エシカル都市こそ未来

2016年03月18日 ブレンダン・バレット ロイヤルメルボルン工科大学

ドゥカーレ宮殿(別名ドージェ宮殿)は、何世紀もの間、ヴェネツィア共和国の政庁が置かれていた場所である。この宮殿はドージェ(選出されたヴェネツィア総督)の居館であると同時に、裁判所であり、民政の場であり、官僚の仕事場でもあった。これは、宮殿に数ある像のうちの1つで、ドージェがヴェネツィアのシンボルである聖マルコの獅子の前にひざまずいている様子を描いたものである。開いた本は、同国の主権を象徴している。

ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿にある大評議会の間の入り口の外には、パルマ・イル・ジョーヴァネによって描かれた作品「最後の審判」(1595年)が飾られている。

ヴェネツィアの名だたる一族を代表して大評議会を構成する2千人を超える貴族たちは、「Sala dello Scrutinio(投票の間)」で待ちながら、この絵の意味について思いめぐらせた。

そこに描かれているメッセージはとても力強い。「この世においてあなたがすることすべてが裁かれる。だから、そのことを十分に肝に銘じて会議場に入り、しかるべく誠意をもって行動せよ」。

さて、私は信心深い人間ではないが、この絵の中にもう1つのメッセージを読み取ることができる。それは、「あなた方が正しく行動すれば、ヴェネツィアの街は栄えるだろう」という議員たちへの呼びかけである。

おそらくは当時の精神性の影響によって研ぎ澄まされた部分もあるであろうこうした倫理観こそが、この華麗で勢力のある都市が時代を越えて栄え続けたこと、また他の多くの都市がかなり早い時期に国民国家に飲み込まれていく中、1797年まで独立共和国という体制を保つことができた理由の1つだろう。

ドゥカーレ宮殿全体が1つのアートギャラリーであり、いたるところに古典的な絵画が飾られている。これらの絵画は創造力に富んだ傑作であると同時に、この都市の歴史をひもとく手引きであり、視覚的な倫理規範でもある。

ただし誤解しないでいただきたい。私はヴェネツィア共和国の人々が美徳の鑑であると言いたいわけではない。ただ、世界の驚異の1つを生み出すとともに、ここを訪れる現代の人々ですら畏敬の念を抱かずにいられないほどに効果的な形でその遺産を伝えた、彼らの驚くべき偉業から教訓を得ようとしているのである。

現代の大都市

歴史を振り返ると、世界中の都市は、途方もない課題に直面しながらも素晴らしい進展を遂げてきた。現代の大都市は、人間の創造力と技術革新の証である。

しかし、ますます都市化が進むこの世界で、現代市民の指導者たちは、高い失業率、所得の不平等、犯罪、ホームレス、アフォーダブル住宅へのアクセス不足、スラム街、インフラの破たん、交通渋滞、制御不能なスプロール現象、国庫のひっ迫など、数多くの複雑な問題に直面している。

これは、ニューヨークやロンドン、北京、ニューデリーといったメガシティに限った話ではない。急速な人口増加や経済発展への対応を迫られている多くのセカンダリーシティも同様である。

すべての都市は、それが拡大・縮小のいずれの傾向にあるものであろうとも、気候変動とこれに伴って生じる化石燃料依存からの脱却の必要性、食料安全保障の課題、および経済取引のパターンの変化など、世界的な問題をめぐって不確実性が増す複雑な未来に備えるための計画を立てなければならない。

今後進むべき道に関して何が道徳的に正しくて良いことなのかということについて、価値観、認識、実践の観点から、都市が下す多面的な決断の倫理的側面を模索することが、これまで以上に重要になるだろう。

国のリーダーシップが私たちを失望させ、こうした極めて重要な問題に関する国際交渉が果てしなく続くように思われる時、そうした緩みを正し、市民たちと協力してこれらの複雑な問題に対する現場の解決策を編み出すのは、地方の指導者たちの仕事である。これは、ベンジャミン・バーバー氏が2013年の著書『If Mayors Ruled the World: Dysfunctional Nations, Rising Cities(もしも市長が世界を統治したならば:機能不全の国家と立ち上がる都市)』の中で簡潔に説明している新たな現実である。

今日の諸問題に対応し、未来に備えて計画を立てる際には、地方の指導者と個々の市民のいずれもが、掲げられた目標と目的を支えている価値観を絶えず問い続けるということが不可欠である。

不確実性に直面する私たちに必要なのは、市民の意思決定を導くものとしての道徳の羅針盤と倫理のジャイロスコープである。ここから先に進むにあたっては、今後進むべき道に関して何が道徳的に正しくて良いことなのかということについて、価値観、認識、実践の観点から、都市が下す多面的な決断の倫理的側面を模索することが、これまで以上に重要になるだろう。

進行している変化を理解する

世界中のいかなる都市も「これまで通りのやり方」に固執することはできないということは明らかである。

未来は炭素制約型社会へと向かっている。なぜなら、あとどれだけの温室効果ガスを排出すれば、気温が危険な閾値を超えて、居住に適さない気候や極端な気候現象を生み出したり、その他の問題を引き起こしたりするかということがわかっているからである。また、エネルギーに関連したすべての温室効果ガス排出量の67%が都市部から排出されており、2030年までにこの割合は74%に増加する見込みだということもわかっている。

さらに、約3億6,000万人の都市居住者が海抜10メートル未満の沿岸地域に暮らしているために高潮や洪水の被害を受けやすいことから、都市は気候変動の影響も被る。

都市がこの新たな領域でうまくかじ取りをするためには、従来型のモデルを捨て、これに代わる発展の道や新しい形の経済成長、あるいは成長なき繁栄という概念、あるいは脱成長を受け入れる必要があるだろう。これは、「これまで通りのやり方」からの極めて劇的な逸脱であり、都市のニーズを満たすクリーンで化石燃料を使わない再生可能なエネルギー供給システムと、環境にやさしいクリーンな輸送システムの探求が必要となる。

無限の成長を促進・管理しようとするのではなく、制約的、効率的、効果的な資源利用の時代における市民の繁栄を再定義する視点が求められる。

このような主張は、急進的な非主流派の活動家グループの言いそうな異端的見解のように聞こえるかもしれないが、国際通貨基金も最近の研究の中で、潜在成長率の低下は世界的金融危機後の世界が直面している新たな現実だと述べている。

フェデリコ・デマリア氏の指摘にもある通り、私たちにとってこの新しい経済展望は、略奪的かつ不公平で持続不可能な現下のグローバル体制からの脱却と、社会正義、福祉、生態学的持続可能性を重視する体制への移行を導く変化のための好機となるものである。

この変化について異議が唱えられるのも、意思決定がなされるのも、都市の内部においてである。私たちの政治的努力は、あらゆる代償を払って成長することよりも、公平と再分配、そして真の民主主義に重点を置いたものでなければならないと、デマリア氏は言う。

これは新しい考えではなく、例えば、スーザン・フェインスタイン氏の2011年の著書『The Just City(公正な都市)』でも論じられていることである。フェインスタイン氏は、都市の政策立案者に対し、「グローバル資本主義政治経済」の中でより質の高い都市生活を実現するため、プログラムの策定と効果の双方においてより大きな正義を保証するよう、実践的な呼びかけをしている。

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「Future Melbourne(フューチャー・メルボルン)」計画の掲げる目標には、同市を安全で活力のある暮らしができる豊かな都市にすること、そして、温室効果ガス純排出量ゼロの都市にすることなどがある。Photo: Ravi Ahuja. Creative Commons BY-NC (cropped).

これは完全に筋の通った主張だが、その一方で、現在の形のグローバル経済と気候の未来とは(前者が何らかの形で急速に変容しない限り)直接的に相反する関係にあるため、現状維持からの脱却が困難となっている。しかしグローバル化には都市のスラム街、失業、貧困、公害など、その他の副作用もあるため、これは環境問題の域を越えた課題である。これらは現在の開発パラダイムでは受け入れられない」側面である。

熟考の末に、今はポスト資本主義の低炭素経済への過渡期なのだという結論に至るならば、そこから目を背けて生活するのではなく、あらゆるレベルでそうした未来に備えるための計画を立てることが極めて重要である。

つまり、私たちはまず、今まとめられている地方自治体の計画は、10年前や20年前に作られていたようなものとは根本的に異なる視点に立ったものでなければならない、ということを認識すべきである。無限の成長を促進・管理しようとするのではなく、制約的、効率的、効果的な資源利用の時代における市民の繁栄を再定義する視点が求められるのである。

このような視点は、すでにいくつかの都市計画で採用されている。その一例が「Future Melbourne(フューチャー・メルボルン)」計画である。そこで掲げられている目標の1つは、同市を安全で活力のある暮らしができる豊かな都市にすることである。もう1つの目標は、温室効果ガス純排出量ゼロの都市にすることである。これは都市が正しい方向に進んでいる都市の兆しである。例えば、オスロ市もメルボルンと同様の目標を掲げており、2050年までに温室効果ガスの排出をゼロにすることを目指している。

4つの倫理要素

地方の政治家や政策立案者たちは、自らの仕事における倫理の重要性を理解し、最終的に善をなすために公職に就く。だからこそ、世界中の多くの都市に、倫理規範や、倫理的行動を監視する委員会、地方自治体の倫理向上を目的としたその他のメカニズムが導入されているのである。

その狙いは、汚職や利害相反や職権乱用をなくし、都市の適切なガバナンス、透明性、説明責任を推進することにある。これらの措置は、地方自治体の行動に対する一般市民の信頼と公正性を維持するために不可欠である。これが、倫理的(エシカル)都市に求められる第一の要素である。この要素は、100都市以上が人権と労働者の権利、環境的持続可能性、汚職防止に関するグローバル・コンパクトの10原則に署名した、Global Compact Cities Programme(グローバル・コンパクト・シティ・プログラム)の活動にも反映されている。

第二の要素は、持続可能でありながら健全かつ安全で住みやすく経済的活力のあるインクルーシブな都市の形成に寄与するものは何かということを踏まえながら、多岐にわたる複雑な問題を都市コミュニティが理解していることである。ここでも、国際環境自治体協議会(ICLEI)や、C40イニシアチブ、およびロックフェラー財団の資金提供によるキャンペーン100 Resilient Cities(100レジリエント都市)などの大規模な国際協力によって、団結してこれらの問題に取り組んでいる都市がある。

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オスロ市は、サプライチェーンにおける倫理基準を監視する取り組みを進めており、地方自治体は倫理的・社会的責任に本気で取り組んでいるという明確なメッセージをサプライヤーに送っている。Photo: Agnar Kaarbø. Creative Commons BY-NC (cropped).

エシカル都市に求められる第三の要素は、都市内に拠点を置く企業の倫理的姿勢を支えるための条件を都市の中で構築することである。おそらく「倫理的企業」という言葉は誰しも耳にしたことがあるだろう。これは企業の社会的責任の論理的延長ととらえられているが、この言葉は多国籍企業と結びつけて考えられがちである。こうしたとらえ方は、フォーブス誌を見ても明らかである。しかしその一方で、公益を生み出すことを目的の1つとする「ベネフィット・コーポレーション」(Bコーポレーション)を目指す企業を認定する動きも広がっている。取締役や役員は、従来型の企業と同じ方法でBコーポレーションを運営するが、健全なボトムラインを維持するだけでなく、会社が社会的・環境的な利点をもたらすためにどのような決断を下すべきかを考慮することを求められる。

都市は、地方経済が公益やより広範な便益という枠組みの中で繁栄できるよう、権限を用いて自らの境界内における倫理的ビジネス慣行を促進することができる。例えば、オスロ市は、サプライチェーンにおける倫理基準を監視する取り組みを進めており、地方自治体は倫理的・社会的責任に本気で取り組んでいるという明確なメッセージをサプライヤーに送っている。

最後に、おそらく最も重要な第四の要素は、個々の市民の役割と、その市民としての義務や責任である。かつて、ヴェネツィアのような世界の大都市では、市民であることは関与することを意味していた。もちろん、かつてのような男性中心の様式(ヴェネツィアの貴族になるためには、由緒正しい家柄の20歳以上の男性でなければならなかった)は、現代の市民参加モデルとしてふさわしくない。ジェンダー、人種、宗教、民族にかかわらず関与、権限が伴った参加モデルを追求するべきである。

気を散らすものや注意を引くものでつねにあふれかえっているこの慌ただしい世界では、市民が自らを取り巻く都市の発展と絶えず関わりを持ち続けることは難しい。しかし今こそ、そうしたコミットメントが何よりも重要なのである。

理想郷や暗黒郷を思い描いている暇はない

私たちが想像する未来図の多くはディストピア(暗黒郷)である。その好例が、2019年のロサンゼルスを舞台としたリドリー・スコット監督による1982年公開の映画「ブレード・ランナー」である。そこでは人間が環境をすべて制御し、自然界の生物は存在しない。これは興味深いものであるとはいえ、ほとんどの人にとっては恐ろしいビジョンであり、SFの世界にとどめておくべきものである。

さらに、破たんしたユートピア都市の事例は数多く、私たちが望んでいることは、はっきりと認識できる欠陥と素晴らしいチャンスを備えた、傑出した特質を持つ不完全な都市で暮らすことであるということは明らかである。

私たちは都市に多くのことを期待する。時には通りを歩きながら危険を感じることもあるかもしれないが、富裕層の人々を、経済的に恵まれない人々からガードする門があるコミュニティで暮らすことなど、私たちのほとんどは望まないであろう。それは、機能不全に陥った都市の姿である。

しかし、複雑な問題と格闘しつつも、肯定的な視点から都市の未来像を描き出している人物もいる。例えば、デビッド・ホルムグレン氏は、2009年の著書『未来のシナリオ』の中で、「サービスの提供を担う市自治体が、リストラクチャリングの大部分を主導し、充実した公共輸送インフラを備えたよりコンパクトな都市や町が作られる」世界を構想している。

目的は、私たち全員が従わなければならないある種の統一的な倫理枠組みを目指すことではなく、文化的な配慮に富むとともに多様性を尊重する方法で、低炭素社会への移行を支える価値体系を作り上げ、模索することである。

しかし、この変革を遂げるためには、当事者全員による根本的な再考が必要であり、このプロセスの中心に倫理的問題を据えなければならない。目的は、私たち全員が従わなければならないある種の統一的な倫理枠組みを目指すことではなく、私たちが文明の最善の部分を携えてこの旅を続けることができるよう、文化的な配慮に富むとともに多様性を尊重する方法で、低炭素社会への移行を支える価値体系を作り上げ、模索することである。

これは、世界の最も偉大な都市の先人たちが私たちに期待するであろう最小限のものである。また、未来の世代が当然手にすべきものである。そしてこれは、持続可能性の真に意味するところを問う究極の試練でもある。

私たちは今、最も住みやすい都市(ウィーン)や、最も環境にやさしい都市(欧州ではコペンハーゲン、ラテンアメリカではクリチバ、アジアではシンガポール、北米ではサンフランシスコ、アフリカではケープタウン)、あるいは最もスマートな都市(バルセロナ)のランキングを楽しんで見ることができる。これらのランキングは、移行がかなり進んでいるという事実を示している。しかし私が見たいと思うのは、世界で最もエシカルな都市のランキングである。そのような都市こそが移行を正しく進め、その先にある、またさらに暮らしやすい場所を見出すことになるのではないだろうか。

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著者

ブレンダン・バレット

ロイヤルメルボルン工科大学

ブレンダン・バレットは、東京にある国連大学サステイナビリティ高等研究所の客員研究員であり、ロイヤルメルボルン工科大学 (RMIT) の特別研究員である。民間部門、大学・研究機関、国際機関での職歴がある。ウェブと情報テクノロジーを駆使し、環境と人間安全保障の問題に関する情報伝達や講義、また研究をおこなっている。RMITに加わる前は、国連機関である国連環境計画と国連大学で、約20年にわたり勤務した。