パンデミック後の世界に向けたグローバルヘルスと人権

「歴史的に見ると、人間はパンデミック(感染症の世界的流行)によって過去と決別し、世界を新たに思い描くことを余儀なくされてきた。今回も例外ではない。これはひとつの世界から次の世界への扉であり、入り口なのだ」— アルンダティ・ロイ

この言葉に触発され、「新たな世界」を思い描いてみる。そこでは、すべての人の健康と人権が中心に置かれている。その世界を実現するには、まず別れを告げたい世界について反省し、自分たち自身に厳しい問いを突き付ける必要がある。私たちは、さまざまな場所で健康と人権の問題に取り組んでいるが、自分たちの価値観や基準、組織、メカニズムを振り返り、自分たちが目的にかなっているかどうかを問う必要がある。世界各地に見られる残酷なまでの不正と、そこで自分たちが果たしている役割を見つめずに、新たな世界を築くこの機会をつかんでよいはずがない。自分たちの価値観を見直さない限り、「偏見と憎悪の残骸」を新たな世界へと引きずっていくことになりかねない。

パンデミックの衝撃が和らぎ、あるいはそれに飽きて、世界はほとんど何も考えずに今にも「強欲」への道に逆戻りしようとしている。一時的とはいえ画期的だった二酸化炭素レベルの低下は明らかに元に戻ってしまい、大手製薬会社の貪欲さやグローバルコモンズ(大気や宇宙など地球規模で人類が共有している資産)への巨大な負荷もそのままだ。私たちはこれからも、この愚行を続けるのだろうか。それとも「問題が多い現在と決別し、思い描く新たな世界に向かって行く」のだろうか。

人権の観点から見たグローバルヘルス

世界保健機関(WHO)の憲章において、世界の指導者たちは「最高水準の健康に恵まれることは、あらゆる人々にとっての基本的人権の一つ」と宣言した。この声明の真の意味と目的が完全に実現したことはかつてなかったものの、ここまで遠ざかったこともないように思える。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックが起きてわずか数週間で、数十年かけて得た成果が崩れ始めた。何百万人もの人々が貧困へと押し戻され、高齢者は破滅的な影響を受け、女性と少女は言葉で言い表せないほどの暴力に苦しみ、基本的なサービスを受けられずにいる。そして、失われた世代となるかもしれない子どもたちが出て来ている。これらはどれも起こる必要がなく、防ぐことができた。したがって、なぜ全てがこんなにもひどく悪い方向へ進んでしまったのかを問う必要がある。

ここ数十年で、健康を人権として認識する見方は、一様にではないものの顕著に広まった。差別と不平等への取り組みは、人が健康という人権を手にし、それを維持する上で不可欠なものとして、広く受け入れられてきた。個人の人権が守られるかどうかがその人の健康にも直接影響し、逆に健康という人権が守られれば他の人権も行使できるようになるということは、漫然としていても一般的に認識されている。その結果、さまざまなグローバルヘルスの問題に関して、人権的見地から健康を監視するためのツールや規範的側面が大幅に発展した。

しかしながら、こうした前進と並行して後退傾向も見られた。各国での健康の操作化(測定可能な指標への変換)は、「人権に対する責任が放棄されてもそれぞれの国の事情によって正当化される」という主張によってしばしば台無しにされ、その結果、国際的な規範や基準の導入が不均一となり、政策の一貫性が失われている。マクロレベルの政治と統治イデオロギーはサービスの提供に、そして最終的には個人の健康の実現に大きな影響を及ぼしてきた。グローバルヘルスのための資金調達の方法は、規範的な発展だけでなく、現場での施策の実施にも大きく影響する。

グローバルヘルスの取り組みとして世界や各国の開発の優先事項が設定される際、人権は一応触れられてはいる。しかしその構造の中では、健康を人権として捉え、各人が送りたいと思う暮らしを実現するための能力に本質的に備わるものであるとは捉えていない。健康を人権として捉えないと、私たちは社会的、文化的、宗教的背景に深く根ざした複雑なグローバルヘルスの問題を、短絡的に解決しようとしてしまう。COVID-19は、パンデミックに至るまでとその後の対応の双方において、この失敗の典型である。ただし、健康の社会的決定要因に基づいた罹患者数と死亡者数の相互関係が明らかになったのは、COVID-19によってだけではない。明確なかたちで人権問題に対処しなければ、このパンデミックへの対応だけでなく、グローバルヘルスの未来も危うくなる。今こそ、健康を人権として考え直すべき時だ。そのためには、私たちの集団としての良心だけでなく、集団としての責任も前提となる。

「共有財」とは

グローバルヘルスを考え直すためには、健康を「グローバルコモンズ」として捉え直すところから始める必要がある。世界の大半が個人(私有)の概念を前提としているため、私たちが所有する最も重要な財産の一部が集団的で社会的なものであることは理解しづらい。現在のパンデミックの決定要因について論じる学術論文の多くでは、グローバルヘルスを「コモンズ」として捉えていないために、集団意識の低下が始まったと指摘している。天然ガスなどを効率的に採掘する手段であるフラッキング(水圧破砕)や、理解しがたい化石燃料の使用から不平等の永続化にいたるまで、全てを正当化した開発の市場構造と資本主義モデルは、「コモンズ」の概念を組織的に解体してしまった。そこにグローバルリーダーシップの放棄と、政治指導者への信頼の衰えが加わり、コモンズを一つにしっかりとまとめる可能性も断たれた。

悲しいことではあるが、これは今に始まった話ではない。「コモンズ」の原型は、少なくとも一世代の間、それが間違いなく悲劇に終わるというナラティブ(語り)によって損なわれてきた。この見方によれば、コモンズは結果的に乱用されて資源の破壊につながり、崩壊する。パンデミックとそこに至る失敗の連続は、明白な事実だ。

こうした悲観論が根強い理由は、コモンズの概念がオープンアクセスとしばしば混同される点にもあるかもしれない。オープンアクセスにおいては、基本的にあらゆる人がリソースを制限なく利用できる。したがって、コモンズを定義付ける「社会的インフラ」、つまり文化的制度や規範、慣習がなければ、それを最も積極的に私物化する人たちの私的利益だけが、唯一の明白な価値となり、他の誰かが利益を得る可能性があるためリソースに投資するインセンティブは一切なくなる。

グローバルヘルスについても同様だ。医療保険制度はさまざまな財産制度のもとで保持・管理されているため、グローバルヘルスが「グローバルな共通の権利」であり、医療制度は「共同の資源」であるというそもそもの基本理念が完全に無視されることも少なくない。

新たな世界を生み出そうとする際、私たちはまず「コモンズ」への自分たちの理解を問い直し、集団のためのナラティブを構築するところから始めなければならない。その際、倫理的規範や社会的規範といった外的な変数の力と、権力を持たない人にとってコモンズがいかに重要かを認識する必要がある。同様に重要なのは、社会からの信頼を築き直さなくてはならないということだ。危機に瀕しているのはパンデミックへの対応だけでなく、グローバルヘルスの将来全体なのである。

多国間組織への影響

新たな世界の目的に沿うようにするには、自分たちの組織や仕組みをより深く見つめる必要がある。あるひとつの組織や仕組みに関してではなく、多国間主義全体について、またその「主人」である加盟国や多国間主義が前提とする基盤に関しての疑問が生まれる。

国連とそれに先立つ国際連盟の歴史を見ると、きわめて重要な文脈を知ることができる。国際連盟が失敗したのは、投票構造や全世界の国が代表されていない点など、組織内の全般的な弱点のせいだと考える人は多い。さらに国際連盟は、すでに一大勢力となっていた米国の不在によって無力化していた。皮肉にも、現在はその米国が、多国間組織や多国間協定から順々に離脱しつつある。しかし、今国連が置かれている状況はさらに複雑だ。「自分」ファーストばかりを口にし国家主義を扇動する指導者が台頭しているだけでなく、システム自体も、構造的な脆弱性や勢力政治、特定の国を優先する投票構造に苦しめられている。加盟国は、国連を自らの隠れ蓑にしただけでなく、弱体化させた点についても批判されてしかるべきだ。

グローバルな連帯を求める呼びかけがなされているが、COVID-19で示された通り、私たちは全く力を合わせていない。しかし、連携せず孤立していては機能しないのだ。関係のない人や、つながりのない問題などない。今回のパンデミックで浮き彫りになったのは、人権のアジェンダが世界の健康・開発・平和のアジェンダとつながっており、不可分であり、奪えないものであるということだ。今こそ真のリーダーシップを発揮し、この機会を捉え、これらのアジェンダをひとつにまとめて、誰も置き去りにしない真の意味での持続可能な未来を実現すべき時だ。

これら多国間組織の詳細な見直しは、かつてないほど必要になっている。なぜなら、組織をいかに強化し、再編成するかによって、私たちの未来だけでなくこれからの世代の未来も決まってくるからだ。そして真の変革のためには、加盟国の見直しと、加盟国の国内および組織内での行動の見直しから始める必要がある。

新たな社会契約に向けて

ジョン・ロックは社会契約の概念を、「自然状態の人々が、生命や自由、財産を安定的に、また快適に享受することをより確実なものとするため、自らの権利の一部を条件付きで政府に委ねること」と説明した。今回のパンデミックでは、世界中の人々が自ら進んで国家に極端に服従し、数週間から数カ月もの間、移動の自由に対する厳しい制限をただちに受け入れた。しかし、独裁的な指導者が科学的証拠を受け入れられず、進んで国民に不要な苦痛と死を与えた場合もあり、たくさんの命が失われた。したがってここで問うべきは、「現在の社会契約は持続可能なのか」ということになる。草の根組織から国家レベル、世界レベルに至るまで、統治機関が「人々の生命や自由、財産を安定的に、また快適に享受すること」を提供できずにいるため、この問いは今や世界共通である。

エリートたちが何ヶ月も身を潜め、おおむね無傷だった一方で、「市井の人」は「エッセンシャル・ワーカー(人々の暮らしを支えるために働く必要不可欠な人たち)」としての負担を背負わされ、多くが不必要に命を落とした。今私たちがやるべきなのは、国家や政府への服従ではなく、すべての人のための人権や、平等な参加と発言権といった基本的価値観を前提とする、平等な社会契約を要求することである。私たち全員で、「社会契約を再交渉すべき時が来たのだろうか」という問いに答える必要がある。ここでの賭けはリスクが大きく、失敗は許されない。

前に進むために

最初の問いに戻ろう。私たちには新たな世界を思い描く準備ができているだろうか。「イエス」と答えるためには、まず過去の先入観という「お荷物を捨てる」勇気を振り絞り、集団としての健康と人権を中心に据えたナラティブを考え直す必要がある。この記事を通して、より良い復興の助けとなる議論が始まるよう願っている。ジョナサン・マンの言葉を借りるなら、「今こそ、世界は変わることができるという信念のもと、対等なパートナーとして力を合わせる時なのだ」

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この記事は、最初にBMJ Global Healthに掲載され、クリエイティブ・コモンズの表示 – 非営利 – 改変禁止 4.0 国際 (CC BY-NC-ND 4.0)の下、改めて掲載されたものです。

 

著者

ソフィア・グラスキン

南カリフォルニア大学

ソフィア・グラスキンは、南カリフォルニア大学(USC)グローバルヘルス不平等研究所所長。ケック医科大学院の予防医学教授 兼 疾病予防・政策・グローバルヘルス部部長、グールド法科大学院の法律・予防医学教授、およびUSCドーンサイフ人文科学部の空間科学研究所の兼任教員。

パスカル・アロテイ教授は、国連大学グローバルヘルス研究所(UNU-IIGH)所長。4つの大陸で20年間、グローバルヘルスの研究者として健康と福祉の増進に努めてきた。主な研究分野は健康の公平性、健康と人権、ジェンダーと健康の社会的決定要因、強制移住と疎外、性と生殖に関する健康、感染症と非感染症。