あらゆる宗教が抱えているエコロジー問題の種

ローレル・カーンズ氏は、ニュージャージー州マディソンのドリュー大学神学校で社会学および宗教と環境学を教える准教授である。人為起源の地球温暖化を否定する、アメリカの宗教団体を研究している。下記のインタビューで、彼女はOur World 2.0のパートナーであるドイチェ・ヴェレ「グローバル・アイディアズ」に、気候問題の取り組みへの宗教団体の影響と宗教の可能性について語っている。

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ドイチェ・ヴェレ:信仰の有無に関係なく、人々が地球温暖化に対処する行動を取ることは、なぜこれほど難しいのでしょうか?

ローレル・カーンズ氏:人類は生態学的見地から思考することに慣れていません。自分たちの行動が地球全体に影響を及ぼすと考えることに、単に慣れていないのです。私たちの目に入ってくる事象は地域規模でしかないのです。

しかし宗教は私たちに時間と空間を超えた思考を説いていませんか?

そのとおりです! だからこそ、私は宗教と気候変動の関連性に興味を持ったのです。宗教は私たちに大きな視野で考えること、つまり自分がいる地域という枠を超えて世界規模で物ごとを考えることを迫ります。この点に私が気づいたのは1980年代のことでした。当時、私は宗教に基づく多くの環境団体と出会い、そういった団体に関する論文を書きました。

あなた自身の信仰も、そういった団体で培われたものですか?

いいえ、実はその逆です。私はティーンエージャーの頃、非常に原理主義的な福音派の教会に属していました。大学では生態学と生物学を勉強したかったのですが、その教会が勉強に反対したため、私は教会を離れました。今、私はクエーカーです。クエーカーはキリスト教の伝統から派生した宗教ですが、他の教派や生態学的問題に対してかなりオープンです。

つまり、あなたのように環境問題に関心を持つ宗教的な人とは別に、その逆の人々もいたということですね?

はい。環境運動の草創期には、大多数のキリスト教徒は環境保護をニューエイジ的なもの、あるいはあまりに世俗的で科学に偏りすぎているものと見ていました。今では状況は変わりました。しかし「グリーンな」福音派の人々が成功を収めるにしたがって、一部の反対派はさらに急進的になりました。その一例が、非常に保守的な宗教系シンクタンクのアクトン研究所です。もう1つの例は、人為起源の地球温暖化を否定するCornwall Alliance(コーンウォール・アライアンス)ですが、どちらの組織も環境団体として自らを表明しているんですよ!

そのような団体の論拠とは?

彼らは、人類が地球を治めるという聖書の創世記の記述を、神は地球上のあらゆる資源を人間が使うために置かれたという意味に解釈します。つまり、神は私たちが新しい油田を見つけるたびに喜んでくださるのだから、私たちは石油も石炭も掘り続けるべきだというのです!

一部の団体は地球温暖化が起こっていることを認めるかもしれませんが、次のように言うでしょう。「それは自然なことであり、それが人為的なもので破滅的だと主張することは、神の全能性を否定することだ」

第3に、黙示録的な終末論者たちがいます。彼らは、中東で起こっている紛争や環境の劣化をヨハネの黙示録が成就する兆候だと信じています。彼らは地球温暖化をよいものと考えています。なぜならイエスの再来が近いという意味だからです。ですから地球温暖化について何もする必要がないと考えるわけです。

では、そのような非エコロジカルな宗教団体を、地球温暖化の否定派と、地球温暖化をポジティブなものとして受け止める人々に分類できるでしょうか?

その折衷派も存在しますよ。例えば、神が最終的に全てをうまくいくようにしてくださるのだから、地球温暖化に対処する行動を取らなくてもよいと考える信仰者です。

私はもう1つ、興味深い見解に出会いました。地球温暖化を「信じる」ことは、ますます無神論的になっていく世界における宗教の代用なのだという見解です。環境保護論者たちは母なる地球を報復心に満ちた女神として、また汚染の恐怖を地獄への恐怖として位置づけるのだという見解です。

彼らは地球温暖化を宗教として、あるいは理論上の信念として置き換えることで、地球温暖化とは信じるか信じないかという選択の問題なのだと主張します。それは「あなたたちの進化の理論と、私たちの理論は別のものだ」と言う創造説の信奉者の主張に似ています。彼らは「理論」という科学的な単語の使い方を誤って仮定的という意味で考えているのです。

そういった運動の中には、環境保護論者たちは世界政府を作りたがっていると訴える人が大勢います。この意味で、環境保護活動は「あなたの子供たちの心を毒して盗む」敵として、共産主義に取って代わったのです。

そのような保守派のキリスト教徒の影響を心配していますか?

ほとんどの団体は、単体ではそれほど注目されることはありません。しかし環境保護論者たちに関する彼らの批判的見解は産業界の見解と合致しています。そのため、こうした宗教団体が巧妙なメディアキャンペーンを行うことができるように企業が献金するわけです。

そして確かに、アメリカの世論を変えてしまった彼らの影響力には圧倒されます。私たちは、気候変動が起こっていることを認め、行動を起こす方向に向かっていたのです。しかし景気が停滞している中で経済界の保守派とキリスト教右派がこの問題に関する牽引力を得てしまい、気候懐疑派の数が再び増加しているのです。

2008年にマケイン氏がオバマ氏との大統領選に出馬しました。彼はそれ以前までは気候変動対策法案を支持していました。ところが、彼は党によって即座に、その件に関して口を封じられてしまいました。それと全く同じことが、元ニュージャージー州知事のクリスティー・トッド・ホイットマン氏にも起きました。彼女は環境保護庁長官時代に、ブッシュ政権に口封じされたのです。

キリスト教以外の宗教はどうでしょうか?

世界宗教(例えばキリスト教、ユダヤ教、イスラム教)はいずれも、生態学的問題に関する根源を内包しています。とはいえ、今日のような生態学的問題が存在した時代に発達した世界宗教は皆無です。ですから、どの宗教も成熟した生態学的倫理を有していません。

それと同時に、気候懐疑派はユダヤ教徒やイスラム教徒の中にも存在し、お互いに連携しています。それぞれの宗教における原理主義者たちは、資源は人間が使うためにあるという似た解釈をしますし、科学に対する懐疑主義も共有しています。例えばコーンウォール・アライアンスは、さまざまな信仰を持つ人々の団体です。

世界には「グリーンな」考え方の強い宗教は存在しないのでしょうか? 先住民族の信条はどうでしょうか?

もちろん、アメリカ先住民の伝統は自然との相互関連性について非常に大きな価値を置いています。しかし、私たちはそういった伝統を美化すべきではありません。つまり、誰かが馬や拳銃のような新しい技術を使って、それまでより多くのバッファローを殺すといった小規模な生態学的破壊についての伝統ですからね。私たちがそこから学べることは、観念としてだけ存在する宗教システムなどないということです。

しかし、その教訓は、それぞれの世代と文化が特有の個性を宗教的伝統に持ち込むことができるという意味でもあります。宗教は絶え間なく新たな解釈をされています。そして現在の環境問題に関しては、どの宗教も可能性を秘めているのです。

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この記事はOur World 2.0が提携するドイチェ・ヴェレ「グローバル・アイディアズ」のご厚意により掲載させていただきました。

翻訳:髙﨑文子

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著者

ラウラ・ヘンネマン氏は物理学者からフリーランスの科学ジャーナリストに転向した。ドイチェ・ヴェレ、『ディー・ツァイト』紙、『GEO』誌、『Spektrum der Wissenschaft』誌(『サイエンティフィック・アメリカン』誌のドイツ語版)など、数多くの出版物に寄稿している。