破壊されるアメリカの田園地帯

このエッセイは トム・ディスパッチに掲載されたものであり、トム・エンゲルハート氏の承諾を得て、本欄に転載されることになった。

一粒の砂を通して世界を見ることができるなら、気をつけた方がいい。ウィスコンシン州の住民たちが身をもって経験しているのは、砂には大金(と苦難)が埋もれているということだ。石油会社が求める砂が周りにあれば、彼らはじきに玄関口に現れるだろう。

ウィスコンシン州の冬といえば雪が降り積もり気温は低く、農民たちは牛が凍え死なないかと心配したものだ。だが私がこの3月に水圧破砕法(フラクチャリング)に必要だがあまり知られていないフラクサンド採掘に関する取材のために地方のタウンシップや村を回った時、日中の気温は26度にもなった。この異常な天候は、気象学的メッセージを送っていたのではないだろうか。

そんな奇妙な春だったが、ウィスコンシン州の平原や農地は波状にうねりながら扇形に広がっていた。これらの丘が土地や人々を抱き育ててきたのだ。丘に抱かれ、不凍池にはガチョウの騒がしい声がこだまし、白頭ワシが空を舞い、シカが雑木林の中を跳ねていた。そして私は生まれて始めてカナダヅルの鳴き声をも聞いた。

だが、こののどかな農村地帯の景色はあっという間に巨大な製造工場の一部へと変貌しつつある。地球最後の化石燃料獲得のレースが始まったのだ。目的は、ツルが育つこの土地の砂だ。

5億年前、海がこの地に押し寄せ独特な丘や絶壁が形成された。緑の草木の下には砂岩がある。その砂岩には特に純度の高い結晶シリカ(石英)が含まれる。粒は完璧に丸く、水圧破砕法と呼ばれる技術の圧力に耐え得るだけの強度がある。この技術は地下のシェール(頁岩)層に大量の砂と化学物質を含んだ水を注入してメタンなどの「天然ガス」を取り出す掘削法である。

そのためにはシェール層を破砕する砂を入手しなければならない。それなしでは水圧破砕法は使えないのだ。そこで先史時代の砂を運び去ろうと巨大な多国籍企業がのどかなこの農村地帯に押しかけてきた。運ばれた砂は、天然ガスを得るために、全国の別の土地に無理やり注入されるわけだ。数億年もかかった地質の歴史が今やシステムの一部、機械となりつつある。

「谷は埋められ…… 山と丘は平らに」

水圧破砕法のブームは2008年に始まった。それまでは垂直掘削のみが行われていたが、水平掘削の導入により産業は大きく変化した。それと共に、この砂「フラクサンド」の採掘が大々的に行われるようになった。

「それは大規模に行われています」アメリカ地質調査所の鉱物専門家が話す。「こんな急成長を見たことはありません。めまいがするほどです」この年、アメリカ国内ではフラクサンド生産会社は650万トン以上の砂を使用または販売した。ギザのピラミッドほどの重さだ。先月、ウィスコンシン州天然資源省(DNR)のシニアマネージャー兼特別プロジェクト調整担当のトム・ウォレツ氏が発表したところによると、今ではこの州の丘から、毎年最低1500万トンが運び出されているという。

2011年7月までにはウィスコンシン州内で22~36のフラクサンド施設が稼動中または認可を受けていた。ウォレツ氏によれば、その7ヵ月後には、60の採掘坑と45の精製加工工場が稼動していた。「あなたの記事が発表される頃には、その数字も古くなっているでしょう」と話すのは2008年にフラクサンド採掘に反対する最初の団体Concerned Chippewa Citizens(不安なチペワ住民の会。現在はThe Save the Hills Alliance〈丘を救う同盟〉の一部)を設立したパット・ポプル氏だ。

掛け替えのない丘は、水を吸収し、ろ過する巨大なスポンジのようなもので、最高に純粋な水を含む帯水層を備えている。

引退した元教師で農家も営むジェリー・ラウステッド氏は、彼が住むメノモニーという町の近くにある露天堀り鉱山を縁取る黄褐色の砂山を指差した。「空から見たら、採掘坑の底にある池が見えますよ。そこに産業廃水が捨てられているんです。左を見てください。あそこの丘ももうすぐなくなります」

それらの丘は、水を吸収し、ろ過する巨大なスポンジのようなもので、最高に純粋な水を含む帯水層を備えている。ラウステッド氏によると、砂の採掘は「空気の質、水の質と量」を低下させる。「地域の娯楽も被害を受けます。不動産の価値が下がります。でももっと大切なのは、掛け替えのない丘が切り崩されることです。丘は母なる自然が私たちに与えてくれた巨大な生産工場だったのに、それがなくなってしまうのです」

路上ではその破壊の規模を把握することはできないが、航空映像や写真を見れば、かつてウィスコンシンの丘が広がっていた地域が、今では荒涼とした荒地が延々と広がり、廃水池や産業設備が点在している様子が分かる。
企業が郡に採掘許可を申請する際には、「開拓」計画書を提出しなければならない。だが採掘専門の元冶金学者・産業コンサルタント、ラリー・シュナイダー氏は開拓計画など「まったくふざけている」と言う。

1970年以降の採掘業者による開拓プロジェクトは採掘地を「ほとんど使いものならない荒地にしてしまいました」とシュナイダー氏。「それなのに、彼らは生物多様性を取り戻そうと努力したか?自然の美しさと生態系は?とんでもない」

彼の証言を様々な研究が実証する。「Journal of Scientific and Industrial Research(科学と産業に関する研究ジャーナル)」でムリナル・ゴーズ氏はこう述べている。「劣化した採掘跡地では植生の努力にもかかわらず、広大な土地が年々不毛になりつつある」

企業の雇用の保証やたやすい金に目がくらみ、土地を貸し、売った者たちはただ肩をすぼめる。「景観なんていずれ変わるものさ」 酪農家のボビー・シンドラー氏は2008年にチペワ郡の土地をCanadian Sand and Proppant(元エンロン社EOGがその後貸借契約を引き継いだ)というフラクサンド会社に貸した。「丘の代わりに谷ができる。でもちゃんと整地しておけば、よっぽどこの土地に詳しい人でない限り、採掘坑があるなんて気づかないだろう」

採掘に関して彼はこう付け加えた。「この地域の活性化に役立ってるよ。手から手へ渡る金の額は相当なものだ」 シンドラーさんの土地から160キロほど南の土地を別の採掘会社ユニミン社に売却した84歳のリーサ・ウェブスターさんは56年住んだ土地を離れることについて「進歩の代償よ」と言った。

多くのウィスコンシン州の町は個人主義の文化が根強く都市区画を個人の自由への攻撃だとみなしている。グリーンフィールドも同じで、トンネル・シティも含め全ての行政区には区画の規定がなかった。よって企業は個々の土地所有者と取引が可能だったのである。

ジェイミーさんとケビン・グレガー夫妻は2人とも30代でウィスコンシン州出身の退役軍人である。2人はトレイラーに住んで貯金し、ケビンさんがイラクから戻り次第、田舎の楽園で暮らそうと夢見ていた。2011年1月、2人は小さな村、トンネル・シティ(近くにある列車のトンネルにちなんだ名)で理想の家を見つけた。「素晴らしい場所だったんです。丘に木に森に動物に……」とジェイミーさん。「完璧でした」

ところが、2人が引っ越して5カ月後、近隣住民が「砂の採掘場」の会社と土地の貸借契約を結んでいたことを知る。「砂の採掘場って何?」と彼女は尋ねたものだ。

1年もしないうちに、2人は状況を嫌というほど知ることになる。グレガー夫妻の土地は三方を醜い採掘場に取り囲まれている。ユニミン社は木々を根こそぎにし、表土をえぐり、近くの丘を切り崩し始めた。「まるで被災地だわ。爆弾でも落ちたみたい」とジェイミーさんは嘆く。

彼女の国家への奉仕について尋ねると、彼女の声は震えだす。「心はボロボロです。私たちはずっと正しいことをしてきました。すべきことをしてきただけです。いい場所で家族を育て、よい隣人を持ちたかっただけ。それなのに支持もしていないことのために、何もかも奪われてしまうなんて……」 声は涙で途切れる。

ユニミン社にしてみれば、グリーンフィールド・タウンシップにあるトンネル・シティの村は格好のターゲットだった。土に誰もが欲しがる結晶シリカが含まれているだけでなく、この村は鉄道の支線にも近い。他の会社がしているように、ディーゼルトラックを何百台も連ねて加工工場まで砂を運ぶ必要はない。さらに、加工工場から鉄道合流点までの運搬の必要もない。他の会社はそこから毎年数百トンものフラクサンドを、さらに別の農村の景観を破砕すべく列車で運んでいるのだ。この場所でなら、製造ラインの全工程を1つの産業区域で行うことができる。

また、ここには時に障害となる都市区画法の壁もなかった。多くのウィスコンシン州の町は個人主義の文化が根強く都市区画を個人の自由への攻撃だとみなしている。グリーンフィールドも同じで、トンネル・シティも含め全ての行政区には区画の規定がなかった。よって企業は個々の土地所有者と取引が可能だったのである。リーサ・ウェブスターさんと夫のジーンさんが56年暮らした8.5エーカー(34400平方メートル)の土地は2010年の査定では14万7500ドルだったが、ユニミン社は33万ドルを支払った。最終的にこの会社は2011年5月末から7月の間に436エーカー(1.764平方キロメートル)に対し、市場価格が110万ドルのところ、530万ドルを支払っている。

フラクサンド採掘に関する否定的な情報を住民に知らせる時間もなかった。丘の破壊、資産価値の下落、シリカの粉塵による珪肺(けいはい)症(かつては職業病とみなされていた肺の病気)、加工工場で使用される化学物質による地下水の汚染、夜中もこうこうと灯る明かり、何百もの列車車両による騒音、爆発による振動などだ。ロン・コショシェク氏はウィスコンシン州の強力な町民団体Towns Associationを率いる環境保護専門家で、タウンシップの住民にこの産業について教育する活動を行っている。彼はこう話す。「フラクサンド採掘は地方のタウンシップの住宅開発を完全に停止させてしまうでしょう」 その結果「市町村の税収が激減し、残っている住民は増税されます」

町の分断作戦

フラクサンド会社は、こういった小さな市町村の純朴さ、信頼、無知を食い物にしている。住民らはこれまでウィスコンシン州の地元の土砂産業以上の規模の会社を知らず、2008年以前は道路整備その他基本的な行政問題以外は扱ったことがなかった。今日、多国籍企業はあらゆる手を使い地方審議会を強引に説得して自分たちに有利な協定を結んでいる。こうしてトンネル・シティはまんまとだまされたのだ。

2011年7月6日、ユニミン社の代表はフラクサンド採掘に関して初の公開討論会を開いた。その後には地域集会が開かれ、多くの住民が参加し熱い議論が交わされた。しかし大金が流れ込み、町議会議長は採掘会社に反対の意思を示さず、ユニミン社がいたって強引という状況の中、トンネル・シティはまるで、投石器なしで巨人ゴリアテに立ち向かうダビデのようなものだった。

地元住民はこの会社から、1年に採掘される200万トンにつき25万ドルを支払うという約束をなんとかとりつけた。当初の提示額より5万ドル高い金額だ。その代わりにタウンシップ側は今後採掘を制限する法令ができてもユニミン社には適応しないことに同意した。2013年以降、年間200万トンの採掘が見込まれるフラクサンドに対して、1トンにつき300ドルというユニミン社の予想収益率を掛けると、タウンシップはユニミン社が得る総収益のわずか0.0004%しか得られないという計算になる。

グレガー夫妻にとっては、まさに悪夢だ。ユニミン社には、土地を買うことを5度も拒否され、他に砂の採掘場のそばに住みたいという者もいない。彼らが一番深刻にとらえているのは、子供たちが長期にわたって砂塵を吸い続けることから珪肺症を発症することだ。ジェイミーさんは言う。「子供たちをフラクサンドの会社のモルモットになどしたくないわ」

結晶シリカは発がん性物質だと知られており、不可逆で不治の病、珪肺症の原因となる。州の天然資源省(DNR)による砂の採掘に関する規定はごくわずかで、採掘坑外の大気中に含まれるシリカの量を制限するものはない。

ユニミン社のオペレーション部門シニア・バイスプレジデントのドリュー・ブラッドリー氏はそのような懸念を笑い飛ばす。「住民は大げさに騒ぎすぎです」と地元のマスコミに語っている。「シリカ市町村のそばのシリカ採掘坑など数多くありますが、特に問題にはなっていません」

グレガー夫妻にとって、そんな言葉は慰めにならない。結晶シリカは発がん性物質だと知られており、不可逆で不治の病、珪肺症の原因となる。州の天然資源省(DNR)による砂の採掘に関する規定はごくわずかで、採掘坑外の大気中に含まれるシリカの量を制限するものはない。周辺住民の主な懸念はまさにそこだ。

2011年11月、ジェイミー・グレガーさんと他10名の住民はDNR宛に35ページの請願書を提出した。請願者はDNRに吸入性結晶シリカを有害物質と認め、カリフォルニア州環境保健有害性評価局による公衆衛生保護基準を監視するよう求めた。請願は、DNRによるものも含む様々な研究に基づいており、フラクサンド採掘坑周辺住民に対する大気中のシリカによるリスクが認識されていた。

ところがDNRは請願を拒否し、それまでの自らの研究結果とは逆に、現在の規定は適正であると主張した。請願署名者の1人、ロン・コショシェク氏は驚かなかった。彼はWisconsin’s Public Intervenor Citizens Advisory Committee(ウィスコンシン州公認仲裁人諮問委員会)で16年間会員として所属し、9年間は会長を務めている。1967年に設立されたこの委員会の役割は、DNRの2つの役割―環境保護と企業認可―の間に矛盾が生じる場合、環境の側に立って仲裁を行うことだ。彼いわく「DNRはいまや資源の開発と搾取の認可機関です」

2010年、キャシー・ステップ氏は筋金入りの反環境保護者で、かつてDNRを「反開発、反交通機関、ヘビの擁護派などと罵って非難したこともある。現在苦境に立たされているウィスコンシン州知事スコット・ウォーカー氏は彼女をこの省のトップに任命し、こう述べた。「商工会議所のメンタリティを持った人間が必要だったのです」

ジェイミー・グレガーさんの夢は打ち砕かれた。もうこの家を去ろうと決めている。「今となっては、いくらででも売るわ」と彼女は言う。

フラクサンドか食料か

トンネル・シティから220キロ北東にあるプレイリー・パークでは、ブライアン・ノーバーグさんと家族は究極の代償を支払った。地域をまとめ、多国籍石油・ガス会社サンジェルの子会社プロコアに抵抗していたが、その半ばで他界したのだ。ノーバーグ家の前に建つアメリカの旗の横にはプラカードがあり大きな金色の文字でNORBERGと刻まれている。その上の青い空にキジが舞う。このプラカードは家族が1世紀にわたって耕してきた1500エーカーの土地を象徴するものだ。

「産業的採掘についての話は、私たちにとっては土地を汚すということなんです」ブライアンさんの未亡人リサさんは3月の午後、昼食を食べながらそう話した。家族や友人たちがフラクサンド会社とプレイリー・ファームの闘いについて話すため集まってくれていた。「一家は、大企業によって私たちが素晴らしいと思っている生活が破壊されてしまうなど、受け入れられなかったんです」

プロコア社との闘いは2011年4月に始まった。近くに住む長年の友人、サンディさんが自分の土地から採掘工が掘り出した砂のサンプルを持ってきて、フラクサンド採掘の良い点を興奮しながら話しだした。「ブライアンはしばらく耳を傾けていました」リサさんが当時を振り返る。「やがてサンディに、その砂の瓶を持ってとっとと農場から出て行け(実際にはもっと強烈な言い方をした)と言いました。サンディは私たちも皆と一緒になって喜ぶと期待していたんです。でもブライアンは、私たちの土地は神の思し召しどおりに使わなければならない、と言いました。農業のことです」

フラクサンド会社は「ひとつの町から次の町へ行っては、地域内を対立させるよう仕向けるのです」

ブライアンさんは急いで家族や隣人をまとめ、この会社に対抗しようとした。2011年6月、プロコア社は郡の土地水保全課に開拓計画を提出した。許可申請の第一段階である。彼は郡役所に飛び込み公聴会を開くよう求めたが断られ、愕然として帰宅した。リサさんは「私たちの町に彼らが乗り込んできて、生活を壊してしまうことを防げず、夫は敗北感に打ちひしがれていました」

ブライアンさんは心臓発作を起こし、その翌日に52歳で亡くなった。家族は彼の死は紛争によるストレスが原因だと確信している。ストレスはあまりにも強烈だった。一家の友人ドナ・グッドラクスソンさんは、私が取材したほかの人々と同様、次のように話した。フラクサンド会社は「ひとつの町から次の町へ行っては、地域内を対立させるよう仕向けるのです」

しかしノーバーグズ一家とプレイリー・ファームはあきらめることなく、ブライアンさんの努力を引き継いだ。2011年8月の公聴会では町の住民は直接プロコア社の代表者らと対峙した。「住民側の発言はとても強力でした」グッドラクスソンさんが語る。「向こうはイスから転がり落ちそうになっていましたね。こんな反発に遭うとは思っていなかったんでしょう」

「私たちが農民だからと高をくくり、皆バカだと思い込んでいるですよ」こう話すのは、ブライアンさんの兄ウェインさんの内縁の妻スー・グレイサーさんだ。「彼らは間もなく私たちには十分な知識があることを思い知らされることとなりました」

「住民の8割は地域が変化することを好ましく思いませんでした」リサさんは続ける。「でも当初はこの産業について詳しく知っている人はほとんどいなかったのです」 そのためウィスコンシン州農民組合と市町村組合は2011年12月、「新たな産業への対策を立てる」ため、丸1日の会議を開催した。

プロコア社はついに抵抗に屈し撤退した。だがグラスさんによれば、その後も彼女の家のそばに採掘孔を作りたいと、別の人をよこして交渉しにきたという。

一方、他の町はフラクサンド採掘の爆発音に驚き、産業を規制する認可の法令を通過させようとしている。ウィスコンシン州では、郡は土地区画には反対できるが、認可法令には反対できない。これは行政区警察の管轄である。ウィスコンシン州の法律によると、これらを郡や州が覆すことはできない。プレイリー・ファームの住民であり、Labor Network for Sustainabilityを率いるベッキー・グラスさんはウィスコンシンの町の警察権力が「フラクサンド採掘と闘い規制するための最強のツール」だという。それはまるで巨人ゴリアテのような大企業に立ち向かう多くの石投げ器ともいえる。

2012年4月、プレイリー・ファームでの今後の採掘努力を規制する法令を、3人の委員会で2対1で通過した。確かにその程度の動きではウィスコンシン州のフラクサンド採掘の動きは止められない。だが少なくとも害を緩和することはできるかもしれない。プロコア社はついに抵抗に屈し撤退した。だがグラスさんによれば、その後も彼女の家のそばに採掘孔を作りたいと、別の人をよこして交渉しにきたという。

「国民全員を食べさせるには1人につき年間1.2エーカー(4856平方メートル)の土地が必要です」とリサ・ノーバーグさん。「私が住む小さなタウンシップの農場は9000エーカー(36.42平方キロメートル)です。私たちが目を閉じ、条件をのみ、採掘会社を許せば、数千人分の食料が作れなくなるということです」

食料か、フラクサンドか。これはアメリカ全土にとって極めて重要な決断である。にもかかわらず、アメリカ人の多くが気付いてもいないこの決断が下されつつあるのだ。その決断は、多くの場合は「本当のアメリカ」と呼ばれる地で、多国籍企業と減少しつつある自作農によって行われる。人々の多くはこういった決断がされていることすら知らないが、採掘会社が進出してくれば、それはすぐに周知の事実となる。スーパーや食料品店で値段を見れば分かることだ。残りの人々もやがてはそれに気付く。気候変動によりウィスコンシンの冬は暖かく、国中に異常気象が発生するのだから。

のどかな田園風景が消え、帯水層が汚され、ウィスコンシン州の無数の農場が産業による荒地と化しつつある中、リサさんの息子たちはノーバーグの土地で、かつての父と同様に働き続けている。32歳の甥のマシューさんは、でこぼこした農場を車で回って案内してくれた。彼は、また私がこの町に来る時には丘の水が泉へ注ぎ込む場所へ連れて行こうと約束した。そう、それは飲める水だ。まだ最高に純粋な水なのだ。だが、現状を考えると、あとどれだけこの状態が続くかは分からない。

エレン・カンタロウ氏は30年にわたりイスラエル・パレスチナに関する報道を様々な場で行ってきた。気候変動に関しても長く関心を持ち、トム・ディスパッチ上で石油・ガス会社による世界的略奪について暴いてきた。本論執筆にあたり、様々なインタビューの内容を共有し、時間を提供しウィスコンシン在住の映画製作者ジム・ティトル氏に深く感謝している。ティトル氏製作のドキュメンタリー「The Price of Sand」は2012年8月に公開予定である。

翻訳:石原明子

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著者

エレン・カンタロウ氏はボストンを中心に活躍するジャーナリストである。初めての記事は1979年イスラエルとヨルダン川西岸から発信したレポートだった。カンタロウ氏の記事は「Village Voice」、「Grand Street」、「Mother Jones」その他様々な出版物に掲載され、サウス・エンド・プレス社によってアンソロジーが編集されている。最近は「Counterpunch」、「Znet」、「AlterNet」などに寄稿している。