私は無国籍の根絶を誓う世界の一員

2014年11月、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は著名人たちの支援を得て、無国籍という深刻で法的に不安定な状態の根絶を目指す世界的キャンペーンを開始した。60年前、世界は無国籍者を保護することに同意したが、UNHCRの新しいキャンペーンは、今こそ無国籍自体をなくす時機だという発想を中心に展開する。今回お届けする啓発的なフォトエッセーは、無国籍であるとはどういうことなのかに関する意識を高め、各国が既存の状況を解決し、新たな無国籍者の発生を防ぐための10年間の行動計画への支援を確立するために、UNHCRが編集したものである。キャンペーンの一環として#IBelongという活動があり、公開書簡にこちらから署名できる。

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現在、世界で少なくとも1000万人の人々が無国籍である。彼らはどこにも属していないとされている。彼らには国籍が認められていない。そしてその誰一人として、基本的人権を認められていない。彼らは生まれた瞬間から、市民権ばかりか、多くの場合、出生証明書さえ与えられない。

多くの人々が、教育、医療、雇用、行動の自由、身の安全の確保を限られているか、まったく得られない生活に苦しんでいる。結婚できない人も多く、中には無国籍という不名誉を次世代に残さないためだけに子どもを持たない選択をする人もいる。人生を終える時でさえ、多くの無国籍者は死亡証明書や適切な埋葬といった尊厳も与えられない。

無国籍が人に与える影響は甚大だ。何世代もの人々と社会全体が影響を受けかねない。しかし政治的意志があれば、無国籍を解決するのは比較的容易である。政府の措置のおかげで、2003年から2013年までに400万人を超える無国籍者が国籍を取得、あるいは国籍を認定された。2004年から2014年までに、12カ国が自国の国籍法から性差別を撤廃する対策を講じた。この対策は、子どもの父親が市民権を持っていないか国籍を与えられない場合に、子どもが無国籍にならないようにするために、重要である。

2011年から2014年までに、無国籍に関する2つの協定に42カ国が参加した。このことは、無国籍の問題に取り組む必要性への合意が高まっていることを示している。UNHCRによる、10年間で無国籍をなくすためのキャンペーンは、この状況に弾みをつけようとしている。このキャンペーンは各国に、この問題とそこから引き起こされる苦しみに、決定的な終止符を打つ10の行動を起こすように訴えている。

01

ヨーロッパのロマ人のほとんどが国籍を持っているが、ザヒロヴィッチ(Zahirovic)一家は今なお無国籍である。一家はクロアチアのヴルトゥニ・プトゥ(Vrtni Put)で、水道も電気もトイレもない、作りの悪い狭い部屋で暮らしている。くず鉄集めが一家の唯一の収入源である。Photo: ©UNHCR / Nevenka Lukin / November 2010.

03

コートジボワールのブアフレ付近の小さな農園でカカオを集める無国籍のブルキナファソ男性。コートジボワールには70万人の無国籍者がいると推計されており、そのほとんどが何十年も前にこの国のカカオ農園に出稼ぎに来た外国人移民の子孫である。2013年の立法改革により、彼らの多くがついにコートジボワールの市民権を得るチャンスを手にした。Photo: ©UNHCR / Greg Constantine/ 2010.

06

ラトビアのリガで孫たちと写真に写るバレンティーナは、家族の中で唯一の無国籍者だ。彼女と夫がベラルーシからラトビアに移住したのは1983年。当時は両国ともソビエト連邦の一部だった。4人の子どもたちは全員、今はラトビアの市民である。バレンティーナは1991年、独立に賛成票を投じたが、国籍を得るために必要なラトビア語の試験を受けたことがない。彼女は不合格になることを恐れている。「私はどこの市民でもありません。家族と一緒に旅行をする時、入国管理官は私の非市民パスポートをまるで博物館の所蔵品であるかのようにじっと見るんです」とバレンティーナは語る。Photo: ©UNHCR / Lionel Charrier / September 2014.

11

4歳のマラク(Malak)はフェイリ・クルド人。彼女の家族は1980年にイラクからイランへ避難した。フェイリ・クルド人全員がサダム・フセインによってイラク市民権を剥奪され、無国籍者となったあとだった。サダム・フセイン政権の崩壊後の2003年以来、フェイリ・クルド人が再びイラク国籍を取得できるように改革が実施されている。Photo: ©UNHCR / Greg Constantine / July 2014.

09

49歳のヌスレット(Nusret)はモンテネグロで暮らす無国籍者だ。「隔離されているように感じるよ」と彼は言う。「私を知っている人がいる町をあちこち移動することはできるけど、書類がないのでほかの場所には行けないんだ。コソボの病気の母を見舞うこともできない」Photo: ©UNHCR / Nevenka Lukin / August 2014.

07

マレーシアのサバ州のテリポク(Telipok)の子どもたち。移住者の子どもの多くは国籍を証明することができない。証明書類が一切なく、教育を受けられない子どももいる。Photo: ©UNHCR / Greg Constantine / December 2008.

10

コートジボワールのサリア(Saria)村で自宅の前に座る17歳のモハメド。彼はブルキナファソのワガドゥーグーでブルキナファソ人の両親の元に生まれた。両親は彼が幼い頃に死亡し、モハメドはおじとともにコートジボワールに移住した。モハメドの出生はブルキナファソで届け出られておらず、彼は両親がブルキナファソ国民であることを証明する書類を何も持っていない。モハメドはサリア村から出ることを諦めている。「収穫物を売るために近隣の街へ行こうとすれば、警察や軍に止められて、僕の半年分の賃金と同じ1万CFAフラン(20米ドル)を支払わされるんだ」と彼は話した。Photo: ©UNHCR / Helene Caux / October 2014.

04

1993年にウクライナに移住した朝鮮民族の男性は、公的に結婚を登録できないまま、10年以上地元の女性と暮らしている。Photo: ©UNHCR / Greg Constantine / 2009.

08

この無国籍の母親はタジキスタンからキルギスに来た。そのため、子どもたちも無国籍だ。彼女の国籍を証明する書類がないため、彼女はどうしても必要な社会扶助を受けることができない。Photo: ©UNHCR / Alimzhan Zhorobaev / December 2010.

05

ガルジェール人の子どもが、ケニア北部の廃校で遊んでいる。ガルジェール人はソマリ族系の支族で、人口は3500~4000人。1930年代終わりからケニアに住んでいる。ケニア北部に暮らす無国籍のガルジェールの子どもたちのほとんどは学校に通っていない。学校に通っている子どもたちは学校まで何キロも歩かなければならず、他の部族に嫌がらせを受けることも多い。Photo: ©UNHCR / Greg Constantine / December 2008.

翻訳:髙﨑文子

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私は無国籍の根絶を誓う世界の一員 by キャロル・スミス is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 4.0 International License.

著者

キャロル・スミスは環境保護に強い関心を寄せるジャーナリスト。グローバル規模の問題に公平かつ持続可能なソリューションを探るうえでより多くの人たちに参加してもらうには、入手しやすい方法で前向きに情報を示すことがカギになると考えている。カナダ、モントリオール出身のキャロルは東京在住中の2008年に国連大学メディアセンターの一員となり、現在はカナダのバンクーバーから引き続き同センターの業務に協力している。