マネー資本主義から里山資本主義へ

里山里海。 日本に住んでいる人ならば、この言葉を聞くとその風景を思い浮かべることができるのではないだろうか。山や海に近い地域に住む人々が、農業・林業・漁業などを生業にして暮らしている場所。今、この里山や里海が、資本主義の新しい舞台となっているのだ。

NHKのプロデューサーとして、これまでに里山と里海に関する報道番組を数多く手がけ、一般向けの二冊の本を出版した井上恭介氏に、私たちは「マネー資本主義」に代わる考え方としての「里山資本主義」について話を伺った。

井上氏は1987年にNHKに入局。2007年頃から経済についての報道番組のプロデューサーを務めると、時を同じくしてアメリカでサブプライムローンが焦げ付き始め、同局でも経済問題を特集した番組が数多く放送された。井上氏も2009年にNHKスペシャル「マネー資本主義」の番組作りに携わっていた。日本の年金基金がアメリカのヘッジファンドを経由してサブプライムローンに手を出していたことは色々な人が口にしていたものの、真相はわからないままだった。同僚のプロデューサーが、米国一位の規模であるカリフォルニア州のカルパース(職員退職年金基金)への取材に成功し、日本における年金基金関係者のインタビューの約束をとりつけると、その取材を井上氏に託したのだ。これが、井上氏をのちにNHK広島局で「里山資本主義」の取材へと駆り立てる大きなきっかけになった。

田中さをり(以下、田中):NHKの番組「マネー資本主義」ではどのような取材をされましたか?

井上恭介(以下、井上):カリフォルニア州のカルパースが動くというのは「クジラが動く」と言われるぐらいマネーの世界では影響力があったんです。そのカルパースの最高幹部たちに、NHKの同僚ディレクターが次々にインタビューをしていきました。あるとき、その同僚ディレクターに「日本で一人だけ取材を受けてもいいという人が見つかったので、後はお願いします」と言われたんです。日本の年金基金がそんなギャンブルにはまっていったことを日本で放送されるのは、アメリカよりもハードルが高かったわけですよ。

その年金基金のトップとはすっかり打ち解けて話も聞けましたが、青果市場の職員たちの年金を扱っていたので、青果市場の組合長にも取材しなければならなくなりました。断られることを予想していましたが、「全部の年金基金は半分になっていったのに、うちはその中でも悪くないほうだ。この事態は誰かが言わないと国にも伝わらない」と言って受けてくれたんです。日本中の多額の年金が一瞬にして消えたことについてそのてん末を語ってくれました。

右肩上がりの高度経済成長で年金が拡充していく時代があって、その先にカルパースがサブプライムローンに手を出したんです。社会保険庁のOBが務める組織である年金基金は、皆が一番安全だと思っていたら一番危険なところにどっぷり浸かってしまいました。

田中:何が大きな原因だったのでしょう?

井上:かつてはロスアラモス国立研究所やアポロ宇宙計画には多額の国家予算がつぎ込まれ、多くの数学者が従事していました。米ソ冷戦が終わり、徐々に予算が減らされていき、そうした数学者たちは、ウォール街に再就職するわけです。金融工学による最初の仕組みを考えたのがその数学者家族の一人ジョン・ソーでした。ちょうど子どもが生まれる直前の物入りのタイミングで、ウォール街から声をかけられたのです。最近彼に会って、ニューヨークの喫茶店で、里山・里海を通して世の中が変わらないといけないと考えていると説明したところ、「今はそういうふうに変化しているんだね」とすぐに理解を示しました。

ウォール街で働く人々は彼を含めて皆、最初はガードが固かったんです。でも、崩壊した翌日は話したくなるものなんですね。もともとは良い仕組みとして始まったんだと皆が言いたいわけです。サブプライムローンも、所得の低い人々が(メキシコとの国境の)リオ・グランデ川を渡って、アメリカンドリームだと言ってアメリカに来てくれたお陰で経済が成長し、アメリカ国内の人口構造も安定を保てている。金融工学者たちはそうした人たちのためにまじめに考えたんです。「彼らが普通に家に住めて、安定した生活が送れるようになったら、もっと頑張って働いて、アメリカ人としての誇りももってくれるでしょう」と。そうして始まった仕組みが、いつのまにか本末転倒になってしまった。

田中:最初は利他的な思いがあったのですね。

井上:そうです。その話も番組の中に入れました。どのへんからおかしくなったのかについては、「実体経済が引っ張って金融はサポートする」ところから、「金融が実体経済を引っ張る」ところへ転換したところからです。カルパースが変質するのもその瞬間です。金融経済がお金のためにお金を作るという間違った方向に行きましたが、それもその瞬間からなんです。働いている人々を後ろから励ますスタイルから、目の前で札束を振るスタイルになり、やがて、デトロイトの自動車会社では、出社しなくてもいいのでローン債権だけ送ってくださいというスタイルになりました。債券をウォール街の銀行が買ってくれたのです。その結果、金融危機で車も売れなくなりました。売れる仕組みがローン優先だったからです。

田中:金融危機の引き金となったのは何だったのでしょうか。

井上:世の中で変化が起きているときに、微修正だけばかりして、根本的なことを考えないでいると、どこかで本末転倒になります。全員、間違っていることはわかっているんだけれど、皆が走っているので走らざるをえないことになっていました。だから「里山資本主義」に行きついたのです。

根本的には何をやらなければならないのか、「マネー資本主義」が終わってから東京でずっと考えていたんです。でも東京だと限界があります。イヴォーンさんに連れて行ってもらった能登の人の話を聞くと、「そういうことをやればいいのですね」と一発でわかるんですが、同じ質問でも、東京から電話で聞いてもなかなかわからない。肉声をその環境のなかで聞かないと腑に落ちないことが多々あります。

イヴォーン・ユー:東京以外の場所で豊かさについて改めて考え直されていたのでしょうか。

井上:そうですね。お金でお金を生み出してそれが「豊かだ」と言っても何もくっついていないじゃないですか。僕たちが取材をしていた人たちは一万円札さえない。コンピューターの回線の中を行き来している電気信号でしかない。電気信号を食べて暮らせません。

Kyosuke Inoue

井上恭介氏。Photo: Saori Tanaka/UNU-IAS.

何かに代えられるからお金というのは意味があるのに、そこが本末転倒になっていって、物なんかいらないからお金だけよこせって言う世の中になりました。それが豊かだなんて、ありえないですよね。目の前の海からお魚とって食べている人の方がずっと豊かでしょう。

『里山資本主義』という本を出した後、僕はまだしばらく広島にいました。広島・岡山・鳥取・島根という範囲が広島局の受け持っている範囲でしたが、そこで25分の番組枠が空いたんですよ。デジタルカメラ一台を持って一週間、一人で局を離れました。本を出したことで知り合いが増え始めたので、だいたいその知り合いを尋ねて回ると25分ぐらいすぐできると思って、共著者の藻谷恭介さんと三宅島を訪れました。

最初に画家の別荘を改装して若い夫婦がやっているレストランに行きました。その若い夫婦は「噴火というのはたまにあるんですよ。二十年に一回くらい噴火するんですが、三宅島の噴火というのはたいしたもので、あまり人を殺さないんです。だからそれはあるものだと思って、その時は皆で島を離れて、また戻ってくると、噴火したところから草木が生えてくるのと同じで、僕たちの生活も落ち着くのです」と平然と言いました。

そして、地元の漁師さんがとってきた鯛と庭のハーブでカルパッチョを出してくれました。その種類の鯛はすぐに痛んでしまうので、東京では干物になって売られているんです。その島に行かないと食べられないものがあることを自覚しながら、その世界に引き入れる。それを経済行為として彼らはやっているわけです。補助金をもらってやっているわけでもなく、全部自分でリスクをとっていました。

田中:「マネー資本主義」と「里山資本主義」の違いはどこにあるのでしょう。

井上:近所の人たちが閑散期になるときほど食べに来てくれるので、そのレストランは年間通して営業は安定しています。もちろん、他にレストランがないからだとか、後ろ向きの要素はいくらでもあります。でもそのレストランでは東京では食べられないお刺身を出しているわけですから、その点で東京より強いわけです。地元で毎日漁師さんや農家の人と会話していますから、今一番何が美味しいか、年間を通して鮮明にわかっています。

同じ鯛でも、干物にして何万トンにしないと儲からないという言い方をする人もいますが、そういうことだけ言っている経済はもう終わったと思います。小さな単位にすればするほど、こういうレストランのようなことができるわけですから、そこへ戻って、未来を作る実践をする人たちを少しでも広めて行く。そうすれば、お札に換算しなくても生きていける経済に少しずつ変えられ、やがて自分にかかる負荷が減るわけです。実際に、そういう暮らしをしている人たちは掛かっている費用が低く、漁師さんも「お金はいつでもいいから、そのうちよろしく」と言ってお魚を置いていきます。

よく地方の取材に行くと同じようなことになるのですが、三宅島でも都会から孫を連れてきましたと漁師のおじいさんがそのレストランで宴会を始めました。店の人たちも長靴を履いたその漁師さんのことを「最高の漁師です」と誉め始めて。そういうシチュエーションで家族が食事をしているレストランは東京にあるでしょうか。同じお洒落な内装で奇麗なお皿を使っていても、その中の空間がコミュニティになって和気あいあいとしているレストランは、東京には多分無いと思います。

東京でもこの頃は、お客の誰かが誕生日のときに、お店の人が部屋を少し暗くして、皆で歌を歌いますよね。そうやって擬似的なコミュニティを演出するわけですが、三宅島のようなところは本物のコミュニティですよね。僕はいつも最高のドラマよりも最高のドキュメンタリーの方が上だと思っていて、それでドキュメンタリーのディレクターになりました。どんなに凄いイミテーションでも本物には勝てない。そのことを『里山資本主義』や『里海資本論』で書きました。

結局、工業製品にして、世界中の人に行き渡って、私たちも実際にその恩恵を受けていますが、そういうふうにしているうちに、ほぼ100%がイミテーションの世界になってしまいました。20年から30年ほど前には物々交換の経済が存在していたはずなのに、それが瞬く間にほぼ0に近づいてしまいました。それでも、そういう地方に住んでいる人たちが、「こっちの方が豊かだよね」と言い続けているうちに、この5、6年で少しずつ回復してきています。

田中:なぜ物々交換の経済の方に関心が移ってきているのでしょう。

井上:マネー資本主義的なものに全部置き換わってそれが破綻した後、世の中の大勢の人たちは、今もまだ微修正でやろうとしていますよね。でももうこりごりだなと思った人も相当数いるわけです。日本の場合は特に、福島の原発事故を境に、エネルギー使い放題というのもどうやら怪しいと人々は気付き始めています。にもかかわらず、自民党政権になってオーソドックスな経済政策一本に絞られました。

この『里山資本主義』も東京や大阪のビジネスマンによく読まれて、さすがに経済成長一本ではまずいと、100%の経済成長に代わるオルタナティブが求められていたと思います。番組を通して、農業・林業・漁業や、第何次産業などの垣根がない言葉ができたおかげで、「あなたも里山資本主義をやっているんですね?」とお互いに垣根無しに話せるようになったと思います。

田中:「里山資本主義」という言葉はどのように生まれたのですか?

井上:広島局では25分の枠から73分の最大枠が使えるようになり、二回目の番組を作るのにあたって、ディレクターが「インパクトのある番組タイトルをお願いします」と言ってきました。皆に分かりやすいタイトルをとNHKの人は言うのですが、例えば「地域の力をみんなの力へ」というタイトルにしてテレビ欄に書いてあっても誰も見ないですよね。

ちょうどテレビ欄の枠に入りやすい言葉で、すこしゴロっとした言葉で考えて。里山も資本主義も聞いたことがあるけど、それをつなげた言葉はなかったので。「マネー資本主義」の「マネー」を「里山」に代えて使いました。

田中:「マネー資本主義」という言葉もご自身で考えられた?

井上:5人のプロデューサーからなる番組のチーム内で、「マネー資本主義という言葉ってあったかな」、「ないけどいいんじゃないか」という話になりました。「マネー」という言葉がつくだけで意味合いがはっきりしますし、僕たちの番組よりずっと前の1998年に、NHKでも電子取引を指す言葉として「マネー」という言葉を番組で使っていたディレクターがいたんですね。ちょうどその頃にタイのアジア金融危機があって、ロシアもそのあおりを受けました。さらにアメリカでは、ノーベル経済学賞をとったショールズとマートンが作った世界最高の金融工学を駆使していた、巨大ヘッジファンドのLTCMが破綻するわけです。

2008年のリーマンショックの後に、「マネー資本主義」という言葉を使い始めたんです。資本主義の問題というともう少し広い意味になりますが、本来の資本主義の意味合いから言っても怪しげな世界が急速に膨張している様子があって、バブルと違って、「マネー資本主義」は膨張している最中でも使える便利な言葉でした。

イヴォーン・ユー:国連大学でも里山や里海の研究を進めていますが、国内外にその内容を伝えることに課題を感じています。何かアドバイスいただけませんか。

井上:「里山・里海」と言っても、日本人自身が一番ピンときていないですよね。僕は経済を含めて色々な取材をしてきましたが、そのなかで分かったのは、海外に出た後に逆輸入されたものを日本人はよく買うということです。日本車の車も輸入向けの車のハンドル位置を変えないでいるものが日本で売れるんです。

SATOYAMAやSATOUMIも海外で知られ始めています。英語のSATOYAMAやSATOUMIを先に流行らせようと私たちもやっています。国連大学が発信者になっているということはそれ自体が強みなんですよ。イヴォーンさんのようにシンガポールから来た研究者が、漁師のおじさんに囲まれてご飯を食べていると、漁師のおじさんを見る目が変わってくる。外国の研究者がそんなに誉めるなら何かあるのかもしれない、と。それが逆輸入の効果だと思います。

著者

国連大学サステイナビリティ高等研究所(UNU-IAS)の広報職員。編集者・ライターとしても活動している。人文社会科学や情報科学の分野での書籍・雑誌・ウェブマガジンの編集を担当している。

シンガポール出身で、現在は国連大学サステイナビリティ高等研究所(UNU-IAS)いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニット(OUIK)の研究員。里山と里海の社会経済的な相互関係や、生態系サービスと生物多様性保全との関連について関心をもつ。