マラケシュで採択された移住協定の将来的な意味合い

拘束力のない国際協定が外交危機につながるとは、どういうことだろうか。2018年12月、モロッコのマラケシュに集まった世界のリーダーたちは「安全で秩序ある正規移住のためのグローバル・コンパクト」に支持を表明した。これは通常総会の開会に次ぎ、2018年の中で2番目に大きな国連会議だ。しかし、報道機関は誰が参加しなかったのかを多く取り上げた。このグローバル・コンパクト(国連関係者はGCMと呼ぶ)は、最近の多国間協定の中で最も大きな亀裂を生む1つとなったからだ。米国やオーストラリア、イスラエル、そして欧州諸国は、GCMの目的が世界的な人々の流れの管理ではなく、推進になっていると主張し、全面的または部分的に撤退した。

ドイツでは、アンゲラ・メルケル首相の後継者として地位を争う有力候補のうち3人が、協定を批判した。ベルギーとエストニアの連立政権は、協定への加入をめぐり分裂の危機に瀕した。実に馬鹿げている。移住は欧州と米国で政治的に深刻な問題となっているため、この問題に関する国連協定が論議を呼ぶことに不思議はない。とはいえ、GCMは国家を不安定化させるような協定ではないはずだ。

この新しい協定が単なる読み物でないことは認める。移住管理に向けて政府間における公約が23の公約にまとめられているが、その多くは微妙な外交的言い回しで書かれており、国連内部の専門家にしか理解できない。協定の内容全体が、国際外交の行方を左右するわけでもない。例えば、受入れコミュニティへの移民の統合を支援するため「料理イベント」を促進するという約束まで含まれている。

しかし、こうした言い回しをかみ砕いて見た場合、「安全で秩序ある正規移住のためのグローバル・コンパクト」は実際、移住をめぐる国際的な緊張を管理するための理に適った枠組みと言える。

しかし、こうした言い回しをかみ砕いて見た場合、GCMは実際、移住をめぐる国際的な緊張を管理するための理に適った枠組みと言える。コンパクトは移民を受け入れる国に対し、その権利を尊重し、基本的サービスを提供し、経済的豊かさを得られるようにすることを求めている。その一方で、移民の出身国は、不法に越境する人々が帰還に対して建設的な役割を果たすべきとも明言している。

重要なのは、GCMには執行するメカニズムも、それを守らない国に対する罰則の脅しもないことだ。アンネ・ピータースが洞察力に富む法的分析でこの論争を指摘しているとおり、「コンパクトには法的拘束力がないため、いかなる移住政策も押しつけることはできない」それが分かるのは「法的拘束力のない協調的枠組み」とあからさまな文言がGCMに盛り込まれているためだ。

それでも、コンパクトには後に法的義務を定めるための基盤となる原則がうたわれていると反論するアナリストもいる。トランプ政権が2016年12月、コンパクトの交渉から離脱を決めたのは、大統領補佐官の1人で強硬な国粋主義者スティーブン・ミラーが、これと似たようなシナリオを提示したリベラル派弁護士のブログ記事をたまたま見つけたからだとする噂もある。

但し、アントニオ・グテーレス国連事務総長をはじめとするGCMの支持者が、「移住をすべての人の利益に」する必要があるという進歩的な理念を主張したことで、保守派の政権が違和感を持ったという点は指摘しておくべきだろう。(全面開示:私はGCM関連の国連文書数件で編集者を務めた。これによってEU諸国が不安定化するとは思わなかったが、人生とは驚きに満ちているものだ。)

ピータースの指摘によると、GCMは明らかに強制力がないことを強調するように作られた。それにも関わらず拒絶した政府や政党が、GCMを政治的に利用するつもりであったと結論づけないわけにはいかないだろう。これは全体として、多国間主義の現状について3つの根本的な疑問を提起している。

第1に、コンパクトの支持者たちはなぜ、このように形式的で緩い文書が、移住をめぐる世界的な摩擦の管理に役立つと考えたのか。第2に、現在のGCMをめぐる論争は、移住問題のみに限定されるのか、それとも多国間外交のより幅広い劣化を示しているのか。第3に、GCMはこの困難な成立過程を克服し、移民に対する世界の対応に今後、実質的な影響力を及ぼせるのか。

パリ協定や持続可能な開発目標(SDGs)を見れば、「安全で秩序ある正規移住のためのグローバル・コンパクト」が最近の国際協定の傾向に沿っているとすぐに分かる。高い野心をもちつつ、法的厳格性は抑えるというやり方だ。

上記の疑問に答える際には、2015年の気候変動に関するパリ協定や、持続可能な開発目標(SDGs)、またそれ以前の緩い国際協定など、最近の国連協定の検討が有効である。

パリ協定やSDGsを見れば、「安全で秩序ある正規移住のためのグローバル・コンパクト」が最近の国際協定の傾向性に沿っているとすぐに分かる。高い野心をもちつつ、法的厳格性は抑えるというやり方だ。これら気候協定と開発協定はいずれも、拘束力を持たない政治的コミットメントに大きく依存する。

パリ協定は拘束力を持たない「決定」と、拘束力を持つ条項を含む「合意」という2つの部分に分かれている。ウィリアム・スウィートが有益な国際気候外交史研究で指摘するとおり、協定の最も複雑な部分は決定で止まっている。その中には、貧困国における気候適応資金として1,000億米ドルを拠出するという約束が含まれているが、これは少なくとも第3次草案まで、合意の部分に含まれていた規定だ。それが交渉妥結までに、決定の部分に移されてしまった。

同様に、SDGsにも大胆な文言(「我々は、社会における生産や消費、サービスのあり方について根本的な変革をすることにコミットする」)が盛り込まれているが、これに直接の強制力はない。パリ協定、SDGs、GCMはいずれも、厳格な誓約よりも幅広いコミットメントを優先するという、多国間の問題解決における傾向性を示している。

この傾向は、厳格な安全保障の問題でも見て取れる。2018年9月、150の国連加盟国は、国連平和維持の改善を図る一連の新たなコミットメントに署名したが、これに強制力はない。多国間外交はなぜ、この方向に進んでいるのか。

これには多くの答えがある。1つは、米国議会がトランプ政権以前も、拘束力のある条約に反対していたため、緩いオプションを採用せざるを得なかったというものだ。また、グローバル・システムの力関係がシフトし、さらに多くの国や連合が、従来であれば受動的であったような交渉で実質的な発言力を持てるようになったため、拘束力の強い協定を成立させるコストが受容できる限度を越えたという事情もある。

スウィートはパリ協定に関して、拘束力のある文言とない文言とのバランスは「上院の批准に対する米国の懸念」と「履行が難しいだけでなく、政治的にも危険な可能性のある強制的な規定に合意することへの不安」をともに反映しているという、中国人専門家の所見を引用している。

「安全で秩序ある正規移住のためのグローバル・コンパクト」のような、野心的だが法的拘束力を持たない協定の意義は、その法的地位よりも、ロードマップや多様な主体を鼓舞する力としての役割にあるのかもしれない。

多国間外交をめぐる政治情勢は2015年以来、著しく悪化している。トランプ政権はパリ協定をはじめ、強制力の異なる一連の多国間協定から脱退した。欧州の高官は、米国がGCMプロセスを常に批判してきたハンガリーなど、国連に懐疑的な他の国々をけしかけて、事態をさらに複雑化させていると主張する。それにもかかわらず、リベラルなEU加盟国でさえ、国内での攻撃を避けるため、移住について拘束力のある約束を控えようとしているのが現状だ。

より現実的に見ると、気候変動や移住のようなグローバルな問題は、国連がかつて得意としていた国家ベースの取極めに馴染まないとも言える。地球温暖化や人々の移動に対処するためには、多国籍企業や地方自治体のような非国家主体を巻き込み、国家当局が解決できない複合的な政策課題に取り組む必要があるためだ。

米国では、トランプ大統領の拒絶にもかかわらず、多くの地方自治体や企業がパリ協定の遵守を改めて表明している。非政府主体とのパートナーシップについては、GCMも多くの言及をしており、マラケシュ会議でも大きな焦点となった。GCMのような、野心的だが法的拘束力を持たない協定の意義は、その法的地位よりも、ロードマップや多様な主体を鼓舞する力としての役割にあるのかもしれない。国連では「言説」や国境を越えたネットワークが、国家間外交に代わるものとして語られている。

多くの困難は伴うものの、GCMは将来的な国際協定のたたき台とみなすこともできる。各国のリーダーが何を言おうと、多数の主体が賛同できる理念的枠組みだ。しかし、コンパクトをめぐる論争は、将来の外交に対する警告でもある。国境を越えた協力の促進は、厳しい政府間政治を遠回りする賢明な方策に見えるかもしれない。それでも、米国やハンガリーのような確信的国粋主義/主権主義政権は、この種の現実的な国際主義を自国の権威と政治的アジェンダに対する脅威と捉えている。

こうした政府は、ニューヨークやその他の国連事務局所在地での大規模な多国間外交だけでなく、より緩やかな形態の国際協力さえも妨げようとするだろう。移住は特に賛否が分かれる問題だが、今年のGCMをめぐる議論は、政治・経済・文化エリートに対し異議申し立てをするポピュリスト的リーダーが極めて緩やかな協定にさえ異議を唱えるという、将来の多国間主義をめぐる戦いの予兆となりかねない。

「安全で秩序ある正規移住のためのグローバル・コンパクト」は、やがては合理的かつ国際的な移住アプローチの出現を望む者に、理念的枠組みと政治的な擁護手段を提供するものだ。

それでは、GCMのような拘束力を持たない協定は無意味なのか。多国間外交の歴史を見ると、不透明な合意でも貴重な役割を果たすことがある。ピータースはその一例として、全欧安全保障協力会議(1994年に全欧安全保障協力機構(OSCE)へと発展)を挙げている。西側諸国とソ連圏は1975年に「ヘルシンキ宣言」として、この拘束力を持たない欧州安全保障枠組みを作り出した。そこに盛り込まれた人権と人道問題に関する条項は、冷戦末期の数年間、ワルシャワ条約機構の民主活動家や、ソビエトの指導者ミハイル・ゴルバチョフのような自由化論者に着想を与えた。しかし今でも、OSCEに「設立条約はなく、国際法上の立ち位置も保持していない」。このように、見かけ上は緩い協定でも、時間があれば実質的成果を達成できる可能性がある。

よって、マラケシュに向かった各国代表は、機内の読み物としてThe Final Actを1冊、手荷物に詰めておけばよかっただろう。これは、カナダの歴史家マイケル・コーティ・モーガンの手によるヘルシンキ交渉の新しい歴史書だ。40年も時代が異なる外交プロセスを、厳密に比較するには危険が伴うが、モーガンによると、冷戦時代の協定交渉者は、条約の法的意義を欠く重大な外交的合意を達成できただけであると結論づけた。影響力のある西側解説者はこれを大失敗と評し、交渉の成果を無視した。共産圏の反体制派も、ヘルシンキ宣言の人道的要素を軽視した。それでも時が経つ中で、表現、信仰および移動の自由という原則を含むその主要要素は、改革を望む者にとって欠かせない基準点となった。

GCMも最終的に、同じような役割を果たせる可能性がある。やがては合理的かつ国際的な移住アプローチの出現を望む者に、理念的枠組みと政治的擁護手段を提供するものだからだ。マラケシュ会議をめぐっては、不快な政治が繰り広げられた。GCMに盛り込まれたアイディアが近い将来、法的拘束力を持つコミットメントへと進化すると考えるべき理由は何もない。しかし、これらの原則がやがて、重要度を増しかねないというコンパクト反対派の懸念は、当たっているかもしれない。気候変動と同様、国際移住は現在の政治的な仲違いをはるかに越える世界的現実となるだろう。このプロセスを管理するためのGCMの主な提案は、妥当性を保つとともに、緊急性も帯びて来るだろう。マラケシュに参集した政治家や外交官、擁護者は、こうした摩擦をあまり心配すべきではない。このような交渉は、より良く、より偉大なステージを作ることを促すだろう。

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記事内で述べられた意見は各寄稿者の意見であり、必ずしも国連大学の意見を反映するものではない。

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