙の記事で、ナオミ・クライン氏に対する批判に重点を置き、二酸化炭素排出削減への取り組みを、社会革命とコーポレート・キャピタリズム排除の幅広い課題のひとつとして軽視する彼女の主張は、「気候の緩和を容易にするのではなく」、「気候の緩和を政治的にリスクの高いものにしている」と主張した。

ライナス氏によれば課題は主にテクノロジーにあり、そこにはエネルギー効率の向上、再生可能エネルギー、次世代の原子力、炭素隔離の組み合わせが含まれるとする。原子力エネルギーを推進する必要があるという点で彼に同意する気象学者は、 ジェームズ・ハンセン氏をはじめとして数多い。

エコモダニスト宣言はこれをさらに先に進めて、都市化、農業集約化、原子力発電、水産養殖、脱塩が、人間が環境にかける負担を減らす可能性があるとしている。

ここで不足しているのは、とくに今後数十年間に目を向けて増大する世界のエネルギー需要にどう対処できるかを考えるとき、これらの主張を裏付ける具体的なデータだ。

ライナス氏は2013年の著書『 Nuclear 2.0(原子力 2.0)』で、原子力エネルギーに関連した予測を行った。2030年までに世界の発電量の82%を無炭素とするためには、それまでに1,000基の原子力発電所を稼働させることを目指す必要があると計算している。現在稼働している420基の一部が段階的に廃炉になるとして、現在から2030年までの間に、毎月4基ずつ新しい原子炉を建設する必要があるという計算だ(これらは1ギガワットの発電所という前提になる)。

私は他にも、地球の気温上昇を2度未満に抑えるためには何基の原子力発電所の建設が必要かという予測を見たことがある。たとえばソール・グリフィス氏は2008年のゲーム・プランのプレゼンテーションで、25年間にわたって毎週1基ずつ3ギガワット(GW)の原子力発電所を建設する必要があると論じた(合計で 1,300の新しい発電所ができる)。 これは、2033年の世界のエネルギー消費量が15 テラワット(TW)とする前提に基づいた計算だが、これは現在の消費量とほとんど同じである。

reactor construction

米国サウスカロライナ州コロンビア近郊のサマー原子力発電所で3号炉の基礎を作る作業員たち(2013年11月)。Photo: US Nuclear Regulatory Commission. Public domain.

だが、今後の人口増加と経済発展によってエネルギー消費量は確実に増えるのではないか? そこでまた別の資料を見ると、2006年版米国エネルギー省報告書では、2050年までに世界のエネルギー消費量は43 TWに近づき(現在のほぼ3倍にあたる)、そのすべてをカーボン・ニュートラルな発電によって供給する必要があるとされている。

この報告書が示すのは、(合計43 TWのうち)15 TWがカーボン・ニュートラルな原子力発電所によって供給されるシナリオだ。だがそのためには、概算で14,636基の新しい1-GW原子力発電所が必要となり、それにはだいたい40年間にわたって毎日1基ずつ新しい発電所を建設しなければならない計算になる。

だが残念ながら、この速度で建設を進め、現在と同じ低速中性子炉の技術が主に利用されると仮定すると、地球上にある在来型ウラン資源は10年以内に枯渇するとも予測している。

異なるタイムラインが使われ、異なるタイプの原子炉と発電所が議論されているために、全体像は非常にわかりにくい。もちろん、トリウム燃料の原子炉(まだ研究開発の段階)を利用した場合を考え、これらのシナリオに必要なコストを加え、原子力の安全と廃棄に関する前提を明確にすれば、さらに変数が増えて複雑さは増すだろう。これらの予測が示しているのは、テクノロジーと将来のトレンドに関する前提が異なれば、このいわゆる「テクノフィックス」と呼ばれるものの実現可能性についても、大きく異なる結果が生まれるということだ。

同じことが炭素隔離についても言え、この技術はまだ開発の初期段階にあるが、気候変動へのもう1つの対策として期待されている。だが今年の2月には『エコロジスト』誌にニック・ブリーズ氏が寄稿し、気候変動に関する政府間パネルが推奨する炭素隔離でさえSFにすぎないとした。大気中から何十億トンもの炭素を回収できるような技術は、今はまだ利用できないばかりか、近い将来にも実現は難しい。つまり、二酸化炭素排出量削減対策として炭素隔離に過大な期待を寄せる戦略は、リスクが高すぎると結論づけられるだろう。

それでも、このテクノフィックスの魅力は疑う余地がない。私たちはみな、原子力発電と炭素隔離によって毎日の暮らしを変えることなく今の状態を続けられると信じたいのだ。

ブレークダウンかブレークスルーか?

はっきりしているのは、エコモダニストもエコラディカルも提案しているものは、同じ前進するための希望という点だ。しかしどちらも、自分たちの方法はブレークスルー(突破口)につながり、ブレークダウン(崩壊)には至らないと保証することはできない。

おそらくどちらも、それぞれの知識と経験に基づいて、ブレークスルーが可能なはずだという知的な予感があるとするのが妥当だろう。

何よりも、彼らは人々に耳を傾けてほしい、説得力を発揮したい、モラルの点で優位に立ちたいと考えているように見える。どちらも、人々が本当にほしいもの、または必要としているものを示していると主張する。概して、エコモダニストがエコラディカルを攻撃する頻度のほうがその逆より高い。これは単に、エコラディカルがエコモダニストを「ごくふつうの」考え方の一部だとみなしているからではないだろうか。

正直なところ、私は時に応じて喜んでどちらの陣営にも加わる。天井知らずの気候変動を避けるためであれば、可能な選択肢のすべてを探る必要があるだろう。私たちにはわずかな期間のうちに、劇的なテクノロジーの新機軸と社会経済的変化の両方が必要なのだ。この変化は破壊を引き起こす。その結果、私たちは、19世紀に封建的農業社会から産業資本主義社会へと移行したときに似た社会的大混乱を経験することになるだろう。

Tweet from David Roberts

「私は『エコオーサメスト(Ecoawesomest、環境に対して素晴らしいことをする人)』という新しい種族を立ち上げようと思う。偏狭な反対派は受け入れないかもしれないが、私たちは素晴らしいを支持する。」

基本的に、私たちにはエコモダニストのテクノフィックスが必要だ。しかし、必要とされる技術的変更の規模は、現在の私たちの能力を超えている可能性が高いことを認識しなければならない。より多くの研究開発に単純に投資することで、必ずしもこの問題を克服することはできないかもしれないが、それでも確実に役に立つ。

だから、社会と経済に変革が必要であることを素直に認め、どうすれば現在の形の資本主義を気候にやさしい資本主義へと変えられるかを、よく考えるべきだ。

最後に、私たちは直面している課題の大きさを認識し、フィロメナ・カンク氏の忠告に耳を傾けてエコモダニストとエコラディカルの両方の情報を追って、何が起きるかを見届ける必要がある。

もしくは、私たちはエコの後に何か別の言葉を続けた新しいイデオロギーを生み出すこともできる。ライターのデビッド・ロバーツ氏は、4月17日のTwitterで次のようにこの気持ちを書いている。「 私は『エコオーサメスト(Ecoawesomest、環境に対して素晴らしいことをする人)』という新しい種族を立ち上げようと思う。偏狭な反対派は受け入れないかもしれないが、私たちは素晴らしいを支持する」

翻訳:日本コンベンションサービス

Creative Commons License
エコモダニスト対エコラディカル by ブレンダン・バレット is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 4.0 International License.

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著者

ブレンダン・バレット

ロイヤルメルボルン工科大学

ブレンダン・バレットは、東京にある国連大学サステイナビリティ高等研究所の客員研究員であり、ロイヤルメルボルン工科大学 (RMIT) の特別研究員である。民間部門、大学・研究機関、国際機関での職歴がある。ウェブと情報テクノロジーを駆使し、環境と人間安全保障の問題に関する情報伝達や講義、また研究をおこなっている。RMITに加わる前は、国連機関である国連環境計画と国連大学で、約20年にわたり勤務した。

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