ディペシュ・チャパゲインは国連大学環境・人間の安全保障研究所(UNU-EHS)でシニア・リサーチ・アソシエイトを務めています。
2025年3月21日、氷河の保護の国際年(International Year of Glaciers’ Preservation: IYGP)および雪氷圏科学のための行動の10年(2025-2034年)と並んで、史上初の「世界氷河の日」を迎える。国連総会によるこの取り組みは、地球の氷圏保全の緊急性を強調している。世界中の氷河は驚くべき速さで融解しており、その融解水はしばしば新たな氷河湖を作り出したり、既存の氷河湖を拡大したりしている。このような変化は、氷河湖の決壊による洪水、いわゆる氷河湖決壊洪水(GLOF:Glacial Lake Outburst Floods )のリスクを著しく高めている。地元地域では氷河湖決壊洪水の危険性が知られていないことが多いが、不安定な氷河湖が決壊すれば、その影響は壊滅的なものとなる可能性があり、人命、生計手段、インフラが破壊され、その影響ははるか下流にまで及ぶ。
アフガニスタン、パキスタン、インド、中国、ネパール、ブータン、バングラデシュ、ミャンマーの山々で構成されるヒンドゥークシュ・ヒマラヤ地域は、北極と南極以外で最大の雪と氷河が集中しているため、「第三極」と呼ばれている。この地域は氷河湖決壊洪水リスクの世界的なホットスポットで、山そのものと下流の谷の間で、約20億人がこのリスクにさらされている。貧困の蔓延、著しい開発不足、限られた適応能力が原因で、こうしたコミュニティの多くは、このような突発的な洪水に対して特に脆弱だ。
データによると、ヒマラヤ山脈で現在発生している10年ごとの平均的な氷河湖決壊洪水の発生件数は、1950年以前と比べて5倍近く増加している。この急増は、気候変動に関連したプロセス、主に氷河湖の形成と拡大、雪崩、地滑り、棚氷の崩壊といった潜在的な氷河湖決壊洪水の誘発要因の増加によって引き起こされていると考えられている。こうした洪水により、インド、パキスタン、ネパール、ブータンを中心に、ヒンドゥークシュ・ヒマラヤ地域で9,000人以上の命が失われた。
氷河湖決壊洪水は地域社会を直接脅かすだけでなく、道路、橋、水力発電所、灌漑システムといった重要なインフラを破壊することで、社会経済的、生態学的に永続的な影響をも残し得る。インドのケダルナート洪水を引き起こした2013年のチョラバリ氷河湖決壊洪水や、2021年のネパールのメラムチ氷河湖決壊洪水といった直近の例は、こうした現象がもたらす破壊の規模の大きさを示している。過去の氷河湖決壊洪水による経済損失は相当なもので、観光、農業、エネルギー部門に長期的な影響を及ぼす。土地の浸食、地滑り、河川の流れの変化は生息地を劣化させ、生態系と生物多様性に影響を与えている。憂慮すべきことに、ヒンドゥークシュ・ヒマラヤ地域では400を超える潜在的に危険な氷河湖が確認されており、その多くは国境を越えた地域に位置し、複数の国にリスクをもたらしている。
氷河湖決壊洪水のリスクがますます高まっているにもかかわらず、適応への取り組みは依然として不十分だ。ヒンドゥークシュ・ヒマラヤ地域の国々は、国内計画、特に国家適応計画(NAP)や国が決定する貢献(NDC)において、氷河湖決壊洪水を主要なハザードとして認めている。しかし、氷河湖決壊洪水に特化した適応策を開始した国はわずか5カ国しかない。適応措置が計画されている場合でも、短期的な解決策に焦点を当てる傾向があり、長期的な適応戦略には大きな隔たりがある。大きな課題は、多くの氷河湖決壊洪水の持つ国境を越えた性質に対し、適切に対応するために必要な国境を越えた協調が欠けていることだ。
さらに、資金調達も依然として大きなハードルとなっている。ヒマラヤにおける氷河湖決壊洪水への適応の全体的なコストはまだ不明であるが、個々の国の試算では、かなりの資金不足があることが示唆されている。たとえば、ネパールの氷河流域で氷河湖決壊洪水リスク削減と早期警報システムを実施するコストは、2030年までに10億ドルになると試算されている。しかし、ネパールはこれまで、この目的のために約700万ドルの国際的な気候ファイナンスしか受け取っていない。ヒンドゥークシュ・ヒマラヤ地域の他のほとんどの国も同様の資金不足に直面しており、必要不可欠な適応プロジェクトの実施を困難にしている。
現在の対策レベルでは、氷河湖決壊洪水のリスクの規模と複雑さに対処するには不十分であるという事実は、ヒマラヤ山脈に限ったことではなく、アンデス山脈、中央アジア、北米、アルプス山脈など、他の氷河地域でも同様である。問題をただ認識することから、積極的な計画と実施へと転換しなければならない。
必要な対策はいくつかある。氷河湖決壊洪水の越境性には、地域協力の強化が求められる。したがって各国政府は、氷河湖の共同モニタリング活動、国境を越えた早期警報システム、オープンなデータ共有に投資し、備えを強化すべきである。適応戦略では、長期的視点の導入と、社会経済影響評価の推奨に重点を置くべきだ。
さらに、適応資金の不足を埋めるには、国際的な気候ファイナンスの大幅な増加、南南協力、そして民間セクターとの関わりを組み合わせる必要がある。水力発電や観光業など、氷河湖決壊洪水によって大きなリスクに直面している産業は、適応策の資金調達において重要な役割を果たしうる。リスク軽減のために積極的な投資を行うことで、災害後の復旧に伴う莫大なコストを抑えることができるからだ。
湖の排水やダム建設などの構造物による解決策は効果的であるものの、高地や遠隔地のため、コストがかかることが多い。継続的なモニタリング、早期警報システム、意識向上のためのキャンペーン、そして研究や技術革新などの制度的対策は、費用対効果が高く、持続可能な代替策となりうる。
「世界氷河の日」、「氷河の保護の国際年」、「雪氷圏科学のための行動の10年」といった世界的な取り組みを活用することは、意識を高め、科学的進歩を促し、世界中で効果的な適応戦略の実施を加速させる機会となるだろう。