ブレンダン・バレット
ロイヤルメルボルン工科大学ブレンダン・バレットは、東京にある国連大学サステイナビリティ高等研究所の客員研究員であり、ロイヤルメルボルン工科大学 (RMIT) の特別研究員である。民間部門、大学・研究機関、国際機関での職歴がある。ウェブと情報テクノロジーを駆使し、環境と人間安全保障の問題に関する情報伝達や講義、また研究をおこなっている。RMITに加わる前は、国連機関である国連環境計画と国連大学で、約20年にわたり勤務した。
今日のエネルギー開発のニュースを追っている人にとって、その全体像は、控えめに言っても、混乱しやすいものだ。とりわけ6月中旬以降の石油供給の全体像は複雑である。同時期、イラク・レバントのイスラム国(ISIL、またはイラクとシリアのイスラム国(ISIS)とも呼ばれる)の紛争が激化し、イラク北部で反乱分子が急速な前進を遂げた。
この紛争による差し迫った連鎖反応として、石油価格の急騰を予測することが可能だ。それは、2008年に同様の緊張状況が中東で生じた時に世界が経験したことである。実際、一部の評論家たちはそうした状況が起こると示唆している。彼らは、ISILがイラクの原油を支配したがっており、その結果、価格は急騰し、世界的なオイルショックが起きるだろうと主張している。
しかし、チャタム・ハウス(英国王立国際問題研究所)およびブルッキングス研究所では、より冷静な人々がより慎重な見方をしている。6月17日、著名なエネルギー専門家のポール・スティーブンス教授は、イラクでの反乱は石油市場に緊張を引き起こしてはいるが、「近い将来の」問題の原因にはならないと記した 。彼は「より長期的に見れば、石油市場への影響はさらに興味深いものになる」と述べ、数々の課題を概要している。しかし、紛争が石油供給に及ぼす影響は限定的であり、悪化するとすれば、特定の状況が生じた場合(とくに、イラク政府が南部での石油生産を完全に支配できなくなったり、南部の石油事業が妨げられたりした場合)に限ると、スティーブンス教授は確信しているようだ。
その数日後の6月23日、ブルッキングス研究所のケネス・ポラック氏は、ISILが当面の成功を収めた後、イラク政府軍とクルド人部隊であるペシュメルガが勢力を保持し、現在の戦況は行き詰まるだろうと予測した予測した。彼は「再発した内戦によってイラクの石油生産が近々に崩壊する可能性は低い」という予測とともに、自身の分析を結論づけた。ここでも「近々に」という表現が慎重に使われていることが分かる。
誰も「長期的」という言葉を使いたくないようである。なぜなら、スティーブンス氏もポーラック氏も同意しているように、近隣諸国の政治的立場と反応(とりわけサウジアラビアとイラン)が複雑であると同時に、極めて影響力があるからだ。
それから1カ月もしないうちに、チャタム・ハウスのヴァレリー・マルセル博士がさらなる懸念を表明した。つまりISILが支配を掌握し、「ブローカー・マフィア」に石油を売り、一時しのぎの精製所で精製した後、地域の消費者に売るという懸念だ。
彼女の推計によると、ISILは当時支配下にあった2カ所の油田から原油を密輸することで、1日当たり約100万USドルから140万USドルを調達していた可能性がある。そうだとすると、結果的に反乱は長期的に継続し、その勢いは増していく。
続いて、ブルッキングス・ドーハ・センターの客員研究員であるLuay al-Khatteeb(ルアイ・アル=ハティーブ)氏はCNNでのインタビューで、ISILはさらに多くの油田を支配することによって1日約200万USドル、すなわち年間7億3000万USドル近くを資金として調達できると示唆した。彼は後日、ISILは現在「シリアの石油資産のおよそ60%とイラクの石油生産施設6カ所で構成される、緩やかに統合された繁栄しているブラック経済」を有していると記した。
さらにアル=ハティーブ氏は、イラクの石油豊富な都市、キルクークを失う可能性を懸念した。イラクの情勢不安が継続すれば、投資が妨げられるため、1日当たりの生産量900万バレル、あるいは世界需要の10%という2020年の国家目標を達成することが不可能になるという事実に懸念を呈した。
興味深いのは、石油価格が急騰するのではなく、下落したことである。8月13日、BBCは「ウクライナやイラクでの紛争による価格急騰が憂慮されていたにもかかわらず」石油価格がこの9か月間で最安になったことを報道した。
BBCの報道は、国際エネルギー機関(IEA)の「石油価格は山積する地政学的リスクに直面して不気味なほど安定している」という言説を引用した。このように安定した1つの理由は、現在、石油市場がアメリカおよびサウジアラビアから十分に供給されていることだ。アナリストのTom Whipple(トム・ホイップル)氏はさらなる洞察を行い、現在の世界情勢は「石油への需要が通常より低く、供給が十分にある」状況だと説明している。
しかし、現状が長期的に継続することについては、ホイップル氏はそこまで確信していない。同氏は次のように述べている。
「これほどの政治不安に直面しながら、なぜ石油価格が停滞したのかに対する1つの回答は、石油貿易に携わる大企業、とりわけ投資銀行が近年、市場から撤退し、石油価格を追いかける投機マネーが大幅に削減されたことにある。これにより、過去2年間は価格が比較的安定していたが、主要石油企業による投資が少なくなり、中東諸国での石油生産スピードが落ち込んでいるため、今後は圧力が高まるだろう。そうなれば、次第に石油不足が生じ、結果的にいつかは、2008年と同様に、石油価格が高騰するだろう」
つまりある意味で、私たちは現在のアメリカのタイトオイル・ブーム(別名シェールオイル・ブーム)を招いた幸運の星に感謝すべきだろう。しかし同時に、私たちは次のように自問する必要がある。「現状はどのくらい持つのだろうか?」その答えを知っていると自認する1人の人物が、石油供給の研究者であるマット・ムシャリク氏だ。彼は、アメリカの原油生産は2016年にピークを迎え始めることを示唆する『 2014年IEA石油の中期市場報告』に掲載されたグラフを指摘する。2016年と言えば、私たちが望んでいたほど先の話ではない。アメリカから得られる別途の石油供給は、困難な現状をやり過ごすために世界が必要とする緩和策であるため、同氏の指摘は深刻な懸念材料だ。
残念ながら、チャタム・ハウスのスティーブンス教授が指摘するように、アメリカのタイトオイル供給の開発力は、高い石油価格に左右される。高い石油価格を維持するには、サウジアラビアやその他の国との協力が必要なのである。
スティーブンス教授が示唆するところによると、サウジアラビアが望めば、石油価格を下落させることが可能で、一撃でアメリカやイラクやイランに損害を与えられる。サウジアラビアは兵器庫に強力な武器を持っているのだ。もちろん彼らはその武器を使いはしないだろうし、使う能力自体を持っていないとする示唆もある。しかし、タイトオイル資源を利用するためには、世界は高い石油価格が必要だというのは真実であり、しかも高すぎない範囲でなければならない。まさに危険な綱渡りなのだ!
万が一、イラク南部での石油生産が反乱の影響を受けた場合、石油価格は130USドル以上に急騰しかねないと、BBCは警告した。基本的にBBCは「世界がイラクの石油生産の欠落を補うことは不可能だろう。その理由は単純に、世界には他に利用できる生産力がそれほど存在していないからだ」と主張している。
この点はむしろ分かりにくい。石油は余剰していると言う評論家もいれば、イラク南部での生産喪失を埋め合わせるのに必要な予備生産能力は十分ではないと言う者もいる。石油余剰は1日何十万バレルという単位で計算される。予備生産能力は1日数百万バレルという単位かもしれない。1日当たりの石油消費量は現在9200万バレルだ。より長期的には石油需要の増加が予測される状況では、短期的な予備生産能力がたとえ1日100万バレルだったとしても、石油価格に大した影響は及ぼさないだろう。
私たちが覚えておくべき主要なメッセージは、中東における継続的な情勢不安は世界が対処できるようなものではないということだ。短期的に見れば、評論家らが示唆するように、状況は劇的ではない。しかし状況を静観することも賢明ではないのだ。だからこそ、退役したジョン・R・アレン大将は先日、アメリカおよび同盟諸国に「イスラム国を今すぐ破壊」することを要請したのかもしれない。
しかし、そのような反応は、中東でのアメリカの戦闘で明らかになった「モグラたたき」型の政策でしかなく、同じ結果(一時的に反乱は収まるが、どこか別の場所で再び姿を現す)を生む可能性が高い。残念ながら、オバマ大統領が先日明らかにしたように、上記以外の戦略はまだ計画中だ。
中東での紛争は、世界のエネルギー不安の主要な原因の1つである。しかし、エネルギー不安を抑えるために必要な変化の規模はあまりにも大きいため、先進諸国のリーダーたちにとって好ましいものではない。
私たちが目にするのは、この難問を乗り越えるために私たちが望んでいた協調的行動ではない。IEAによると、アメリカは「シェールオイルおよびシェールガスの革命」の中で化石燃料への依存を続けている。一方、ヨーロッパは「再生可能エネルギー革命」を追求している。
アメリカとヨーロッパが真逆の方向に走っている一方で、アジアは完全に迷走しているようだ。チャタム・ハウスのジョン・ミッチェル氏の主張によると、アジアはアメリカとヨーロッパのどちらよりも、中東からの石油供給が途絶えた場合のリスクが高いにもかかわらず、そのような大変動への備えはアメリカやヨーロッパよりも薄い。
そのうえ、IEAチーフエコノミストのファティ・ビロル氏は先日、世界中のすべてのエネルギー政策決定者への最も明確な警鐘を浮き彫りにした。彼は、エネルギー生産の資本費用が2000年以降倍増したと説明した。要するにそういうことなのだ。単純明快な事実として、私たちが今後直面しなくてはならない新たなエネルギーの現実とは、エネルギー投資費用が着実に上昇していくという状況であり、それはエネルギー価格が次第に高くなっていくことを意味する。こうした状況は、有権者を魅了しにくいシナリオである。
悲しいことに、このような難関に直面した場合に世界が協調的行動をとるための議論の場さえ存在していない。ただし、一部の評論家は、より効果的な世界のエネルギーガバナンスのために利用できる機関として、G20(金融世界経済に関する20カ国首脳会合) をあげている。国連システムの中では、そうした責任を負う機関は皆無である。
残念ながら、国際交渉が長引くことを念頭に置くと、時間は私たちの味方ではないようだ。イギリスの王立協会による石油供給の未来に関する2013年の報告書は、世界の在来型の石油生産は2030年よりも前に継続的に減少し、2020年よりも前に減少し始めるリスクが高いことを予測した先行研究の結論を再確認している。つまり今から2020年までのある時点で減少し始めるということだ。私たちが非常にラッキーであれば、さらに10年、時間稼ぎができるかもしれない。
アメリカのエネルギー革命が私たちを救ってくれると確信している読者は、同報告書の筆者たちの次の主張をお読みいただきたい。彼らによると、「タイトオイル資源を含めたとしても、その資源基盤が比較的限られていることもあって、この結論に著しい影響を及ぼしそうにはない」ことが最近の証拠で示唆されているという。
つまり、タイトオイル資源は短期的なメリットをもたらしているが、より長期的に見れば、何かが変わらない限り、私たちは全人類的に非常に厄介な状況に置かれているのだ。
不吉な前兆は、それを進んで読み取ろうとする人には明らかである。ISILの紛争は、まさに警告サインだ。状況が悪化し、私たちの手に負えなくなり、効果的に対処する私たちの能力を超えた状況を迎える前に、石油への依存から政治的に可能な限り早急に離れ始めるべきだと、私たちに知らせる警告だ。私たちは本当に、毎日約40億オイルマネーを中東の支配体制に流入し続けたいのか? 環境、経済、政治の観点からも、私たちは資金を別の開発手段に投資する道を見いだすべきである。そして、主要な投資分野の1つが再生可能エネルギーだ。
これは、包括的で、協調の取れた、国際的行動を要する根本的な問題である。
翻訳:髙﨑文子
ISILと混乱したエネルギー情勢 by ブレンダン・バレットandスヴェン オーケ・ビョルケ is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 4.0 International License.