東電が汚染水の海洋放出を迫られる可能性

損壊した福島第1原子力発電所を操業する企業の上級アドバイザーが同社に対し、いずれ数十万トンの汚染水を太平洋に放出せざるを得なくなるかもしれないと語った。

2011年3月の地震と津波と原発事故から3年目を迎える日の前日、デール・クライン氏は、この発電所をめったに訪れることのない報道関係者らに対し、東京電力(TEPCO)は、引き続き除染活動を妨げている汚染水漏れの管理をめぐって国民をいまだに安心させられていないと語った。

「私が懸念している問題は、TEPCOの汚染水管理に関する長期的戦略です」とクライン氏は語った。彼はアメリカ原子力規制委員会の元委員長で、現在、TEPCOの原子力改革監視委員会の委員長を務めている。

「大量の汚染水を敷地内に保管しておくことは持続可能ではありません。管理下での放出の方が、敷地内での保管よりもずっと安全です」

「TEPCOは汚染水管理に関して前進していますが、私はまだ満足していません。同社が4~5歩進んでは2歩下がるという状況は、歯がゆい思いがします。そして汚染水漏れが生じるたびに、信頼が失われてしまうのです。あらゆる領域で改善の余地があります」

A worker at the Fukushima Daiichi plant looks at tanks, under construction, to store radioactive water. Photo: © Toru Hanai/AP

福島第一原子力発電所前にて、建設中の汚染水の貯蔵タンクを見上げる作業員 Photo: © Toru Hanai/AP

蓄積した汚染水の管理にTEPCOが失敗したことが明るみになったのは、昨年の夏である。同社は、毎日少なくとも300トンの汚染水が海に漏れ出ていることを認めた。

このニュースに続いて、組み立てに不備のある貯蔵タンクからの水漏れに関連して一連の事故が起こった。その結果、政府は汚染水の保管対策に約5億USドル(3億ユーロ)を投入することを約束した。

汚染水の保管対策には、汚染された冷却水に地下水が混合することを防ぐ地下凍土壁の建造が含まれている。冷却水は、損壊した原子炉の奥深くで溶けた核燃料に接触すると汚染される。

TEPCOは、発電所内の試験場で凍土壁の実証実験を開始することを明らかにした。この実験が成功すれば、TEPCOは来年、損壊した4つの原子炉の周囲およそ2キロに渡って同様の構造物を建造する予定だ。しかし、それほど大規模な範囲でこの技術をTEPCOが利用できるのか、疑問視する専門家もいる。

クライン氏も凍土壁による対策には疑問を投げ掛けており、処理済みの汚染水を管理の下で太平洋に放出する方が、大量の汚染水を敷地内に保管しておくよりも望ましいと示唆している。

しかし、海洋放出を行うには、TEPCO、政府、原子力規制委員会は地元の漁業従事者の支持を取り付けなくてはならず、たとえ汚染水を処理した上での放出だとしても、中国と韓国から激しい反応を引き起こすことはまず間違いない。

「これは非常に感情的な問題です」とクライン氏は述べた。「しかしTEPCOと政府は今後、人々に対して立場を明確に表明しなくてはなりません。私からすると、汚染水の問題は科学の問題というよりも政策の問題です」

TEPCOは、トリチウムを除く数々の有害な放射性核種を取り除く技術に希望を託している。トリチウムの内部被ばくは、発がんリスクを高めることと関連付けられている。

しかしクライン氏は、トリチウムには骨に残留するストロンチウムやセシウムほどの健康への影響はなく、海への放出前に安全なレベルにまで希釈することが可能だと語った。

福島第1原子力発電所の小野明所長は、同社には汚染水を太平洋に放出する計画は一切ないと述べたが、問題が解決されるまで廃炉作業は保留となるとした。

「私たちにとって最も喫緊の問題は、廃炉ではなく汚染水です」と彼は語った。

「この問題を解決しない限り、国民は安心できませんし、避難者は自宅に戻ることができません」

「私たちは廃炉に向かって30年から40年をかけていくというプラス思考でおります。しかし、そのどの段階においても、細心の注意を払わなくてはなりません。間違いがあれば、多くの人々に多くのトラブルを招くからです」

現在、1日当たり約400トンの地下水が、発電所裏の丘陵から原子炉建屋地下へ流れ込んでいる。発電所の敷地内には約30万トンの汚染水が蓄積されており、汚染水の入った1200基の貯蔵タンクが福島第1発電所の広大な区画を占有している。

今後TEPCOは80万トンを貯蔵できるスペースを確保したいと考えているが、スペースの拡張が有毒な汚染水の流入の速さに追いつかず、来年のどこかの時点でスペースが足りなくなる可能性が懸念されている。

3年後の福島

発電所への訪問者も、そこで働く人も、発電所に向かう際はJビレッジから出発する。Jビレッジは日本のサッカーチームのトレーニング複合施設だった場所で、現在は福島の除染活動の拠点である。

地震と津波の傷跡がいまだに残る地域をバスで20分ほど移動している間、ささやかながらも除染作業は進んでいることが分かった。

大気中の放射線量の低下を受けて、国は避難指示区域の境界付近の一部地域で避難指示を解除する方針だ。

10万人を越える福島の原発事故による避難者の一部は現在、日中に自宅へ戻ることは許されている。しかし放射能水準は今でも高いため、永久帰宅はできない状況だ。

楢葉町では、月曜日の大気中の放射線量は毎時およそ2マイクロシーベルトだった(国の除染目標値は毎時0.23マイクロシーベルトである)。放射性の土壌が入った大きな黒い袋が、かつては農地だった野原を覆い尽くしており、最終処分地に関する合意が得られるまで、そこに置かれたままになる。

沿岸地域の鉄道の一部は、この春、再開される予定だが、放射能汚染の最も激しい地域を通る路線は、今後も長い間、閉鎖されたままとなる見込みだ。

福島第1原子力発電所に入った記者たちは、TEPCOの技術者たちが行った必死の試みについて知らされた。彼らは3年前、巨大津波によって電力供給を絶たれてからの数時間、さらなる大災害から発電所を守ろうとした。

メルトダウンに陥った1号機および2号機を管轄する制御室で、ある作業員は機能しなくなったコントロールパネルに水位の記録を走り書きした。その文字が今でも残っている。

懐中電灯の光を頼りに作業せざるを得なかった、名もない人々の誰1人、現場にはもういない。退職した人もいるが、多くの人々は生涯被ばく量の上限にすぐに達してしまったために、職場を離れなければならなかった。

「作業員たちが当時、どのような時間を過ごしていたのか説明することは困難です」とTEPCOの松井氏は語った。「彼らは原子炉を救うために不休で作業しました。真の使命感があったのです」

翻訳:髙﨑文子

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