山から海へ:東北の復興を目指して

なぜ漁師が森のことを気に掛けるのか。この疑問に答えるのが宮城県気仙沼市でカキの養殖を行う畠山重篤氏だ。彼から学ぶことは多い。彼は日々の糧を得るために目先のこと(彼の場合はカキの養殖)にとらわれることなく、周りの世界全体を視野に入れる数少ない人物の1人だ。

30年にわたり、地元の湾の水質、そこへ注ぐ川、川の源となる森と山に注目してきた。そして清く健全な海のために漁師は森を大切にすべきだという結論に達した。

畠山氏は、その著作(1994年に本の執筆を開始)の中で、「森は海の恋人」という詩的な表現を用いている。この表現によって彼は有名になり、全国の有識者や政策立案者たちから環境に対する見解を求められるようになった。今や彼は先見の明あるリーダー、教育者、そして成功した実業家である。

畠山氏は「森は海の恋人」と表現し、その見識と経験は全国の有識者や政策立案者たちから求められるようになった。

ここへ至る畠山氏の旅は1980年代後半に始まった。そのきっかけはある困った出来事である。彼のカキは食べられないと人々から苦情が来るようになったのだ。問題は赤潮だった。気仙沼湾へ注ぐ大川へ汚水が流されたため、藻類が異常繁殖したのだ。そこで彼は大川の上流域で植樹をし、水質を改善する努力を始めた。彼はこの様子を2000年出版の『漁師さんの森づくり』に書いている。

この本にはアマチュアの自然研究家の伝統を反映し、美しい手書きのイラストが散りばめられている。描かれているのは様々な甲殻類や魚類などを含む地元の生態系だ。うなぎの捕まえ方や調理の仕方まで書かれており、木々の種類や木の実、猛禽類や海鳥の絵も載っている。

自然研究というのは実験ではなく観察に基づいた、環境についての研究だ。学術誌よりも雑誌で読まれるタイプの研究といえる。畠山氏の著作が広く支持されるのはこの点にあるのかもしれない。

カキ養殖を行う彼は、1年中自然の中で過ごしている。そして自然界のつながりに鋭い視点を持ち、誠実な関心を寄せる。スギヤマカナヨ氏1に本のイラストを依頼したのは、自然研究の伝統を、言葉にしないまでも意識してのことかもしれない。また若い読者層に環境メッセージを届けたいという彼の強い願いもあった。スギヤマ氏は子供の絵本作家として有名だからだ。

写真家に撮影を依頼したり、関連する写真をアーカイブから取り出して使用することもできたはずだが、彼は手書きのイラストを選んだ。彼もスギヤマ氏も共に自然への深い敬意を持っており、現在も共同で新たな作品に取り組んでいる。

生涯を賭けた仕事

「あなたが生涯を賭けた仕事は?あなたにとって本質的に重要なことは何ですか?本当に大切なものとは?」もしそんな質問をされたら、多くの人は答えに窮するのではないだろうか。畠山氏が偉大なのは、その答えが誰の目にも明らかだという点だ。彼は森を大切にしながらカキを養殖する。もちろん、ある日突然そうなったわけではない。国内外の多くの人々から影響を受けたという。数多くの偉大な人々のおかげで、現在の彼があるのだ。彼に従い、彼に学ぶ者たちが、やがて彼のおかげでさらに前進して行くように。

畠山氏が特に影響を受けたのは1984年フランスでカキの養殖の現場を見て回った時のことだ。西海岸からロアール川を上流に向かい、上流の広葉樹林が雨水を濾過し、川を下り海へ注ぐ水に大切な栄養素を与えていることを自分の目で確かめた。日本へ帰国すると大川の赤潮対策にその知識を生かした。上流で森を再生すれば湾の水質とカキの身も良くなる。生態系を総体的に見ることの重要性を理解したのだ。

だが彼の知識の活用方法は一風変わっていた。画面上のビデオにもあるように、上流域の農家や森林労働者に、環境を守るために努力してくれてありがとうと礼を言って回ったのだ。彼らと協力してこそ、地域の森や海を持続可能な形で管理することができる。畠山氏はこの活動を維持し前進させるため、2009年には森は海の恋人というNPOを設立した。目的はこのアプローチを別の地域でも促進することだ。

全てが流されて

2011年3月11日、そんな畠山氏の生涯を賭けた仕事が津波に流された。彼はこの経験をビデオの中でこう語っている。

「水が引き、その後から5、6メートルに膨れ上がった水がやってきました。大きなお風呂に水を入れたら、それがあふれてくるような、そんな感じでした。うちの事務所や加工所や船などが、1回でダーっと流れてしまって…。恐ろしかったですね」

全てを失った。損害額は約2億円(250万ドル)と見積もられている。それだけの損失があれば、多くの人はあきらめるだろう。だが畠山氏は違う。津波発生から数週間後には一関市室根町での植樹祭に参加した。そこで上流域の森林労働者や農民に今年は海産物を持ってくることが出来なかったとわびた。同時に東北地方の未来について、地元の木材を津波で倒壊した住宅の再建に使おうと述べ、前向きなビジョンを示した。そうすれば森林業者が、現在一部の地域で活用が不十分で管理も行き届いていない森を持続可能な形で使う助けとなる。それはまた東南アジアなど持続不可能な形態で伐採されている木材の輸入品の代替品ともなる。

畠山氏の話は感動的だ。人間と自然のつながりは欠くことのできない大切なものであり、それを失ってしまわないよう皆で十分な配慮をしなければならない。また津波の災害に遭っても即座に復興に立ち上がった彼の姿は、レジリアンス(変化に対する柔軟な強さ)の考えを体現している。そして何より、東北地方に昔から受け継がれる生物多様性と環境保全の価値を守る豊かな知恵と素晴らしい伝統を生かすことが復興に役立つことを示してくれる。

畠山氏の話が示唆するのは、人間と自然のつながりは欠くことのできない大切なものであり、それを失わないよう皆で十分な配慮をしなければならない点だ。また津波の災害に遭っても即座に復興に立ち上がった彼の姿はレジリアンスの考えを体現している。

復興が急がれる中、この地域の生物多様性と環境を傷つけるのではなく、さらに強化することが極めて重要だ。畠山氏は上流の森林労働者たちを前にこう言った。「来年はまた海の産物を持って戻ってくることをお約束します」

里山(農村での持続可能な土地活用)と里海(沿岸部の管理)を通して、農業と海に関する生物多様性を守るため、伝統的知恵が何世代にもわたって受け継がれてきた。再建の努力にあたって懸念されるのは、漁師たちが海から離れて暮らさざるを得なくなれば、海と環境のつながりが薄れてしまうということだ。

津波の被害を受けた地域では、豊かな農業が再生されなければならない。その際、漁業集落を凝集させようとしたり、大規模農場に切り替えようとしたりする衝動に屈してはならない。そのような開発は多様な生態系と人と自然の強力なつながりを失わせてしまうからだ。

地域社会と経済の再建はもちろん最優先課題だ。だが地域に根ざした伝統を切り捨てるのではなく、それを生かしてこそ真の復興が成し遂げられるだろう。
畠山氏は、2011年5月に行われた国連大学副学長武内和彦教授との対談での津波の被害に遭った人々の思いを語っている(画面下のビデオをご覧ください)。

「津波で多くの方が亡くなり、そのうえ仕事も奪われてしまい、なぜそんなところで生きるのかとよく問われますが、ほとんどの人は都会へ行こうという気持にはなりません。海が見える小高い丘の上に住んで、海へ出て漁をしたいと言うんです。それは生まれ故郷を愛する気持だと思うんですね。故郷を大切にするということは大事だと思います」

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著者

国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニット所長。1980年代後半から日本の農山漁村のフィールド調査に携わる。