私のアパートからわずか30歩ほど行くと1軒の店がある。「デリ」ということになっているが実際はそれとは程遠い。果物や野菜はごくわずかしかなく、塩分、糖分がたっぷりのスナック菓子、値の張る缶詰類や冷凍食品が山ほど陳列されている。冷蔵庫のブーンという音の中、ほこりっぽい棚の上には、シドニー東部の郊外住宅地の特権ともいえる商品が置かれている。プレミアムダイエットヨーグルト、カマンベールチーズ、フムス(ヒヨコ豆)、フレンチジャムだ。
この店のライバル店も、靴の修理店がある以外は似たようなものだが、自家製のポークロールがあり、庭で取れたキンカンも並べている。イタリアのパスタソース「Lean Cuisines」とブリーチーズも輸入してもいる。
同じ通りをもう少し進むと、イタリアンカフェがある。私はいつも朝7時にそこでコーヒーとレーズントーストを買ってバスに飛び乗るのだ。そこには2人のイタリア人姉妹がいて、おばあちゃん手作りの新鮮なサラダ、サンドイッチ、パスタ、肉料理を販売している。さらにその隣は地元の人に人気のベトナム料理店だ。キッチュで明るく、20ドルもあれば私とパートナーの2人がお腹いっぱい食べられる。
私の住む街には食べ物の選択肢は存分にある。朝食にカスレー(フランスのシチュー)を食べれば夕食までもつし、ハンガリーカフェでは5ドルのサラダとシュニッツェル(子牛のカツレツ)ロールが食べられる。鶏肉店が2店あり、そのうち1店は全ての鶏肉は虐待フリー、ホルモンフリー(人工的なホルモンを与えられずに育った)であると謳っている。10時から午前1時まで開店しているピザ店、平日夜は12ドル(子ども料理は半額)でオーブン料理が食べられるデリカフェ、最高のビーフサラダが食べられるタイレストラン、ケーキ店、チョコレート店、青果店、月曜から土曜まで朝食、昼食、夕食が食べられるトレンディなカフェがさらに2店、完全菜食主義者向けオーガニック飲食店、ランチも出してくれる健康食品店、チーズ、ちょっとした小物、焼きたてのパン、オーガニックミート、ジェラートを扱う正真正銘のデリ、カウンター越しの軽食や6ドルのステーキが食べられるパブやクラブなどなどだ。
私の街では、健康的な食べ物の種類が十分に手に入るので、「正しい」食事を選択するのは比較的易しい。
異なる食文化
別の郊外の街まで西の方向へ30分電車に乗って出かけると、全く異なる食文化と遭遇することになる。電車を降りて駅を出ると、目の前にあるのは典型的オーストラリアのテイクアウト店だ。生温かいローストチキンは照明に当たってぎらぎらしており、その隣にはクランスキー・ソーセージ、山盛りのフライドポテト、ソーセージロール、パイ、我が家の近所ではみられないチコロールというものが並んでいる。冷蔵庫にはチョコバー、味つきミルク、ソフトドリンクが冷やされており、白い食パン(全粒粉パンはなし)と、1パック3ドルの卵が棚一杯に並べてある。
中華料理のテイクアウト店は廃業してしまっていた。電話帳と郵便物が、がらんとした店先のテーブルに置かれたままだ。道を渡るともう1軒中華料理店があり、ここは普段は営業しているが、私が訪れたときは閉まっていた。そこでは定番の酢豚や炒飯が売られている。数メートル先にはホットブレッド店があり、そこで売られているのはドーナツ、ソーセージロール、パイ、菓子パン、食パンだ(全粒粉パンは少ない)。
この地域にも救いの場所が1軒あった。近くに大きなモスクがあるおかげだ。私はレバノン食料品店に入り、焼きたてのデーツ(なつめやしの実)とピスタチオのクッキーを1箱買った。オクラやタヒニ(ゴマペースト)、瓶詰めオリーブ、ソラマメ、ザクロのモラレス、ローズウォーター、袋入りクルミ、ハーブが棚に並べられている。店主は、私がそれらに見入っている姿をながめ、珍しい食材の使い方を嬉しそうに話してくれた。ここでは薄い生地のチーズピザが3.50ドルで買える。
平日の昼食時に、この郊外の街にあるのは果物がそこそこ並ぶコンビニエンスストアと上記の店だけだった。デーツのクッキーを食べながら駅にもどる際、さっきのテイクアウト店の前を通り過ぎた。幼児の母親がフライドポテトを買っているところだ。彼女もクランスキー・ソーセージはよくないと判断したようだ。「そんなもの食べちゃダメなのよ」と息子に言っている。私が道を渡るとき、向かい側からは、くすんだピンク色のヒジャーブ(イスラム女性が頭を覆うスカーフ)をかぶった女性が渡ってきた。1台のSUVが彼女のそばでスピードをゆるめ、中の男が「オーストラリアへようこそ!」と叫んだ。
私が住む街と、シドニーの西側の一区画を比較するのはフェアではないし、ひょっとしたら誤解を招くかもしれない。同じ西側の郊外といっても、まっとうな店が1軒以上ある街はいくつもあるのだから。とはいえ、ほんの30分電車に乗るだけで、バラエティ豊かなレストラン群から、うら寂しい食事情に変わってしまうことを考えると、1つの疑問が湧く。いったい、オーストラリアの食事情はフェアと言えるのか?
食べ物崇拝
ここ10年であらゆる種類の食に関するメディアへの需要が非常に高くなった。オーストラリア人は、料理本、雑誌、食べ物や料理を題材にした小説に対し尽きない関心を寄せている。料理雑誌「Good Taste」、「Delicious and Gourmet Traveller」は、人気の女性誌、男性誌を抜き、50万人もの読者数をほこる。
年間ベストセラーにも毎年料理本が挙がるようになった。2006年には年間トップ売り上げ100冊のうち8冊が料理本だった。またテレビの無料放送でもケーブルでも食べ物に関するテレビ番組が大流行している。「食べ物やクッキングショーは多様な視聴者の間でこれまでにない人気を見せており、ゴールデンタイムを陣取り、視聴率争いでも上位に食い込む」
オーストラリアオリジナルの人気シェフとしてはビル・グレンジャー、カイル・ウォン、ドナ・ヘイ、ニール・ペリーなどが挙げられる。
食べ物ブームの1つを明らかに象徴しているのが人気シェフの存在だ。イギリスのジェームズ・オリバー、ナイジェラ・ローソン、ゴードン・ラムゼイとともに、オーストラリアオリジナルの人気シェフとしてはビル・グレンジャー、カイル・ウォン、ドナ・ヘイ、ニール・ペリーなどが挙げられる。彼らは朝、昼、ゴールデンタイムのテレビ、ラジオ、新聞、講演などに引っ張りだこだ。彼らの顔はソースのボトルやキャセロール皿にまで見られる。
オーストラリア人がこれほどまでに料理に夢中になるのは、驚きである。歴史家マイケル・シモンズが指摘するとおり、「オーストラリアの料理にひどく好意的だった人はいない」のだから。
ブッシュ・タッカー(先住民族が利用してきたオーストラリア原産の動植物)は別として、この国の食文化は、イギリス食文化の最悪な部分を礎としている。とはいえ、土地の肥沃さと、すぐれた食文化を持つ人々が続々と移民してきたおかげで、オーストラリアは料理のはきだめから美食大国へと進化した。1976年頃から当時の南オーストラリアのドン・ダンスタン知事がこの国の豊かな食資源を称賛していた。自らの名を冠した料理本ではオーストラリアを「食べ物に関して最も幸運な国」と称している。
90年代初頭にはフードジャーナリスト、チェリー・ライプは「ここで作られる食べ物は…現在、世界最高峰にある」と述べた。今日では、オーストラリア料理は成熟期に入ったという認識が広まり、国際的な称賛を集めている。2008年、「レストラン」誌では、オーストラリアの2店、テツヤズとロックプールが、サンペレグリノ世界のレストラントップ50にランクイン(それぞれ9位と49位)している。確かに、オーストラリア人シェフ、レストランオーナー、関連業者、産業リーダーはこのような称賛に十分値する。
不都合な真実
しかしながら、オーストラリアの食料と食習慣に関して避けられない事実について考えるとき、オーストラリア人が独りよがりに陥っていないかと考えてしまう。第一にいかに熱烈に食に関するメディア情報を求めていようとも、オーストラリア人が実際に料理に費やす時間は以前より減っていることを示す証拠がある。さらに料理の技術が一般的に落ちてきていると論じる人も多くいる。主な原因は調理済み食材、現代のテクノロジー、家と職場の両方で人々が忙しさを増していることなどである。
第二の避けられない事実は、オーストラリアの成人、子どもの肥満の増加であり、これにはメディア、政治評論、一般人の関心も集まっている。議員や政治家は、この数値の急激な増加を心配している。なぜなら肥満に関するコストは公営、民間セクターいずれにとっても莫大だからだ。
2006年10月、アクセスエコノミック社は肥満にかかる経済コスト、特に肥満関連疾患である2型糖尿病、心臓血管疾患病、変形性関節炎、ある種のガンなどに関する報告書をとりまとめた。2005年、肥満による直接的経済コストは37億6700オーストラリアドルと見積もられていた。それに加え、課税収入逸失、福祉その他政府の支払い3億5800万ドル、その他間接的コストが4000万ドルなど、文字通り「どっしり重い負担」があった。健康を損なわれることによって生じる純コストはさらに172億ドルに達し、2005年の肥満によるコストを全て合わせると210億ドルにものぼった。
第二の避けられない事実は、オーストラリアの成人、子どもの肥満の増加であり、これにはメディア、政治評論、一般人の関心も集まっている。
肥満は世界中で問題となっており、世界保健機構(WHO)も注視している。WHOはウェブサイトで「肥満は最もありふれているが、最も放置されやすい世界的な健康問題だ。奇妙なことに、栄養不足と肥満現象が共存するglobesity(世界的肥満傾向)が世界各地で見られる」と警告している。
2005年、WHOの調査によると16億人の成人が過体重、4億人以上が肥満である。これはWHOがそれより10年前に調査した人数の倍だ。子どもの肥満も世界的問題で、2005年のWHOの調査では2000万人以上の子どもが太り過ぎという結果だった。
肥満のオーストラリア人も、他の先進国や途上国の肥満の人々同様、先述のレストラン、Tetsuya’sのメニューを食べ過ぎて太ったわけではなかろう。私の家の近所にあるようなイタリアンカフェやベトナム料理店などの食べ物が原因でもない。WHOが指摘するように、問題は「脂肪と糖質を摂り過ぎていて、ビタミン、ミネラルなどの微量栄養素が不足した高エネルギー食への移行」が主な原因である。この新しい食生活は、座ってばかりの仕事や、交通手段の変化、都会化傾向と相まって、人体に否定的に作用するのだと思われる。
良質な食べ物は一部だけ
オーストラリアでは2つの対照的な面が見られる。きらびやかに雑誌やテレビ番組に登場する有名シェフがもてはやされる一方で、肥満に関する統計結果という現実がある。忙しさを増す人々がパック詰めされた調理済み食材への依存を高め、実際に料理をするより、人が料理をするのを眺める時間の方が多いという数字も出ている。
この現状を見ると1つの疑問が湧く。食に関するメディア、有名シェフ、世界的に有名なレストランのうちどれがどのくらいオーストラリア人の日々の食生活を改善しただろうか。料理番組を「フードエンタメ」だの「胃腸向けポルノ」だのと一蹴するのは易しいが、視聴者を教育するには役立っている。Marian Halliganが主張するとおり、こういった番組のファンは少なくとも「面白い料理を食べてはいないにしても、見てはいる」のだ。
これはいいきっきかけではあろう。関心さえ持っていれば、あるとき実行に移せるかもしれない。とはいえ、たとえ何時間も料理番組を見続けたところで、ライフスタイルや社会的、経済的な制約のため質の良い材料を手に入れる時間、お金、手段がなければ実際にキッチンに立つところまではいかないだろう。
オーストラリア人全てが食事情に恵まれた場所で暮らしているわけではない。批評家の間でトップクラスとされる食事は、オーストラリア人の大多数にとっては時間もお金も機会も足りないものばかりだ。ACニールセン社の調査によると、オーストラリアのスーパーで最も売れた商品トップ100がそのような状況を裏付けている。これによるとオーストラリア人が大好きなのはコカコーラ、ティップトップブレッド、キャドバリーチョコレート、インスタントコーヒー、ヨープレイヨーグルト、ピーターズアイスクリーム、冷凍野菜、ベガチーズチップ、魚の缶詰、アーノッツビスケットなどだ。
バジルソース、サワードウ・パンや、ラクサ麺などは見当たらない。オーストラリアの食生活を理解するには、完全菜食のすしやエッグ・フロレンティーンが食べられる地域を訪れていてはいけない。フライドポテトに白い食パン、コンビニ店や閉鎖したカフェなどが並ぶ郊外住宅地を観察すべきだ。その点においてはあのSUVに載っていた外国人嫌いの男が正しいのかもしれない。そういう場所こそオーストラリアなのだ。
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この記事はオーストラリアのレベッカ・ハントリー博士の『Eating Between The Lines: Food and Equality in Australia』から抜粋、要約したものである。
翻訳:石原明子