乾いた高地

青海チベット高原には北極、南極に次ぐ地球上で3番目となる面積の氷河が存在する。そのため第3の極と呼ばれ、その氷がアジア13億人の水源となっている。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)のアセスメントレポートによると、このままのスピードで気温が上昇し続ければ、青海チベット高原の氷河は2030年代までに現在の80%にまで後退するという。また、高原の半分以上に及ぶ面積を占める高地の草原(海抜4,000メートル以上の土地)におけるヤクやチベットヒツジといった家畜の過放牧が問題に拍車をかけている。

中国甘粛省にある蘭州大学ではこの事態の悪化を食い止めるため、リュウジン・ロン教授主導の下International Centre for Tibetan Plateau Ecosystem Management (チベット高原生態系マネジメントのための国際研究センター、ICPTEM)を発足し、懸命に活動している。

Our World 2.0ではこのほど、青海省馬多県における草原地帯減少の悲惨な状況についてICPTEMのツァンホアン・シャン博士にインタビューを行った。青海省では砂漠化が深刻であり、かつては草原だった土地の70%以上が現在は砂漠になってしまったと考えられている。

「事態はかなり絶望的だ」とシャン博士は嘆く。

1970年代、馬多県は中国全土で最も豊かな県と評価されていた。ところが2009年になると、県の住民20,000人が中国の最貧層となった。新華社通信によると、生態系がひどく悪化し、主に水不足が原因で馬多県住民の多くが他の土地へ移住してしまったという。

中国西部では馬多県と同様のケースがよく見受けられる。温暖化と不十分な土地管理の結果、揚子江流域は部分的に砂漠と化している。また黄河沿岸では、生活のため他の地域から新鮮な水を買わなければいけない状況にさらされているコミュニティもある。

変えるのか、変えられてしまうのか

青海チベット高原の高山草原は、そこで暮らす人々に食糧を供給するとともに、二酸化炭素吸収源として世界が立ち向かう地球温暖化との闘いにおいて生態学的に必要な機能も果たしている。拡大地図ご参照

暮らしが脅かされる非常時となれば、荒治療も必要だ。ICPTEMの研究者は生物多様性、畜産、人々の生活の向上を目的とするプログラムを通して、草原地帯減少の問題に馬多のコミュニティと共同で取り組んでいる。

シャン博士が強調するのは、世界にある二酸化炭素排出量が低い多くの地域とっては、適応策を導入することが明快な答えであるという点だ。

「ここには産業がひとつもなく、気候変動を緩和するにも住民にはその手立てがないのです」
であるから、緩和策といっても、欧米メディアでは度々話し合いの最重要項目として扱われるが、チベットの遊牧民にはそれほど関係のない事柄なのだ。その代わり、馬多県のチベットコミュニティはICPTEMのプロジェクトのライフサイクルにあわせて、新たな現実に適合してきている。

研究チームは現地の遊牧民に対し、人間と自然それぞれの環境を活性化させるため、彼らの行ってきた土地の手入れ方法の質改善を支援している。そのプログラムで主に重視したのは、生態系への貢献に対して報酬を設定することにより高山草原を再生すること。他にも、草の生育を促すため家畜を一定の場所に囲うためのフェンスの改良などシンプルな手段を用いている。

他にも、かつては農地であった土地に新たな活力を与えるため飼料をより多く使用することや、農民の食糧保障を促進するため個人所有地を造る、といった活動もプロジェクトに含まれる。

「支援者がプロジェクトをサポートするのは、効果が上がっているからです」シャン博士が嬉しそうに語る。
2006年には世界銀行がこの活動に加わるという象徴的な変化が起きた。世界銀行や他の組織も、草原地帯を復活させることが二酸化炭素の吸収につながることの重要性に気付いたのだ。

長い道のり

プロジェクト成功の理由を説明する中で、シャン博士は地域社会の信頼を得ることの必要性に触れた。

「遊牧民が我々を信頼してくれれば、プロジェクトもうまくいく。プロジェクトがうまくいけば、遊牧民はテクノロジーを受け入れ、他の遊牧民たちもその良さを分かってくれるのです」

長い時間をかけてこそこのような信頼関係を築くことができる、とシャン博士は考える。その例として博士は、研究チームと地域社会とのパートナーシップが10年に及んだ馬多県のケースを挙げた。

「長期にわたる努力の継続が恩恵をもたらすのです」

この理念を裏付けるように、ICPTMが行った経済のモデル化から、土地の整備に対して環境的に持続可能な危機管理を行えば多大な所得効果を生むことが明らかになった。ただしその効果が表れるのは10年後だ。

自然界の敵に勝つ

また、「自然界の敵産業」という率直なネーミングの取り組みもある。ここで言う自然界の敵とはこの地域に生息するナキウサギという小動物。ナキウサギを餌とする野生のタカの数が減ったことで1970年代から繁殖し続けているのだ。

地域住民は毒殺によってナキウサギの数を減らそうと試みた。しかしねらい通りにはいかず、その毒によってタカの数が激減するという皮肉な結果を招いた。今日では、広範囲に及ぶ繁殖プログラムが実施され、獲物を狙う前に力を蓄えさせるため、タカ専用に生息場所を提供する立ち木が建てられた。

さらに家畜自体も自然界の敵となりうるだろう。チベットのコミュニティ(青海チベット高原では人口1,000人に対し、5,000万頭のヒツジと140万頭のヤクがいる)においては文化的アイデンティティとして家畜の存在が重要な要素となっている。しかし、いくら家畜であってもその数が増えれば彼らのアイデンティティを支える土地そのものを荒廃させてしまう可能性もあるのだ。

伝統的に、馬多県の遊牧民は家畜を売ることを好まない。そのため、家畜の数は時とともに増大した。そこでプログラムの一環として家畜のヤクを肥育し、一番利益を上げられる秋の最適な時期に食肉として売る方法を遊牧民に教えた。

一定の限界レベル以上に家畜を増やさないことで、草原に与える負荷とメタンガスの排出量を減らすことができた。減った収入を補填するため、この地域では夏の3ヶ月間に家畜が冬場に使う牧草地を利用して鶏を育てている。その間、家畜は高山地もしくは人里離れた夏の牧草地で放牧される。

将来への大きな希望?

喜ばしいことに、青海チベット高原では他にもいくつかのコミュニティが欧州委員会による資金援助の下、同様のプロジェクトから恩恵を得ている。

それでも、馬多県のプロジェクトはなお続行する。そしてこのプロジェクトを他の遊牧民にも広めてゆくというICPTEMの目標は、確実とはいえない中国政府と支援者のわずかな資金提供にかかっているのだ。

シャン博士は、貧しい地方自治体が外部からの投資をいかに引き出せるかが問題であると考える。現実には13億の人民を有する成長著しい中国において、アジア金融資本の一拠点である上海のような巨大都市と地方のチベットが競えるはずもない。その結果、中国の不平等格差はさらに広がり続けることになる。

シャン博士は言う。「この方針を貫き通さなければいけません。ですから私は青海チベット高原で起きている環境問題を世界に示したいのです」

翻訳:浜井華子

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著者

マーク・ノタラスは2009年~2012年まで国連大学メディアセンターのOur World 2.0 のライター兼編集者であり、また国連大学サステイナビリティと平和研究所(UNU-ISP)の研究員であった。オーストラリア国立大学とオスロのPeace Research Institute (PRIO) にて国際関係学(平和紛争分野を専攻)の修士号を取得し、2013年にはバンコクのChulalpngkorn 大学にてロータリーの平和フェローシップを修了している。現在彼は東ティモールのNGOでコミュニティーで行う農業や紛争解決のプロジェクトのアドバイザーとして活躍している。