インドの都市が示すエコライフへの道

夏のインド東部沿岸は暑くてほこりっぽく、気温が40度にまで上昇することも少なくない。タミル・ナドゥ州東部にある赤砂地帯には、多くの村や集落を結ぶ小道が交差している。「グローバル・ビレッジ」とも呼ばれるオーロビルは、50年前に始まったひとつの実験だ。当時ここには、ほこりっぽい赤砂以外、ほとんど何もなかった。それが今では、巨大なベンガルボダイジュやイチジク、カシューの木々が、2000人といわれるオーロビルの住民に欠かせない木陰を作り出している。

オーロビルの住宅はどれも個性的だ。建築家や環境活動家、ヒッピーなどからなる住民と同様に、この集落は多様性に満ちている。ヨシやワラ葺きの小屋が、テトラパックでできた屋根と並んでいるし、帆のついたヨットやインドの寺院のような外観の家もある。また、所有者のバウハウス様式趣味がうかがわれる家も数軒ある。

オーロビルにふんだんにあるベンガルボダイジュは生命の象徴だ。写真:ゾリバー

オーロビルにふんだんにあるベンガルボダイジュは生命の象徴だ。写真:ゾリバー

オーロビルの起源は、世界中からやって来る人々が調和の中で暮らせる平和な都市の設立を望んだフランス人の旅行家、ミラ・アルファッサ氏の発案にまで辿ることができる。その計画は1996年末には、ユネスコの支持を受けるまでになった。この「グローバル・ビレッジ」の名は、アルファッサ氏のヨガの教師だったインドの哲学者、スリ・オーロビンド氏にちなんだものだ。

オーロビル在住のジルス・グイガン(Gilles Guigan)氏は、オーロビルの設立時に、招待状がインドの政府機関やデリーのすべての外国大使館に送られたことを覚えている。オープニング・セレモニーには何人か代表も来た。当時、インド南部のタミル・ナドゥ州にあるこの町には5000人ほどの人がやって来て、その多くが定住した。

最初の移住者たちが始めた植林は、やがて世界最大規模の、そして最も野心的な森林再生プロジェクトとなり、1982年〜1987年の間にインド政府から10万ドルの支援を受けるまでになった。現在、この地にはおよそ200万本の木が繁茂している。

周囲の自然との調和を大切にするために、建築家のロジャー・アンガー氏は当初、自動車のない「未来都市」を計画した。実際、無数のスクーターやオートバイの騒音が響いているとはいえ、森林地帯を通る車は少ない。この数年間に増えたのは、電気自動車やバス、数台の小型自動車だ。

自動車の排気をなくそうとしているオーロビルでは、多くの住民が自転車を使うようになったが、オートバイに乗る人もいる。 写真:パンディヤン

自動車の排気をなくそうとしているオーロビルでは、多くの住民が自転車を使うようになったが、オートバイに乗る人もいる。 写真:パンディヤン

都市計画家のラリット・バティ氏はオーロビルに住んで14年になる。彼がこのモデル都市について耳にしたのは学生時代のことだった。就職後、オーロビルの経済システムになじむために彼はオーロビルを訪ねた。「多くの人々と話し、とても触発されました」とバティ氏は語る。彼は、人生のあらゆる段階にいる人々が、自身を学生であり教師であるとみなす「意識の高い」コミュニティづくり、というスリ・オーロビンド氏とミラ・アルファッサ氏の考え方が気に入った。「私は人生の目的を探していました。そして、自分の人生をどうするかというより、もっと高い目的があると確信していたのです」と語る彼にとっての大きな挑戦は、オーロビルの都市計画の概念を進めながら、共同コミュニティでの生活のダイナミクスを自身で体感することだった。

オランダ人のヨス・ヴァン・デン・アッカー氏がオーロビルに来た2001年には、この地は太陽光エネルギーの利用と環境に優しい建設の先駆地と見られていた。当時、そうした分野の仕事をしていた彼には、この地に住むことが理にかなっているように思われた。だが彼は、太陽光エネルギーのみに惹かれたのではなかった。コミュニティに住み、共に暮らす人々と物事を分かち合い、常に関わりあうことに魅力を感じたのだ。「たぶん、私は独身で、家族もいなかったので、他のコミュニティに住みたくなったのでしょう」とアッカー氏は語る。

オーロビルの町役場はEUの助成金で建設された。 写真:ベンジャミン・チュン

オーロビルの町役場はEUの助成金で建設された。 写真:ベンジャミン・チュン

しかし、物事が常に簡単に進むとは限らない。何を決めるにも、全住民が総会で合意を得なければならないのだ。ここにはコミュニティの長も単なる構成員もいない。「何かを決定するには、全員が合意しなければなりません。それは端的に言って現実的ではありません。常に誰かが反対し、決定を阻止するのですから」とヴァン・デン・アッカー氏は語り、それが非効率的で、結果として決定できることはほとんどないのだと付け加えた。

ラリット・バティ氏も同感だ。「確かに意思決定はなかなか進みません」と言い、「時には本当に不満を感じます」とも言う。しかし6~7年前に、住民は、住民同士の諍いといった小さな問題に対処するための地区委員会を作った。バティ氏いわく、「ユートピアにも問題は起こるのです」ということだ。オーロビルは結局のところ、アルファッサ氏がかつて述べたように「生きた実験室」なのだとバティ氏は言う。世界の他の地域と同様に、ここでも人々は進化にさらされている。このプロセスは決して終わることはないだろうとバティ氏は付け加える。

「オーロビルはユニークです」と語るのは、いわゆる「エコビレッジ」に関する著作を執筆中のワシントン大学の政治科学者、カレン・リトフィン氏だ。エコビレッジは世界中に数千カ所あるが、リトフィン氏によると、オーロビルは「グローバル・エコビレッジ・ネットワーク」に属しているものの、単なるエコな町ではないという。「オーロビルの本質はスピリチュアルなコミュニティであり、環境活動はスリ・オーロビンドの教えの産物なのです」と語る。

しかし、オーロビルは完璧な場所という意味でのユートピアではない、とリトフィン氏はみている。「ですが、そうなろうとしています。人類を前進させる最高の場所になろうと努力しているのですが、結局のところ人間は完璧ではないのです」

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本記事はOur World 2.0のパートナー、Deutsche Welle Global Ideasのご厚意により掲載させていただいています。

翻訳:ユニカルインターナショナル

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