ブレンダン・バレット
ロイヤルメルボルン工科大学ブレンダン・バレットは、東京にある国連大学サステイナビリティ高等研究所の客員研究員であり、ロイヤルメルボルン工科大学 (RMIT) の特別研究員である。民間部門、大学・研究機関、国際機関での職歴がある。ウェブと情報テクノロジーを駆使し、環境と人間安全保障の問題に関する情報伝達や講義、また研究をおこなっている。RMITに加わる前は、国連機関である国連環境計画と国連大学で、約20年にわたり勤務した。
「クールジャパン」と称する大々的なキャンペーンが、「文化超大国」としての日本を宣伝している。そこで、江戸時代への興味関心の再来の一環として(江戸とは1603年から1868年の間の東京の地名)、「日本の江戸がクール!」であると提言したい。
今、日本人は、江戸時代のあらゆるものに、かなりの熱狂を見せている。江戸東京博物館には連日長蛇の列ができ、毎週日曜夜の歴史テレビドラマが人気を呼ぶ。しかし「江戸」は、これよりも深い意味を持つ。
『江戸に学ぶエコ生活術』(原題 ”Just Enough: Lessons in Living Green from Traditional Japan”)の著者アズビー・ブラウン氏は、現在世界が置かれた状況に対する不安感が江戸への興味を駆り立てているのではないかと考えている。
江戸時代初期、日本は森林伐採、浸食、流域災害などによる生態系の崩壊に直面した、とブラウン氏は主張する。この危機に対し新たな保全活動が導入され、里地里山が推進された。これにより、人間と自然との持続可能な相互関係が生まれたのである。
『日本人はどのようにして森をつくってきたのか」(原題 “The Green Archipelago”)の著者のコンラッド・タットマン氏はこの見解を支持している。江戸幕府はこの生態系の危機に対し、新たな技術を持って対応した。社会、文化価値両方の変化に補完される形で、江戸は持続可能な町となったのである。
成長中の発展途上国の都市に、江戸で学んだどのような教訓が使えるだろうか。
アズビー・ブラウン氏は、江戸時代の教訓は現代の持続可能な生活に適応できると言う。3,800万人の人口も持つ現代の関東大都市圏は、世界で二番目に大きな都市であるデリーよりも、1,300万人も人口が多い。東京の人口は減少しており、デリーの人口は増加しているため、15年後には2都市とも同じサイズに成長する。
1721年、江戸は約100万人を誇る世界一大きな都市であり、世界二番目の都市は63万人のロンドンであった。
ロンドンの発展はいくぶん限られていた。その理由の一つは、汚水処理が効率よくできなかったことである。この問題はヴィクトリア朝の下水パイプが発明されるまで解決されなかったが、江戸では、し尿を集めて処理することで、汚水処理にあたっていた。
江戸の農業の熱心さは、決定的に有利に働いた。稲作はほかの穀物や畜産と比べて、あまり土地を必要としないため、都市の体制に適していた。またそれによって、し尿の運搬に必要な労力や費用も抑えられた。
農業は台風による洪水の水害も和らげ、江戸の町に安定したきれいな水を供給した。都市農業にとって最も重要である食物は、果物や野菜には生産地で有名な江戸郊外の地名がつけられるほどになった。
江戸からのまず第一の教訓は、地域で生まれた地域独特の技術からソリューションを開発し、都市生活に適応させたことである。
また効率性は江戸の経済や日常の生活にとって大事だった。人々の欠かせない交流の場であった共同浴場の銭湯は、各家庭で風呂を設けるよりも、水や加熱する薪の節約にもなった。衣服は破れたら繕われ、陶磁器は壊れたら修理された。全ての産業が再利用、再資源化を中心に成り立っていたのである。
江戸の人々は廃棄物ゼロの社会という用語が作られる前から、その言葉の意味を理解していた。江戸時代の暮らしは、それぞれの事情や背景にあった問題解決法を計画する大切さを教えてくれる。そして、デリーなどの都市の場合、西洋のやり方が必ずしも最善策だとは言えないことを示している。
第二の教訓は江戸に暮らした人々の倫理的枠組みと関係がある。彼らの世界観は生命の倫理と相互作用に基づいているのである。
ブラウン氏によると、江戸の人々は「全体像」を把握していた。彼らは自分たちが、自然界の限界の中で自分たちの町、経済や暮らしを営まなければいけないことを知っていた。これは、現代のほとんどの人々が奮闘していることである。
私たちは生態系の限界や地球への境界はないものとして生きている。現代のほとんどの人たちは、制限をされた生活のことを貧困や地味な生活と同じだと考える。この考え方が、江戸の町のような制約された経済の中で暮らすというのはどういうことなのか、と考える私たちの想像力を制限してしまっている。
江戸は理想郷でもなんでもない。江戸の社会には、侍、農民、職人、商人、部落民などの厳しい階級制度があり、生まれ持った階級から抜け出すことはできなかった。侍は門や柵に囲まれた特別な地域に住んでおり、職人や商人の家族は、わずかな所持品とともに狭い家に住んでいた。
それでも、社会の中での自分の場所や地位を知ることは、町や、自然界での自分のいるべき場所を知ることにもなり、この仕組みは江戸の人々に礼儀、忠誠心、義務感などを通して、生き方や、道徳的な生活を送る大切さなどを教えたのである。
これは近代の価値観とぶつかりあうかもしれないが、私たちはどんな権利を手放すことができるのか、そして持続可能な未来のためにどんな責任を負う覚悟があるのかという問題にも発展してくる。
第三の、そして最後の教訓は、私たちの生態系が窮地に達するという悲惨な予知から来る。
江戸を再評価する、最も有力な提唱者の一人は、日本人著者の石川英輔だ。彼が1998年に出版した本、「2050年は江戸時代」で彼は、日本は「ゆっくりとしたスピードで破綻に向かっている」という。
この本は、2050年の設定で、日本の衰退を老人の記憶を辿りながら追っている。社会は衰退し、年老いている。経済はもう何十年も停滞している。石川氏によると、2050年には人口の99%が農村生活をおくっており、東京、大阪、名古屋などの大都市は放棄地帯となる。
日本版暗黒郷の未来は、西洋では、ジェームズ・ハワード・クンストラー氏の『The Long Emergency(ロング・エマージェンシー)』や彼の小説『World Made By Hand』が匹敵するだろう。クンストラー氏は、世界経済、近代社会崩壊後のアメリカの小さな町を描いている。それは限られた資源での生活であり、電気、水道水、公共医療、政府など何もない世界だ。
面白いことに、クンストラー氏は自身のブログに日本について書いており、人口縮小と負債の蓄積にみられる、二十年にわたる経済の倦怠について、コメントしている。こうした状況は「日本人に深いショックを与え」ており、「人々はひそかに昔の伝統的な社会に戻りたがっているのかも知れない」、江戸時代のような社会に。
日本は江戸時代に逆戻りするのは不可能だが、江戸時代の経験から学ぶことはたくさんある。アズビー・ブラウン氏の言葉を借りれば、「我々が立ち向かわなければいけない挑戦とは、江戸時代の美徳を取り入れて、現在の生産、消費を再設計し、我々の洗練された技術と祖先が持ち合わせていた先見の明をリンクさせることだ。」
日本政府が「クールジャパン」という「ソフトパワー」キャンペーンを推し進めるにあたり、江戸時代を、もっと広く異なった視点、つまり人類の進歩に貢献する江戸としてキャンペーンするべきである。
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この記事はもともと「The Conservation」に掲出されたものである。元の記事はこちら。
In the World’s Biggest City, the Past Offers Lessons for Surviving the Future by ブレンダン・バレットandマルコ・アマティ is licensed under a Creative Commons Attribution-NoDerivatives 4.0 International License. Permissions beyond the scope of this license may be available at The Conversation.