新年を迎えるにあたり、お酒を飲む機会が多かった私たちに、欠かせないアイテム。それはペットボトル入りの水だ。
酒場、会社、家庭でも、ペットボトル入りの水は私たちの疲れや渇きを癒してくれる。水道水を汲む手間も省け、いつでもどこでも、手頃な値段で買うことができる。しかし、地球環境にはどのような影響をもたらしているのだろうか?
全世界で販売される1億5千万立方メートルの水は、年間1000億ドルの収益を生んでいる。先進国で消費されるペットボトルだけでも、1週間で10億個に上る。世界の水危機が叫ばれる中、ペットボトル入り水の販売は飛躍的に伸び、水生産会社は記録的な収益を上げている。
しかし、水のペットボトル化は、国境を越えた深刻な環境、倫理的問題を含んでいる。活動家たちは、「ペットボトルを抑制せよ」と積極的にキャンペーンを展開している。しかし、世界消費の動向が変化する中、彼らのアプローチは果たして適切だと言えるだろうか。そして、ペットボトル入り水の消費を抑制する手段はあるのだろうか?
望ましくない影響
ある国で消費されるペットボトル水は、世界の別の場所で波及効果をもたらす。水不足に悩む地域の貴重な水がボトル化され、きれいな飲料水が手に入る地域に、安価なコストで送られているケースも多々あるのだ。
フィジーのある水工場では、米国向けに1日100万本のペットボトル水を生産している。しかし、フィジー国民の2人に1人は、安全な飲料水が飲めずにいるのが現状だ。
この急速なグローバル化の時代に、希少な淡水資源をめぐって世界競争が起きている。パキスタンのラホールでは、ネスレが現地の希少な地下水を、何の制約も受けずに採水している。このような貧しい地域社会に住む人々は、安全な飲料水が手に入らず、巨大企業を相手に、自らの権利を守ることもできないのだ。
このような複雑な倫理的課題に加え、環境への負荷も十分に立証されており、地下水量の低下や過剰汲み上げは、現地住民の生活を脅かしている。インドの村人たちは、コカコーラのペットボトル水工場が、現地の地下水を減少させ農業に影響を与えているとして非難している。
流れの源
他のパッケージ化された飲料水と同様、ペットボトル入り水は、採水、加工、パッケージ化、移送、廃棄の過程を通じて、地球温暖化の一端を担っている。事実、2006年には、ペットボトル水の生産に250万トン以上のCO2を排出し、150万バレルの石油を消費している(輸送用燃料を除く)。
また、80%のボトルは再利用されていないため、大量のゴミ廃棄を生んでおり、水資源やエネルギーサイクルにも影響を与えている。
ペットボトル入り水1本の「水源からボトル化まで」のエコロジカルフットプリントを試算しようとする試みも行われている。持続性エンジニアのパブロ・パスターのフォーミュラは、1リットル入りの輸入ペットボトル水を生産・輸送するためには6.74kgの水が必要で、250gの温暖化ガスを排出することを突き止めた。
多国籍企業は、自らの商品を生産、パッケージ化、販売する「権利」を主張し、自らの産業を「統制のとれた競争市場」だとしている。環境負荷への自らの責任を認めず、さらには「ペットボトル入り水は環境に良い」という議論を展開している。
ペットボトル入り水の消費傾向を変えるため、様々な努力がなされている。Think Outside the Bottle(ペットボトル水を消費しない方向で考える)という団体は、ペットボトル消費の影響について消費者に啓蒙し、他にも「ペットボトル水の消費者は、禁煙者と同じだ」という、より挑戦的な考え方を訴えている団体もある。
現在行われている反ペットボトル運動は、途上国の消費者を対象としている。必要性よりも、利便性や味、健康面からペットボトル入り水が人気となっているのだ。しかし、国民の収入が増加しつつあり、政府による飲料水の供給が困難で、ペットボトル水に頼らざるを得ない新興国は対象に含まれていない。
1997年の統計データではすでに、途上国で長期的問題が起きると予測されていた。2004年までに、メキシコ、中国、ブラジルがペットボトル入り水の消費国トップ4のうちトップ3を占めている。1999~2004年の間、ペットボトル水の消費は、インドで3倍、中国では2倍に膨らんだ。アジア地域の消費量はこの10年間で、北米とヨーロッパの消費量を合わせた数値を上まわるだろうと、近年の傾向から予測できる。
資料: P. 169, ピーターH. グレック 2006年。世界の水資源における「ペットボトル水に関する最新報告– 2006-2007」の淡水資源に関する隔年報告。インランド出版。
人々の収入が増加するに伴い、汚れた水を煮沸するのは面倒な雑用となり、多くの人々にとって、ペットボトル水を飲料水として利用するのは「選択」というより「習慣」となった。また、増加する中流階級の人々も、政府に対しより良いサービスを要求していると政治家たちは注目している。
近年ペットボトル入り水を消費し始めた人々は、政府に水道インフラ整備の充実を要求する用意があるのだろうか?
実際、ペットボトルは生活の一部となっている今、一度身についた習慣はなかなか直らないものだ。
状況の打開に向けて
ペットボトル入り水自体が悪いわけではない。しかし、「水」は権利なのだろうか?1977年のマル・デル・プラタ行動計画は「すべての人々には、十分な量と、人間の基本的要求に値する質の飲料水を得る権利がある」と謳っている。
しかし、世界には安全な飲料水が飲めずにいる人々が11億人(世界人口の6人に1人)もいる。国連ミレニアム開発目標では、2015年までにこの数字を半減することを掲げているが、そのためには年間113億ドルの投資が必要だと予測されている。興味深いことに、これは、2007年に米国人がペットボトル入り水の購入に使った年間150億ドルより少額だ。
国連の世界水開発・報告2の「水は共同責任」というタイトルは、的を射ている。反ペットボトル運動は、人類と水の相互関係や、水をめぐる人間同士の関係を反映している。この問題に取り組むためには、今後の水消費傾向を反映する組織や非政府の世界的努力が余儀なくされるだろう。
長期的な解決法は、自治体や国が有効な手段を講じて水を供給し、大多数の国々の人々が安全な飲料水を飲めるようになり、ペットボトル入り水を購入しなくてもよくなることだ。
そして否応なくこのような取り組みは、「命の水」と称される行動の国際年(2005-2015)の試みより長くかかるだろう。
一方、ペットボトル水生産会社の中にも、創造的な取り組みをはじめたところもある。ボルビックはユニセフと共同で、エチオピア、ニジェール、マリの貧しい村々にきれいな水を供給する「ドリンク1・ギブ10」キャンペーンを展開中だ。その他にも、プラスチック廃棄物から原油を作り出す提案もある。
次回のペットボトル入り水に関する特集では、プラスチック消費に焦点をあて、その利益とリスクについて考えてみたい。